『トロイア戦争 トロイラスとクレシダ』
明治大学シェイクスピア・プロジェクトによるシェイクスピア『トロイラスとクレシダ』を見る。公演では『トロイア戦争―トロイラスとクレシダー』とあって、いきなり『トロイラスとクレシダ』では、一般知名度が低いために『トロイ戦争/トロイア戦争』としたのかもしれない。ただ『トロイア戦争』としてもしなくても、シェイクスピアの『トロイラスとクレシダ』は面白い作品だが有名な作品ではないので、例年満席の公演に対して、やや空席がめだったのは、しかたないことかもしれない。
空席があったのは、ほんとうに惜しい。というのも今回のみごとな公演を見逃すとは、なんという損失かといういいたいからだ。明治大学シェイクスピア・プロジェクトは、毎年レヴェルの高い演技に感銘をうけるのだが、今年の『トロイラスとクレシダ』は、登場する学生俳優たちが、びっくりするほど演技がうまい。この作品は、癖の強い人物が多いというか、そういう人物ばかりなのだが、それを演ずる学生たちが、各人物の特徴をほんとうによく出していて、台詞まわしもほんとうにうまい。こんなにうまかったのかと、認識をあらたにした。
過去の公演の演技がへだったとということはまったくない。高い質の演技で、安心してみることができたし、そこに演出とか構成上のいろいろな工夫が加わって独創性という面でも他の大学の学生シェイクスピア劇のなかでは群を抜いていたのだが、今回は、アレンジがあるとはいえ『トロイラスとクレシダ』一作なのだが、とにかくうまい、うますぎる。今回の明治大学シェイクスピア・プロジェクトの公演は、日本語によるシェイクスピア劇上演としては、プロアマを問わず、最良の部類に入るといっても大げさではないと思う。
個々の学生の演技力がすごいのはいうまでもないが、演出・構成も優れている。鵜山仁演出、浦井健治、ソニン主演の世田谷パブリック・センターの『トロイラスとクレシダ』公演を2015年の夏に観たが、浦井とソニンのトロイラスとクレシダのペアも頑張っていたし、渡辺徹のパンダラスも印象深かったし、その他、芸達者な俳優が脇をかためる見事な公演ではあったが、明治大学シェイクスピア・プロジェクトとは印象が違う。むしろ鵜山演出でクレシダは哀れな少女であり、また悪女へと変貌するという両極しかなかったが、今回のクレシダは、そうしたステレオタイプ的女性像ではなくて、人間味のある女性であり、生きた女性であった。
また、今回に限らないが、女性が男性の役をすることが多く、今回もオデュセウスをはじめとしてけっこう重要な男性人物が女性であった。おそらく男子学生の数がすくないか、女子学生の数が多いか、男女公平に役をわりふる必要かわからないが、理由は何にせよ、上演前の危惧は、芝居がはじまってからは消えた。すでに誰もが存在感のある、しかもうまい演技で、違和感などまったくなかったことも付け加えておきたい。
もうひとつ付け加えると
当日会場でも売られていたようだが、明治大学シェイクスピア・プロジェクトを記念した本が今年出され、私の名前も表紙というかカバーに小さく記載されているのだが、私は一観客として、毎年楽しみにしながら、公演を見させてもらっているだけで、出演者とかプロジェクト関係者に知り合いがいるわけでもないし、また利害関係もない。その私の率直な感想なので、このブログにおいても、その感想に利害がからむようなバイアスはない。
ただ、それにしても明治大学シェイクスピア・プロジェクトを毎年見ていることが、どうしてわかったのだろうか。このブログに書いていたからか。毎年、授業中にほめながら言及したことはあるが、それ以外のところで言及したことはない。案外簡単な理由があるのかもしれないが、いまのところは不思議なままである。