つぎに
6-簡単にいえば、わたしたちが愛したり欲望したりする重要な他者が、自分自身から隔てられ、「わたしたちの支配の及ばないところに」いるとわかることに自分自身の生が依存していること、このことを精神分析ははっきりさせる。だが、こうした理解こそが、かくも多くの暴力をひきおこすのではないか。
Psychoanalysis tells us, in short, that our lives depend on our recognition that other people --- those vital others that we love and desire --- are separate from us, “beyond our control ” as we say, despite the fact that this very acknowledgment is itself productive of so much violence.
やや説明的に訳してみる。意訳もふくまれるが。
精神分析は、私たちに、こう告げているようなものである。すなわち私たちの生は、他者――私たちが愛し欲望するかけがえのない他者――が、私たちと別人格であり、よくいうように「私たちにはどうしようもない」という認識に、私たち縛られている、と。しかも、こういう認識そのものが、これまで多くの暴力を生んできたという事実があるにもかかわらず、精神分析は、今述べたようなことを告げるのである。
Psychoanalysis tells us, in short, that~は、手短に言えばとか、要約すれば、という意味だが、多くの場合(とはいえ統計をとったわけではないが)、たんに長い文章で説明してきたことを短くまとめるとか、あるいは主張を簡潔に要約するということだけでなく、すこし視点を変えてまとめる(あるいは主張を飛躍して言い換える)ことがある。
ここでもそれで、親密性について、「私が私自身に対して抱く認識が親密性の基盤にある」「親密性とはプライヴェトな私的・個人的なものと関係がある」という前の文の主張をここで、私中心の視点から他者を含む視点に切り替えて、要するに私は自分に対して親密性を抱けるが、他者に対しては抱けないということだと、言い換えている。
「自分自身の生が依存している」と翻訳では訳しているが、べつに間違いではないが、depend onという表現は、「依存する、頼る」という意味から「自立していない、主体的ではない」、つまり脆弱な立場なり関係性かと、私だけかもしれないが、そんなふうに感じていたが、依存するというのは、依存しきっているために、その関係から簡単には逃れられないことを意味する。
Dependを英和辞典で調べると、depend on itという成句がたいて掲載されているが、これは「だいじょうぶと」か、「まちがいない」という意味になって、依存とか甘えというイメージとはほど遠い。「頼っていい、信頼していい」→「まちがいない」というきわめてポジティヴな意味になる。
だから「依存する」だけでは、やや意味が弱いので、私の試訳では「私たち縛られている」としたが、「私たちは決定される、規定される、決定づけられる」とか、「~という認識が根底にある」といった訳でもよいように思う。
「わたしたちが愛したり欲望したりする重要な他者が、自分自身から隔てられ、「わたしたちの支配の及ばないところに」いるとわかることに……」という訳は、まちがいではないと思う。ただare separate fromのseparateが「別々の」という意味と、「離れている」という意味に、あえて分けて考えれば(多くの辞書がこの二つの意味を区別している――区別できないとも考えられるとしても)、ここでは「別々」のという意味になる。もちろん「隔てられている」というのは空間的ではなく心理的な場合も含まれるので、「自分自身から隔てられている」という訳はまちがいではない。「別々」感を出すために、試訳では、意訳かもしれないが、「別人格である」としたが、ベストな訳しかたではないだろう。
問題は、つぎのdespite the factだが、そこのところすこし前から原文をみてみると、
…“beyond our control ” as we say, despite the fact that this very acknowledgment is itself productive of so much violence.
となっていて、as we satのあとにカンマがあって、despiteがすぐ前にas we sayにはかからないことを示している。despiteは全体にかかる。
Psychoanalysis tells us, in short, that… にかかるわけなので、これこれこういう事実もあるにもかかわらず、精神分析は私たちにこう告げる、こう信じ込ませようとしているという精神分析の知見への批判となる。
試訳では、「しかも、こういう認識そのものが、これまで多くの暴力を生んできたという事実があるにもかかわらず、精神分析は、今述べたようなことを告げるのである。」と実にくどい訳しかたをしているが、まあ意味はわかるだろう。
翻訳のほうでは、
だが、こうした理解こそが、かくも多くの暴力をひきおこすのではないか。
と疑問形に訳していて、実に、うまいというか、こういう訳しかたもできることを私たちは学ぶことができる。この部分は、脱帽である。
そして最後の二文。
Difference is the one thing we cannot bear. The dialogue of this book is a working out of a new story about intimacy, a story that prefers the possibilities of the future to the determinations of the past.
7 【だが、こうした理解こそが、かくも多くの暴力をひきおこすのではないか。】〔他者との〕差異とは、わたしたちが耐えることのできない唯一の事柄であるのだから。〔それに対して〕本書の対話は、親密性についてのあらたな物語を生みだそうとするものである。そうした物語にとって〔精神分析のおきまりの主題である〕すでに決定された過去よりも、可能性にあふれた未来こそがふさわしい。
この部分の翻訳だが、せっかく褒めたのだが、次のところで変な訳をしている。「〔他者との〕差異とは、わたしたちが耐えることのできない唯一の事柄であるのだから。」と。
「〔他者との〕」という説明の挿入は、わかりやすくてよいと思うのだが、とはいえ説明することで、意味の可能性を狭めることにもある。ここでは親密性との関係から、他者と私が同じではないことをdifferenceということで表現している。私の個性と、他者の個性が異なるというような意味ではない。しかし、この点は深く追究しない。
問題はつぎである。
差異とは、わたしたちが耐えることのできない唯一の事柄であるのだから。
嘘だろう。私たちには耐えがたいことがいっぱいあるはずで、差異だけが耐えられないくて、あとどんなことでも耐えられるというのか。嘘も、バカも休み休み言え。
これはDifference is the one thing we cannot bear.でwe cannot bearという関係詞節が修飾しているからone thingにtheを付けただけのこと。辞書にある例文にはこんなものがある。
“I drew my chair nearer the one on which Sophie was sitting”「自分の椅子をソフィーが座っている椅子に近づけた」ということで、椅子はすくなくともふたつあるようだし、ソフィーが部屋のなかの唯一の椅子あるいはソフィー用の唯一の椅子に座っているということではない。
〔それに対して〕本書の対話は、親密性についてのあらたな物語を生みだそうとするものである。そうした物語にとって〔精神分析のおきまりの主題である〕すでに決定された過去よりも、可能性にあふれた未来こそがふさわしい。
この最後のところで、〔それに対して〕と説明を補っているが、何に対してなのかはっきりしない。The dialogue of the bookは、すでに出てきたThe contention of the bookと同様に、本書の主張と同じ意味と考えてよい。また「対話」よりも「議論」「論争」のほうがいい。もちろん、対話でもいいのだが、その場合、対話の相手は精神分析ならびにその知見である。
差異は私たちが耐えられないものである。本書における議論は、親密性についての新たな物語から案出したものとなっている。その新たな物語は、過去によるさまざまな決定よりも未来のさまざまな可能性のほうを好むのである。
あるいはすこしまとめると
差異は私たちが耐えられないもののひとつである。本書における議論は、親密性をめぐる新たな物語――過去によって決められた物事よりも、未来に生まれる可能性のほうを好む物語――から練り上げられたものである。
まあ前者のほうがいいか。もちろん、翻訳の訳しかたでまちがっているということはないし、そのほうがわかりやすかもしれないが、原文を直訳するとこういうことになる。そしてこの直訳のほうが、原文のニュアンスを汲んでいるいることはまちないないようだ。
つづく
