つぎの原文は、この一文。
It is the contention of this book --- part of a conversation that began nearly twenty years ago --- that psychoanalysis has misled us into believing, in its quest of for normative life stories, that knowledge of oneself is conductive to intimacy, that intimacy is by definition personal intimacy, and that narcissism is the enemy, the saboteur , of this personal intimacy considered to be the source and medium of personal development.
長い一文なので翻訳では区切って訳している。
まず
5 この書物は、ほぼ二〇年ほど前からはじめた対話の一部からなる。そこでは、精神分析は、規範的な人生の物語を求めていくうちに、自己についての知は定義上個人的でしかない親密性に導くものだとう、誤った理解を与えるのだろうかということが争点となった。
原文は、長い一文であって、翻訳は、これをいくつかに区切っている。それはそれでいいのだが、問題は、英語で読むとわかりやすいのに、翻訳文がわかりにくくなっていることだ。そこを考える。
最初の“It is the contention of this book --- part of a conversation that began nearly twenty years ago --- that psychoanalysis has. . . .”のところ、Itはthat以下を示す仮主語だから、「that以下が本書の主張である」という意味。
contentionには論争と議論のイメージが強いので、翻訳でも「争点」と訳している。そう訳すことがまちがいではないし、それどころか許容できるものだが、ただcontentionはthat節をとることで、「主張」「論旨」という意味になる。辞書で確認していただきたい。
もちろん、背後には論争や議論があり、そこからでてきた主張であるということを、あえて強調するために、原文ではダッシュに入れて、--- part of a conversation that began nearly twenty years ago ---と挿入句を入れている。
このconversationを翻訳では「対話」と訳している。そういう意味もあるので、まちがいではないが、ただ「対話」「対談」となると、誰と話しているのだということになる。conversationは仲間とか専門家のあいだで話されてきたこと、話題になってきたこと、議論されてきたことという意味だから、「対話」というのは、なにかわかりにくくなる。
一応、訳をつけておくと、「本書の主張――ほぼ二十年前から始まった議論の一部でもあるのだが――は、以下のとおり/次のとおり」となる。「以下のとおり/次のとおり」という訳し方がベストだとは思わないが、意味をとりやすくするために、一応、こうしておく。
さて、主張の内容だが、「精神分析は、……という、誤った理解を与えるのだろうかということが争点となった」と翻訳されている。くりかえすが、そう訳してまちがいではない。論争、議論、争点であることを強調するために、「~だろうかということが争点となった」と表現している。
ただし、ばか正直に原文に忠実であっても、充分に意味はとれる。The contention of the book . . .is のあとは、whether(かどうか)ではなくthatである。本の主張を、断定しているのである。
つまり、~かどうか、などとはいっていない。論争、告発、批判、判断を示すのであるから、きちんと断定している。裁判で検察側は「X氏は犯人である」と告発するのであって、「X氏は犯人だろうか」などいう疑問を呈していたら裁判にもならない。「X氏はほんというに犯人だろうか」と疑問を呈するのは弁護側である。
ああ、やはり誤訳だ。翻訳は「~だろうか」と訳しているので、〈精神分析は、これこれこういうかたちで批判されてきたが、その批判は正しいのだろうか〉と主張することになる。精神分析への弁護である。
しかし、原文は、きちんと主張している。「精神分析は私たちをミスリードして、つぎのことを信じ込ませてきた」と。該当分野における精神分析の考え方はまちがいであるといいうのが本書の主張であり、精神分析を擁護するものではない。
【なお語訳の原因は、conversationを重視して、「そこでは」つまり「論争では」と、that節の内容をつづけたので、「かどうかが争点になった」としないと日本語として収まりがつかなくなったからだろうか。くりかえすが、contentionは「主張、主旨、論旨」の意味。】
では、精神分析が私たちに信じ込ませてきた考え方は、つぎの原文につけた①と②と③の節である。しかも①, ②, and ③となっているから、この三つで完結することになる。
It is the contention of this book --- part of a conversation that began nearly twenty years ago --- that psychoanalysis has misled us into believing, in its quest of for normative life stories, ①that knowledge of oneself is conductive to intimacy, ②that intimacy is by definition personal intimacy, and ③ that narcissism is the enemy, the saboteur , of this personal intimacy considered to be the source and medium of personal development.
翻訳は、
精神分析は、規範的な人生の物語を求めていくうちに、自己についての知は定義上個人的でしかない親密性に導くものだとう、誤った理解を与えるのだろうかということが争点となった。
となっていて、①は「自己についての知は…親密性に導くものだ」であり、②は「定義上個人的でしかない親密性」となって、①と②を合体させていることになる。③は次の一文にまわされている。
こうした訳し方がまちがいだということはない。私は,こういう訳し方はしないが、実際にはよく行なわれているし、許容範囲といえるだろう。しかし原文の順番どおりに、「自己についての知は、親密性にみびちくものであること」、「親密性は定義上個人的にかかわる親密性であること」と訳してもいい。ここで最初の「親密性にみちびく」というのは正確かまちがっているのかよくわからない表現だが、“conductive to ~”というのは「~の一助になる、~を増す、強める」という意味。そのため「自己についての知は、親密性の一助になる」というくらいの訳となる。
この場合、ではその親密性とは何かということになって、つぎに「親密性は定義上私的な親密性」であるということになるが、by definitionは、「定義によれば、定義上」というニュートラルな意味のほかに、「当然とか、明らかに」という意味なり、まとめると「自己についての知は、親密性の一助になること/親密性を強める/高めること、親密性とは定義上は/いうまでもなく、私的な親密性であること」、となって、実際のところ、ここで切らずにさらにすすめたほうがいいように思う。
さて、翻訳の「精神分析は、規範的な人生の物語を求めていくうちに、自己についての知は定義上個人的でしかない親密性に導くものだとう、誤った理解を与えるのだろうかということが争点となった」を改良・修正すると、
「精神分析は、規範的な人生の物語を模索するなかで、次のようなまちがったことを私たちに信じ込ませたしまったのだ。すなわち自分自身について知ることは親密性を高めること、ここでいう親密性とは、いうまでもなく、私的な親密性のことであり、ナルシシズムは、この私的な親密性――個人の発達の源泉でもあり媒介でもあると考えられている親密性――に対する敵対物であり妨害物でもあること」
翻訳では、区切ってしまっているが、原文では一文であるところの第3の点は、「そうであればナルシシズムは、ある個人の親密性が、当の個人の発達の源泉でもあり、媒介でもあると考えられるかぎり、〔そうした発達の〕敵対物でも妨害物でもあってしまうことになる」と訳しているが、これは区切らずに、前に続けるほうがわかりやすいので、上記のようにした。
さて、全体をまとめると、
試訳
本書の主張――ほぼ二十年前から始まった議論の一部でもあるのだが――とは、精神分析が、規範的な人生の物語を模索するなかで、次のようなまちがったことを私たちに信じ込ませたしまったということだ、すなわち自分自身について知ることは親密性を高めること、ここでいう親密性とは、いうまでもなく、私的な親密性のことであり、ナルシシズムは、この私的な親密性――個人の発達の源泉でもあり媒介でもあると考えられている親密性――に対する敵対物であり妨害物でもあること。
となる。
この主張の内容について、この段階でわからなくても問題はない。序文なので、読者の関心をこれでつかめばそれでいいのである。
また、この試訳がベストの翻訳だとは、絶対に言えないが(原文にはないダッシュを追加しているし)、構文と論理構成は透けてみえるので、内容理解には役立つかと思おう。少なくとも、ここで考察している既訳に比べれば。
つづく
