2018年08月09日

『ワンダー 君は太陽』

『ワンダー 君は太陽』スティーブン・チョボスキー監督2017年映画。

まずこの映画、文学関係者には気になるというか興味をひかれる細部がいろいろとあって、面白かった。たとえば顔に障害をかかえたオギーのお姉さんは、高校生で、ものすごく分厚い本を読んでいて、タイトルをみたらトルストイの『戦争と平和』。有名な作品だが、いま『戦争と平和』が世界でどのくらい読まれているのだろうか。ましてやアメリカで、ましてや高校生が。日本でも昔はロシア文学はよく読まれたし、その勢いで私は中学生の時に『戦争と平和』は翻訳で読んだ(理解したかどうかは話はべつだが)。ハリウッド映画の大作『戦争と平和』があったが、その頃、ソ連映画で『戦争と平和』の大作がつくられ日本でも公開され、それが私の読書の後押しとなった。しかし、昔の話である。いま、日本人の高校生で『戦争と平和』を読んでいる者が何人いるだろうか。たぶんゼロだろう。またアメリカの優秀な高校生あるいは文学好きの高校生はけっこうたくさんいて読んでいるかもしれない。

ジュリア・ロバーツ演ずる彼女の母親はPhD論文を書いていて、題材はブレイクの詩とブレイクのイラストであった。彼女も子供の世話からようやく解放されつつあるとき、未完だったPhD論文の完成をめざす。ブレイクの詩についての研究。王道の文学研究。

また物語にも重要な役割をはたす、高校での演劇部の出し物。『わが町』Our Town。いまでも人気がある作品であって、学校演劇の定番作品である。日本の劇団でもこの作品を研修生の課題作品としていると聞いたことがある。今でも高校や大学で、この作品が上演されていることと思う。かくいう私も学部学生時代に、学園祭の企画だったと思うが(ちがうかもしれない。どこかの公会堂を借りて公演をおこなったので、学園祭とは関係なかったかもしれないが、よく覚えていない)、英語のクラスでこの劇を上演した。きっかけは英語の授業でこの作品を読んだこと。大学の英語の教科書にもなっている。作者ソートン・ワイルダーの英語そのものは、そんなにむつかしくなく、平易で美しい英語なので、教科書向き。同じころ、別のクラスでは、『セールスマンの死』を英語で読んだが、こちらのほうは、高校を卒業したばかりの人間には、たちうちできない英語で、見たこともないような表記に完璧に叩きのめされた。それはともかく、たとえ純然たるフィクションかもしれないが、『わが町』を現代アメリカの高校生の演劇部が上演するのは、嬉しくなる。

(とはいえ、今のアメリカの高校の演劇事情については全く知らないのだが、実際には、『わが町』など上演する高校など皆無なのかもしれない。古き良き高校演劇のイメージから抜け切れない作者や映画関係者が、時代遅れの高校演劇演目を脚本にいれただけなら、あまり喜ばしい事態とはいえないのだが。

ちなみに以前、英語英米文学専修課程で、卒論にジョージ・エリオットの『サイラス・マーナー』を選んで書いた女子学生がいた。いまどき『サイラス・マーナー』というのは珍しいと思い、どうしてこの作品を選んだかを卒論の口頭試問のときに聞いてみた。純然たる好奇心で、またどのように答えても卒論の評価に悪影響はでない質問なのだが、答えは要領を得なかった。大学の授業で先生がこの作品をあつかって興味をおぼえたのかというと、そうでもない。では、いまでは岩波文庫ですら絶版になっている『サイラス・マーナー』とどう出逢ったのか、そしてなぜ卒論の題材に選んだのかについても、はっきりした答えは返ってこなかった。

たまたま、古本屋で、翻訳をみつけ、読んでみたら、面白かったので、卒論に選んだというような答えでいいのに、そうした答えはなかった。私の指導学生ではなかったので、結局、詳しいことはわからずじまいなのだが、この学生、卒論を書くというとき、同じ専修課程の教員とか、すこし上の先輩とか友人からアドヴァイスをもらっていれば、もっと別な作品を選んだのではないかと思うのだが、とにかく自分の意志で選んだとのではないと思う。

おそらく卒論を書かなくてはいけない。授業にまともの出ていない。どんな作家、どんな作品があるかなど、知識もなにもない。そこで、昔英文科を卒業した祖父祖母、親戚の人間に、どんな作家の卒論がいいかと聞いてみた。せめてシェイクスピアとでもいえば、誰も、不思議には思わないと思うのだが、その昔、英文科を卒業したかもしれない祖父祖母叔父叔母伯父伯母が『サイラス・マーナー』というタイトルを口にしたにちがいない。それにとびついた。『サイラス・マーナー』など、今では誰も読まないし、作者ジョージ・エリオットの作品のなかでも、もっとも読まれない作品といってもいいかもしれない作品を、無知なるが故に、また助言者が古すぎるがゆえに選んだのではないだろうか。

というのも、日本だけの現象だったかもしれないが、一時期、『サイラス・マーナー』がよく読まれたことは事実。日本の英文科でも、詳しく調べたことはないが『サイラス・マーナー』がよくとりあげられたはずである。たとえば私の中学のときの英語の先生は、卒論に『サイラス・マーナー』を選んだと言っていた。しかし大学生になってから、現在にいたるまで、『サイラス・マーナー』が講義とか演習とか、研究発表でとりあげられたところをみたことがない。ジョージ・エリオットの専門家なら研究しているとしても、専門外の人間にとって、『サイラス・マーナー』は、昔よく読まれてもいまでは誰も読まれない作品の第一位かもしれない。

もし同じことが『わが町』についてもいえるのなら、嫌な感じがするが、どうなのだろうか。)

なお、映画のなかで、その『わが町』を上演する高校の名前が、最後にわかる。字幕はでなかったが、建物の表示してある名前を見て、唖然とした。確か、William Faulkener’s High Schoolとあった。ひょっとしたらFaulkner High Schoolだったかもしれない。いずれにしても、その後調べてみてもわからなかったので、架空の高校名かもしれないが、とにかく驚いたことは確か。

なお主人公オーガストを演じているジェイコブ・トレンブレイ、『ルーム』のあの男の子であるとはまったく気づかず――当然だが。『ルーム』のときにも、興味深かった監禁後の物語において成長していく男の子を、きわめて自然に、また説得力あるかたちで提示できたジェイコブ・トレンブレイだとは気づかず――当然だというのに。

彼のお姉さんヴィア役のイザヴェラ・ヴィドイック、ジェイソン・ステイサム主演の『バトルフロント』でステイサムの娘役だったとはまったく気づかず――とはいっても、それはしかたがないが。ちなみに『バトルフロント』、最初から最後までほんとうに怖い映画だった。内容ではなく、たまたま入って映画館(シネコン)で観客は、ほんとうに私一人で、貸切状態だったのだが、もしこのとき誰かに襲われたら一巻の終わりとびくびくしていたのだから。

最後に、『ワンダー』を見る前に『ハン・ソロ』を見た。ふたつの映画に同じ人物(?)が出ていて驚いた。というか『ハン・ソロ』に出ているのはべつにおかしくないのだが、『ワンダー』にも出ているとは。
posted by ohashi at 16:06| 映画 | 更新情報をチェックする