私はかつてクィア学会員として会費を払い、また幹事(10名いる)の一人に選挙で選ばれ、幹事の互選で代表幹事(2名いる)に選ばれた。ただし無責任のそしりを免れないのだが、辞めた(最終的に私が代表幹事に就任期間が公的かつ最終的に、何時から何時までかは、確認していないので、ここでは記さないが、短期間であったことは確かだ)。
ただし、これは内紛があったからではない。またここで内部事情を暴露することはないし、暴露されるような内部事情もない。
また私が問題だと思ったことは、他の幹事は共有していない。そのため私が辞めた理由は充分には理解されていないのではないかと思うし、私自身、そのことは明言しなかった。またこの点で彼らを責めるつもりはないし、彼らが責めを負うこともないので、まあ、ざっくばらんにここで書かせてもらう。
第一の要因は会議(幹事会)が長いということだった。引き継ぎの会議は名古屋で行なわれたのだが、その内容については語るべきではないし、また議事録は公開されていると思うのだが午後1時30分過ぎにはじまって、午後8時になっても終わっていない。場所を変えて、懇親会というか宴会になるところ、そこでも引継ぎが行なわれた。ただ結果として、まだまだわからないことが多かったが、だとするなら、最初の引き継ぎで,すべてを伝えることはできないのだから、ある程度の段取りを決めたら、その後、個別に引き継ぎ会を設ければいいのではという思いも強かった。つまり分担を決めたら、本日はここまでで、後日、それぞれのメンバーで話し合う、メールなどで情報を交換しあうということをすればいいのに、結局、長いだけで中途半端な会議となった。私もホテルにチェックインをしていなかったので、宴会は9時で切り上げて帰らせてもらった。
私の参加した次の会議は、東京だったが、これも午後1時30分くらいから始まって終わるのが午後7時くらいとなった。その後、懇親会というか宴会をしたのだが、この会議で私の印象は決定的となった。中途半端な会議でなく、予定した議題をすべてこなした。その意味で達成感があってもよかったのだが、そんなものはなかった。少ない擬態に対して会議が長すぎるからである。
会議が長いのはやむをえないこともある。たとえば議題というか審議事項が山積みになっている場合。審議事項が多ければ、長いのはやむをえない。もうひとつやむをえない場合は、なにか問題が生じて議論が紛糾した場合だろう。しかし、当日、議題が多かったわけではないし、また何か大問題が生じて紛糾したわけではない。また議長の議事進行に不手際があったわけではない。実はふりかえってみれば、なぜ午後1時30分から夜7時まで会議をしていたのか、理解できないのである。引き継ぎ会と同じで、気づくと、6時間以上も会議をしていた。なぜか。
なぜ会議が長くなったか理由はわからない。ただはっきりしていることは、会議が、たいした議題でもないのに6時間もかかったこと。そして、会議を短くしようとする努力がなされなかったことである。この時点で、私は、正直言って嫌悪感のようなものを抱いた。つまり彼らは会議が好きなのである。そして、こういうことは、とりわけクィアに関心をもち、またクィアな文化の構築と実践に従事する人たちの多い、クィア関係者に対して、このような評語は、タブーかもしれないが、あえて使えば彼らは私と人種が違うと思った。
私に人種が違うと思わせる人たちは、会議好きな人たちである。これは性別、経歴、分野、人種、民族を問わない。もちろん議題が多く問題が紛糾しているとか、ねじれ国会のようにどうしても議論の時間が長くなるというのならしかたがないが、また重要問題について議論を尽くすことの意義は充分に承知しているが、その一方で会議で無駄な時間を使わないよう努力しない人たちは、私にとって唾棄すべき人たちである。
6時間も会議?その間、短い本なら一冊くらいは読める。短い論文なら集中すれば完成できる。翻訳なら何ページ訳せるだろうか。そう考えると、彼らは、基本的に、研究者としての情熱がない。いや、それは言い過ぎだろうと批判されるのなら、彼らは会議で発言し続けることを楽しんでいて、会議が長ければ長いほどいいのだ。要するに会議が宴会なのである。宴会=会議。彼らにとって議題や審議事項が少ないのは、料理が少ない宴会のようなものである。その分、酒を大量に飲んで、延々とおしゃべりを続ける。気づくと6時間。これは変なたとえと思うかもしれないが、あとで振り返ってみると、これがぴったりな比喩だと思った。とにかく、こういう人たちとは、つきあえないとつくづく感じた。私とは生きる世界が違う。
私は宴会は嫌いではないが、その宴会を楽しむためには会議は早く切り上げるのがふつだろう。だから宴会=会議というのは、まちがっているのだ。まるで宴会で金を使わないために、ノンアルコールの会議で酔って延々と話し続けたい本気で考えているようにみえる。料理も酒も必要なく、無料で話し続けて、さっぱりするのなら、これほど安上がりなことはない。最初から無料なのである。
会議においては、無駄な時間の浪費を避けるべきである。そのために事前にできるかぎり簡略化し、議題を少なくする。メール会議でもなんやって、全員で審議する重要事項以外は出来るだけ簡略化するという努力がない。もうやっていけないと思った。
そして第二の要因は、総会での全員一致原則だった。つづく
*私がクィア学会を辞めたわけ 2 は、2013年7月20に掲載。
2013年07月18日
私がクィア学会を辞めたわけ 1
posted by ohashi at 23:47| コメント
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