2021年03月10日

『現代批評理論のすべて』

『現代批評理論のすべて』(大橋洋一編 新書館)の増刷(7刷)が3月15日に発売される。店頭にはすでに並んでいるかもしれない(とはいえこれを店頭に置いてくれる書店は、そんなにないと思うものの)。またネットでの注文も可能になっていると思う。

今回、あらためてその7刷を手に取ってみて、編者である私がいうのも、へんだが、よくできた本だと思う。2006年の初版以来、細々とではあるが版を重ねてきたのは、読者によって支持されてきたからであるが、実際、この本は、またも編者である私がいうのもなんだが、実によくできた本であることを今回、実感した。この種の入門書としては、誰にでも自信をもって薦められる。

テーマ篇、人名篇、用語篇、そしてコラムから索引に至るまで、緻密な編集作業が光っているし、この種のハンドブック的な本としては、相当、装備品が充実している。新書館のこのシリーズはどれもが有用性の高い入門書・ハンドブックとなっているが、『現代批評利理論のすべて』は、シリーズ中トップとまでは言わないが、このシリーズのベスト何位というところには入るのではないかと自負している。その証拠に――どうか現物を手に取っていただきたい。

2006年初版以来、内容はいじっていないが、扱われている人物の没年は追加している。つまり刊行当初から現在に至るまでに亡くなった思想家・批評家は多い。これは当然のこととはいえ、私個人としても、いまなお読んでいる思想家・批評家や、かつて刺激を受けた思想家・批評家たちが亡くなっていくのは、時代が終わってゆくような、あるいはジジェクの本のタイトルではないが、「終焉の時を生きる」感じが否めないのだが、しかし、この『現代批評理論のすべて』で扱われている人物が、すべて亡くなったとしても、この本は、読む価値があるという自負はある。それほど、各執筆者の書かれた内容は素晴らしいのである。

実は執筆者情報は、2006年時のままである。だから本書を初めて手にとられる読者は、若手の研究者が書いているという印象をうけると思う。これがよい印象をあたえるのか(清新気鋭の若手による鋭い論考と解説とみるか)、悪い印象をあたえるのか(大御所的な権威ある執筆者が誰もいないとみるか)、私としては判断できないが、悪い印象をもってしまった読者には、どうかこれが2006年時点の本であることに留意していただければと思う。初版から15年たっている。執筆者は当時は若手でも、今は中堅かそれ以上の、名の知れた、一目置かれる、また権威ある研究者や教育者になっている。正直いって、現時点で、同じ執筆者を集めて、このようなハンドブックはつくれない。執筆者たちが、大物すぎるのである。

繰り返すが、初版刊行当時、若手であった執筆者は、いまは、誰もが有名な研究者・教育者になった。いや一人だけ例外がいる。それは編者の私である。実際、執筆陣が、初版刊行時から、どんどん優れた仕事なり研究をして著名になっていくの比べて、私の声望だけは、どんどん下がっていることは否めない。

おそらく事情に詳しい読者は、本書を手に取って、あの有名な人が、若いころにこういうことを書いていたのかと驚いたり感慨を深めたりするかもしれないし、このことによって、本書の価値が高まることはまちがいないと思うが、一方、編者が、いまやあまりに無名であることに驚かれることだろう。どうして、こいつが編者なのか、と。どうか、誰も知らない編者の本なんか読むかと思わないでいただければと思う。執筆者は、みな優れているので、読む価値は絶対にある。

最後に、本書の装丁は新書館のほうでされたのだが、表紙に使われているのは植物の種子の大きな写真で、刊行当初、その意味なり暗示性を聞かされたような気がするが失念してしまった。ところが昨年から、この表紙についての人から言われることが多くなった。この表紙のイラストというか写真は、コロナウィルスに似ている、と。

これも何かの縁ではないかと思う。もちろん、コロナウィルスに感染されて重症化されたご本人、亡くなられた方の関係者にとって、コロナウィルスに似た変な種子の写真を表紙に使っている本など、ディスガスティングなものかもしれないが、またその気持ちはよくわかるが、そうではない私も含む多くの人たちにとって、コロナウィルスとの図像的類似は肯定的にとらられるものである。なにしろ、この表紙の図像は、コロナとともに生きる私たちの今後の生活様式を考えさせてくれる契機となるかもしれないのだから。

本書(正確にはその表紙)には、死を忘れるな、コロナを忘れるなという暗黙のメッセージが昨年に生まれたのである。

posted by ohashi at 23:30| 推薦図書 | 更新情報をチェックする