2014年08月18日

バンド・オヴ・ブラザーズ1

テレンス・ホークスの論文「バンド・オヴ・ブラザーズ」の翻訳を数回にわけて連載する。書誌情報は連載最後の回に明示する。翻訳はすでに完成(ブラッシュアップはしていない)しているので、8月末までには、連載が終わる。


バンド・オヴ・ブラザーズ

テレンス・ホークス


Water

彼の名前はジョージ・チャイルズ1。アメリカ人で、出身はペンシルヴェニア州フィラデルフア。彼は富豪だった。立志伝中の億万長者で、新聞社主、そして(これが撞着語法にならなければの話だが)慈善家であった。ヴィクトリア女王即位五〇周年にあたる1887年の10月17日、彼は、イングランドのストラットフォード・アポン・エイヴォンにおいて奇妙な式典を挙行することになった。それはチャイルズ氏が町に寄贈した設備の開幕式だったのだが、その設備とは大きな装飾的な飲用噴水塔であった。彼自身がみずから信じようとしていたのは、純粋な水をストラットフォードの住民たちに、彼らの馬や羊や家畜に供給することが、「人間と家畜たちへの有益な贈り物」となるだけでなく、飲用水塔そのものが、彼らと同郷の市民ウィリアム・シェイクスピアの天才に捧げられるにふさわしい記念碑」としても役立つということであった(Davis 1890:5)。

飲用噴水塔はいまもそこ、ウッド・ストリートとロザー・マーケット・プレイスとが出会う地点にある。ヴィクトリア朝ゴシック様式の印象的な建造物で、ほぼ十八フィート(五・五メートル)の高さがあり、そのなんともいえぬ奇妙なところは、それが誇示しているシェイクスピア作品からの二つの引用文によって、さらに強調される。ひとつは『アテネのタイモン』からのアペマンタスの台詞‘Honest water, which ne’er left man i’n the mire’「人間を泥沼のなかに放置しない誠実な水よ」。いまひとつは『ヘンリー八世』からクランマー大司教の台詞で、来るべきエリザベス女王の治世にシェイクスピアの同国人たちにもたらされる至福にみちた生活様式を、神聖な霊感のもとに予見するものだった――


In her days every man shall eat in safety
Under his own vine what he plants, and sing
The merry songs of peace to all his neighbours.
God shall be truly known, and those about her
From her shall read the perfect ways of honour,
And by those claim their greatness, not by blood.(5.4..33-38)
〔彼女の時代に万人が安全に食することになろう/彼女自身の庇護のもと、手ずから植えたものを、そして歌うだろう/隣人達すべてに対して平和の心楽しい歌を。/神は嘘偽りなく知らしめられ、彼女のまわりに集う人びとは/彼女の姿から、完璧な栄誉ある行動を読み取り/そして血ではなく、そうした行為によって、その偉大さを高らかに告げることになろう。〕

もちろん引用文のもとの文脈においては、『タイモン』からの台詞は、健康をもたら水の特性を祝福するものというよりも、タイモンの大盤振る舞いの宴会の愚かさに対するアペマンタスの非難の台詞の一部なのである。悪いことに、困惑する人もいようが、現代の学術研究は、この台詞の正当性に疑問をつきつけた。これは、ほぼまちがいなく、シェイクスピアではなく、ミドルトンの手になるものである2。そして『ヘンリー八世』からの台詞は、水についてはなにも言及していない。


Blood
実際のところ、『ヘンリー八世』の引用文は、まったく別の液体について言及しているのである。しかし、ここに謎めいたものはない。飲用噴水塔の水流は、つねに、水よりも豊かでもっと複雑な問題とからみあうことを運命付けられていたことは、すぐにも明確になったはずなのだ。大西洋の向こうの慈善家からストラットフォードの住民に提供されたということで、明確にあるひとつの意味が生まれたのである。水飲み場は、また血に関わるものでもあることが。

オープニング・セレモニーを飾った演説はどれも、この点を包み隠さず述べている。何度も、演説では中心となる呪縛的な考え方が強調されている。すなわち合衆国と連合王国との二つの文化は、真正の血兄弟関係〔blood brotherhood〕の実例となるという考え方だ。ふたつの文化の集団の血管には同じ血球が流れている。こうしたことは、人種、生活様式、全般的外見の統合を保証し強化するのであり、この統合から最終的に共通の遺産が生まれることになる3。セレモニーで読み上げられた手紙のなかでアメリカの作家ジェイムズ・ラッセル・ローウェルは飲用噴水塔のことを「二つの偉大な国民の親密な血ならびに同じ高貴な言語の共同継承」のシンボルであると述べているし、また別の異なる記録者が宣言しているように、この寄贈物は「英国人と米国人との兄弟の鎖に対して――たとえ小さなものでも――新たな鎖の輪」を加えたのである(Davis 1890:iv and 36)。なんといってもチャイルズ氏は、兄弟愛の都市〔フィラデルフィアのこと〕の卓越した市民であり、このような血の絆の明確な提起は――水が中心となる文脈においては――明確な含意をともなうものだった。すなわち前者〔血〕は後者〔水〕よりも濃いという含意が。

おあつらえむきというべきか、オープニング・セレモニーは、著名なシェイクスピア俳優サー・ヘンリー・アーヴィングによって挙行された。「親族」と「共通遺産」とを熱をこめて高らかに宣言する鳴り物の入りの演説のなかで、飲用水塔は、合衆国と連合王国の根源的な人種統合を象徴することが力説され、「二つの偉大な国民が、彼らの共通の民族性のなかでもっとも著名な人物に、共通の敬意の念を捧げることを、かくも貴重なかたちで代弁する寄贈物を思い至った喜ばしい霊験なるもの……」をうれしく思うと演説者は語るのである。出自が同じで「共通の種族」という事実が意味するものはと、彼は付け加える、ほかならぬストラットフォードで、アメリカ市民は「外国人であるいことをやめる」ということである、と(Davis 1890:44-48 passim)。

サー・ヘンリーはつぎにしかるべく水に注意を向ける。水をすくい、水が「清らかで、飲用に適し、良質である」と宣言し、これにスニッターフィールド・ブラス・バンドが「ゴッド・セイヴ・ザ・クィーン」を演奏し、つづいて「ヘイル・コロンビア」が演奏される。つぎに米国大使が乾杯の音頭をとるが、そのなかで大使は「共通するものが多い血族」に言及し、「直情的なサクソン種族」とストラットフォードそのものが、ともに、一アメリカ人からの寄贈物の受け取り手となることは、なんとふさわしいことかと強調する(Davis 1890:54-57)。つづいて『タイムズ』紙の社主が演壇に立ち、「もっとも教養あるアメリカ人」の心にストラットフォードがアピールしたことを語り、ストラットフォードが彼らアメリカ人に対し「彼らが我々自身と同じ血族であり同じ種族であるとの思いを強くさせる」そんな能力があることを保証する(Davis 1860: 63)4。国内紙と国際紙が見解を同じくする。翌日の『ロンドン・スタンダード』の社説は直接イングランドを合衆国の「母国(ペアレント・カントリー)」であると言及し、『デイリー・テレグラフ』の論説欄には「われわれは、ストラットフォード・アポン・エイヴォンのことを、ブリテン人のイングランドとアメリカ人のイングランドの共同資本と呼んでもむべなるかな」と宣言する記事を掲載する。『ニューヨーク・ヘラルド』紙に最後に託されたのは、今から先「ウィリアム・シェイクスピアとジョージ・ウィリアム・チャイルズの名前は不可分に統合されるだろ」という予言とともに、期待をうわまわる希望の最終的勝利を告げることだった(Davis 1890:82、101-2、125)。

要するに、飲用噴水塔の本質とは、合衆国とグレートブリテンとが歴史的にも発生的にも文化的にも種族的にも永遠に絆で結ばれたことを宣言し補強することにあった。至高の逆説というべきか、その水流が、われわれは血を分けた兄弟であることを宣言するのである。そしてセレモニーの血にまつわる次元を強調するかのように、列席したお歴々のなかでひときわ際立つかたちで、サー・ヘンリー・アーヴィングに長年使えていた秘書がいた。ブラム・ストーカーである。

つづく
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posted by ohashi at 15:14| 翻訳 | 更新情報をチェックする