やや古くなったが今年2020年4月に出版された村上春樹の短い本『猫を捨てる』(文藝春秋)について、深い感銘を受けたので語りたくなった。
まずはアトランダムに思いつくままに感想を記したいのだが、当然、「父親について語るとき」がサブタイトルになっている本なので、父親との関係がメインとなるだろうが、最初は、ほんとうにアトランダムに。
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自分が小説家になったことで、父親の期待を裏切って、父親を落胆させた、一時期憎まれたかもしれないと述べられているが、それが不思議だった。
たしかに親の期待を裏切って憎まれることはあるだろう。しかし村上氏の場合、親は息子を警察官にしたかったが、息子はテロリストになったというような話ではなく、医者になってほしかったが、弁護士になったというような話で、そんなに悪い話ではない。親の期待がどのようなものか、はっきりとは書かれていないが、人文系の学問に専念するような、そうした人間を期待されていたのに、おちゃらけた小説家になったので、親の期待を裏切ったということなのだろうか。しかし小説家といっても世界的な小説家なので、親としては、誇らしいのではないか。しかも文系から理系にかわるというようなことでもなく、同じ文系内でのシフトなので、親が憎むほど期待を裏切ったとも思えないのだが。
たとえば私には子どもいないが、大学教員だった頃は、こんな私でも指導学生や院生がいた。私が担当した指導学生・院生のなかで、私の期待にそった人間になった者はひとりもいない。こんなことを書くと、私の指導生はみんなろくでもない人間ばかりだと思われるかもしれないが、そういうことはなく、彼らはみんな、大学の期待値を遙かに上回る実績なり業績をあげている優れた人物であって、堕落したとか、やさぐれたとかいうことではまったくない。
だから、私の期待を裏切っているのだけれども、全然、憎んだりしていないし、嫌いになってもいないどころか、むしろ尊敬すらしているのだが、ただ、私の期待した人間にはなっていない。
あるいは、これは逆で、私のほうが、教師として指導生の期待を裏切ったということかもしれない。かもしれないどころか、これは事実といえようか。そしてこの場合、期待を裏切ったからといって憎まれることはないというのは、私の甘い期待で、しっかり憎まれていると思う。
とはいえ私自身、親の期待を裏切ってきた人間だったので、因果が巡るというか、疑似子どもである指導生たちが、私の期待を裏切るのは当然であるともいえる――つまり私は無意識のうちに指導生たちが私の期待を裏切ることを望んでいたかもしれない。そして私は親の期待を裏切ったとしても、親から憎まれていないと思うので、村上氏の例にたちかえると、冷静にみて、どうみても親なら誇らしく思う、そしてその職業の内容についても親が理解できるような(文系の親が理解できる文系の職業)、そういう人物になっているのに、なぜ憎まれるのだろうか――たとえ一時的であっても(村上氏も終生父親から憎まれたとは書いていない)。
ここから先は無責任な推測にすぎないが、期待を裏切られたので憎むということは、悪い方向に裏切ったならありうることだが、良い方向に裏切ったら、がっかりさせても、憎まれることはないだろう。先の極端な例でいえば、警察官の親が子どもも警察官になって欲しいと望んだのに、子どもは警察を憎む暴走族とかテロリストになったとしたら、これは親からにくまれてもしかたがない。もちろんこんなふうに村上氏が父親の期待を裏切ったとは思えないのだが、おそらく一時的でも憎まれたとすれば、そこにあるのは、政治的な対立であろう。私はそう推測する。
具体的な政治姿勢については、なにもわからないが、父親にとって、敵対・対立側に息子がまわったとしたら、たとえ息子がどれほどの名声を博していようとも、憎むしかないだろう。ここに書かれてない、政治的姿勢なり理念上の対立があったのではないかと思う。もちろん、まったくそうではないこともありうるのだが。
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もうひとつの疑問は、村上氏が両親の結婚の経緯について知らないというか、知らされていないことである。どちらも高校教員であったご両親は仲が悪かったとも思えないし、なぜ、結婚の経緯を子どもに話していなかったのか不思議ではある。よほど人に言えない事情でもあったのだろうか。駆け落ちしたわけでもないとすれば、略奪婚のようななにかやましいところがあったのだろうか。まさに小説的興味がわくのだが、それは掘り下げようもない問題なので、これはここでやめる。
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それよりももっと重要なのは、戦争との関わりである。村上氏は私よりも年上だが、私ならびに私より上の世代は、親が、戦争と関わっている。私たちの世代の父親の場合、出征し、軍務についていることが多い。村上氏の父親も徴兵されて軍務についている。私の年齢の前後の世代では、親について語ることは、戦争について語ることでもある。
私の父親は徴兵されていない。兵役についていない。その理由は明確なので、私も納得している。だからちょっと残念である。当時は兵役を逃れるために、徴兵検査の前に醤油をがぶ飲みして体調不良になって検査を逃れたというような、嘘か本当かわからない話が残っているのだが、徴兵を免れた私の父親も、卑劣な手段を使って、あるいは驚くほどの荒唐無稽な手段を使って、トリックスター的に徴兵から逃げ回って、兵役を逃れていてくれたらと思う。なにしろ、その結果、私が生まれたわけだから、私としても、父親のなりふりかまわぬ兵役逃れ行為を、誇りにすら思い、その痛快さ、卑劣さ、大胆さ、挑発性を、受け継いでいけたらと真剣に思うのだが、父親が兵役についていないことについて、そんな武勇伝もなにもない。徴兵されなかったのは、ごくありきたりな理由しかないので、残念である。卑怯者、臆病者として父親が生きていたら、その遺志を私もついで、世間をあざ笑う大いなるトリックスターとして生きることもできたのだが。
ここで私は父親と負の絆をもつことができなかったことを嘆いているのだが、これは決しておふざけでも、挑発的行為でもない。実は、私の父親は、自分の父親に半ば捨てられたところがある。一応、戸籍上長男なのだが、名前に「二郎」とあるので、もともと長男がいたのだろう。ところが何らかの事情で長男がいなくなり、長男扱いになった。意図的なものではなかったかもしれないが、捨てられていて、拾われたのである。もちろん、それ以外にも私の父は、自分の父親(東大の工学部を卒業しているのだが)を憎んでいたところがある(詳しく聞いたことはないのだが)。自分が父親を憎んでいた男性は、自分が父親になって息子ができると、自分も、息子から憎まれるのではないかという不安にとりつかれるものかもしれない。私はたぶん父親から怖がられていた、もちろん私は父親をしっかり憎んでいるので、当然のことだったのかもしれないが。また子供を怖がる気持ちは私にも転移して、子どもはいないが、疑似子ども(指導生)との関係にそれが反映したかもしれない。
それはともかく、徴兵されず、軍務にもつかず、戦地にも行っていない父からは、戦地や軍隊生活については語ってもらわなかった。ただ戦争は、戦地で敵と交戦するだけではなく、あるいはそのような交戦は全体的戦争状態からみるとごく一部で、とりわけ世界的レベルでは第二次世界大戦は占領戦ということもあって、戦時生活こそが戦争であったことを考慮すれば、私の父も、私の母(戦争中は未成年)と同様に、戦時生活について語ってくれてもよかったのだが、何も語らずに死んでいった。母は山口県の田舎での戦時生活については、よく語ってくれたが、父からは、名古屋市での戦時生活は、なにも聞かずじまいである。
2020年10月28日
父親について語るとき
posted by ohashi at 21:48| エッセイ
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