2020年08月19日

戦争と文化

8月は戦争を考える月である。8月15日が終戦記念日ということもあるし、お盆で死者の霊が返ってくるとき、その死者には戦争犠牲者がまだ含まれるからである。

最近。映画『史上最大の作戦』(1962)を放送していて、映画館でみたことはない映画だったが、テレビでは何度も見たことがあり、今回も、つまみ食い的に部分的に見た。

この映画のなかで、今回も、その場面に遭遇して、こんな面白い場面があったと感慨を新たにするのは、ノルマンディー上陸作戦がはじまり、連合軍側の艦船が海岸沿いのドイツ軍陣地に艦砲射撃を始める場面である。

ノルマンディー海岸沿いにはフランス人も住んでいる。そのうちの一人、おっさんなのだが、朝早く、家の庭先で、水平線を埋め尽くす連合軍艦隊を発見、すぐに艦砲射撃が始まる。砲撃はドイツ軍陣地だけでなく近隣のフランス人住居にも降ってくる。だが、自分の家が砲撃で壊れてゆき、家族の者たちが右往左往する中、この男は、大笑いするのである。欣喜雀躍とはまさにこのことで、艦砲射撃の砲弾を天からも恵みであるかのように受け止めるのである。大喜びで。

べつにこのフランス人、気が狂ったわけではない。連合軍や上陸して、憎きドイツ軍を攻撃し叩きだしてくれることがうれしくてたまらない。ようやく占領軍の圧政から解放されて自由になる、その喜びも前に、砲撃が軍事施設だけでなく民家にも及んでいることなどまったく気にかけない。

それどころか砲撃で窓ガラスがわれ、天井が崩れ落ち、柱が倒れ、家族の者たちが逃げまどっているのに、本人は大喜びの大笑いで艦砲射撃で死んでも本望だくらいに思っているふしがある。その大喜びぶりには、見ていて、こちらもつられてしまう。

まあ、実際には、こんなことは起こらなかっただろう。つまり艦砲射撃によるドイツ軍陣地攻撃は歓迎しても、艦砲射撃が自分の家にまで及んだら、さすがに逃げ出し、とばっちりをくったことに悪態のひとつもつくことになるだろう――たとえ、連合軍による攻撃を歓迎したとしても。

しかし、この場面は、ある意味、戦争の局面を、上陸作戦の映像以上に象徴的に把握しているといえるかもしれない。

私は戦後生まれであり、戦時中、私の父は召集されてもおかしくない年齢だったが、理由があって召集されていない。だから戦争の何たるかは直接、証言として誰からも聞いたことがないのだが、戦争というと、外地に行って敵と戦うも、強い敵には戦うのをあきらめ、名誉の自殺攻撃へと転じ、敵がいないときは現地人を虐待し、虐殺し、また捕虜とみれば虐待・虐殺し、最後にはうらみをかった現地人からなぶり殺しにされるということだけが戦争ではない。

実際、第一次世界大戦が塹壕戦であったのに対し第二次世界大戦は占領戦だといわれている。第二次大戦初期にヨーロッパは、ナチスドイツに占領され、連合軍とドイツ、イタリアとの本格的な地上戦が始まるのは、ずっとあとのことで、その間、空爆とかレジスタンスによるゲリラ戦しかなかった。

日本は戦時中、外国の軍隊に占領されなかったから関係ないということはない。日本は、自国の軍隊とネトウヨに占領された。軍部とネトウヨに、安倍応援団と菅応援団によって、国民生活は統制され違反者や抵抗者は徹底的に迫害された。外国の軍隊に占領されたのとかわりなかった。というか、外国の軍隊による占領よりもひどいものだった。だからこそアメリカ軍の空爆を、『史上最大の作戦』のフランス人のように、たとえ自分がそれに巻き込まれて死んでも、大歓迎した日本人がいてもおかしくない。

実際、東京大空襲のとき、灯火管制が布かれたなかで、あえて光を点滅させて、まるで爆撃機に東京の場所を知らせるような行為をした日本人がいたことはわかっている。彼らは、べつにアメリカのスパイということではなかっただろう(スパイも含まれていたかもしれないが)。日本のファシズムの圧政にあえで、たとえ自分が死んでもファシズムが壊滅してくれたらいいと最後の望みを空爆の成功にかけたということだろう。

フランスでは、連合軍は、ナチスドイツを追い払い、フランスを解放してくれた恩人であり、解放者として、歓迎された。日本では、連合軍は、日本を敗戦に追い込んだ敵国であるにもかかわらず、フランスにおけるのと同じように、解放者であったのだ(なお日本軍部とファシストの圧政に苦しんだのは日本国民だけでなく、朝鮮の人々もそうであったことを忘れてはならないが)。

実際には進駐軍は、ひどいことをいっぱいしたのだが、そのことは当時は公にされなかった。進駐軍による不正や犯罪は、見て見ぬふりをされた可能性がある。進駐軍に対するレジスタンスが日本で起こらなかったのは、進駐軍がファシズムからの解放者として崇敬の念をもって迎えられたからだろう。

もちろん日本のファシズム勢力も、最終的には進駐軍と、そしてアメリカと連携して、また息を吹き返すことになるのだが。

第二次世界大戦は占領戦だった。だから日本の戦争も、外地に出かけた父親からの証言だけでなく(とはいえ、父親の証言は、あてにならない証言であったり、そもそも父親は証言を拒否しつづけたりしているのだが)、母親からの証言も、戦争の最前線の証言そのものなのである。占領された者たちの苦しみと恨み、解放されたときの喜び、それは父親よりも母親のほうがよく知っていると思う。数は少なくなったが女性たちの戦争証言もまた重要である
posted by ohashi at 16:09| エッセイ | 更新情報をチェックする