東京都立町田総合高校で、生徒に挑発された教員が生徒を殴るという暴行を加えた動画がネット上で拡散され話題になっている。教員のほうは挑発され、はめられたという情報も流れ、あいかわらず暴力を肯定する意見が、待っていましたとばかりネット上にあふれている。
なにがあったのかは真相はわからないが、どのような理由であれ、教育者というか教員は絶対に暴力をふるってはいけないし、暴力をふるったら、教育者としての資格を失う。
今回の事件では、不良生徒が教員を挑発して教員が殴るところを撮影して動画としてアップしたといわれているが、もしそうなら、その教員は日常的にキレやすく暴力をふるっていたことになり、その暴力行為の告発なのかもしれない(自分が殴られるわけだから、かなり危険な賭けでもあるのだが)。ただ、今回、殴った教員は、これまで暴力をふるったことはないともいわれているし、もし、そうなら、生活指導で口うるさい教員だったかもしれないが、暴力をふるわない教員に、一線を越えさせるのは、相当狡猾な知恵が必要となる。まあ常識的に考えて、その教員が日常的に暴力をふるっていたと考えざるをえないのだが。
私たちのような社会では、絶対に相手に対して暴力をふるってはいけない職業がある。格闘技の選手。試合とか練習以外のところで、一般人に絶対に手をだしてはいけないし、それをしたら資格はく奪となる。つぎにホテルマン。『マスカレード・ホテル』を観よ。そして教員である。もちろん、いずれの立場でも、殺されそうになっても暴力をふるってはいけないのかと反論されそうだが、まあ正当防衛のための暴力は、格闘技の選手だろうとホテルマンだろうと教員だろと認められるかもしれない。ただ今回の事例は、教員のほうが先に手を出しているので正当防衛ではないだろう。また、相手がどんなにひどい人間だろうが、挑発にのって暴力をふるったら、その時点で、教員の負けである。絶対に挑発にはのってはいけない。
テレビのコメンテイターのなかには教員が暴力をふるってはいけないというのなら、生徒たちは、教員に好き勝手に暴力をふるうだろうから、暴力行使に過敏になってはいけないという意見を述べる**がいた。しかし教員が暴力をもって制裁していいのなら、逆に、そうした暴力肯定教師に立ち向かう生徒はヒーローになる、あるいは生徒を非難できなくなる。絶対に暴力をふるわない、あるいは暴力をふるえない人間に対して、つまり反撃してこないとわかっている相手に暴力をふるう人間こそ、人間のくずであって、そうした人間を徹底して非難できる。また、誤解のないように言っておくが、叱ること、叱責することは、言葉でならOKである。そこに暴力がともなうと、意味がなくなるということである。
生徒が教員のいうことを、そもそも暴力をふるわないからこそ、聞いたなら、それは本物の自発的服従あるいは説得された状態といえる。もし教員に暴力が許されたなら、生徒が改心したり謝罪しても、すべて暴力が怖いがゆえのうわべだけのものとなって意味がない。
暴力をすこしでも肯定したら、暴力をふるう人間を批判できなくなる。暴力の前に服従するのなら、それは、うわべだけのこと。そしてそこに復讐の芽が生まれ、暴力の連鎖がつづくだけである。
まあ、大学の教員は、教育者というよりも研究者で、小中高の教育現場の過酷さを知らないからのんきなことを言っていると思われるかもしれないが、暴力をふるわないというのは絶対の原則である。ましてや挑発に乗って、言葉で激しくぶつかるのはいいのとしても、事情はなんであれ、暴力をふるうことは絶対にあってはいけない。
私の場合は、挑発されても暴力はふるわない。暴力をふるったことがないし、暴力をふるえる身体ももちわせていないので、この点だけは、安心というか確信しているのだが。