映画館を調べてみたら、日比谷の「スカラ座・みゆき座」で上映中。みゆき座のほうかと思ったら、こちらは『ジャック・リーチャー』を。え、トム・クルーズ主演の派手なアクション映画だから、大画面のスカラ座かと思ったら、『ガールズ・オン・ザ・トレイン』のほうがスカラ座だった。日本で一番大きな映画館かもしれないスカラ座(なにしろ、東京宝塚劇場の地下の映画館なので、広さは、地階から上の、宝塚劇場と同じ)で、みたら、どんな感じかと、そちらのほうに興味があったので、とにかくスカラ座で鑑賞。
とはいえ最前列にでも座れば、大画面に圧倒されるかもしれないが、映画館の中ほどの座席でみる限り、他の、もっと小さな映画館でみるのとくらべても、大差ない。映画館やスクリーンの大きさとは、画面の印象とは関係がないことをあらためて知った次第。
まあ、どうでもいい話だが、映画そのものは、予想外に面白くて、最後まであきることがなかった。最初、エミリー・ブラントが通勤電車の車窓からみえる郊外の住宅街の住人たちについて、あれこれ空想している。それがたんなる空想なのか、現実なのか、わからないうちに、彼女が車窓からみている通りすがりの住宅街の住人たち(とりわけいつもみかける特定の夫婦たち)は、みんな彼女が、顔を知っている住人たちで、たんに車窓からみかけた人たちの人生を勝手に空想にしているのではないことがわかる。
また電車から、不倫の現場を目撃したと動揺する彼女だが、彼女の言動自体が、信頼のおけないもので、彼女自身、アルコール依存症のストーカーではあることがわかってくる。そもそも通勤電車に乗っていても、会社からはとっくに解雇されていて、無職状態。だんだん、話がこんがらがってくる。
しかもアルコール依存症である彼女は、肝心なところの記憶が抜け落ちている。『手紙は憶えている』(このタイトルはなんとかならないか)の場合、老人とアルツハイマー病と記憶喪失が、真実をさまたげていた。『ガール』の場合は、アルコール依存症と記憶喪失が真相をわからなくしていた。前者が、加害者が被害者と思い込んでいるとすれば、後者は、被害者が自分を加害者だ(もしくは、その可能性がある)と思い込んでいる。その違いはあれ、記憶が回復するときに真相がみえる(なおこれがネタバレではない。主人公が自分が犯人ではと思い、不安になるが、そうではないだろうという予感は、誰もが抱くのだから)。
たえずつづく不穏な雰囲気。さほど複雑な事件ではないと予想されるのだが、主人公のj記憶喪失ゆえに、肝心なところが空白で、その空白が、先をみえなくさせている。しかも主人公の記憶も戻る可能性も少なく、さらに陰惨な事件が起こるような不吉な予感も漂う。
真相は見てのお楽しみだが、三人の女たちが、どこかで深い絆でむすばれていたこと。そして男たちが、誰もが、横暴で暴力的で女を見下していることがわかる。彼女たちが男に頼ることなく生きる、行動するときに、救いが訪れる、あるいは彼女たちの連帯がみえてくるというのは、ある意味、みていて爽快である。その意味で、加害者は男たち一般である。彼らは、女たちに、女たち自身が加害者であると思い込ませる悪辣な詐欺師でもあった。
エミリー・ブラントは、まあ、おなじみだが、トム・クルーズと共演した『オール・ユー・ニード・イズ・キル』でみせたかっこいい強い女は、次の『ボーダーライン』で、継承されつつ消えてしまったのは残念だが、今回のような役柄は、よく似合っている。レベッカ・ファーガソンの共演で話題になっているのだが、彼女が、トム・クルーズと共演した『ミッション・インポッシブル』は、見ていたのに気づかなかった。まあ彼女はテレビ・ドラマ(ミニシリーズ)The White Queenでエリザベス・ウッドヴィル(エドワード四世妃。シェイクスピアの『ヘンリー六世第三部』と『リチャード三世』に登場する)を演じているので、今度、じっくりみてみようと思う。
追記:
映画をみたらワインが飲みたくなったので、帰宅してボトルをワインオープナーで開けた。映画も観た人にはなんのことだかわかるはず。ちょっと悪趣味かもしれないが。