2021年07月30日

私の迷宮体験 つづき

前回の記事のまとめ

私のハンプトン・コート宮殿の庭園迷路体験。この迷路は、一本道の迷宮と基本的に同じ構造をしていて、入口から中心部へ、そして中心部から出口へと至るには、入口にもどるしかない。だが入口にもどるという選択肢は、ハンプトン・コートの庭園迷路では思いつくことすらできなかったが、最後には根負けして、入口に戻ることにした。実は、それが正解だったのだが。

なお前回、書き忘れたこととして、小山太一『ボートの三人男』から、引用させてもらったが、そのとき、小山氏の訳文の優れていることに、あらためて感銘を受けたことである。

和泉雅人『迷宮学入門』(講談社現代新書2000)は、「迷宮」についての概念と歴史について教えてもらえる貴重な本である。「迷宮」と「迷路」の違いも明確に説明されていて、眼を開かれる。この本を知っていれば、私は実際のハンプトン・コートの庭園迷路で迷うことはなかったのだが、ただ、そのときは、まだこの本は出版されていなかった。

和泉氏の説明によると「迷宮」Labyrinthとは一本道で構成され、「迷路」Mazeは多数の枝道や袋小路によって構成される。したがって和泉氏の本は、『迷宮学』とあるのように「迷宮」の歴史を記述するものだが、ただ、迷宮と迷路は、混同されたり、どちらも同じものと思われたりしてきたのも事実である。

「迷宮」の場合には、中心があり、中心に行って、そこから入口へともどることになり、それが「迷宮体験」となる。迷宮には、とにかく中心がある。そして中心への一本道が迷路となる。

中心へは一本道の周回路を通ってだれもが強制的に到達させられる。迷宮のなかで道に迷う可能性はないのである(p.45)


出てくるときも、中心から入口へと戻るだけである――やってきた道を逆にたどるだけである。この構造を知らなかった私は庭園迷宮で迷ったのだが、ただ、庭園迷宮には脇道や枝道が設けられていて、だれもが道に迷う。それは迷宮というより迷路である。

和泉氏はこう述べている

迷路はだれもが中心にたどり着けるとはかぎらない。むしろ中心にたどり着くことを可能なかぎり困難にし、中心を隠蔽する役割を果たしているといっていいだろう。したがって、迷路の中心にたとえ到着することができたとしても、そこから再び出口にたどり着くことは、入ってきたときと同じくらい困難な作業となる。さらに迷路の場合、中心のような存在が必ずしも必要とはされていない。(p.44)

これは世間一般に知られていることではないだろう。私たちが、ふうつ「迷宮」といっているのは、「迷路」のことなのである。だが和泉氏も認めているように、迷路と迷宮は、混同され、どちらも同じ意味で使われているのも事実であり、ハンプトン・コートの庭園迷路で、中心に行き着いたことと、しかも中心区画に出入りするところは一カ所しかないことから、これは迷宮構造をももっているのであって、あとはやってきた道をたどって入口にもどればいいのだとは、当時、全くわからなかった。つまりこの変形「迷宮」を「迷路」として見続けていたのである。

和泉氏の本では、私が迷ったハンプトン・コートの迷宮/迷路については触れられていないが、ただ、その本からわかることは、ハンプトン・コートの迷宮/迷路は、

一六世紀と一八世紀の間にヨーロッパにおいて何百と設置された庭園迷宮(p.183)


のひとつであるということだ。しかも、和泉氏は貴重な付言をしている――その「ほとんどが迷路形式をもっていた」と(p.183)。

まさにハンプトン・コート宮殿の庭園迷宮あるいは庭園迷路は、中心のある迷宮構造を基本としているというか、していた。中心までは一本道で、強制的に中心に、迷うことなく連れて行かれるのである。そのため中心まで行ったら、あとは、今来た道を辿って、入口にもどって、そこから出るのが、迷宮の基本である。しかし、迷路とは迷いながらも、出口に向かうものであって、入口にもどるものものではないという考えしか思い浮かばなかったために(実際の迷路の理解としては、それは正しいのだが)、そして、脇道や枝道がもうけてあるために、あとは迷うに迷うしかなかった。

中心まできたら、また入口までもどるという迷宮構造に違和感を抱いたのは、迷宮には出口はないことになるからだ。出口を答えと考えれば、迷宮には答えはない。それから、もしそれが純然たる迷宮だったなら、中心までは一本道で、行きも帰りも迷うことなどないのだが、それだと面白くない。逆にいうと、迷宮は、答えがないかもしれないが、同時に、答えは最初からあるのである。そのため、一本道の迷宮構造に、脇道や枝道、袋小路を設けることによって、迷宮を迷路化することになる。それが庭園迷宮あるいは庭園迷路なのである。

実際、迷路化することによって、迷宮は迷い道の連続となり冒険性や娯楽性が増す。それはまた迷宮が、それに付随する神話的意味やコスモロジー、形而上的意味を失って、たんなる娯楽設備たる迷路に変貌を遂げた(世俗化した)といえるかもしれない。

ならば迷宮のコスモロジーとは何か。その形而上的意味とは何かということになるが、そのひとつが死と再生をめぐる通過儀礼に関係するものといえる(和泉氏の本には、通過儀礼を初めとして、さまざまな迷宮の機能や意味が語られている)。

神話伝説上のクレタ島の迷宮を例にあげてもいい。ギリシア神話では、英雄テーセウスは、クレタ島の迷宮に入り、その中心部に閉じ込められている半牛半人であるミノタウロスを倒して英雄となり、迷宮からの帰還をはたす。もうこれだけでさまざまな意味の増殖を感得できる。たとえば迷宮の中心でテーセウスは敵と生死を賭けた闘いに身を投ずる。そしてそれに打ち勝つことによって、死から再生と復活の儀式が完了することになる。この敵とは、邪悪な存在であり、また人間の動物性(半牛半人)であり、男性にとっての女性であり、さらには自分自身でもある。他者との闘い、ジェンダーの闘い、動物との闘い、自己との闘い。また迷宮自体が、子宮あるいは女性の身体であり、テーセウスは女体の深部、子宮まで侵入するスペルマであり、中心部での闘いに勝利したあかつきには、あるいは受精に成功すれば、みずからを赤子として産み落とすことになる。それが迷宮から外に出ることである。そしてこれはまた、死と再生の儀礼の完了でもある。などなど。

これに対し、迷路は、中心なき空間であることが多く、また中心があっても、それにたどり着けないか、たどり着くのがものすごく困難になっている。脇道や枝道や袋小路によって、一本道を行くのではなく、ひたすら迷うのが迷路体験であるのなら、それはまぎれもなく娯楽性を高める仕掛けであるとともに、古代のコスモロジーとは異なる、近代的世界観とも連動しているのではないかと思われる。つまり、迷うこと、まちがえることこそが、重要であるという近代的価値観。誤謬の価値あるいは誤謬そのものの形而上的意義が、文化的等価体として迷路を要請したのではないかと、私は考えている。もちろん、この点についての考察は、いまはしないとしてもただ、近代的世界観は、中心なき迷宮、いや中心も入口も出口もない答えなき世界における、誤謬の連続とダイナミズムに賭けていることは述べておきたい。

posted by ohashi at 03:02| 迷宮・迷路コメント | 更新情報をチェックする