2016年12月17日

『ローグ・ワン』

『ローグ・ワン』


映画そのものは、『エピソード4 新たなる希望』の直前で終わる(直前10分前のところで終わる)という、ある意味、離れ業であって、誰しも、もう一度エピソード4が見たくなる。


具体的に言えば、デス・スターに関する重要な情報が、反乱軍側の宇宙船に届く。手渡しというのがおかしい。全宇宙に送信したはずだったのだが。そしてその宇宙船にはレイア姫が載っている。この情報は「希望」だと彼女はいう。希望は死なない。そして戦域を離れる宇宙船を見送る、ダース・ベイダー卿。


このあと、ベイダー卿が乗艦する巨大スター・デストロイヤーが、レイア姫の乗艦する小型宇宙船を追う。エピソード4の冒頭となる。小型宇宙船にはストーム・トルーパーとベイダー卿が乗り込んでくる。レイア姫は、R2D2に情報を入力(ホログラムである!)、C3POR2D2は脱出ポットで宇宙船を離れる。エピソード4がこうしてはじまっていく。その直前が今回の『ローグ・ワン』である。


スターウォーズ・シリーズは、制作された時期によって、CGの技術に差がある。というかCGが、どんどん高度になってゆくので、初期の作品は、今の目からは貧弱にみえる。また作品世界のテクノロジーも、どんどん進化してゆくため、たとえばエピソード4よりも、エピソード1のほうが、文明度が高いというような逆転現象すら起こる。今回、スターウォーズの日本風にいうと外伝シリーズは(Anthologies Serieと称しているようだ)、組み込まれる時間軸の設定を極力変えないようにしている。反乱軍はエピソード4と同じように、どこかの倉庫のようなところで会議しているし、武器類も、いたずらにアップデイト化していない。なつかしいエピソード4の世界と違和感がないようにつくられている(ただしアニメの『反乱者』と同じ時代なので、映画シリーズにはなく、アニメ版にだけ使われている宇宙船などは、『ローグ・ワン』にも踏襲されている)。


あとスターがいないという不満をネットで述べている**がいたが、最近、よく映画でみるフェリシティ・ジョーンズ(30歳をすぎてから彼女は魅力的になったことは、誰もが認めるところかもしれない)、最近、映画ではあまりみていなくて、けっこう久しぶりのディエゴ・ルナ、そして言わずと知れた、マッツ・ミケルセンとフォレスト・ウィテッカーの二人。あとアジアから『イップマン』のドニー・イェンが出演。これだけでていて、よくスターがいないと言えたものだとあきれる。新シリーズの『フォースの覚醒』ではシリーズ共通の人物としてハリソン・フォードとキャリー・フィッシャーが出ているが(歳をとって)、それ以外は、新人の俳優たちである(またエピソード4の頃のハリソン・フォードとキャリー・フィッシャー、そしてマーク・ハミルだって、当時は誰も知らなかった新人俳優たちだった)。それにくらべれば『ローグ・ワン』は、スター俳優をそろえている――あとキャリー・フィッシャーの若い頃のCGとピーター・カッシング(故人)がCGで登場。なお『ファンタスティック・ビースト』のように、突然、大物俳優(ジョニー・デップ)が予告なく登場するようなことはない。。


あとスターウォーズの世界は、シェイクスピアの世界と似ているというのは、けっこう悪質なデマに近いもので、ゆるがせにできない面をもっている。まったく似ていないとか、冗談に近いとか、そういう意味ではない。シェイクスピア的世界観であるということで、このシリーズのもっと政治的な意味が隠してしまうことになるからだ。


特定の偏見を極力排除して、今回の『ローグ・ワン』をみてみよう。そうすれば、これは帝国に対して戦う反乱軍の話であり、帝国軍支配下の惑星における居住区のありようは、中東の街並みを彷彿とさせるし、反乱軍を支配している「フォース教」といい、これは、どうみて、この反乱軍こそ「イスラム国」にほかならない。


いや、なんという誤解かと反論されるかもしれない。ストーム・トゥルーパーズの恰好、あれはナチス・ドイツをイメージしたものであり、帝国軍はナチス、そして反乱軍は第二次世界大戦中のレジスタンスのイメージだと。


また、アメリカ的なコンテクストで考えると、あの白揃えしたストーム・トルーパーズと、義勇軍的反乱軍との戦いは、アメリカ独立戦争の際の、赤揃えした大英帝国軍(イングランド軍は赤い軍服で名高かった)と、アメリカ植民地現地人との戦いのイメージがあるのだろう。


あるいはダース・ベイダーの姿は日本の鎧兜を連想させるものだし、帝国軍は基本的に無国籍であり、そうであるがゆえに、特定の政治的思惑に左右されない普遍的な悪の体制の象徴となる。そこがわからないのかと、あきれらるかもしれない。


しかしナチスだの第三帝国だの、レジスタンスあるいは反政府ゲリラのイメージが時代とともに遠のくにつれ、そして帝国あるいは帝国主義のイメージが、米国、ロシア、中国の帝国主義・覇権主義として明確になるにつれ、スターウォーズの反乱軍は、ますます、イスラム国に近くなっていくといわざるをえない。


もちろん、それは製作者も、ファンも、予期せぬばかりか望まぬことかもしれないとしても、同時にまた、反乱軍のイスラム国表象化は、ある意味で、アメリカそのものも帝国として相対化し、世界のあらゆる帝国主義(とりわけアメリカ、ロシア、中国、そしてそれに加担する国々、たとえば日本の)に対する自由の戦いの象徴に、このスターウォーズ・シリーズが生成変化したことの証左ともいえるからである。


繰り返すが、もしイスラム国の戦闘員たちが、スター・ウォーズあるいは『ローグ・ワン』に登場する反乱者たちは、自分たちのことだ、「フォース」とはムハンマドあるいはイスラム教のことだ、帝国とはロシアとかアメリカのことだと主張したとき、どのような根拠をもって、それを否定できるのか。イスラム国は自由を求める反乱者たちの集団ではなく、民衆を暴力的に抑圧するストーム・トゥルーパーみたいなものではないか?と批判しても、意味があるのだろうか。そもそも、アメリカ軍は現地人や民衆を抑圧しない、自由戦士の軍隊だと思っている者など、いないのだから。


ただ、いすれにしろ、アメリカにしろ、ロシアにしろ、中国にしろ、大国の帝国主義はいつか必ず崩壊する。帝国の支配は、決して続くことはない。たとえどれほど時間はかかっても、自由は獲得されるだろう。We have hope. Rebellions are built on hope!



posted by ohashi at 10:44| 映画 | 更新情報をチェックする