真田幸村、実物は歯抜け・白髪説…
以下は朝日新聞の2016年2月7日の記事(執筆 神庭亮介)だが、べつにこの記事が問題ということではなく、こういう記事がネット上にあふれている。つまり真田幸村が、実は、歯抜けで白髪であったというわけだが、愚かさもここに極まれりというほかはない。
ただし以下の記事は、戦国武将のイケメン化というテーマなので、それに関しては、ここではとくに問題にしない。
戦国武将のイケメン化が止まらない。たとえば、NHK大河ドラマ「真田丸」で話題沸騰中の真田幸村。小柄な体格で、大坂の陣の時には歯が抜け、白髪交じりだったとされる。それなのに、ゲームやマンガではキラキラの美少年に。一体なぜなのか。
戦国武将たちが戦いを繰り広げる、アクションゲーム「戦国BASARA」。2005年の第1作以来、28の関連作品が発売され、累計売り上げは380万本を超える(昨年9月現在)。歴女ブームの立役者とも言われ、イベントや舞台には女性ファンがあふれる。
中略
史実によれば、大坂の陣で豊臣軍についた幸村は、大阪城に築いた出城「真田丸」で奮戦。夏の陣では、徳川家康の本陣に切り込み、一時は家康に自害を覚悟させるほどまで追い詰めたとされる。その雄姿は、敵方からも「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」とたたえられた。
そんな幸村も、大坂の陣以前、和歌山・九度山での蟄居(ちっきょ)時代には、老境にさしかかった我が身を憂うような手紙を残している。
「去年よりにわかに年より、ことのほか病者になり申し候、歯なども抜け申し候、ひげなども黒きはあまりこれなく候」。病気がちになり、歯が抜け、ひげの白髪も増えた、という内容である。
以下略。
この手紙は、真田幸村が九度山での隠遁生活を送っていた頃、義兄にあたる小山田茂誠(幸村の姉・村松殿の婿)に宛てた書状のことらしい。慶長17年(1612年)のこと。
この手紙が、本物だとする。では、ここに書いてあることは真実なのか。真実かどうかをどうやって決めるのか? こんなことは子どもでもわかりそうなことだ。
九度山で監視されているなか、信繁/幸村が、私は元気いっぱいで、徳川家康に一泡ふかせてやれるほど、気力・知力ともに充実していると、手紙を書くとでも思っているのだろうか。手紙のあて先は、身内とはいっても、秘密を打ち明けられるほどの親密な仲ではないだろう。たとえ、どれほど親密な関係にあっても、手紙は読まれる可能性もあるから、あぶないことは書けないだろう。また、たとえ自分しか読まない日記の類でも、監視されている立場なら、読まれてしまう可能性もあるから、本当のことは書かないだろう。
したがって信繁/幸村の手紙は、当然、敵をあざむくための嘘であるみるべきだろう。九度山に閉じ込められていて、手紙に、ほんとうのことを書くなどという、愚かなことを、天下の知将、信繁/幸村がするだろうか。
もちろん、その手紙そのものではなく、手紙の内容が、嘘だという絶対確実な証拠はない。しかし、真実であるという絶対確実な証拠もないのであって、真相はわからないままだ。それを幸村は歯抜けで白髪頭であったことを歴史の真実であるかのように信じてしまうナイーヴさは、いったい何だろう。はっきりいってバカかと言ってやりたい。
しかし、こんなことは私でなくても、誰もが考えることであって、私よりももっと頭のいい人間は、もっとスマートに、この手紙の嘘(くりかえすが、の手紙の存在自体が嘘というのではなく、内容が嘘である可能性も、真実である可能性と同じくらい高いということ)を指摘するだろう。
そうした人間の一人が、三谷幸喜であって、『真田丸』のなかで、九度山を抜け出し、大阪城に登城するときの信繁/幸村は、歯抜け、白髪の老人に変装するのである。なぜ変装するのか、明確な説明はなかったような気がするが、まあ変装して敵の目をあざむくためだろう。そしてこの変装こそ、三谷幸喜の脚本が、この手紙を意識している証左である。そう、三谷は、手紙が敵をあざむく嘘かもしれませんよと、この信繁/幸村の変装を通して、けっこう挑発的なかたちで、ほのめかしているのである。
もっとも三谷脚本のこのほのめかしを、全く理解していない番組をNHKは放送していた。昼間の番組だったと思うが、例の手紙を、発見した経緯、そして当時の状況を、歴史家へのインタヴューを通して浮かび上がらせていた。NHKの番組のコンセプトとしては、信繁/幸村の手紙から、本人が歯抜け・白髪の老人だとわかるのだが、あまたの時代小説や時代劇では、幸村は、そのような老人として描かれていない。史実と虚構のギャップがここにあるということ、それを指摘したかったのかもしれない(『真田丸』人気に水をさすような番組を他局ではなく、よりにもよってNHKがつくっているのだ!)。
しかしNHKである以上、当然、『真田丸』について触れることになる。しかも歯抜け・白髪の老人に変装して大阪城に登城する場面がすでに放映されている。
この場面の映像を、あらめて示す以上、その番組のしめくくるとして、NHKのアナウンサーがいうべきことは、「歯抜け・白髪の老人であると自分のことを語る幸村の手紙も、この『真田丸』の場面が暗示しているように、敵をあざむくための幸村の嘘・策略であったのかもしれません」ということにつきる。
それで問題ないように思うのだが、実際のアナウンサーのコメントは、歴史的事実と、ドラマとのちがいがどうのこうのと、うだうだと、歯切れの悪いものだった。バカかといってやりたい。あるいは、史実=真実、ドラマ=嘘という番組作りのコンセプトが、三谷の脚本で破綻させられたのだが、その後始末を、番組制作者から、押し付けられたアナウンサーに同情すべきかもしれない。とはいえ、実際の映像からみるかぎり、アナウンサーは、三谷は『真田丸』で、どうしてこういう変装の場面をつくったのでしょうかと、まったく不思議でならないとうい表情をしていたのだが。やはりバカだ。