2021年07月14日

考えるのが遅い

まだひとつのエッセイとしてまとめられるような、確固たる材料がそろっていない(とくに話の枕の部分)ので、あくまでもエッセイのための覚え書きのようなものだとして記しておきたい。

マイケル・フレインの劇『コペンハーゲン』を翻訳で読んだ時、「考えるのが遅い」という表現がとても気になった【なおコペンハーゲンといっても、2021年7月9日の、コペンハーゲン動物園のキリン殺害/解体の記事とは関係はない。】

もちろん世の中に考えるのが遅い人はたくさんいる。かくいう私もその一人で、他人よりも早く頭が回転するなどと思ったことは一度もない。テレビなどのクイズ番組でも、自分が知っていること、記憶していることは、すぐに答えられるが、推測なり推理する問題となると、じっくり考えればなんとかなるように思うのだが、早押しクイズには自分がむかないことは自覚している。考えるのが遅いからである。

だ、その作品で気になったというのは、ノーベル賞受賞者であるニールス・ボーアについて、考えるのが遅いと作中で言われていることである。よりにもよって天才理論物理学者ボーアが「考えるのが遅い」とは。

ただ、翻訳者の小田島恒志氏も訳者あとがきで、この表現について触れていて、やはり誰もが気になる表現なのかと納得した記憶があるが、ただ、別の版になると、小田島氏の後書きからはこのフレーズについての言及は消えていた。翻訳を読み返したわけではないので、作品のどこにこの表現があったのか特定できていないのだが、翻訳からも、あとがきからも「考えるのが遅い」が消えてしまったとしたら残念である。

思考については、頭の回転が早いとか、機転がきくとか、思考の早さを重視することが多い。しかし、じっくり考えて答えを出す、試行錯誤のうえ正解にたどりつく、発見や創造にながい時間がかかる思考形態もあるのではないかと常々思ってきた。実際、私などは、「考えるの遅い」という思考形態のほうが性分に合っているような気がする。知の最先端、あるいは知の前衛よりも、知の後衛こそが、自分の居場所ではないかと考えている。私のように考えるのが遅い人間にとっては。

ただし、考えてみれば、実は、遅いことこそ、人間を人間たらしめている特徴ではないかとも言える。キリン(またも? ただ7月9日の記事とは関係ない)は生まれてたからすぐに立って動き回れる。多くの哺乳類がそうであるが、キリンは、足が長いので、馬などと同様、生まれてすぐに歩行できる姿は印象的である。そしてそれがかくも印象的なのは、哺乳類のなかでも人間は成長が遅いことで知られているからである。

ネオテニーneotenyという言葉がある。「幼形成熟」「幼体成熟」「幼態成熟」「幼形進化」などと訳されるようだが、広辞苑では「ネオテニー」の項があり、「発生が一定の段階で止まり、幼生形のまま生殖腺が成熟して生殖する現象。アホロートル【いわゆるウーパールーパーのこと―引用者】やイソギンチャク類などでみられる」とある。ただこの意味のほかに(あるいは意味の延長線上なのかもしれないが)「動物の成体に胎児の特徴がそのまま残っていること」という定義もあり、この場合、アホロートルとともに、人間もそれに含まれる。そして拡大解釈かもしれないが、子供のままなかなか成長せず、成長しても子供あるいは胎児の頃の特徴をとどめているというのが人間の特徴であり、これは人間が成長が遅いこととも関係するのだろう。

人間は他の動物に比べて成長が遅い。そして完全に大人になりきれない。しかし、それが人間を進化の頂点に押し上げることになった。人間はキリンの赤ちゃんのように生まれてすぐには歩けない。成体となるまで、長い長い時間をかけ、ゆっくりと成長をとげる。それが人間を動物界の覇者としたのである。長い時間をかけて、他の動物にはない能力を身につけるようによって。

成長と思考とは同じではないとしても、考えるのが遅いことになにか真実を見てしまうのは、そして考えることが「遅い」ことのほうに価値があるように思ってしまうのは、人間の遅咲き成長という特徴と関係しているのではないか。人間のネオテニー性といってもいい。人間は遅いから、すぐれた特徴を開花させた。

ウサギとカメの寓話は、ある意味、人間の運命を語っていた。キリンに比べると、信じられないくらい成長が遅い人間は、まさに亀である。早くゴール付近にたどりついて油断しているウサギが、遅いが着実に歩んできた亀に追い抜かれる。

だが、成長の遅い、遅咲きの人間が、動物の覇者になったということは、単純に喜んでばかりはいられない。むしろ遅咲きの人間は、その間、キリンにはない悪賢さ、狡猾さ、残酷さ、自己中心性をしっかりと育み身につけることになった。だから動物界(アニマル・キングダム)の覇者、あるいは専制君主となったのであって、この亀は、ただのドン亀ではない。足の速いウサギの傲慢さと狡猾さをも帯びるモンスター=ガメラなの。

考えるのが遅いことの美点が、そこに悪辣さを育む遅咲きさと連携してはもともこもない。むしろ考えるのが遅いがゆえに、考えるのが早い人間の暴走をとどめ、批判することのなかに美点を認めるべきである。

またさらに成長が遅い人間は、それによって動物界(アニマル・キングダム)を支配するのではなく、動物界の暴走をとどめ、進化のスピードを減速させるために生まれてきたともいえる。進化の減速、それこそが人間の使命であり、おそらくそれこそが人間の運命であることを、これからゆっくり考えるべきなのかもしれない。

posted by ohashi at 20:06| エッセイ | 更新情報をチェックする