シャーロック・ホームズ物では、なぜロンドンに住んでいながら、けっこう頻繁にスコットランドまで行くのか、それも簡単に往復できる距離ではないのに、どうして頻繁に往復するのか、いったいスコットランドに何があるのか不思議に思うという程度の理解力でも(まあ子ども向けではなかったので、何の説明もなかったのだが)、それでもシャーロック・ホームズ物は、じゅうぶんに面白く読めたのだが、そんな頃、読んだのが、エドガー・アラン・ポウの「赤死病の仮面」だった。
この作品は、今回もふくめ、何度も思い出す、まさに思い出深い作品となったのだが、そのうち一回は、「赤死病の仮面」でペストを避けて、城だか館に退避して、外界との関係を絶って毎夜宴会をつづける大公の名前が、プロスペロであること。これはシェイクスピアの『テンペスト』の元ミラノの大公で、学者・魔術師である主人公の名前と同じであることがわかったときだった。
おそらくプロスペロの名前をポウはシェイクスピアの『テンペスト』の主人公からとっていることはまちがいない。そしてそれはポウによる『テンペスト』解釈にもなっている。
ちなみに赤死病というのは、ポウが勝手に作った病気。ペストの別名である黒死病から示唆をえてつくった架空の感染症の名称である。
黒死病と同様の恐るべき感染病であるこの赤死病を避けて隔離生活を送るプロスペロ大公とその臣下たちだが、そこに、赤死病は、浸透してくる。
どんなに防疫防御に専念しても、赤死病はふせげないとすれば、それはまた故国を追放されて、地中海の孤島に魔法の王国を築くシェイクスピアのプロスペロにとっても同じである。
ある意味、ミニ・ユートピアでもであるプロスペロの島にも、死の影は忍び寄る。内乱の芽は消えることがなく、外界からの訪問者たちが、島の安定した秩序をゆさぶることだろう。
そしてそこでわかるのである。シェイクスピアの『テンペスト』のサブテクストはペストあるいはペストとの戦いではなかったか、と。なぜ孤島か。なぜ外界を遮断するのか、自己閉鎖的空間がなぜ必要なのか。ペストの猛威のなか、引きこもることが生存の条件となるのだからか。
そういえば同じベン・ジョンソンの喜劇『エピシーン』には極端に声とか音を嫌う変人が登場する。彼は、住居を何重にも防音し、口数が少ないどころか物を言うことのない女性を妻にめとるのである。この変人ぶりは、しかし、ペストの侵入を極力嫌い、また恐れる社会的感性が基盤にあるとみることができる。
ペストへの恐怖が、生存手段として隔離状態を出現させる。だが、その隔離が完全であることはなく、隔離は破られ、死が到来する。安全で完全な隔離など、どこにもないことの恐怖に初期近代はおののいていたのである。
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