2020年08月04日

少年愛の起源

ギリシア神話において、少年愛の起源とされる人物がいる。もちろん神話上の話であって、歴史的事実というようなことではない。

それはアイリアノス『ギリシア奇談集』松平千秋・中務哲郎訳(岩波文庫1989)の記載のなかにある。この書物について私はよく知らないなのだが、ローマ時代文人がギリシア語で著した逸話集で、原題は「多彩な物語」(「ギリシア奇談集」は日本でつけたタイトル)。その第13巻五に驚くべき記述がある。

五 美少年を愛した最初の人

育ちの良い少年を愛することを初めてしたのは、ペロプスの子クリュシッポスを誘拐したライオスだということである。それ以来テーバイでは、美少年を愛することは結構な〔良い〕ことの一つだとされているようになった。
(『ギリシア奇談集』p.370)


この五には訳注があり、「アテナイオス一三・六〇二Fに同じことが記されている」とある。これはアテナイオス『通人の食卓談義』全15巻(200年頃)への言及で、この著書の日本語訳はない。

ライオスはテーバイと結びつけられているから、これはオイディプスの父親のことである。オイディプス王の父親、ライオスは、ギリシアに少年愛を広めた人、あるいは少年愛/同性愛の鼻祖なのである。

実は、ここから先に進めていないので、さらなる掘り下げができていないのだが、オイディプス王が少年愛者の息子だということで、なっとくできることもある。

少年愛を同性愛へと広げて考えれば、とくに気にもとめなかったが、オイディプスは、生まれてから王になるまで、あまり浮いた噂を聞いたことがない。女性との付き合いがなかったようだ(あったかもしれないが神話によって異説はあるだろう)。

そして同性愛者の常として、母親が異常に好き。男性同性愛者は、母親に近親相姦的な愛情を抱くのだが、オイディプスの場合には、この「的」がはずれてしまうことは、いうまでもない。

男性同性愛者が寝る女性というのは、ひとりしかいない。自分の母親である――ただし、これは女性とは誰とも寝ないということと同義だが。そして男となら何人であれ寝る。

似たようなパタンがドン・ファン型の人間である。ドン・フアンにとって永遠の女性は母である。だが母と寝ることができないがゆえに、代理母として女性を求めるのだが、どの女性も彼の母の代用とはならないため、次々と女性を誘惑することになるのだが、どんなに女性をものにしても、母親の代理にはならないのである。

あと、オイディプスが足が悪いことも同性愛と関係がある。

これは慎重に語るべきことなのだが、表象の世界においては、障害をもつ人間は、同性愛者であることが多い。足をひきずる人間は、その最たるものである。ただし、現実に足が悪い人がいても、自動的にその人が同性愛者であることはないし、また同性愛者とみなされることはない。ここは現実と表象とをはっきり区別しておかねばならない。

いや、こう語ることは、同性愛者とみられることが汚名を着せられることという含意があるのではないか、同性愛は汚名なのかと批判されるかもしれないが、そうではない。なんであれ、特定のステレオタイプ的表象によって性的嗜好を勝手に押しけること/押しつけられることは、あってはならないということである。

作家のサマセット・モームの自伝的長編教養小説『人間の絆』で、モーム自身を思わせる主人公は足に障害をかかえている。これは本人にとって、苦難と試練の原因ともなるのだが、最終的にその障害を乗り越え、幸せな結婚をするところで物語は終わる。ただしモーム自身は足が悪かったということはない。これはモーム自身の同性愛の象徴だといわれている。

『人間の絆』で描かれているのは男女の愛、異性愛であって、同性愛は出てこない(いま読み返したら同性愛を含意する表象はいっぱいあるのかもしれないが)。あくまでも異性愛小説である。しかし、足をひきずっている主人公を造型することで、そこにモーム自身の同性愛者としての苦悩を忍び込ませたといわれている。

そして足をひきずる人物の神話的起源がオイディプス王である。「腫れた足」から名前をつけられたオイディプスは、少年愛者ライオスの息子であり、女は母親しかしらないのである。そう、ある意味、オイディプスのほうが同性愛者らしい。ライオスが少年愛の起源というのは、起源のバックフォーメーションではないかと思っている。同性愛者オイディプスの姿から、父親の遺伝という継承性が創作されたのではないかと私は考えているが。

付記 ちなみに『ギリシア奇談集』の作者アイアリノスは、文庫本の訳者(松平千秋)解説によると、60歳を超えて生きたが終生独身であったようだ。またローマ帝国の面汚しである「おんな男」「男おんな」たる皇帝についての弾劾文を書いたとの言い伝えがある。この皇帝はエラガバラス(ヘリオガバラス)のことであり、アントナン・アルトーの本で有名な戴冠せるアナキスト、同性愛をはじめとする性的倒錯にふける者であった(少年愛者といいがたいのは、本人が少年皇帝であったため)。同性愛は、作者アイアリノスにメトニミカルに付随している。
posted by ohashi at 22:07| エッセイ | 更新情報をチェックする