これって『ボスベイビー』と同じじゃん。同じテーマを扱っている。『ボスベイビー』のほうは、弟ができる。『未来のミライ』では妹ができる。ただいずれにせよ、それまで両親の愛を独り占めしていた男の子が、弟や妹ができると、両親の愛を独占できなくなって、弟や妹に嫉妬し、両親の気をひこうと我儘を言ったり暴れたりする。『ボスベイビー』のほうは、SF的というかコミックス的設定を細かくして、架空の荒唐無稽なカンパニーをつくりあげるが、『未来のミライ』のほうは、なぜ高校生になった妹が4歳の兄のもとにあらわれるのか不明だが、夢とも現実ともつかない展開のなかで、家族の歴史と4歳児の時間線のなかの現在の立ち位置と家族の重要さの発見という大人向けのテーマを盛り込んでいる。
『ボスベイビー』と同じ時期に上映されていた『リメンバー・ミー』が家族の絆や歴史を扱って泣かせるテーマを盛り込んでいて、『ボスベイビー』よりも好評だったように思えるのだが、この『未来のミライ』、家族の今を支え、そこに流れ込んでいる時間の糸を解きほぐしながら(そのイメージはデジタルなのだが)家族の意味を考えるというのだが、ネット上では、パッとしない映画という声があがっている。
実はテレビで『ばけものの子』を放映していたが、それを、ぼんやり部分的に見ていたが、けっこうテーマは複雑だということがわかったし、めんどうくさい設定を使っている。それにくらべて『未来のミライ』は、なぜ高校生になった妹が突然あらわれたのか説明はないのだが、それ以外はわかりやすいはずなのだが。
ちなにみ『ばけものの子』を、映画館でみたときは、実際に過去にあった幾種類かの文学全集と、その中の一巻であるメルヴィルの『白鯨』がけっこうリアルに描かれていたり、渋谷(このアニメに描かれた渋谷駅界隈は、すでになくなりつつあるのだが)の一駅前で止まる地下鉄電車が、私が毎日利用している地下鉄電車でもあって、個人的に勝手に受けて面白がっていたのだが、そう個人的に受ける要素がないと、距離感が生まれるのかもしれないと思い知った。
『ボスベイビー』を、姪と、その母親(妹)と見たあとで、姪に対して、私自身は、鮮明な記憶として残っていないだけれど、母親から聞いた話では、私に妹ができたとき、世話をしてもらえなくなったので、手におえない駄々っ子になって親を困らせたらしいと話していた。この件は、このブログでも、『ボスベイビー』の記事で触れている。弟や妹がいる兄や姉にとって、親の愛を奪う弟や妹は、みんなボスベイビーだと話したことがある。それをそばで聞いていた、私の妹は、そんなことがあったのと驚いていたが、まあ親からその頃の話は何も聞いていないのだろう。実際、話す必要もないし。
となると、やはり弟や妹である人にとって、兄や妹が嫉妬するといのは、どうみても他人ごとにすぎない。逆に、私にとっては――たとえ、実際にところ、3歳から4歳の頃の嫉妬感情はふつうに忘れるのだが、後年、親がしっかりその頃のことを記憶として刷り込んでくれる。そのため刷り込まれた記憶にもかかわらず、当人にはリアルな感興をともなって喚起される記憶になるのだが――、まさに自分の子供時代のことのようだと、自分が主人公になった気分で、おもしろおかしく見ていた。
だが、現在は少子化が進んだ日本のことである。一人っ子として育った人間が増えているし、また子供がひとりしかいない家庭も増えている。妹であったり弟であったりする人が減っているし、兄弟姉妹のいる親も減っている。となると、少子化が進んでいないアメリカなら『ボス・ベイビー』のテーマは、大いに受けるかもしれないが、日本では、むしろ他人事であったり、兄や姉が、妹や弟に嫉妬するなんてことを初めて知った人も多いかもしれない。
その点、人を選ぶ映画とか、人によって好みが分かれるとか、テーマがピントこないという評価がネット上にあって、やや残念な気がする。これには、いま述べた兄や姉の妹や弟への嫉妬というテーマが、少子化の日本では普遍的ではなくなったということが重要な低評価要因に挙げられるのかもしれない。もちろん上白石萌歌の、慣れれば違和感はなくなるでは済まされない、最後まで違和感が残る吹き替えのほうが戦犯第一号だとは思うが(他の俳優陣の吹き替えは、みんな上手い)。家族のテーマは、私の父方の祖父は、家族を捨てて家を出て行き、帰ってくることはなかったので、写真すら残っておらず、私は父方の祖父のことは、東大を卒業していたということ以外、何も知らないし、どこの家族にも、そういう黒歴史はあると思うし、このアニメ映画のように、ありふれていても幸せな先祖たちというのは夢物語だろうと知りつつも、『未来のミライ』はじゅうぶんに面白かったのだが。
ああ、そうかもしれない。このアニメ映画のさらなるテーマは、戦争を経験し、それを逃れて生き延びた人々の家族というテーマだった。このある意味反戦テーマは、いま日本にもブラックバスのようにふえてきている戦争好きの馬鹿ファシストにとって気にいらないものかもしれない。だとすれば、彼らファシストどもの否定的評価には絶対い惑わされずに、この映画を支持すべきだと思う。