2021年07月27日

私の迷宮体験

といっても、これは比喩ではなく、ほんとうの迷宮のこと。いやもっと正確にいうと、庭園迷路を体験したこと。

もうずいぶん前のことになるが、イギリスのハンプトン・コート宮殿(Hampton Court Palace)の庭園迷路(garden maze)を訪れたことがある。観光名所だから、日本人で訪れた人も多いと思うし、たぶん私と同じような感想を多くの人がもたれたと思う。当時は、いまちょっとふれたように、迷路とか迷宮について、その区別もなんらついてなくて(どちらも同じという説もある)、遊園地のアトラクション程度のものと軽い気持ちで考えて――迷うのは嫌だと思いながら――、中に入った。生垣迷路である。

この迷路には、中心がある。だから迷宮としての要素をもっている。あるいは迷宮をもとにして、そこにわき道をつけて、迷路にしたのかもしれない(この点はあとで考える)。

迷路をどんどん歩いていくと、中心の空き地のようなところに出る。それが中心だとどうしてわかったのかというと、たぶん、ここが中心であるという表示のようなもの(看板とか)があったのではないかと思う。

ここが中心なら、迷路の半分を踏破した。あとは、出口に通ずる道を探すだけである。中心部の空き地が、中心地にはなく、出口により近いところとか、出口から遠いところにあって、中心地が中心にないという可能性もなくもないのだが、まあ全体の中心にこの空き地があるにちがいなく、これで全行路の半分まで来た。あとは、残り半分。と当時はそう考えた。

この空き地には出入口が一つしかなく、入口をとおって空き地から出た。このままいくと、やってきた道を後戻りすることになるから、出口に通ずる道を探さなければいけない。まあ、当然、そう考える。そこであれこれ道を試してみる。

すると中心の空き地に戻ってしまう。また気づくと、やってきた道にもどっている。これではいけないと、道を探す。どんどん時間がたっていく。完全に迷いはじめた。中心の空き地に来るまでは、けっこうスムーズに来たのに、そこから出口を目指すとなると、道がわからなくなる。なにか迷路が地獄にみえてきた。

ジェローム・K・ジェロームの『ボートの三人男』という有名なユーモア小説がある。私はハンプトン・コート宮殿の庭園迷路を訪れる前、それも相当前に、読んだことがあって、迷路に迷いながら『ボートの三人男』を思い出したと語ることができればいいのだが、それだと嘘を語ることになる。読んでいたことは事実だが、初めて読んだとき、ハンプトン・コート宮殿がどこにあるのかも知らず(テムズ川沿いにあるのだろうとは思ったが)、おそらく、そのエピソードも、小説全体の内容ともども、とっくに忘れ去っていた。だから庭園迷宮の施設内に無料で配布されているチラシか、あるいは掲示板などで、『ボートの三人男』について触れてあって、それで、あの三人がここに来たのかと急に思い出し、なつかしくなり、旅から帰ったあと、本を取り出して、読んでみた。

いまジェローム・K・ジェロームの『ボートの三人男』は、丸谷才一と小山太一という、新旧の翻訳の達人の名訳で読むことができるのだが、小山氏の新訳のほうを引かせてもらうと(ちなみに名訳があるのに、なぜ新訳かということについての、小山氏の訳者あとがきのアポロギアが面白い)――

「まあ、せっかくだから記念のつもりでちょっと入ってみよう。大したものじゃないけれどね。迷路と呼ぶのがおかしいくらいなんだ。右へ右へと曲がりつづければいいのさ。十分もあれば出られるから、それでランチにしよう」
 ふたりが入っていくと、他の人たちが声をかけてきた。(『ボートの三人男――もちろん犬も』小山太一訳(光文社古典新訳文庫2018)以下同じ。第6章p.106)


出られなくて困っている人が、ハリスについてくる。その数、二十人にもおよぶ。ハリスの腕を握って離さない女性もでてくる。

 ハリスは右へ右へと曲がりつづけたが、すいぶん長い道のりのようだった。すごく大きな迷路なんだね、と従弟が言った。
「ヨーロッパ最大だからな」とハリス。
「うん、そうだろうね」と従弟が答える。「もう、たっぷり二マイルは歩いたよ」
 ハリス自身も何だか勝手が違う気がしはじめていたが、そんな様子は見せずに進みつづけた。ところがしばらくすると、そこに落ちている菓子パンはたしかに七分前に見たぞ、と従弟が言い出した。そんなわけがあるもんか、とハリスは言ったが、赤ん坊連れの女が「ありますとも」と逆ねじを食わせた。(p.107)


困ったハリスは、

いったん入り口に戻ってやり直すのが一番だと述べた。やり直すという部分に関しては賛成の声が少なかったが、入り口に戻るのがいいという点で全員が一致したので、一同は向きを変え、またハリスの後について、これまでとは反対に進んでいった、ところが十分ばかりすると、またさっきの場所に戻ってしまった。(p.108)

結局

……どう頑張っても他の場所に出られなくなった。どこで曲がっても、必ずあの場所に戻ってしまうのだ。しまいにはそれがお決まりになったので、何人かの連中はその場から動かず、一行がぐるぐる回ったあげく戻ってくるのを待つ作戦に切り替えた。
(略)
ついに全員が恐慌をきたし、声を揃えて管理人を呼んだ。(略)ところが、不運なときはとことん不運なもので、管理人はこの仕事を始めたばかりの新人だった。入ってきたはいいが、ハリスたちのいるところにたどり着くことができず、管理人自身が迷ってしまったのである。(p.109)


こうしたドタバタがつづいたあと、

 一同がやっと外に出られたのは、年かさの管理人が昼食を終えて戻ってきてからだった。
 自分が見たところあれは実に巧妙な迷路だ、とハリスは言った。p.110


もしこの件を鮮明に覚えていたら、私は、ハンプトン・コートの庭園迷路を訪れてみようという気にはならなかっただろう(ちなみに小山氏は「ハムトン・コート」と表記している。この表記は、Hamptonのpは弱く発音されるか発音されないことが多いためだろうと思われれる)。

小説の人物たちのように歩かされ道に迷うのはごめんだからだ。ああ、覚えていれば、迷路にはいかなかった。まあ、ニーチェのいうように、忘却こそが、私たちの行動の原動力なのかもしれない。

ただし、ネタバレを避けるためかどうか、わからないが、ジェロームの描写は、少し盛りすぎの感がある。迷路を簡単に出れると豪語する男が、周りから頼られ、迷える者たちがいっぱい集まってくるのだが、この男は、詐欺師ではないにしても、まったく役立たずで、付き従う者たちをふりまわして、最後には憎まれ、ついに管理人の助けを求めると、その管理人が新米で……というダメ押しのネタまで用意されているが、実は、書き手自体が、ハリスと同様に読者を振り回すところがある。まあ、そのメタ性はここでは脇に置くことにして――

実はこの迷路、小説で語られているほどむつかしい迷路ではない。ただし迷う人が続出したので、19世紀か20世紀になって、改良を加えたのかもしれず、この小説の迷路と、いま現在のハンプトン・コートの迷路は同じではないかもしれないのだが、Wikipediaの英語版には上からみた迷路図がある――もちろんヨーロッパ最大ではない。この迷路図をみてもらえば気づくこともあるのだが、当時、そんなことを知らない私は、迷いに迷った。

とはいえ、どうすれば出ることができるのかは、わかっていた。つまり最後の手段がなんであるかは、わかっていた。

それはやってきた道をもとにもどって入口に戻り、そこから出ることである。実は、この小説のように、迷っていると、何度も、ここは前にきたところだという場所に行き当たった。それは入口に通ずる一本道である。しかし、ここで入口に戻るのは、ルール違反としか思えない。仮に入口にもどってしまうと、管理人が待ち構えて、出口を探しなさいと追い返されてしまうような気がしたし、そもそも出口がわからずに、入口にもどってそこから出ようとするのは恥ずべきルール違反でしない、そう思ったのだ。

また、それに管理人に頼み込んで、なんとか入口の近づけても、もっと怖そうな威厳のある管理人が現れ、ダメだと睨みつけられ、あざけられて、こちらはいたたまれなくなっても、それでもその管理人の横を通り抜けて、管理人からは、私をかわしても、つぎにはもっとこわもての管理人があらわれるから覚悟せよといわれ、いよいよ入口(という出口)にたどり着いたかと思うと、ラスボスのような巨体の管理人が現れ、怖気づいた私は、結局、最初の管理人のところに戻り、その前で、無駄な説得を試みつづけ、人生を終えるのかもしれないという妄想まで抱くはめになった。20世紀に生きていた私は、ジェロームのこの小説はすっかり忘れていたが、カフカの小説はおぼえていたのだ。

私は当時、イングランドの田舎で暮らしていたのだが、今ではなくなっているだろうが、イギリスのローカル線には、古い形式の車両が時々走っていて、それは各車両に、ずらりと並んでいる窓のところが、ドアにもなっているという形式の車両である。対面で座る座席があると、通路側の反対の窓側に、対面座席一組に対してドアがひとつついている。したがって乗降は、とりわけ降りるときは、自分の座席のすぐ横にある窓付きドアをあけてホームに降り立つことができる。ドアは外からも開けることができる。出発時には駅の係員が、各車両のドアが全部、きちんとしまっているかどうか、走りながらドアノブに手をあてて確認する。ただし、新しい車両はこういう形式ではない。あくまでも古い形式の車両のことだ。

で、そうした形式の車両に乗っていると、駅に着くと各車両の前後にもついているドアまで、自分の席からわざわざ歩いて行って降りる人たちがいることに気づく。それをみて、何も知らない、アメリカ人の観光客だ、お上りさんだと心の中で優越感にひたりながら、私は自分の座席のすぐ脇のドアを手であけてホームに降り立ったものだ。もちろんホームでは、自分が下りた車両のドアは手でしっかり閉めた。

実は、ハンプトン・コートの庭園迷宮も出方があって、それを私が知らなかっただけなのだ。小説のなかでは「右へ右へと曲がりつづければいいのさ」と語られていて、これは、右側の壁に手を付いて、ひたすら壁沿いに進むという方法で「右手法」と呼ばれるものである。実は、私も、ハンプトン・コートの迷路のなかで、この「右手法」を提案した(一人で迷路にやってきたわけではない。ほかに日本人が二人いた。迷路の三日本人である)。これはこの小説を読んで知ったというよりも、実は、昔読んだ、白戸三平の忍者漫画に出てきて覚えていたのだ。ただ、この方法はうまくいかなった。いや、正確にいうと、うまくいったのだが、成功とは認識しなかったのである。

では、どうやってこの迷路から出ることができたのか。結局、時間がたって、これ以上、さまよい歩くのは疲れたので、最後の手段に出ることにした。やってきた道をもとに戻ったのである。つまりルール違反、横紙破りの、入口から出るという暴挙、まさに、最後の手段にうったえたのである。しかし、実は、まさにそれが正解だったのである。

Wikipedia英語版にあるハンプトン・コートの迷宮図をみてほしい。中心部にやってきたら、その道をもとに戻る、つまり入口にもどるしか、外に出る方法はないのである。中心部に行って、また戻る。この構造がわからなかったので、幻の出口と、出口に至る通路をもとめたさまよい、同じところに出た(たぶんジェロームの小説でははっきり書いていないが、中心の空き地に出た)。しかし入口にもどるしか出ることはできなかったのだ。右手法を試みた時、入口に戻る通路に出てしまったので、失敗だと思ったのだが、実は、右手法は成功して正しい出口つまり入口に導いていたのだが、こちらがそれに気づかず、失敗と思い込んだのだ。

え、そんなことがあるのか。ハンプトン・コートの迷路は、それは詐欺ではないのか。いや、詐欺ではない。これが実は迷宮の基本構造だったことを、私は、あとで知ることになる。つづく。
posted by ohashi at 23:39| 迷宮・迷路コメント | 更新情報をチェックする