2021年07月03日

翻訳セミナー 4

インタルード

3月26日を最後に中断していた翻訳セミナーを再開したい。

前回といっても3月26日までに扱った翻訳は、著者も、著者も、翻訳者も明記していない。もちろん、実在したかどうか疑われてもしかたがないのだが、ただ、虚構と思ってもらってもいい。誤訳を指摘して、特定の翻訳者とか特定の出版社を非難することは、私の目的ではないから、具体的なデータは示していない。

と同時に、原文と翻訳文にはニュアンスの差があること、誤訳とも言っていいほど、原文の理解が浅いところがあることは、確かだが、しかし全体としてみて、その翻訳書は悪い本ではなく、訳者自身の丁寧な解説もあって、有益な本であることはまちがいない。だから非難にはあたいしないと私は考えている。

しかし、誤訳は誤訳であり、たとえ小さなミス、あるいは誤訳ともいえないようなニュアンスの差が、大事故にむすびつくこと、弱いジャブでも連打がつづくとダメージを与えることになるという意見もあるだろう。

しかし、その一方で、ささいなミスは、全体のなかで見過ごされたり、全体の流れのなかに吸収されて、致命的な欠陥にはならないという意見もある。私はどちらかというと、こちらの意見に近い。

あるSF小説では、未来にタイムマシンが実用化され、過去の時代に赴いて、そこで冒険することが気晴らしとして人気を博するようになるが、そうしたアトラクションのひとつに恐竜ハンティングがあった。タイムマシンを使って恐竜時代に赴き、そこで恐竜を銃で狩るのである。タイムマシンが実用化できる未来だから、AIを使って自動照準し、レーザー破壊光線を照射するような新式の銃器が狩りに使われると想像できるのだが、それだと狩りの醍醐味がない。そのため銃弾を発射する旧式の猟銃が恐竜狩りに使われることになると考えよう。

未来からやってきた恐竜ハンターが、未来に帰還するときに、空薬莢をひとつ恐竜時代に忘れてくる。ハンターは絶対に未来の事物を過去に置き去りにしてはいけないという厳しいルールにもかかわらず、薬莢一箇を回収し忘れたハンターがいた。

空薬莢ひとつのことである。だが、それによって人類の歴史が大きく変わる、あるいは致命的な変化が訪れ、一気に地球に破滅が訪れる……。

確か、レイ・ブラッドベリーの作品だったような気がするが、それはともかく、こんなことはありえない。そもそも小さな薬莢一箇が恐竜時代に残ったとしても、それで地球の歴史が変わるわけがない。それを言い出したら、たとえばハンターは未来の世界から恐竜時代に、その時代にないウィルスを持ち込むかもしれない。むしろ、そのほうが地球の歴史を大きく変える可能性が高い。ささいなミス、些末的な事故、それが全体の流れに影響をあたえることはない。これが私の見解である。SF小説の題材としては面白いが、現実味を帯びていない。

翻訳もそれと同じで、たったひとつの誤訳が全体に大きな影響を与えると、翻訳論者は主張するかもしれないが、そんな些細なミスなど、翻訳全体が、ほぼ正しく原著の内容を伝えているのなら、気づかれることもなく、気づかれても、混乱を引き起こすことはない。

たったひとつの誤訳が、全体に大きな影響を及ぼすことはない。それはパラノイア思考だ。

たったひとつの印刷ミスが、作品全体の解釈を左右すると、シェイクスピア学者・文献学者は語るだろう。パラノイアもいい加減にせよ。そんなこと、あれば面白いのだが、現実にはありえない。ピアニストは一回のミスタッチで演奏を失敗と判断するのだろうか。そんなこと現実にはありえない。たとえ何度ミスタッチをしても、それで作品のイメージやメロディーが変わらないとしたら、演奏は、ミスタッチの多い下手な演奏だとしても、演奏として成立している。たとえどんなに誤訳が多くても、著書全体の主張を正しく把握し伝えているのなら、その翻訳は翻訳として成立する。だから誤訳の指摘には、具体的な書誌情報を出さないのである。

と、ここまで考えてきて、先のSFの例は、実はまずいということがわかってきた。たとえばR・A・ラファティ(ああ、なんと懐かしい名前だろう)の短編「われ、かくシャルルマーニュを悩ませり」(『九百人のお祖母さん』所収)では、未来の科学者たちがタイムマシンで過去の時代に赴き、その時代の事件に変更を加えることで、その後の歴史が変わるかどうか確かめようとする。

いわゆる歴史改変SFなのだが、この作品のひねりは、というかひねりではなく、当然の帰結を語っているにすぎないのだが、科学者たちは過去の歴史的事件に介入するのだが、未来は変わらないのである。何度実験をしても、以後の歴史は変わらない。ところが読者からみると、歴史改変後の、未来は、変わらないどころから、大きく変わったものとなる。実際のところ、科学者たちは過去の事件に介入を繰り返しすぎて、以後の地球の歴史がめちゃくちゃになり、科学者たちは科学技術を、さらには科学そのものさえ失って、呪術的世界に生きるしかなくなる。それでも彼らは嘆くのだ――歴史はちっとも変わらない、と。

考えてみれば、当然である。過去に介入して歴史が変わったとしても、改変前と改変後を比べることができなければ、変わったかどうか確かめられないのである。たとえば日本が真珠湾攻撃をせず、戦争にも参加しなかったため、戦禍を免れた国として戦後世界の覇者となったとしよう。私が、もしそうした世界に生きているとすれば、何が変わったかどうか、わかりようがない。ならば日本に真珠湾攻撃をさせ米国に宣戦布告をさせたとしよう。その結果出来上がった世界が、今の世界だが、別の世界の記憶がない限り、何が変わったのか、そもそも変化があったのかどうかも定かでなくなる。

だから未来からきた恐竜ハンターが恐竜時代に空薬莢を置き忘れたために、その後の地球の歴史が大きく変わったとしても、変わる前の地球の歴史がわからない以上、変わったかどうかすら、わからないのである。

付記 いわゆるバタフライ効果というのを書き忘れていた。なにが原因になるかわからないということだが、これはどんな些細なことでも原因になるために、原因が特定できないとも、すべてが原因であるとも、あるいはもう原因などどうでもいいとも、いろいろな事が言えるので、あまり役に立たない概念ではあるが。

posted by ohashi at 16:45| 翻訳セミナー | 更新情報をチェックする