1987年(昭和62年)4月、85歳だった昭和天皇が先の大戦の戦争責任に言及されることに苦悩していたとの記述が元侍従の小林忍氏の日記に残されていたことがわかった。昭和天皇の発言として「仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。辛(つら)いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる」と記されている。
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昭和天皇の気弱な発言に対し、小林氏は「戦争責任はごく一部の者がいうだけで国民の大多数はそうではない。戦後の復興から今日の発展をみれば、もう過去の歴史の一こまにすぎない。お気になさることはない」と励ましたと書かれている。
これだけではよくわからないのだが、昭和天皇は、自分に責任はないのだけれども、戦争責任(かつての昭和天皇の名言を引用すれば「文学方面のこと」)について立場上、いまでも言われるのはつらいということか。侍従の励ましの言葉からすると、ほうっておけば、戦争責任を問う声をおさまるということ、昭和天皇に戦争責任はないということだろう。
テレビでのニュースでは昭和天皇が戦争責任について気にしていたというようなニュアンスで、この日記の記事について紹介していたが、日記の内容を読めば、昭和天皇は自分に戦争責任はないと感じていたことははっきりしている。戦争は軍部が始めたことで、自分には関係がないのに、いまも自分に責任があるかのように言われるのは心苦しい。また戦争の責任がどうの、戦争が終わっても、蒸し返す迷惑な連中がいることは遺憾だともとれる。そしてその迷惑な連中とは、文学畑(かつての昭和天皇の発言)の連中である。まあ、倫理観のなさも、ここにきわまれるということだ。
つい最近まで上映していた韓国の歴史映画『天命の城』を思い出す。以下、まずあらすじを引用するとーー
1636年、清が朝鮮に侵入し「丙子の役」が勃発。敵軍に完全包囲され、冬の厳しい寒さと飢えが押し寄せる絶体絶命の状況の中、朝鮮の未来を見据えた大臣たちの意見は激しく対立する。平和を重んじ清と和睦交渉を図るべきだと考える吏曹大臣チェ・ミョンギル(イ・ビョンホン)と、大義を守るべく清と真っ向から戦うことを主張する礼曹大臣のキム・サンソン(キム・サンソク)。対立する二人の大臣の意見に王・仁祖の葛藤が深まる。抗戦か、降伏か。朝鮮王朝の運命は――!?
とある。中国の王朝が明から清へと移行するなか、大国の顔色をうかがいながら生き延びるしかない国家(李王朝)は、明に忠義立てし、清の軍隊を賊軍と見下すだけで、清王朝が中国全土を征服するという時代の流れを読み切れず、最後には、清に屈辱的な臣従を余儀なくされるという朝鮮半島史における屈辱的な一時期を扱っている。
以下は、wikipediaの記事だが、この簡潔なまとめをみると驚く。映画のほうは、指導力のない王と、家臣団の内部対立、錯綜する大義名分などで、大きな流れがよくわからない。あるいは誰もがよく知る歴史的事件の語られざる暗部あるいは細部を映画は提示しているのかもしれない。
1636年、後金のハーン・ホンタイジが国号を清として新たにその皇帝に即位し、李氏朝鮮に朝貢と明への出兵を求めた。朝鮮の仁祖王が拒絶したため、ホンタイジはただちに兵を挙げ、朝鮮軍はなすすべもなく45日で降伏した。和議の条件の1つに大清皇帝功徳碑を建立させた。仁祖はこの碑を建てた三田渡の受降壇で、ホンタイジに向かって三跪九叩頭の礼を行い、許しを乞うた。
いずれにせよ映画のクライマックスは、降伏した朝鮮の王が清の皇帝に対し、三跪九叩頭の礼を行ない許しを乞ところである。
三跪九叩頭は、合計9回、「手を地面につけ、額を地面に打ち付ける」ことで、映画のなかでは和平派のイビョンホンが、王に対して清の皇帝に恭順の意を表することをすすめながら、これほどまでに屈辱的な儀礼を強いられるとは思わず、王の姿に涙するのだが、たしかに三跪九叩頭は、ただの儀礼とはいえ、屈辱的すぎる。イギリスの大使は、清の皇帝に対して、これをすることを最後まで拒否したようだし、日本の使節もこれをしてない。
しかしこの映画を見ると、李王朝に清と互角に戦う力はないし、それが過去と未来においても同じだろう。また王は、決断力がなく、家臣の判断に依存するだけで、優柔不断といえばそれまでだが、家臣の合議と同意形成を重視する、ある意味、民主的な王である。もちろん、それは王らしからぬことで、王としての使命を十全に果たしていないといえる。その指導力のなさが、最後の三跪九叩頭に結びつくともいえるのだが、しかし、映画をみると、清の皇帝の前で、三跪九叩頭するとき、ようやく王らしくなる。王の王たるゆえんは、勝って征服王として君臨するときだけでなく、敗北の将として臣下の生命を守るために屈辱的な拝跪を引き受け、とことん侮辱に耐えるときにもあらわれる。真の王とは戦争の責任を引き受ける王だ。臣下の誰もが涙なくしてみることはできない屈辱に身をさらすことで王の聖性は輝きわたるのである。
このことは、別役実の戯曲(名前は忘れた)を見ていたときにも思ったことだが(その演劇の隠れたテーマは昭和天皇の戦争責任だと思った)、そもそも昭和天皇ひとりだけに戦争責任があるとは思えない。それは誰でもわかることだと思う。むしろ、もし気づかれぬかたちで、歴史の暗部で、昭和天皇が戦争責任を問われるような言動をしていたら、それこそ驚きである。昭和天皇に戦争責任はないことを、とにかく大前提としよう。だとすれば、つぎにすべきことはなんであったのか。それは、戦争終結から何年もたってから戦争責任などという文学畑のことをつきつけてくる愚かなジャーナリストに不快感を示すことではない。そうではなくて、戦争責任がないことが明白であれば、なすべきは、戦争責任を引き受けることである。これは一般人のことではない。無実の一般人は、ありもしない罪を認めたりしてはいけない。神なればこそ、王なればこそ、あるいは天皇なればこそ、犯してもいない罪を認めるべきなのだ。
イエスは何も悪いことをしていないのに、人類全体の罪を背負って、十字架にかけられて処刑された。それでどうなったのか。神の子イエスが罪人だとは誰も思わない。無実にもかかわらず、罪を背負い、屈辱的な死を遂げたがゆえに、膨大な数の人間がキリスト教に帰依した。キリスト教徒が世界を支配した(政治的暴力的な支配は批判されるべきだが、キリスト教徒は文化的にも世界を征服した)。
だが、これと同じことは、昭和天皇の場合、選択してあったのだろか。まあ、かすかな可能性としてもなかったと思う。またなかったほうが、ある意味、真の神格化をはばむことになったので、よかったのではないかとも思う。
なぜなら、日本の国民は昭和天皇に望んだのは、戦争責任を引き受けることだったと思う。昭和天皇に戦争責任があるからではない。戦争責任がないからこそ、戦争責任を引き受けたことによって、まさに神の国の天皇は、未来永劫にわたって、国民の魂を摑んだかもしれないのだから、そうしたことがないことは、よかったのだから。。
今回の侍従の日記から、昭和天皇は、戦争責任がなくても、あえて戦争責任を引き受ける気持ちなどまったくなかっことがわかる。それがいいかわるいかは判断できない。ただ、結局、今回の発見は、これまでのイメージ(戦争は軍部が起こした、昭和天皇は平和主義者)に対して何ら変更と修正を加えるものではなかったとは言えるだろう。