2021年09月07日

『ある学問の死』1

G.C.スピヴァク『ある学問の死――惑星思考の比較文学へ』上村忠男・鈴木聡訳、みすず書房、2004

中断していた翻訳セミナーを再開したい。とはいえ、今回扱う本は、原著も難物で、誰が訳しても、うまく訳せない代物なのだが、けなすためではない。むしろ推薦図書として語ってもいいくらいである。ただし難物。もちろん私がこれをしのぐ翻訳ができるということはまったくない。誰が訳しても、むつかしい原著との、ごく簡単な比較を通して、翻訳とはほんとうに難しいものだということを確認したい。AIには手が出せない領域である。

なお、手始めに翻訳そのものとは関係ない話題を2題。今回はそのうち1題。あまりにくだらないミスなので、この翻訳の価値を下げるものではないことは明言しておきたい。それに古い本でもあるし、このミスは、ひょっとしてネットなどで話題になったかもしれず、新しい版(があるかどうか確認していないが)では、そのミスは訂正されていると思うので、あくまでも昔こんなことがありましたという笑い話として、知らない人は読んでもらいたい。

このミスは、たとえていうならエラーコイン、エラー紙幣のようなものである。たとえば50円硬貨の真ん中に開いている穴がずれていたり、コインの両面に同じ模様が刻まれていたりするのがエラーコイン。あるいは印刷がずれている紙幣がエラー紙幣。ほんらい、こうしたコインや紙幣は、事前にチェックされて、市場に出回らないのだが、奇跡的にチェックを逃れ市場に出回り、珍しいため、高額で取引されたりするもの。それと同じと考えていいようなミスが、『ある学問の死』のなかにある。

p.54に割注のなかにこんな驚愕すべき訳注がある。

ブルームズベリ―・グループ:父の死後、ヴァージニアの家に、弟のエイドリアンを中心にケンブリッジ出身の学者・作家・批評家が集まって形成されたヴィクトリア朝期イギリスを代表する知識人グループ。


実は、これは小さい字の割注で、私は読んだときに気づかなかった。しかし、東京大学の英文研究室に所属する大学院生のひとりは、当時、教員だった私に、こんなひどり注がついているのですよと、このページを指摘してくれた。

たしかに、その割注を読んで、思わず「あっ」と声が出た。たしかにひどいと、私もその大学院生にもらした。

ブルームズベリ―・グループについては、たとえば、ランダムハウス英語大辞典の定義

((the Bloomsbury Group))ブルームズベリー・グループ:20世紀初頭(1907-1930)にBloomsburyに集まった文学者・知識人の集団。


とある。もちろん説明の仕方や盛り込む情報はいろいろあれど、20世紀初頭に活躍したグループであって、断じて、ヴィクトリア朝期イギリスの知識人グループではない。ヴィクトリア朝期というのはヴィクトリア女王の在位期間とすれば1837-1901年。ブルームズベリ―グループは、この時期には属していない。

東大の大学院生があきれかえるのは、よくわかる。むしろ笑ってしまうくらいに、ありえないミスである。

ただ、そのとき、この訳注を書いたのは、二人の訳者のうち、英文学が専門の鈴木聡氏の責任ということになるので、鈴木氏を個人的にも知っている私としては、全力で、鈴木氏を弁護した。鈴木先生は、几帳面な人で、人一倍、正確さと緻密さを重んずいる人で、どんなにうっかりしても、ブルームズベリ―グループを、ヴィクトリア朝期の知識人グループなどと書くわけがない。たとえ鈴木先生を拷問しても、あるいは鈴木先生にお金を積んでも、このような訳注を書かせることはできない。こんな訳注を書いたら、英文学者として、永久にアウトだからである。

これは本気で述べている。もし、誰かが、天地神明に誓って、これは鈴木さんが書いた訳注だと語っても、嘘をつくなら、もっと、もっともらしい嘘をつけと、私は絶対に信じない。鈴木氏の名誉のために言っておくが、絶対に鈴木氏が書いてはいない。

では、誰が書いたのか。訳者あとがきには「最終責任は上村にある」と書かれているが、「最終責任は」云々というのは、ほとんどの場合、リップサービスである。だから上村氏には責任はないだろう。

では、誰が、この訳注を書いたのか。英文学者にとって、ブルームズベリ―・グループは基本的常識の範囲内だが、英文学が専門ではない者にとっては、やはり未知の情報かもしれない。では、それは東京外国語大学の協力者(学生・院生?)かということになるが、東京外国語大学出身の優秀な学生を多く知っている私としては、彼らに責任があるとは思えない。

べつに犯人捜しをするつもりはないし、そもそもくわしい事情など知る由もないので、なにか確定的なことをいうつもりはないが、ただ、このあり得ないミスが印刷してある本は、珍しいという点でも価値がある。その後の版で、このミスがなおっていたとしら、なおのこと訂正前の版はもっていると価値があるだろう(値打ちではなく、価値。べつに本としての稀覯本みたいに価格があがるわけではないとしても)。


posted by ohashi at 01:22| 翻訳セミナー | 更新情報をチェックする