2017年08月01日

『メアリと魔女の花』

映画館で場内が暗くなって予告編がはじまってもしゃべっているカップルがいると心配になる。以前、テレビで芸能人が映画館で予告編の時、友達としゃべっていたら注意されたことがあるが、予告編のときはしゃべってかまわないのではと話していた。まあ本編のときにしゃべらなければ問題ないのだが、しかし暗くなって予告編がはじまってもしゃべっている人間は、本編がはじまってもしゃべっているのではないかと心配になる。私がみた映画館でも予告編がはじまってもしゃべっているカップルがいて、嫌な感じがした。本編では黙っていたのだから問題はないのだが。しかし、予告編のと、なにもしゃべらなくても黙っていていいのではないか。そのカップル、映画が終わったら、エンドクレジットのところでぼそぼそしゃべりはじめ、場内が明るくなってからは、いやあ、映画を見ると疲れる、眠くなると話している。結局、映画が好きじゃないし、映画を見てもわからないタイプの人間だろう。とっと帰れ、あるいは映画館なんかに来るなと言ってやりたい。


というのもその映画『メアリと魔女の花』で、夜の回で、私自身、睡眠不足で疲労気味だったので、寝てしまうのではと心配したが、映画がはじまってからは目が覚めた。よくこの映画で眠たくなるものだと、あきれた。


『メアリと魔女の花』――『借りぐらしのアリエッティ』と『思い出のマーニー』を監督した米林宏昌の監督作品であり、ジブリを退社したプロデューサー西村義明とともに立ち上げたスタジオ・ポノックの第一作品である。面白い長編アニメで、楽しませてもらったのだが、なにか物足らないものがある。いや、その逆かもしれないのだが、スタジオ・ジブリの過去の作品のモチーフの集大成、あるいは過去のモチーフのてんこ盛りのようなところがあり、まさにジブリが名前を変えて再出発したという趣がある。盛りだくさんで、物足りなさとは程遠いのだが、むしろそこのとが物足りなさとでもいえようか。


とにかくジブリの集大成になっている、あるいは集大成たることにこだわりすぎて、監督本来の持ち味のようなものが出ていないのではないという気がした。


『借りぐらしのアリエッティ』と『思い出のマーニー』は、いかにもというスタジオ・ジブリ系の絵柄のアニメだが、しかし、どこかに米林監督の、たとえば宮崎駿監督作品とは異なるテイストのようなものがあって、そこが面白かった。二作のうち、どちらもイギリスの児童文学作品を原作としているのだが、とりわけ『思い出のマーニー』は、泣けた。実際、観た人の多くが泣けたと思う。


だが、今回の『メアリと魔女の花』は、次から次へと繰り出されるジブリ的なモチーフに、なつかしさのような安心感を覚えるのだが、しかし物語そのものは、泣ける話ではない。いや、泣かなくてもいいのだが、たとえハッピーエンディングとはいえ、そこになにかぐっとくるようなものがない。面白いことはまちがいないが感銘を受けることはないといえばいいのか。


『借りぐらしのアリエッティ』と『思い出のマーニー』は、ジブリ作品の一部、ある意味、宮崎アニメとメトニミカルな関係をもっていて、ジブリ系アニメでも、独自路線を行くことも可能だったのが、今回は、ジブリ作品のメタファーであるために、ジブリの遺産をすべてもらさず受け継ごう、あるいは再生産しようという意気込みが強くて、ジブリのメタファーたらんとして、ジブリ作品の反復とリサイクルに終始したという感がある。


ジブリにいた頃は、ジブリ離れを目指していて、ジブリ亡きあと、今度はジブリに限りなく近づこうとしている。まあ、そういうものかもしれないが。

posted by ohashi at 22:49| 映画 | 更新情報をチェックする