たとえ、それがあっても、書物全体の価値をいささかとも下げることのない、変なところを指摘することに、はまっている。繰り返すが、それを指摘したからといって、その本の価値が下がるということはまったくなく、また本の内容を褒めることすらあれ批判するつもりなどまったくないことをお断りしておきたいのだが、そうした本のひとつに
和泉雅人『迷宮学入門』(講談社現代新書、2000)がある。
この本は入門書あるいは新書として、実によくまとまっていて、限られたスペースのなかで「迷宮」について多くのことを教えてもらったし、また豊富な図版も見ていて楽しだけない。いろいろな文献で頻繁に使われる迷宮図をすべて網羅しているといってもいいくらいで、以後、どんな迷宮図をみても、この本のここにあったと確認できるほどのもので、図版の豊かさにも圧倒される。もちろん本文の記述も、明晰かつ的確で、さらなる思索へと導いてくれるものであって、誰にでも自信をもって奨めることができる名著である。
そして、指摘したいのは、この本の価値を少しも下げることのない、次のようなことである。
最後のあとがきで著者は、感謝の言葉を述べている
本書の成立過程ではさまざまな方々にご援助をいただいた。慶應義塾大学図書館のレファレンス、ILLスタッフの榎沢(現、日本橋学館大学図書館司書)、藤田、内山、城戸、昆、岡本をはじめとする諸氏には心からお礼を申し上げたい。また原稿のモニターをしてくださった木藤、榎沢、中村の諸氏にはほんとうにご面倒をおかけした。……(pp.225-226)
と、感謝の言葉はつづくのだが、図書館のスタッフにも感謝を捧げる著者の義理堅い、あるいは感謝の念を忘れない良心的な称賛すべき姿勢には、ただただ頭が下がるのだが、しかし、どうして姓だけなの。姓だけだと呼び捨て感が強いのだけれども、せっかく感謝をささげるのだから、どうしてフルネームにしないのか。姓だけだと、同姓の人とまぎれるかもしれないし、ジェンダーもわからない。私だったら、名字だけで感謝されるのはいやである。いや、これには深い事情がといわれるかもしれないが、深い事情があるのなら、最初から書かなければいいのであって、図書館のスタッフその他に感謝の言葉を述べるのは義務ではないのだから。
こんなことにばかり気が向いてしまっているので、前回のように、スピヴァクの『ある学問の死』のエラーコインみたいなミスをとりあげることになった。
だからといって、この翻訳書の価値が下がるということは絶対にない。また、もうひとつ取り上げようと思っていたのは、ミスではなくて、表記についての考え方の違いについてであって、私なりの考えを披露したいと思っていたのだが、その前に、イーグルトンの原書の、変な索引をとりあげた勢いで、著者も翻訳者も編集者も責任はないだろう、変な訳注について気づいてしまった。とはいえそれはAIがするようなミスでもないのだが。
もう一度、前回とりあげたとんでもない訳注(割り注形式)を思い出すと:
ブルームズベリ―・グループ:父の死後、ヴァージニアの家に、弟のエイドリアンを中心にケンブリッジ出身の学者・作家・批評家が集まって形成されたヴィクトリア朝期イギリスを代表する知識人グループ。
「ヴィクトリア朝期イギリスを代表する知識人グループ」というとんでもない記述は忘れることにしても、この注を翻訳者であり英文学者である鈴木聡氏が書いていないこと、またおそらく全責任をとるという上村忠男氏も書いていないこと、さらには編集者や校閲者が書いていないことは、今引用した訳注からも歴然としている。
それはヴァージニア・ウルフのことをヴァージニアとファーストネームで呼んでいるのだ。おまえの友達か?おそらく、鈴木先生も、上村先生も、学生が論文などのなかでヴァージニア・ウルフのことをヴァージニアとファースネームで書いていたら、やめるように注意するだろう。編集者や校閲者も、同じような苦言を呈することだろう。この訳注を書いた人間は、頭がぶっとんでいる。誰なのか知らないが。
【「父の死後、ヴァージニアの家に……」とあるのだが、「父レズリー・スティーヴンの死後」とあれば、つづくヴァージニアもエイドリアンも、ともにスティーヴンの姓を共有しているために、ファーストネームだけでよい。おそらく参考にした記述をまとめるときの不手際だろうが、不手際であることにかわりはない】
以下は、ぶっとんでいる訳注ではないが、また同じ人物が書いたのかどうかももちろんわからないのだが、こんな本文がある。
この言葉は、わたしたちが慣れ親しんできた居住空間をuncannyなものにするであろうか。いうまでもなく、わたしがここで思い浮かべているのは、英語の日常語における“uncanny”ではなくて、アリクス・ストレイチーがフロイトの用語“unheimlich”をそう訳したもののことである。それは、わが家同然に居心地のよいものが、なにか“unheimlich”なもの――無気味なもの/疎遠なもの――に一変することを意味している。p.126(スピヴァク『ある学問の死』上村忠男・鈴木聡訳(みすず書房2004))
この本文の「アリクス・ストレイチー」なる人物に
英語版フロイト著作集の訳者。
という訳注が割り注で入っている。
おそらく私程度の、たいした教養もない読者は、「アリクス・ストレイチー」って誰と不思議に思うにちがいない。私程度の、たいした教養もない読者にとって、英語版フロイトの著作集の翻訳者というのは、全体の監修者でもあるジェイムズ・ストレイチーなのだから。
フロイトの著作の英語版はStandard Editionといって、ドイツ語の著作集よりもはるかに権威のある著作集でもあった(かつては、あるいはいまもという人もいよう)。またフロイトの用語の英語訳については、翻訳者のジェイムズ・ストレイチーの翻訳が、これまでずっと称賛されたり批判されたりしていて、ジェイムズ・ストレイチーの名前はフロイトの名前ともに多くの読者の頭にこびりついている(もちろんジェイムズ・ストレイチーが有名なのは、ブルームズベリー・グループの一員であった作家の兄リットン・ストレイチーの弟だからでもあるのだが)。
ところがここにきて急にアリクス・ストレイチーなる人物が登場してきた。誰のことか。男か女かもわからない。Alexは男子名でAlixは女子名だが、いきなり「アリクス」と言われても、間違いではないがぴんとこない。
彼女はジェイムズ・ストレイチーの妻アリクス・ストレイチーで、夫ともに精神分析家で、フロイトに要請されて夫ともにフロイトの著作の翻訳をした。スタンダード・エディションも彼女と夫との共訳ということになっている。
フロイトの英語訳者といえばジェイムズ・ストレイチーであるという固定観念に縛られいた私程度の教養しかない読者には、英語訳者はアリクス・ストレイチーだと言われると、驚くほかはなく。夫の影にかくれて、翻訳者としての偉業もかすんでしまっているのだが、むしろ彼女こそが、英語訳をすべてこなした真の英語翻訳者なのか。そのことを(おそらく近年の研究の成果もあってのことだろう)、スピヴァクは、私たちに、フロイトの英訳者はアリクス・ストレイチーであると宣言したのかもしれない。私はこのとき自分の不明を恥じて、スピヴァクの前にひれ伏したくなった。
ちなみに『ある学問の死』の原書には索引(内容索引、人名索引)がついていて、そこにはAlix StracheyどころかStracheyという名前すら載っていない。これにはちょっと驚いた。翻訳をたよりに原書の場所をさがした。
I am, of course, not thinking of the English word “uncanny,” but of the Stracheys’ translation of Freud’s word unheimlich. . . . (pp.73-74)
この『ある学問の死』の翻訳というか日本語訳文についてはなんら問題ないことは原文を参照すればわかるのだが、問題は、スピヴァクはthe Stracheys(p.73)と、つまり「ストレイチー夫妻」とだけしか書いていないことだ。
夫ジェイムズを押しのけて真の影の主役翻訳者アリクスを前面に出して読者を驚かせる――私など、ひれ伏しそうになったのだが――、そんなことをスピヴァクはしていない。ただフロイトの英語訳著作集の翻訳がストレイチー夫妻の共訳であるということを述べているだけである。だから日本語翻訳者がアリクスの名前だけを出すことについては問題があり、もしそれに正当な理由があるのなら、それこそを割り注で説明すべきである。
なおこうした処理は、共訳のお二人、上村氏と鈴木氏がなされたこととは夢にも思わない。謎の「ヴァージニア、ブルームズベリー・グループ=ヴィクトリア朝」の訳注を書いた、どこかのバカは、脇役に執着していて、ヴァージニア・ウルフの弟で精神分析家のエイドリアンを出してきたり、ジェイムズ・ストレイチーを差し置いて、これも精神分析家のアリクス・ストレイチーを出しきたりと、脇役の精神分析家大好きの変わり者であろう。
というか、そういうふうにみえるほど、基本的な知識も教養も欠如しているのだ。
問題は、この変わり者によって、お二人の共訳がそこなわれてはいないかということである。せっかくよい翻訳が泥を塗られている、そんな気がしてならないのだ。
なおthe Stracheysと本文にあるので、原書の索引も、その項目を出すべきであった。もしスピヴァクが作成していたら、必ず、入れているはずである。しかし原書の索引作成者はthe Stracheysが誰のことかわからず、索引から落としている。原書の索引が、あてにならないことは、ここからもわかるはずである。
