2013年07月20日

私がクィア学会を辞めたわけ 2

*2013年7月18日 私がクィア学会を辞めたわけ1 のつづき、

どのような学会でも運営の仕方はだいたい同じだと思うが、日本の制度を参考にすると、国会にあたるのが、会員によって選ばれた評議員会、そして内閣にあたるのが理事会となる。理事は、評議員から選ばれてもいいし、評議員とは別に会員から選んでも、時には部外者から選んでもいい。会長にあたるのは理事長となる。もちろん、法人化しなければ、このような国会と内閣にしなくても、両者を一体化することも可能だし、時には国会をなくして会員全員が参加する総会にしてもいい。クィア学会は、国会(=評議員会)にあたるものをやめて、総会(全員)と、会員から選ばれた幹事会(内閣とか執行部にあたる)とで構成することにしたようだ。法人化していないので、これで充分だということだろうし、また制度的に問題ないかは、相談の上で、決めたことなのだろう。まあ、さまざまなかたちの組合と呼ばれる組織(団地の管理組合でもいい)は、こうした形態をとっていると思う。

クィア学会の場合、会員から選ばれて幹事によって構成される幹事会が、学会の活動を計画し決定・執行機関であり、総会のほうは、幹事会に委託したり、その活動を承認することになる。まあ年1回の全国大会(名称については正確ではないかもしれない)での総会によって、一年間の活動を報告とか予算執行を承認し、幹事会が決定した予算案とか活動計画を承認することになる。

こうした総会を行なう場合、通常は、どれも問題なく承認されて、あっというまに終わる。そもそも総会に出ない会員のほうが多い。これは総会が形骸化しているのではなく、問題がないからであり、またほとんどが会員から委任状をとって開催される。

会員数が少なかったりしたら、この総会形式が有効であろう。問題は、クィア学会では、総会における議決・承認は、総会の総意によるとしたことである。いまは規則がどうなっているのかわからないのだが、私がいた頃は、総会つまり全会員の総意に基づくとあり、この総意というのは全会一致だと解されていた。

この全会一致というのがネックとなって、総会が機能しなくなった。執行部つまり幹事会の対応も悪かったと思う。たとえば全会一致つまり全員が賛成ではないと否決となれば、たとえば誰かが委任状で反対意見を表明したら、それで議事によっては自動的に消滅することになり、時には総会を開く意味もなくなるだろう。一年の学会活動が、ひとりの会員の1通の委任状による反対表明によって否決されたら、一年間、非合法の活動を続けたことになるか、活動しなかったも同然となる。幸い、委任状制度は採用せず、議決は参加者のみによって行われるということになった。確かに、委任状では無責任に反対する馬鹿も出てくるだろうが、参加して、その場で反対する馬鹿はいないと考えたのだろう。そう、この全員の賛成によるというやり方の問題点は、反対しにくいし、反対意見が言いにくくなることだろう。私は、批判することに意義があると思うので(I am nothing if not critical.)反対意見を言いたい方だが、さすがに私が一人だけが反対するだけで、否決されるとなると怖くて言えない、そもそもそうした制度なら、よほどのことがない限り反対意見は言えないというのが良識ある人間が想定することだろう。

クィア学会の設立者たちは、性善説に頼りすぎて、現実の実現可能性を完璧に把握できなかったのだ。そう、反対者が出てきて、総会が機能しなくなった。たとえ、総会屋めいた人物が出てきて、総会をかき回しても、全会一致の法則がなければ、そんな総会屋など無視できる。しかし全会一致の法則によって、たったひとりの人間が、総会を崩すことができるようになった。この総会屋にとっては、こんな面白いことはないだろう。反対意見を言えば、それで議事が否決されるのだから。

私が幹事を引き継いだときには、この全会一致の法則のために、反対意見を無視できなくなり、それまでの幹事たちは頭をかかえていた。しかも、この全会一致を、直接民主主義の実現であるとまでいう、頭のおかしい関係者もいたらしく、私はそれを聞いて、かなり引いた、怒りさえ覚えた。

総会によって決めるというのは直接民主制だが、そんなことは、あたりまえ体操である。全会一致で決めるというのは直接民主制でもなんでもない。直接民主制でも多数決原理は働く。今回の件で、私が学んだのは、多数決というのは、少数意見を抑圧するのではなく、少数意見を自由に言わせる制度だということだ。全会一致というのは麗しい制度なのかもしれない。しかし、それは全会一致の美名のもとに、反対意見を抑圧することにもつながる。つまり全会一致という美名は、ファシズムの別名ということになる。

まあ、そんなこともわからずに、全会一致を民主主義の極致だと褒める馬鹿関係者と、それに反論できない元幹事。私は正式に幹事になる前から、すでに幹事会には見切りをつけていた。

しかし希望を最初から捨てていたわけではない。クィア学会の創設の父や母たちは、民主的運営という崇高な理念を持っていたはずである。その証拠に代表幹事(いわゆる会長とか理事長)を2名置くことによって、代表(会長とか理事長)の暴走を防ぐことになった。と同時に、学会登録の場合、文科省とか学術振興会には、代表者は1名しか記載できず、2名連記は意味がないこと。また正副代表を決めた方が、代表二人よりもスムーズに運営ができること、こうしたことを、創設の父や母たちは、立派な理念をもちながらも、まったく理解できなかったようだ。バカども。だが、この創設の父や母たちに、現在あるいは直前の幹事たちは、知恵を仰ぎ援助を求めることもできたのだが、それをしてない。まあ創設の父や母たちはバカだから知恵もなく助けにならないことも事実である。また彼らは総会屋の出現に恐れをなして、学会の運営から身を引こうとしていた、というか身を引いていた。したがって直前の幹事会を責めることはできないのも事実なのだが……。

一人の総会屋の出現にクィア学会は、恐慌をきたして、機能しなくなった。それは本当で、大会を開催し、学会誌を発行しているのだが、実は、それはすべて暫定的な活動であって、総会の承認を得ていない。一人の総会屋が反対しているため、全会一致で承認されないからである。

たとえば学会でシンポジウムを開催するとする。ふつうそれは理事会などが企画し(会員から企画を募集することもある)、開催する。それは学会が主催するシンポジウムである。しかしクィア学会の場合、学会主催のシンポジウムにあたるのは幹事会主催のシンポジウムである。つまり学会主催ではないのだ。最初、これはどういう意味かわからなかった。たとえば何らかの学会が、外部団体とか外部の集団にシンポジウムの企画を委ね、その特定の集団による主催とすることはあるだろう。その場合でも、<X集団+学会>の共同主催というようなかたちになるはずである。ところがクィア学会の場合、学会主催とはならずに幹事会主催となる。それはいったい何のことのなのか。

ここまで読まれた方なら、たぶんあきれてものが言えないと思う。私も、あきれはてた。幹事会のメンバーも困りはてていた。しかし、総会屋と戦う方法はあったはずである。それは無視することである(この無視戦略が合法的であることについては、このあとすぐに述べる)。しかし、幹事会のメンバーは無視しなかった。それどこから、全国大会が近付いてくると、この総会屋がまた暴れ始めたとき幹事会のメンバーは、誰も無視しようとはしなかった。彼らは、長い会議が好きなことからもわかるように、トラブルは好きなのである。しかも、負けるとわかっていながら、相手になる。むしろ勝つのが嫌で、負けるのを望んでいて、悔しい思いをしながら、それを楽しんでいるようにもみえた。トラブルを解決する意思はなくトラブルを長引かせるのを楽しんでいるかのような。結局、幹事会は、くずの総会屋と、ぐるになっているとしか思えなかった。幹事会のメンバーは、この点を否定したければすればいい。だが、結果は消すことはできないぞ。

解決策はある。ひとつは総会の規則を変えることである。メンバーの過半数とか三分の二の承認・賛成があれば議決するとすればいいのである。そうすれば、これまで遠慮して反対意見を言えなかったメンバーも自由に意思表示できるし、その意見は今後の運営に役立てることはできるだろう。全会一致の別名は直接民主制ではなくてファシズムである。だから全会一致をやめること。ただし、そのためには総会の承認を得る必要がある。となると、一人でも反対すれば否決されるという制度は、くずの総会屋にとっては、こんなに面白い制度はないのだから、総会屋は、この制度の変更には反対するだろう。反対すれば廃案となる。結局、全会一致原則は、永久に変えられないことになる。創設の父や母たちが、この点に気づいていなかったとすれば、彼らは、ほんとう愚かだと言ってやりたい。そのため残る手段としては、クィア学会を解散することである。解散して、新たな規則をつくって、再度、立ち上げるのである。もしクィア学会が解散し、再度立ち上げるのなら、私も、協力を要請されたなら、喜んで協力するつもりでいる。

もうひとつの解決法は、全会一致を貫き通すということである。つまりこれはファシズムであるが、良きファシズムとして機能させるのである。一人でも反対者がいれば、機能停止となるような制度はおかしいのだが、この制度においては反対者は前提とされていないのだ。つまり全会一致で決めるというのは、反対なら出ていけということである。これはもし日本全国民がメンバーならば、反対なら日本を去れというのは、とんでもない暴力的言明であって、許されるものではないが、クィア学会は、自由参加であって、会の運営が気に入らなければ、さっさと辞めればいいのである。嫌なら、反対ならば、反対意見を言うのではなく、辞める。また反対を表明した瞬間に、そのメンバーはメンバー資格を奪われることになる。そのため総会は全会一致となり、運営はスムーズに行く。またそのためにも幹事会は賢明な運営に心がけるべきであって会員の意向と思われるものを無視して暴走してはいけないし、会員も幹事会に全幅の信頼を寄せるということになる。とにかく総会屋に対して、嫌なら辞めろと、これまでの幹事会はなぜ言えなかったのか。この点でも、幹事会と総会屋はぐるになっているとしか思えない。私が辞めるつもりになったのは、当然である。そうした共謀を、私は絶対に許せないのである。

なおその後の経緯については、私はクィア学会については関心を失ったので、どうなったのかわからない。解散したのかもしれないし、総会屋もいなくなったのかもしれないが、すべて私の視界から消している。そのためここに書いたことが、クィア学会の現状とそぐわない部分もあるかもしれないが、私は会員でもないし、クィア学会に関心もないので、それについて私は責任を負うつもりはない。またもしいまもなお全会一致原則を貫いているのなら、それをどのように運営しているにせよ、民主的ではないので、一刻も早く変えることを提案しておく。
posted by ohashi at 23:49| コメント | 更新情報をチェックする