2021年01月20日

抗原検査

1月20日、10ヶ月ぶりくらいで、本日電車に乗る。PASMOの残高がわからず、駅の切符売り場で入金したら、けっこう残高があったことに気づく。昨年の3月以来、自粛生活をつづけて県境をまたいでいないのだが、今回も、まだ県境をまたがないかたちで電車移動をした。県境を越えない日数については、まだ新記録を更新中。

緊急事態宣言が出され、不要不急の外出は避けるように言われているのに、何事かと思われるかもしれないが、病気になったので病院に行くためである。病気なので、しかたがない。

目指す病院に到着、入り口で、額に検温器を当てられ体温を測られる。36.2度といわれる。紹介状をもっての来院なので、手続きをして、該当する科の診察室前の待合スペースに到着。午後からの診察となる。診察時間まで時間がある。

午前中は、近くの病院に行き、紹介状を書いてもらった。いったん帰宅後、すぐに、この病院へと出かける。久しぶりの電車を使っての外出なので、変に緊張したが、しかし、平日の昼過ぎということもあって、以前とまったく変わらない。強いて言えば街行く人、電車の乗客がみんなマスクをしているだけで、他は、以前とまったくかわらない。いまは有事だというのに、この、何事もない感じは、どうなのだろうか。これでは感染を減らすことなどできないのではないかと心配になる。

病院の待合スペースに座っていると、看護師が来て、診察前に体温を測るということだった。そして驚いた。

体温を測ると微熱がある。午前中に別の病院に行ったときも入り口で自動的に検温されて、もし微熱があったなら、入館を止められるか、注意/警告を受けたはずである。それがない。またその後、家で体温を測ったときも平熱であり、先ほど、この病院に入るときも検査され平熱だった。

それがどうしていま微熱があるのだろうか。わからないが、病院側にとっては、大問題で、なにしろ、私は、年末年始にかけて107名のクラスターを出した病院の患者で、その病院から紹介状をもって、この病院にやってきた老人で、しかも微熱があるのである。

即、抗原検査となって、結果は15分くらいで出るからと言われた。

結果出るまで、確かに、体がほてっている。ただ、高熱のときは、体が熱くなるのではなく、寒気がするのであって、寒気がするのでなければ、高熱ではないとも言われる。また駅から10分くらい歩いて病院にやってきた(病院専用の送迎バスもあるが、それには乗らずに歩いた――けっこう元気)。体が冷えたあと、暖かい病院内で、体温調整がうまくいかなかったのか。

あるいはコロナウィルスに感染したのか。自粛生活で人と会うことはないし、県境を越えていない(とはつまり東京に出ていないということだが)。だから心当たりはまったくないのだが、しかし、コロナウィルス、誰もが、いつどこで感染してもおかしくないものなので、知らないうちに感染していたのかもしれない。もしそうなると自宅療養となって、急激に重症化、救急車を待っているうちに死亡、もしくは入院先を探しているうちに死亡という、自分の人生の終わりのシナリオすらみえてきた(実際、重症化して治療受ける前に亡くなられた方は気の毒でならないが、私もそうなる確率は高い)。

しかも、かりに陰性であったとしても、抗原検査は精度に難があるので、陽性であるかもしれない。また、陰性であったとしても、こちらがかかえている病気は、治療してもらえるのだろうか。それもまた心配である。今日は病院をふたつ回るので、朝早く起きた、その疲労が出たのか、睡魔にも襲われた。体調は不良である……

気づくと、診療室の前で待つように言われた。抗原検査の結果は陰性で、こちらが抱える病気について診察され、2月に手術と決まった。コロナ禍での医療崩壊のなか、手術をしてもらうだけでもありがたい。ただ、私が手術をしてもらうことによって、この病院に大きな負担をかけることはなさそうだということがわかり、そこは安心した。

残りの午後、手術に備えて各種検査を終えて帰宅。久しぶりの外出にけっこう高揚してしまい、駅周辺で食料品を買って帰ろうかと思ったのだが、糖尿病がある(だからコロナは恐い)うえに、本日、午前中、塩分を取り過ぎないようにとも言われ、甘いものも、塩辛いものもだめだと言われて、正直いって食べるものがない。買って帰れる食料品などないので、そのまま、なにも買わずに帰宅することになった。

なお手術前にはPCR検査をすることになった。

最後に、抗原検査をする際、病院側は、えらく恐縮していて、少し驚いた。微熱がある患者に、とりあえず抗原検査をするのは当然のことだし、私としても、感染しているかいないかがわかるのは(抗原検査の精度が低いとはいえ)、ありがたいことである。喜んで検査を受けたい。できればPCR検査までして欲しいくらいだが、これは自分の病状を知るためと同時に、他人感染させないためでもある。だから病院側が、むしろ恩着せがましく検査をしてやったぞという態度をとっても、私としては全然かまわないのだが、世の中、検査を嫌がるバカがいるのだろう。

もちろん陽性になれば職を失うから検査を受けないという貧乏人がいることは事実かもしれないが、こうなるのは日本が途上国に転落したあかしであって、これは政治が解決する問題だろう。まずは、自分の健康と命、そして他人にうつさないために検査するチャンスがあれば活用することが重要である(命か金かの天秤にかけるとき、その命が自分の命である場合、金があっても、死んでしまったら、終わりであり、それほど自分の命を粗末にしたいのなら、最初から殺されてもしかたがないことになる)。

追記
病院で、待っているときに、私よりも前の椅子に老夫婦(だと思う)がいて、夫のために、妻が、病院内の自販機から炭酸飲料を買ってきていた。まあ、そのときは、べつに気にもとめなかったのだが、順番が私よりも先の、この老夫婦は、受付番号を呼ばれて、診察室のなかに入るとき、入ったのは奥さんのほうだけだった。え、奧さんのほうが診察を受けにきた。

となると、このクソジジイは何のために来たのだ。椅子に座って動こうとはせず(歩けないわけではない)、奧さんに飲み物を買わせていたこのクソジジイは、てっきり病人かと思ったら、病人は奧さんのほうだった。私だったら、すくなくとも病人の妻に、飲み物を買ってこさせはしない。

もうひとつ、どうもこの奧さんは、自分の病気の検査結果を聞きにきたらしいのだが、家族の者の検査結果は、家族全員で聞いてもいいだろう(病院側が禁止しない限り)。実際、別の診察室に、車椅子の老人に付き添って四,五人(たぶんその老人の家族・親族)がぞろそろと入っていったのを見たばかりなので、このクソジジイ、なぜ、いっしょに奧さんと診察室に入って医師の話を聞かないのかと不思議に思った。待合室で座ったまま。何の役にもたたず、むしろ奧さんのお荷物になっているこのクソジジイ。

ああ、なんと美しい日本の老夫婦。私は結婚したことはないが、いまみたこの老夫婦をみるにつけても、ほんとに結婚しておけばよかったと、くやまれてならない。
posted by ohashi at 23:20| 日記 | 更新情報をチェックする