8月6日 NHKスペシャル 証言と映像でつづる原爆投下・全記録 (10~11pm)を、ぼんやりみていていて、しかし、逆に脳が活性化されて、いろいろな疑問や思いがわいてきた。思ったことを書いておきたい。
1.広島に原爆を投下したB29、愛称「エノラ・ゲイ」の記録映像をみていたら、ナチュラル・メタルの機体、まばゆいくらいに、あるいは近づけば顔が鏡のようにうつるくらいの機体表面におどろいた。ぴっかぴっかじゃんと、思わずつぶやいた。
こんなぴっかぴっかな機体は、迷彩とかカムフラージュなどとは全く縁のない機体で、これで高空を飛んだら、太陽光をめちゃくちゃ反射して、遠くからでも視認できてしまう。敵側には迎撃の準備を早くさせてしまうか、あるいは逃げ込む時間をたっぷり与えてしまう。
しかし大戦末期であり、もはや日本は死に体で、迎撃であがってくる戦闘機もいないし、このぴっかぴっかの機体で、護衛の戦闘機もなしで日本本土に侵入しても、撃ち堕とされる心配もない。この光輝く機体は、勝利の証し、勝利の輝きなのだ。
日本も舐められたものだというようなことではない。こうなったら、敵味方にこれ以上犠牲を出さないためにも、はやく降伏すべきであったのだ。降伏までの待ち時間のなかで原爆投下は起こっている。
2.終結ではなく戦後のために
広島が原爆投下の場所として選ばれたのは、通常爆撃で破壊されていない都市を選んだということだった。それも驚きである。つまり原爆の効果を正しく判定するためには、戦禍に見舞われ破壊がすすんでいない都市が選ばれたのである。
これは、原爆投下で、戦争を一刻も早く終わらせるというのではなくて、戦後の世界の覇権を念頭において、原爆の威力を確認しておくための実験として広島が選ばれたということだろう。
野球のたとえを使うほど、私は野球ファンではないし、そんなくそおやじではないはずだが、それでも恥ずかしながら野球の比喩でいえば、もう優勝を決めた球団が、来季あるいは日本シリーズ戦にむけて、新たな作戦の試験的運用や、予備選力の充実のために、消化試合で、新人を登板させたり、これまで実践したことのない作戦を積極的に使ってみるをようなものである。あまりうまい比喩ではないが……。勝負がついたので、残っている時間を、今後のための準備にあてたということである。
原爆投下も実験であった。戦後の覇権争いで、原爆のもつ戦略的効果を確かめるために。
結局、そうなると原爆の犠牲者は、アメリカの戦後戦略のために実験材料とされたのである。まさにアメリカの犠牲者でもあった。
3. 敵はわが友
長崎にむかったB29には、ジャーナリストも機内に乗せて、ルポを書かせている。これも余裕のあらわれで、激戦状態のときには、民間人を爆撃機に同乗させないだろう。また民間人も同乗したいとも思わないだろう。勝負はついているこの時期に第二の爆弾投下がおこなわれる。広島爆弾投下によっても日本政府が降伏しなかったので、第二の投下を決断したというのだが、むしろ政府が降伏しないのが幸いして、原爆の効果を確かめる新たな好機がめぐってきたというべきだろう。
同乗したジャーナリストは、結局、長崎で悪魔に原爆を落とすのだという語っている。つまり真珠湾やバターン死の行進を敢行した民族はただの悪魔だというわけである。
私も真珠湾攻撃といった卑劣な奇襲攻撃を立案し実行した者たち、あるいはバターンの死の行進で、おびただしい数の捕虜を死に追いやった者たちは、悪魔であることを認めるのにやぶさかではない。
しかし当時の広島の市民や長崎の市民全員が、悪魔とは考えにくい。なるほど、当時の市民の多くは奇襲攻撃に賛成し、捕虜虐殺を当然視したにちがいない。しかし、そうした悪魔が多かったと同時に、悪魔ではない市民たち、奇襲攻撃や捕虜虐待に断固反対した市民たちもまた数多くいたにちがいない。そうした市民たちの存在を私は確信している。となれば、大量破壊兵器である原爆を投下したアメリカは、悪魔といっしょに多くの無辜の民を虐殺した、もしくはその人生を破壊したのである。
実際、皮肉なことに長崎では原爆の犠牲になった人々は、アメリカの軍部が考えもしなかったかもしれないが、キリスト教徒の日本人が多かった。キリスト教徒の彼ら日本人犠牲者も悪魔だったというつもりなのか。
結局、それは、ユダヤ人ホロコーストを敢行したナチスドイツと同じ思想傾向なのである。なるほどユダヤ人のなかに悪魔といえるような者たちはいただろう。しかし、だからといって残りのユダヤ人全員が悪魔ではないし、彼らは無辜の民であったし、逆に無差別の虐殺したナチスこそ悪魔である。
実際、戦後アメリカは、ナチスの関係者を多く登用して冷戦期の世界戦略に貢献させた。敵もまた友となる。ナチスもアメリカも指導層は悪魔であった。
4.終戦を早めた?
原爆が終戦を早めたかについては解釈のわかれるところだが(というか日本の降伏はソ連の参戦が原因であり、ソ連が日本を占領したら国体が護持できなくなると恐れてのことであるといわれているが、たぶんそれは正しいのだろう)、番組をみていて、3回目の原爆投下を考えていたころのアメリカの軍関係者の冗談が目を開かせてくれた。3回目は東京を標的にしたらどうかという話が持ち上がった時、そんなことをしたら日本政府が消滅するだろうから、どこと降伏の交渉をしたらいいのか、という冗談が聞かれたという。
そう、日本の政権や政府関係者は、東京に原爆が落ちることはない、自分たちは原爆の犠牲になることはないことは確信していたにちがいない。だから原爆がどれほど投下されようとも、自分たちが傷つくことはないとたかをくくっていた。これでは原爆が終戦を早めたとはいえないのだろう。
広島、長崎の原爆の犠牲者が終戦を早めたというのも、犠牲者にとってはひどい話だが、犠牲者が出ても降伏はしなかったというのも犠牲者にとってひどい話である。犠牲者を正しく追悼するには、責任の所在を明確にし、二度とこんなことをしないことの決意であろう。その意味で広島の原爆記念碑の銘は、批判もあるが、いまなお有効な普遍性をもちえているのではないかと思う。