入試問題の作成者とか採点者は、絶対に内密すべきものなので、たとえ、なんとなく、わかる場合でも、絶対にみずから作成者であることはばらしてはいけない。なんとなくわかるといのは、たとえばある大学で入試問題の外国語で、ペルシア語を出題しているとしよう(実際に、そういう大学はないのだが、あくまでもたとえばの話である)。ペルシア語の教員がその大学では一人しかいなかったとすれば、その教員が問題を作っているのだろうと察しはつく。しかし、だからといって、その教員が、自分が作っているとみずから語ることは許されない(現実問題としては専任教員がつくるかどうかわからないことがある)。
また、これも許されないことは、自分は作っていない、採点もしないと、語ることである。作っているといってはいけないのだが、作っていないのならいいのではないかと思われるかもしれないが、逆に、作っていないことで、誰がつくっているのか、推測されてしまう場合がある。どこの大学でも、外注したりとか、センター試験だけですますというのではないかぎりは、英語の問題は、英文科とか大学直属の英語教育センターのようなところでつくっているのだろうということはわかる。そんなとき英文科の教員が、私はつくっていないとか、今年は作っていないなどと言ってはいけない。まあ、英文科の教員が100名いたら、残り99名で入試問題を作っているとは思えないので、そのくらいのことなら害があるとは思えないのだが、しかし、どういう結果になるのかわからないので、黙っていることにこしたことはない。仮に英文科で作っているのだろうとわかっても、誰がつくっているのか、全員でつくったりしているのか、応援を頼んだりしているのかなどは、わからないまままに、まあ、ブラックボックス状態にしておく。これが常識だろう。
ときには、そうした常識が無視される場合もあって、比較的最近でも、ある大きな会議で、誰が問題をつくっているのか、わかってしまうようなことがあった。これまで(まあ、これからもないことを祈るが)、誰も、そのようなことをしなかったにもかかわらず。
直接的ではなかったので、意識せずに発表してしまった当人(こいつは、ほんとうにバカだと思うのだが)は、自分がばらしてしまっているという軽率さ、不祥事と言ってもいいものに、全く気付かなかったようだ。この無神経ぶりには、あきれかえったが、しかし、それはやってはいけないなことだと、その場で指摘しようものなら、気づいていない会議メンバーもいるはずだから、そのメンバーにもわかってしまうし、事がまさに大ごとになりかねないので黙ってい。ほんとうに心の中で、こいつはなんという無神経なバカなのだ、呪っていた。ついうっかりではすまされないことである。もちろん、実害は出ていないだろう。というか実害が出る可能性はゼロに近い。またその会議のメンバーが外部に情報を漏らすことはまずないだろう。しかも、その場では問題にならなかったのだから。しかし、情報へのこうした無神経な扱いは、思わぬ大きな結果を生むかもしれない。そして情報とは、漏洩した本人が気づかぬうちに漏洩していくものなのだろう。