2021年08月13日

『サボタージュ』

Sabotage 2014年アメリカ映画。
始めて見る映画で、テレビで視聴。日本公開時には見なかったのだが、映画館で見ておけば良かったと後悔。CSで見たのだが、翌日か翌々日、地上波のテレビ(テレビ東京)でも放送していて、結局、二回も見てしまった。CSが字幕で。地上波が吹き替えということになる。

予備知識なしで見たのだが、素晴らしい映画で、驚いた。それも監督・脚本がデイヴィド・エアーだということで納得。

ただし、癖が強い映画でもあって、好みは分かれるかもしれない。グロいところは、きっちりグロい。どのくらいグロいかというと、最後の方に出てくる、冷蔵庫に入れられた裸の血まみれの死体は、テレビ東京版では、首から上しか映さなかった。まあ、午後3時に居間で見るような映像ではないし、またその惨殺死体をみての女性刑事の極度に動揺したリアクションも、ほとんどカットされていた。茶の間に出せないくらいグロいのである。

このグロさとともに、映画そのものも基本的にノワールで、暗く残酷な話なので、評価は分かれる、あるいは好き嫌いは分かれるかもしれない。ネットでの評価も、かんばしくない。

たとえば、先は見えている、筋は読めるから、ただグロいだけの映画だいうコメント多い。しかし、私は先を読めなかったので、私よりも頭がいい人が多いのだとうらやましく、またねたましく感じたのだが、しかし、それにつづくコメントはおよそ頭のいい人間の記すようなコメントではものばかりで、先が読めるとういのは、バカのまぐれ当たりか、たんなる見栄か、もしかしたら内容が理解できなかったからかもしれない。

そもそもデヴィッド・エアーの脚本は、どれもひねりがきいていて、先が読めない。『U-571』(脚本のみ 2000)だって、まさあんな風にうまくいくとは誰も予想できなかったにちがないし、『トレーニング・デイ』(脚本のみ 2001)にいたっては、デンゼル・ワシントン扮する悪徳警官をめぐって、ワルだけれども実は事情があってという、どんでん返しを期待したら、最後まで、どんでん返しがなく、ただのワルだったでおわるという、このひねりのなさは強烈で、まったく先が読めなかった。

この映画と同年の戦争映画『フューリー』(監督/脚本2014)も、まさか最後に、ああした玉砕戦法になるとは誰が予想しえただろう。もっともこの映画『サボタージュ』も最後は玉砕なのだが。

そして比較的最近作『スーサイド・スクワッド』(2016)のぶっとびぶりの源流は、おそらくこの『サボタージュ』である。実際、この麻薬取締局の特捜班も、収監された犯罪者たちを取締チームのメンバーにしたところがあるし、まさにそれはスーサイド・スクワッドそのものともいえるだろ。そして、ハーレイ・クインの原型は、この映画のリジーだとは、映画をみた者、誰もが思うところだろう。

アーノルド・シュワルツェネッガーの映画復帰後の作品としては、たとえば『エクスペンダブルズ』シリーズとか、『ターミネイター』シリーズなど、どれもフラットなキャラクターのアクション・ヒーローとしてのシュワルツェネッガーしか登場させていない。唯一、歳をとっても元気なところをみせつけた『ラストスタンド』の田舎の保安官役は、シュワルツェネッガーらしさがうかがえるのだが、こうした作品のなかでこの『サボタージュ』だけが、生身の人間としてのシュワルツェネッガーを現前させている――生身のというは、傷つきやすく、トラウマも抱えながらも、強欲で冷酷で、復讐の鬼でもあるという多面性である。それはまた法の執行者でありながら無法者でもあるという、麻薬取締チームのリーダーでありながら、麻薬組織のリーダーにもみえるという二重性といってもいい。

この映画をみてシュワルツェネッガーの部下のひとりにサム・ワージントンがいて我が眼を疑った。部下といっても、麻薬取締の潜入捜査員なので、見た目は、完全にワル、無法者、ギャングそのものである。そしてそうした柄の悪い部下のひとりをサム・ワージントンが演じている。最初、ワージントンがまだ無名の若い頃の映画なのかとかないと思った。しかし、そうではない。彼が『アバター』の主人公を演じたのは2009年。『タイタンの戦い』が2010年、『タイタンの逆襲』が2012年。いずれも主役であり、私としてはクロエ・モリッツを目当てに見に行った(忘れもしない、いまはなき銀座にあった映画館――上映開始時間が、理由は不明ながら、30分遅れた)『キリング・フィールズ 失踪地区』(2011)でも主役だった。比較的最近ではテレビシリーズ『マンハント』でもユナボマーを追いつめる捜査官役という主役だった。その彼が、こんなひどい役をやっているとは。

気の強い女性刑事役のオリヴィア・ウィリアムズは、似たような役を連続テレビドラマで演じていた(『ケース・センシティヴ』――アマゾン・プライム・ビデオでみた)ので、とくに意外性はないのだが、この映画でレジー役の、ミレーユ・イーノス。まさに『スーサイド・スクワッド』のハーレイ・クインの原型のような、この下品で残忍でよこしまなぶっとび女を、ミレーユ・イーノスが演じていることが最大の驚きである。彼女の出演している映画やテレビドラマを全部見ているわけではないので、誤認があるのかもしれないがが、こうした役は、彼女には実に珍しい。こういう役柄の彼女をみるのは初めてである。

映画のなかでは、サム・ワージントンとミレーユ・イーノスは、夫婦という設定だが、ふたりとも、これまでにない汚れ役をシュワルツェネッガーのもとで、嬉々として演じているというところがある。

そして実際、これはキャスティングの意味論あるいは緩衝効果ともいうべきものがあって、この見た目も、精神も、言動もすべて薄汚い麻薬取締特別版――まさに収監中の犯罪者を動員して作ったような特別版――は、ふだん、こういう役をしない俳優たちが演じているという意識がもてないと、ただ薄汚いだけであり、嫌悪感しかもたらさないだろう。

この映画において麻薬捜査班のリーダーは、レジェンドだけれどもまた悪徳捜査官というアンチヒーローでもあり、その利己的性格、執念深さ、腐敗ぶりは、シュワルツェネッガーが演じているとわからないと、ただ、不快なだけである。その意味で、シュワルツェネッガーと、彼の部下となっている名だたる俳優たちのもつ意味は大きいといわざるをえないし、彼らの顔認証ができないと、この映画は、不快な嫌悪すべき映画かもしれない。だから、ネット上での低い評価もわからないわけではない。

とはいえ私は、この映画のグロさにひきつつも、先の見えない物語と、切れのいいアクションシーンなどに感銘をうけた――CSと地上波で同じ映画をつづけてみたくらいなので。

内容について:最初は3時間ほどの大長編映画だったところ、100分ほどの映画に編集して縮めたとのこと。およそ半分くらいに縮めたことになるが、縮めたことによって、弊害が出ているかどうか、わからならいが、ただ、短縮ヴァージョンだけでも、それほど違和感はない。やや変わった展開と思えないところもないのだが、もしそれが短縮したことによる結果だとしたら、むしろ短縮して良かったのではということもできる。

資料によるとアガサ・クリスティーの『そして誰もいなくなった』が原作とのこと。しかし、これはまともに受け取ることはできない。孤島とか、それに類する閉じられた場所に、人びとが集められ、一人また一人と、人が殺されていくということはない。なるほど、麻薬取締班のメンバーが次々と殺されていくのだが、だからといって、それが『そして誰もいなくなった』を原作とした作品という理由にはならない。

閉じ込められて、ひとりひとり殺され、最後に全員死んでしまい、誰が殺したこのかわからないという作品と、麻薬組織の資金源をネコババしたために、組織から報復され、取締班のメンバーがひとりひとり殺されるという作品との間には、翻案であるともいえない、ゆるすぎる類似性しかないように思われる。

だからクリスティーの作品原作説は、無視していいようなのだが、真犯人は誰かということになると、そこだけはちょっと似ているような気がする。『そして誰もいなくなった』の真犯人の予想のできなさは、『サボタージュ』の真犯人の予想のできなさと通ずるところがある。犯人はすぐにわかるとういネット上のコメントは、バカのまぐれ当たりか、バカの見栄っ張りにすぎない。(なおアガサ・クリスティーつながりでいうと、クリスティーの謎の失踪事件を扱ったテレビ映画でクリスティを演じたのはオリヴィア・ウィリアムズである)

なお、これは私は見ていないのだが、ブルーレイ版には、別エンディングが納められてて、それを紹介しているネット上の記事を読むと、確かに、驚きの、また救いのないエンディングだが、それによって作品の内容が変わってしまうと、ネット上の記事にあるが、そんなことはない。

つまり真犯人は誰かについては、現行のエンディングでも、別エンディングでも同じである。そのネット上の記事は、109分の映画では真犯人はリジーだが、別エンディングからすると……と書いてあるのだが、109分の映画版でも、リジーは真犯人ではない。それはふつうに見ていればわかるし、109分の映画版でも、最後には、真犯人がわかり私たちは愕然とする。とにかく、別エンディングであれ、現行のエンディングであれ、真犯人は変わらない。そのことだけは、ここではっきりと述べておく。

この映画、冒頭で、麻薬取締班が組織の本拠地でその巨額の資金源を確保するのだが、次の瞬間、その資金の一部をネコババする。いっそのこと全部もらってもいいようなものだが、量が多すぎることもあるのだが、その、見方によってはほんの一部だけをネコババする。ただ、それでも急いで札束をばらしてビニール袋に小分けしてそれをトイレの配水管に流す。排泄物がつまっているトイレに。汚いことこの上もない。彼らがやっている汚い横領と、排泄物の汚さが響き合う。ここからはじまる、薄汚いを通り越した不潔で下品で腐りきった所業、言動の数々は、たんなる誇張なのだろうか。

潜入捜査をする以上、捜査官といえでも、ならずもののような姿格好と言動で存在をアピールするほかはない。だから捜査官なのか売人なのかわからないような設定というのはリアリティはある。日本でも暴力団を取り締まる刑事が、暴力団員に似てくるようなものである。これは日本の刑事ドラマでもおなじみのことである。

またDEA(麻薬取締局)の活動の実態については、何も知らないのだが、日本の麻薬捜査などもそうかもしれないが、闇があると言われている。たとえば麻薬の使用者とか売人や組織をあぶり出すために、捜査局そのものが麻薬を流通させることがあると言われている。餌を撒いて、よってきたカモを一網打尽にするようなものだが、これは、通常の犯罪捜査における犯罪誘発みたいなもので、麻薬中毒者を撲滅するのではなくて作り出しているのではないか。また警察組織内部に、押収した麻薬を売買して金儲けをする集団ができているというのも、アメリカなどの刑事ドラマではよくある設定である。そして芸能人などが摘発される日本の麻薬捜査の闇。冤罪まがいの摘発の犠牲になった芸能人も多いと思う。もっとも、こんなことを書いていると、ある日、突然、麻薬捜査官が私の家に現れ、私の家の片隅に麻薬を仕込み、それを自作自演で発見して、私を摘発することになるかもしれない。

公務員だから、ならず者ではないというのもおかしい。公務員のなかには、唾棄すべきならず者がいる。メキシコの麻薬組織のメンバーよりももっと残酷な人間以下の獣ののような連中が名古屋にいる。市長のことではない――市長は、ただのバカだ。

2021年3月6日、名古屋出入国在留管理局の施設に収容されていたスリランカ人の女性ウィシュマ・サンダマリさんが死亡した。出入国在留管理庁が調査報告書を公表したが、1人の命が失われたのに責任の所在も不透明なまま。処分が出され、名古屋入管の佐野豪俊局長と当時の次長への訓告、警備監理官ら2人への厳重注意で終わっている。

彼ら出入国在留管理庁の職員は、ならずものの殺人者といってもさしつかえない。実際、遺族に公開された、当時の録画映像では、管理官たちは、この女性を、まともな人間として扱わず、死ぬにまかせている。人一人殺しておきながら、厳重注意ですむのは、日本という人権無視の野蛮国だけだろう。もうこれで日本は、中国やミャンマーの人権無視を非難することもできなくなった。日本はほんとうにすごい。世界に冠たる人権無視の国だから。

日本にいて良かった。日本人の生まれてほんとうによかった。日本人は外国人を平気で殺し、さらにコロナ感染で苦しむ同胞の日本人をも見殺しにしている。日本、本当にすごい国である。

映画『サボタージュ』では、法の執行者たちがならず者であった。日本でも法の執行者たちのなかには、ならず者は多い。出入国在留管理庁とかその施設は、ならず者たちの巣窟である。そこの職員は、本来、収監者であったのだが、管理者として雇われていて、収容者を虐待し殺している。彼らはならず者班、もと収監者班、囚人班である。と、そう言われないような仕事をぶりを彼らはしているのだろうか。そこでの人権無視の実態は、絶対に暴かれ、断罪されねばならならない。

posted by ohashi at 03:48| 映画・コメント | 更新情報をチェックする