ドラマ「Woman」やばい。ドラマ「それでも、生きてゆく」(フジテレビ)は坂元裕二脚本、満島ひかり主演のドラマだったが今回の「Woman」(日テレ)も期待通りの出来で、満島ひかりをはじめとする俳優陣の演技の圧倒的迫力と、脚本のハンパないガチ度で、超ヤバイぞ。毎週見入ってしまう。「それでも、生きてゆく」のときの興奮が再来した。
今回も人間関係(家族メンバーの生き方)の裏の裏の裏が次々と暴露される展開が息をのむのだが、両親、どちらかの肩をもつことは、ふうつうにあることで、もしそれを追求してゆくと、深刻な対立となる可能性がある。
私の両親はともにもう他界しているが、私の妹は、父親が好きで、父の肩をもつ。母の父にたいする扱いが冷淡だったり、ときにとげとげしくなったりしたことを、たぶん今も批判してやまないだろう。もし私が母のことを褒めようものなら、どこがそんなによかったのか、父にたいして、自分にたいしても、あんなひどい女はいなかったとまくしたてるかもしれない。実際に、そのようなことはこれまで一度もないのだが、時と場合によりば、そうなるかもしれないと仮定はできる。
そして、そうなったら、そうなったで、私も妹に対していいぶんがある。父の肩をもっているようだが、そんな父が母に対して、どういうことをしたか知っているか、あなたの好きな父、あいつはほんとうに人間の屑だ熱くなるかもしれない。
これは、あくまでも仮定の話であって、こんな対立がこれまで起こったことはないし、これからも起こる可能性はないだろう。ただ、仮定は言い合いの部分にだけ妥当するだけで、それ以外の部分は、仮定でもなんでもない。事実でもある。私は父を、妹は母を、それぞれ人間の屑だったと語ることができる。そのことには自信と確信がある。しかし、同時に、他人からみれば、そんなひどい両親ということはなくて、むしろ、りっぱな両親だったともいえるのであって、そう考えると、不思議な気がする。
というのもどの家族でも、両親(あるいは他のメンバー)には、どこかひどい部分がある。間違いなく最低な部分というのがある。と同時に、最低の部分が表に出て、社会的に糾弾されるような犯罪者的ありようがあらわになることは、ほとんどなく、社会的にはまともな、むしろ誇れる人物である。となるとたいてい両親は二重人格者である。もし私に子供がいたら、子供の目から見た私は、社会的には屑ではないかもしれないが、人間的には屑だ、あるいは屑の部分があると確信していることになる。つらいことだが、家族のことであれば、このことが、いつもあてはまってしまう。
なぜそうなるのか。両親に対しては、期待も大きいし、影響力も大きく、また愛すればこそ、憎しみを呼び寄せることになる。ささいなことが、人間的な一面ではなく、人間的欠陥にみえてしまう。昔のヨーロッパでは、どんなに悪人でも家族の中にいれば、権力から守られるという特権を享受していた。家族の中にいれば安全なのであるが、こん回の場合は、逆である。社会(家族の外)にいればまともな人間が、家族の中にいると極悪人と指弾される。この謎は解けるのだろうか。
2013年07月17日
ファミリー・シークレット
posted by ohashi at 23:39| コメント
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