見ても時間の無駄だと思うので、絶対に推薦しない。まあ、飛行機ファンとして、太平洋戦争時代の米海軍機の記録映像をふんだんに使ったカラー映画ということに興味を持った。
冒頭は、航行中の米海軍空母プリンストンに着艦するF9F(グラマン、パンサー戦闘機)だが、空母の真後ろから長い侵入路をへてどすとん着艦するという近年、トムキャットとかホーネットの着艦シーンを見慣れている私たちにとっては、小さな機体のF9Fが着艦直前に90度進路を変えて、甲板の後部にまるでヘリコプターが着艦するように、どすんではなく、ちょこんと着艦するのは面白かった。
冒頭は戦争後の平和な海での着艦訓練というように紹介している映画解説もあるが、嘘でしょう。まだ朝鮮戦争の真っ最中で、F9Fは空母を拠点として北朝鮮共産軍への爆撃任務についていたはずだ。映画の冒頭の空母はまだ戦時にいる。そして映画は太平洋戦争を回想する。そこでもF4U(ヴォート、コルセア戦闘機)が、パンサーと同様の着艦をみせる。パンサーはジェット戦闘機なのに、プロペラ機のコルセアと同様の動きをすることは興味ぶかかった。
そう、興味深いのは、そこまでで、あとは、はっきりいって面白くない。80分ほどの映画だが、これ以上の長かったら見るのを辞めていたかもしれない。
映画.comの解説と内容紹介を引用する。
第二次大戦のレイテ沖海空戦に基づいたスティーヴ・フィッシャーの「向う見ず海兵隊」を、彼自身とイロナ・バスが共同で脚色、レスリー・セランダーが演出した戦争映画。撮影は「カンサス大平原」のハリー・ニューマン、音楽はマーリン・スカイルズが担当。特別技術顧問として、ダイカーズ少将が撮影に参加、劇中には未公開の記録カラーフィルムが多数使用されている。出演者は「カンザス大平原」のスターリング・ヘイドン、リチャード・カールソン、キース・ラーセンなど。ウォルター・ミリッシュ製作。
そのストーリーはというと(ちなみに原題のFlat Topは航空母艦のこと、その飛行甲板は平たい板状であるから)以下のとおり(ただし、適当で嘘が多い)
平和な南太平洋の波を蹴立てて進む精鋭空母プリンストン。その艦橋にたたずむ歴戦の勇士ダン・コリアー副長(スターリング・ヘイドン)は、激しかったかつての戦闘の日々を思い浮かべるのだった注1。日本海軍の真珠湾奇襲は米軍に大打撃を与えた。広大な太平洋の制海権は日本のものとなり、米海軍は必死になって再建に狂奔した。そして1943年、アメリカの大型空母を中心とする機動部隊は未曽有の充実ぶりを示し、史上最強の艦隊を誇った。その頃、空母プリンストンの戦闘機隊長に任命された青年将校ダンは、副隊長ジョー・ロジャース(リチャード・カールソン)と共に激しい実戦の演習を開始した。やがて、1944年の大反攻の時が来た。マッカーサーの大軍は、いよいよフィリピンのレイテ島を目標に進撃を始めた。空母プリンストンもハルゼー堤督の率いる大機動部隊の1艦として、フィリッピン東方海上に出動した注2。戦闘機隊にも、ついに攻撃命令が下った。マニラ湾周辺に群がっていた大小の日本艦船は、急降下の銃爆撃に次々と爆破された。戦闘機隊は初の手柄をたてて母艦へ引き揚げた。その頃、母艦のレーダーに敵機の大編隊が写し出された。やがて、南海の大空を染めて激しい空中戦が展開された。決死のカミカゼ機は空母に迫った。そのうちの1機がついに母艦に命中、だが必死の消火作業でどうにか艦は危機を逃れた。カミカゼとの死闘は続いたが、やがて戦場はルソン島へ移り、さらに硫黄島、沖縄、日本本土と激しい空中戦は果てしもなかった。そして終戦。平和の戻ったこの太平洋上に浮かぶプリンストン号には今また最新鋭ジェット機が、ずらりと威勢を誇って、ダン副長の目前に並んでいるのである注3。【なお軍用艦には「号」をつけない。戦艦大和号とか、駆逐艦雪風号と、空母赤城号とは,絶対に言わない 引用者注】
注1と注3の紹介にあるように平和の戻ったこの太平洋上は、実際には朝鮮戦争の真っ最中である。1952年製作・公開というのは朝鮮戦争の末期である。
注2では、実際の作戦、あるいは海戦に忠実に物語が進行するように思うかもしれないが、一空母の、それも単独行動をとっているような空母の戦闘機部隊のメンバーが中心の物語で、ハルゼー提督はむろんのこと、艦隊の指揮官も出てこないし。パイロットたちは、ただ言われたままに乗艦し作戦を遂行する。ある意味、鋼鉄の戦闘艦に乗せられて死地に運ばれていくという(フロイトによれば乗り物の夢は死を意味する)無気味さもあるのだが、そこは強調されない。
さて注3の一文だが、これよりももっと場面に即して丁寧に内容を紹介しているとTMA(That’s Movie Talk 日本語のサイト)のストーリー紹介の最後の部分だけを引用すると、
……コリアーらが戻り、スミスは敵機を撃墜して編隊に合流し作戦に参加する。
その後、上陸作戦は開始されて成功する。
帰艦したロジャースは、自分の考えが間違っていたことをコリアーに伝え、隊員たちが慕っていると伝える。
上からの指示で第一線を退くことになったと話すコリアーは、指揮官を任せるとロジャースに伝える。
コリアーに感謝し喜ぶロジャースは、隊員たちに知らせるようにと言われる。
__________〔ここで場面は過去から現在に戻る――引用者注)
コリアーは、交代要員のパイロットが着艦することをロジャースから知らされる。
着艦の様子を見守るスミスは、着艦復行を無視したパイロットを謹慎処分にするよう部下に命ずる。〔この紹介記事は、映画のおわりを正しく紹介している。スミスは以前着艦復行の命令を無視して謹慎処分にされたが、彼が司令官となったいま、同じ処分を部下に下すというのはオチとなる――引用者注〕
ということで映画.COMの紹介は映画を見ていない人間が勝手にでっちあげたものだといる。
なお、このTMTによる映画紹介を引用すると
西部劇や冒険映画を多数てがけてキャリアを積んできた、レスリー・セランダーが監督した戦争映画。
太平洋戦争下での、アメリカ海軍飛行連隊の戦いを描く作品であり、新人パイロットたちに戦闘の厳しさを教え込む指揮官を主人公に、戦果を挙げる隊員たちの成長を描く作品。
アメリカ国防総省及び海軍全面協力による、実際の戦闘フィルムを多様した空中戦の迫力映像は見応えがある。
撮影は、第二次大戦後の1945年11月に就役した、航空母艦”プリンストン(CV-37)”で行われた。
第25回アカデミー賞では、編集賞にノミネートされた。
とある。
以下、アマゾン・プライムにある視聴者からのコメント。【 】は引用者による注釈。
☆5つ 2020年8月14日
……この壮絶な戦いの中、米軍も多くのパイロットが命を落とすことになるのだが、作戦司令官のコリアーは隊員たちに厳しい態度で接し、スタンドプレーでチームワークを乱す人間を極度に嫌い、違反した者は処分の対象にまでされた。
それは実は優秀なパイロットを無駄に失わないためのもので【という説明は映画のなかではなされていない 引用者注】、一方の日本はそれまでに優秀なパイロットの大半が戦死していて、不慣れな若い乗員ばかりで空中戦では米軍機の後塵を拝し【これも映画のなかでは説明されていない事態 引用者注】、日本機は次々と撃墜されていった。
そんな日米の今後の勝敗を占う決戦を描いた戦争の物語です。【閉じる】
☆4つ 2020年4月18日
コルセア戦闘機、ヘルキャット戦闘機、ドーントレス急降下爆撃機なども見れて、航空機ファンにはたまらない映像がふんだんに出てくる。実録映画の分野に近いと思う。【全文】
☆2つ 2020年8月29日
実戦の映像も多用されていますが、機種メチャメチャな感じ【まったく同感。引用者注】。部隊もコルセア【戦闘機の愛称】なのかグラマン【戦闘機のメーカー名】なのか?はたまたドーントレス【急降下爆撃機の愛称】なのかいろりいろ混ざった映像ですが、設定はコルセアの戦闘機部隊です。 そして日本機のコックピットはどう見てもグラマン。飛行機の映像についてはいただけない。ストーリーはそれなりにアメリカ娯楽映画として楽しめました。
この最後の評価が、おそらく一般的評価ではないかと思う。
ただ,その前に、二人の評者が「コルセア、ヘルキャット、ドーントレス」という3機種しかあげていないが(どちらもアマゾンに投稿者に特有の知ったぶりだろうが)、それ以外に、ヘルダイヴァー、アヴェンジャーの記録映像もある。また戦後に配備されたA1スカイレーダーの姿も見える(戦後のプロペラ機の記録映像も使うという点で、実に、やっつけ仕事である)。
あと日本側の航空機の記録映像もあって、たいていは撃ち落されるゼロ戦なのだが、一式陸攻と銀河らしき爆撃機もみえる。らしきというのは、じっくり判読できる暇もない、一瞬の映像だからである。ただし一瞬でも,絶対に見間違いようのないの二式大艇の映像もあって(攻撃されているのだが)、これは思わず驚きの声が出た。
けっこう面白がっていたのではと批判されそうだが、全体的に面白くない。ピクニック気分の隊員たち、その彼らをやさしく見守ってきた温情あふれる副隊長と、そして隊員をきびしく鍛え、副官のやさしさを指揮官に向いていないと批判する鬼隊長。これって、グレコリー・ペックが爆撃隊の司令官を演じた『頭上の敵機』と同じではないか。
頭上の敵機は、爆撃場面をほとんどなくして、基地での司令官と部下たちとの人間模様に終始して、鬼司令官の薫陶よろしく飛行隊が勇猛果敢な爆撃隊となったものの司令官にストレスがたまり彼自身最後におかしくなってしまうという結末は、かなり印象的だったが、そのようなひねりは何もない。また頭上の敵機は記録映像の使用は最小限におさめ、地上、それも基地内での人間ドラマに終始していて、それはそれで見応えがあったのだが、この『第七機動部隊』は、未熟な隊員たちが、司令官と対立しながらも、戦闘を経て、成長してゆき、最後には大作戦を高い抜き、そして現在の朝鮮戦争にいたるという物語をつむぐときに、実際の記録映像をふんだんに使用した。そして一編の娯楽映画に完成させた。
とはいえ記録映像には、面白いところもあるが、総じて、迫力にかける。つまり事実としての重みはあっても、交戦中の記録映像(ガンカメラかなにかの)であるため、たとえばそれが特撮とかCG、あるいは実際に機体を飛ばして撮影していれば、迫力のある戦闘シーンが撮れたと思うのだが(たとえば『633爆撃隊』という、第二次大戦中の英国の戦闘爆撃機モスキートを実際に飛ばして撮影した戦争映画の航空攻撃シーンの迫力に比べると、『第七機動部隊』の記録映像を使ったシーンは、いくら本物の戦争シーンといっても、はっきりいってカスで、クソみたいなものとしかいいようがないし、また『633爆撃隊』は任務に成功はしても全滅するという悲劇性もあるが、『第七』のほうには、たとえ犠牲者は出ても、悲劇性は皆無である。あるいは『第7』と同じ空母搭載の攻撃隊を扱った、ただし朝鮮戦争の『トコリの橋』も実際にF9Fパンサーを飛ばしていて、迫力があった――変な日本が出てくるのはいただけなかったが)。
ただ、『第七機動部隊』は、当時、編集賞にノミネートされていた。受賞にはいたらなかったようだが、ノミネート? 編集技術について私は何も知らないのだが、また素人にはわからない卓越した編集技術は使われているのかもしれないが、しかし、それが賞をもらうというか、ノミネートされるのであれば、作品そのものも、たとえ素人目にみても、優れているはずである。ところが、この映画のどこが、なにか賞に値するほど優れているといえるのだろうか。そういったものはみじんもない。
では、なぜ編集賞(のノミネート)なのだ?
つづく
