原稿を印刷してもらえない
カフカのこの小説にみられる、官僚組織あるいは司法組織の煩雑な手続きに翻弄されるというか無為に待たされる一庶民の不条理な苦しみは、これはメタファーであると同時に、まさに現代そのもの、メタファー性あるいは形而上性の希薄な、現実のありようそのものといえるのかもしれない。召喚する庶民を延々と待たせること、進展しない裁判で権力を維持する不条理の過程、そうしたものの指摘もカフカ(その前は『荒涼館』のディケンズ)の功績といってよいかもしれない。
さしずめ今なら、コロナ感染しても自宅治療という名の自宅放置によって、検査が受けられない、治療が受けられないまま感染者が死んでいく世界は、まさにカフカの『審判』の世界が、悪夢物語ではなくて、いよいよ現実に出現したかのようである。今なら保健所が国民の選別をおこなう最悪の公的機関となっている。保健所が、カフカの掟の門みたいに、訪れるものを死ぬまで待たせ、訪れる者を選別しているからである。
こんなことを書くと、入院中あるいは入院前に病院で待たされたのかと勘ぐられるかもしれないが、私が入院した病院の名誉のためにも、待たされることはなかった。むしろ紹介状をもって(私のかかりつけの病院には外科がないので)赴いた病院では、迅速に、検査、手術、入院の計画を作成してもらい(そのなかには手術前のPCR検査もふくむ)、予定通り、なんのとどこおりなく治療を受けることができた。待たされたということはまったくない。
では何に待たされているのか。『審判』の世界のように、プロセスがどの程度まですすんでいるのか、まったく不明で、ただ自宅で待たされている、あるいは放置されているのである。何が。私は皇帝の使者の到来を待っている。だが、当分、使者は来そうにない。というかたぶん私のことは忘れ去られているのだろう。なにが? 私の書いた原稿のことである。いつまでたっても印刷にまわしてくれない。
いや、自分で書いた文章なら、それこそこのブログであるいはウェブ上のサイトで全文を公開してもいいのだが、原稿は、翻訳原稿だからたちがわるい。
すでに2冊の本を翻訳し、その索引(原著の頁が入っている)までも作り上げたのに、印刷にまわしてくれないし、いつ本ができるのか、その完成までのプロセスがまったくわからない。
理由のひとつは、私が迫害とか嫌がらせを受けていて、原稿を完成させても印刷にまわしてもらえないのかもしれない。これは私のパラノイアではなく現実という感じがするが。
もうひとつのもっともな理由とは、この自粛生活で自宅での作業がはかどり、原稿がどんどん完成して、予想外に多くの完成原稿が、執筆者たちから提出されも、出版社自体、リモートワークなどで、原稿処理がうまくはかどらない。印刷にもなかなかまわせないのかもしれない。渋滞状態で、前がつまっていて、原稿が印刷にまわせないということは十分にありうる。しかし、いつまで待ったらよりのか。
そしてこれまで、原稿の完成が常に遅れ、出版社に迷惑をかけてつづけたことのやましさもあって、原稿を早く印刷にまわしてくれとは要求できないところがある。これまでの悪行がたたって、早く原稿を完成させても、印刷してくれない。ずっと待たされている。
実際のところ、この3月で、三冊目の翻訳が終わりそうなのだが、それも待たされるのかもしれない。
すでにゲラになっている原稿はある(ただし出版予定はたっていない)。しかし、ゲラにもなっていない原稿もあるので、頭にきている私としては、印刷出版してくれる出版社があるのなら、原稿を提供したい。しかも無償で。
あるいはこのブログか、自分でウェブ上にサイトを作って、そこで全文公開してもいい。版権なんか知ったことか。原稿料が目当てではないので、ネット上で公開できれば、それに越したことはない。これは本気で考えている。
早ければ明日からも、そうしていいのだが、まだ皇帝の使者が、ドアをノックするのではないかと待っていたい気持ちも少しはあるので、あと少しだけ待っていたい。
