2014年11月14日

『皆既食』

Total Eclipse
Christopher Humpton 小田島恒志 翻訳 蜷川幸雄演出

渋谷のBunkamuraシアター・コクーンに『皆既食』を観に行った。夕方、映画を見た後に行ったのだが(シアターコクーンの上のル・シネマに『マダム・マロリー』を観に行った。、映画観から劇場までの移動が、エレベーターひとつだけというのも、変に感激した)。ずいぶん人がいて、もう満席だった。

芝居そのものは、アニエスカ・ホランド監督の『太陽と月に背いて』の原作の戯曲で、ランボーとヴェルレーヌを扱ったもので、映画を見ていなくても(私はDVDで何度も見たが)、歴史的事実であるので、内容は想像がつくので、ランボーとヴェルレーヌ役の岡田将生と生瀬勝久の演技が興味の焦点となるが、この二人の演技が素晴らしくて、ほんとうに驚き感動した。蜷川演出のなかでも代表作のひとつになることを確信した。

10月頃までオルセー美術館展を新美術館で開催していて、特に予備知識もなく、マネの笛吹きと、カイユボットの、上半身裸の男たちが床を削っている作品(ブリジストン美術館のカイユボット展では来ていなかったので)がお目当てで行ったのだが、気づくとラトゥールの群像画の前にいる自分を発見した。左端にヴェルレーヌとランボーが描かれている絵。写真などでは見たことがあるが、まさか、本物がそこにあるとは、と、ひどく感激したのだが、今回の公演でも、ランボーとヴェルレーヌの外見は、この群像画の二人に似せてあることがわかる。また、その群像画で描かれているレストランは映画でも今回の舞台でも再現されている。

ランボーが詩の朗読会で暴れる(上記の場所)場面を除けば、基本的に二人の劇であって、こんな大きな劇場は、基本的にそぐわないのだが、それでも二人だけのやりとりで、これほどの多くの観客を集中させる二人の演技の化学変化は素晴らしいと思った。岡田将生は、これが初めての舞台ということだが、それが信じられないくらい、見事な演技だし、またその姿かたちが舞台ではよく映える。こんなに見るものをはっとさせる美少年あるいは美青年を演ずることができる俳優は、そんなにいないだろう。またテレビや映画では繊細な演技ができると評判なのだが、それは要は悪役とか変人役が多いということなのだが、今回のランボーは、繊細さ、微妙さを十分に引き出すことのできる、希有なマッチングではなかったかと思っている。

生瀬勝久は、予想通り、見事な演技だったし、ある意味では、主役はヴェルレーヌであって、ランボーは引き立て役にすぎないところもあるのだが、感情の起伏の大きな、そしてどうしようもないダメ男ぶりを見事に演じきった。そして二人の化学変化というのは、生瀬がいなければ岡田の演技も生えなかっただろうと思うし、岡田がいなければ、生瀬も輝かなかっただろうと思われるからだ。そしてその化学反応は、史実についても言えることであり、また劇のタイトルもそれを伝えている。

アーティストをめぐる同性愛演劇とか映画の場合、たとえば画家のフランシス・ベーコンとその愛人を扱った映画『愛は悪魔』とか、レオ・セドゥーの『アデル』などでは、アーティストが年上であり、年下の愛人がいて、最後に破局して、年下のほうが捨てられるというパタンをとる。けっこう、このパタンは、多くの事例について言える。ところが『皆既食』の場合、史実にもとづくものだから、年上と年下の関係で、年上が最終的に優位になるということはなく、またアーティストと非アーティストの関係も、どちらもアーティストであって成立しない。その分、実は、予測もつかないような、緊張にみちた、やりとり、肉体と魂の交流と化学変化――まあ、毎回、喧嘩して別れては、またくっつくというパタンだが――が展開するので、わかっている話ではあるが、緊張感が最後まで持続する。

すでに満席なので、宣伝するまでもないのだが、自信をもって推薦できる舞台となっている。

posted by ohashi at 09:26| 演劇 | 更新情報をチェックする