2013年10月13日

書物紹介はじめます

書物紹介、いよいよはじめる

映画の話が多いので、最初に約束していたとおり書評というか、すぐれた本の紹介をしたい。上から目線は避けたいが、学生諸君、専門家に推薦する図書というのが最初の大前提である。

またこれも最初に宣言したように(2013年5月26月)、批判されるべき本は、ここでは紹介しない。もちろん、それによってこのブログの価値は下がらないかもしれないが、魅力は大幅に減少するだろう。なにしろ、特定の本の悪口を読んでいるほうが、褒め言葉を読んでいるよりも、ずっと面白いからだ。また逆に特定の本が褒められていると、貴重な情報としてありがたがられることもあるが、同時に、たとえ興味のない分野の本でも、読まねばならないという強迫観念に駆られる。威圧的である。そのぶん悪口の対象となっている本は、読まなくてもいい。まあ、以前の私のように、否定的な評価の映画や本があると、むしろその判断をくつがえす可能性を夢見て、積極的に見たり読んだりするような天邪鬼な人間にとっては、褒め言葉も悪口も大差ないかもしれないが、さすがに私のように、人生に残された時間も限られてくると、わざわざけなされている映画や本を受容したくはないということになる。

しかしけなされているものの、悪口の対象となる本なり作品が、あとで評価が変わるということはよくある。私の学生者・研究者人生は、すべてではないにしても、その連続だった。ひょっとしたら人間関係もそうだったかもしれないが、それは判断できないが。ともかくサリンジャーからシェイクスピア、はては最近のZoologyに至るまで、最初は大嫌いだったものが、いまでは好きになっている。専門的研究対象にもなっている。だから悪口や非難が称讃に変化する可能性は常にある。そしてそうなると悪口を書いた自分が嫌になる。責任問題も出てこよう。実際には、ひどい本にいくつもお目にかかっているのだから、それについて書いてやりたいと思うのだが、この場では、決して書くことはない。

それでは逆は。以前、あんなに好きだったのに、熱が醒めると、嫌いになるケースというのもあることには、ある。過去に何かが好きであればあるほど、何かに熱中すればするほど、熱が醒めた時の幻滅から、その何かに対する嫌悪感は並大抵のものでしかない。そんな台詞がシェイクスピアの『夏の夜の夢』だったかに、あったような気がした(別のシェイクスピア作品だったかもしれないが)。これは言いえて妙だろう(ちなみに、この台詞の説明の時に、私がなんとかの一つ覚えで例にあげるのは、ある先輩のことである。学生の頃、寿司が大好きで、ほとんど毎日、寿司を食べ続けていたその先輩は、ある日突然、寿司を食べたくなくなった、そればかりか、その日を境に、寿司を見るのも嫌になって、以後、寿司が全く食べられなくなったという――実際こういうことはよくあるのである)。

とはいえ私個人の経験からいえば、以前熱中して読んだ本、感動した本を、あとになって読み返してみると、嫌悪感しかもよおさないということは、ない。確かに後年、読み返してみると、読み方がかわって、以前と同じ感動はないことが多い。しかしそれでも、別の良さとか、面白さを発見するのであって、かつてのような激しい感動はないとしても、評価が低くなることはない。ましてや嫌悪感などない。――もちろん、それは私が心の底から感動したり全身全霊で熱中していないからだと、言われるかもしれないが、たとえそうであったとしても、私は過去に愛しすぎたものを、今になって嫌悪することそのものに対して嫌悪感を覚えるのであって、見方をかえれば、それは最初から無理して熱中していたのではないといいうことにもなる。寿司が好きなら、死ぬまで好きでもかまわないではないか。サルトルをこれほどまでに嫌悪する日本人を私は恐怖する。

ということで明日から不定期ではあるが、優れた本――ただし、私の目に付いた範囲、また私の専門の範囲でとういことだが――を、不定期で断続的だが、積極的に紹介したいと思う。
posted by ohashi at 19:59| 推薦図書 | 更新情報をチェックする