2015年12月03日

情報漏洩2

集合住宅に住んでいると、善意の馬鹿による企画で、迷惑をすることが多い。情報漏洩について何も考えていない催し物がけっこう多いのである。

いま集合住宅では住民の高齢化が進んでいる。また住民間の交流も少ないことから、安全面での不安もある。そこで、交流しましょうということで、グループごとに集まる日を決めて、互いにどういう知り合い触れ合う場をもつという試みがすすんでいる。管理組合か、自治会か、それとも有志連合なのか、それは忘れたが、私のところにも案内が来た。集まる期日が書いてある。もちろん躊躇なく破り捨てた。

交流したい人たちは交流すればいい。そうした機会を設けようとする善意に反対するつもりはない。ただ、そうした交流の会が、住居の安全性や相互協力の可能性を高めるどころか、むしろ危険なものになりうることについては警鐘を鳴らしたい。私のほうから、説明する、あるいは説得することをすべきかもしれないのだが、その場合、私の住居が危険にさらされかねないので、沈黙するだけである。これが唯一の安全策なので。

どういうことかというと、もし交流して、家族構成とか職業などがわかったとしょう。もしある家庭が、普段昼間は留守をして誰もいないとか、寝たきり老人しなかいないとか、仕事の関係で夜はいないとか、そうした個人情報がわかってしまうと、それが外部に漏れたりはしないという保証はどこにもないのである。

住民たちが、あそこは一人暮らしだとか、老人しかいないとか、ほとんど暮らしていないとか、確認しあい、その情報を外部の人間に意識的に漏らすとは思わないし、泥棒と結託している住民がいるとも思わない。しかし、そうした住民がいなくとも、ちょっとした世間話で、あそこは老人が一人暮らしだというようなことを話して、それを部外者が漏れ聞いて、泥棒が情報を得るというようなことは、可能性としてないとは言えない。まるっきり悪意も犯罪意図もなくても、そうした情報が洩れる可能性がある。住人たちが、たがいの家庭の事情を知るようになれば。

で、こんなことがなぜわからないのか。なぜ仲睦まじき共同体幻想にしがみついているのだろうか。そこが不思議である。またこうした善意に協力しない人間には限りない悪意が向けられることもあるとしても、それでも交流会にはいっさい参加しない。理由もいわない。言えば、逆に、事情を知られるようになり、情報がもれるからである。泥棒は、内情がよくわからない家には入らない。情報が分かっている家には何度でも泥棒に入る。そのためにも、私の居室をブラックボックスにしておくことにこしたことはないと思っている。

実際、こうした交流によって情報が洩れ、空き巣に入られても、誰も、責任はとらないだろうから。
posted by ohashi at 06:31| コメント | 更新情報をチェックする