『マクベス』は、子供が登場する数少ないシェイクスピア劇のひとつである。
子どもが登場するシェイクスピア作品を列挙すると:
〇『リチャード三世』The Tragedy of King Richard the Third(1592-3):国王エドワード四世Edward IVの二人の子どもエドワード5世(兄)、ヨーク公リチャード(弟)クレランス公Duke of Clarenceの二人の子どもエドワード(兄)とマーガレット(妹)
〇『マクベス』The Tragedy of Macbeth(1606)マクダフMacduffの息子
〇『冬物語』The Winter’s Tale(1609-10) マミリアスMamillius
〇『ジョン王』The Life and Death of King John(1596) アーサーArthur
ここで子供をめぐるいくつかの数字を確認したい。
まずシェイクスピア劇全体で登場人物はおよそ1000人。そのうち子供はおよそ30人。そのなかで台詞のある子どもは13人。【1000人というのはとんでもなく多い人数に思われるかもしれないが、蓋然性のある数字。また子供の人物は少ないが、それでも同時代の劇作家の作品に比べるとシェイクスピア劇は子どもを使うことが多いともいわれている】
子供がいる世帯:全体の70%。子供のいる世帯の平均的子供数:2.5~3。そのうち貧困層の世帯の平均的子供数:4.75。
10歳未満で死亡する子供の割合:5分の1(エリザベス女王時代)、4分の1(ジェイムズ王時代)
現実には子供は多くいた(また多くの子供が10歳未満で死亡)。核家族に子供は二人はいた。それに対してシェイクスピア劇には子供は極端に少ない。これは子供を演じにくいという事情もあったかもしれない。
子供は誰が演じたかというと、少年俳優である。少年俳優はひとつの劇に3名もしくは4名だった。ちなみに『マクベス』の場合、少年俳優は3人。この3人が3人の魔女を演じ、さらにマクベス夫人、マクダフ夫人、その息子の3人を演じたと考えられる。そして少年俳優が子供の存在を可能にしたか困難にしたかは判断できない。そうなると世界観か。
新約聖書の『コリント人への第一の手紙』のなかの有名な第13章に次のような一節がある。
わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。
子供の時は子供言葉で喋っていても、いつしか大人になると普通の言葉で喋るようになる。子供言葉を捨てることは信仰をもつようになることと表裏一体化している。ここでわかるのは子供言葉で喋る子供時代というのが私たちにあるということである。
ところがシェイクスピア劇に登場する数少ない子供たちには、子供言葉で喋る子供時代というのは存在しないようなのだ。シェイクスピア劇の子供たちはみんな大人言葉をしゃべる。そのせいかどうかわからないが、みんな大人びている。いいかえるとかわいげのない生意気なクソガキであり、彼らの運命にどう反応したらいいのか現代の観客は戸惑うのではないか。
『マクベス』におけるマクダフの息子(名前はない)は、幼いながら母親を暗殺者から守ろうとして殺される。けなげな母親思いの息子なのだが、これも通常なら、利発で母親思いの幼い子供が刺客によって殺される――息子をかばおうとした母親といっしょに。そしてそれが涙を誘うのだが、『マクベス』では利発な息子が刺客から母親を守ろうとして最初に殺される。この息子には、子供らしい愚かさや弱さがない。この子は自殺行為に走る。『ジョン王』に登場する少年アーサーのように。自殺行為は幼な子のする行動というよりも、大人の行動パタンである。
ノゾエ征爾氏の演出による『マクベス』は、マクダフ夫人と息子が刺客によって殺されるまでの経緯をかなり丁寧に舞台化し、そこを見せ場のひとつにしようとしていたのだが、マグダフの息子のかわいげのなさが演出に悪影響を及ぼしていて、この場面だけ演出が空回りしているように思えた。
これはシェイクスピアあるいはシェイクスピアの時代のせいである。子供を舞台にのせにくいという基本的条件があったかどうかとは関係なく、観客の情動に訴える劇的提示法をシェイクスピアとシェイクスピアの時代は発見していなかったのではないか。子供を登場させることで、果敢に子供のもつ劇的可能性を模索したにもかかわらず。
5 三顧の礼に似て
実用日本語表現辞典実用日本語表現辞典
三顧の礼 読み方:さんこのれい 別表記:三顧
三顧の礼とは、目上の者が目下の者のもとに幾度も出向くなどして礼を尽くし、物事を頼む、という意味の故事成語。わかりやすく言うと、上司や年長者が目下の相手を軽んじることなく心から敬意を払って頼みごとをするということである。「三顧」だけでも「三顧の礼」と同じ意味の表現として用いられる。ちなみに「三顧」とは、3回にわたって訪問するという意味である。
三顧の礼は、黄巾の乱を平定し一大軍勢を築いていた劉備が、無位無官かつ大幅に年下の(どう捉えても格下の)諸葛亮を軍師として迎え入れるために、諸葛亮の住まう庵を3度も訪ねた、という故事が由来となっている。以下略 (2020年7月18日更新)
「三顧の礼」は、目上の者が身を低くして目下の者を手厚く迎えるというような意味に使われているようだが、ただ、ここに劇的強度を高める稀有の出会いがあることを劇作家は古来から気づいていた。
たとえばソポクレスの『ピロクテーテース』。Wikipediaの項目「ピロクテーテース」には、ソポクレスの悲劇『ピロクテテース』をめぐって次のような記述がある。
ピロクテーテースはヘレネーの元求婚者だったためにトロイア戦争に参加したが、トロイアに着く前に、テネドス島において毒蛇に噛まれた【中略】。その傷はなかなか治らず、ひどい悪臭をはなった。このためオデュッセウスがピロクテーテースをレームノス島に捨て【トロイに向かう】。
十年後、トロイアはまだ落ちていなかった。ピロクテーテースの持つヘーラクレースの弓なくしては、トロイアを陥落させることができないという運命だったのである。ギリシア勢の預言者カルカースはこのことを予言し、ディオメーデースとオデュッセウスがピロクテーテースを迎えに来た。【中略】ピロクテーテースは洞窟に住み、弓で獲物を捕らえて生きながらえていた。ピロクテーテースの傷は癒えておらず、かなりやつれていた。
ピロクテーテースは、自身をレームノス島に捨てたオデュッセウスを見たときに、かっとなって彼を殺そうとしたが、やっとのことで思いとどまった。そして、彼らの説得に応じてトロイア戦争に復帰した。三大悲劇詩人は、この場面を主題としたギリシア悲劇を書いたが、現在まで残っているのはソポクレースの『ピロクテーテース』だけである。なお、この悲劇では、説得に来たのがオデュッセウスとネオプトレモスだったことになっている。【以下略】
トロイ戦争に参加することを嫌がるピロクテーテースをいかに説得するか、あるいはいかに騙すかが、この悲劇(とはいえどこが悲劇かよくわからないのだが)の劇的強度増大への契機となる。嫌がる人間を参加・復帰させるというテーマが、ここに生まれる。それが魅力的テーマであったのは、三大悲劇詩人がこのテーマで作品を書いたことからも推測できる。
サルトルの『悪魔と神』Le Diable et le Bon Dieu(全3幕、1951年初演)は16世紀ドイツ農民戦争時の傭兵隊長ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンが、状況に翻弄され隠遁生活に入るものの、苦戦を続ける農民側の指導者から執拗に乞われ最後に総指揮官となって農民と戦うことを決意するまでを描く歴史劇である。第3幕に後半における説得と固辞とのせめぎあいのはての出陣は、まさに『ピロクテーテース』の世界の延長線上にある。
そして現代の例のとして、トム・ストッパードの翻訳で有名になったヴァーツラフ・ハヴェルのLargo Desolato (1984年執筆、1986年初演)をあげることができる。ハヴェル自身を思わせる民主化運動のかつての英雄にして指導者を主人公にして、監視状態にあり、また自ら隠遁を選択したような彼は、運動に復帰するように促す勢力から説得されるが、当局の罠ではないかと疑心暗鬼になりつつ、最終的には、運動と政界に復帰しない。参加を乞われた人物が参加を最後まで拒否するという予想を裏切る展開が特徴となる。
ソポクレス、サルトル、ハヴェルの例からみると、『マクベス』においてイングランドに亡命したマルカム王子を、マクベス討伐軍の指導者になるよう求めるマクダフの執拗な説得と、自分はその任ではないどころか不適切な君主であるとかたくなに固辞をするマルカムとの劇的衝突は、この劇の後半の見どころとなる。シェイクスピアの『マクベス』の第4幕におけるマルカムとマクダフの場面は、いま触れた二、三の劇作品、それも固辞するヒーローに対する必死の説得というテーマを共有する作品群の重要な事例となることはまちがいない。
ただし問題もある。『マクベス』におけるマクダフによる説得の場面はけっこう問題があり、予想を裏切りつづけ、劇作品の統一感や整合性を揺るがしかねないのである。
どういうことかといえば、まず亡命したマルカムは、スコットランドからやってきて説得にあたるマクダフをマクベスの手先あるいはマクベスが放った刺客ではないかと警戒しているようにみえる。自分は君主たる資格をもたない愚劣な人間であると強く主張するマルカム。そこへスコットランドから使者が到着し、マクダフの妻子がマクベスによって皆殺しになったという知らせをもってくる。その知らせを聞いて、マクダフが自分の家族を犠牲にしてまで自分を説得しに来たことを確信するマルカムは、マクダフの要請を受けて、総司令官としてスコットランドに進軍することを決意する……とはならないのだ。
『マクベス』では、まずマルカムは自分の不徳あるいは悪徳を列挙して自分は王にふさわしくないと語る。マクダフはそれでもかまわないと、王たるものにふさわしい条件の敷居をどんどん下げる。そして最後にそれもかなわぬと知って嘆くマクダフ。それをみてマルカムは挙兵することを決意し、その旨をマクダフに告げる。マクダフの妻子が殺されたという知らせは、マルカムが決意した後で届き、マルカムの決意になんら影響を与えない。
さらに、マルカムは、マクダフによる説得以前に、スコットランド進軍の準備をすすめていて、イングランド側のシーワード将軍はすでに進軍を開始したのだと告げる。これによってマクダフの説得は、マルカムとシーワード両司令官の進軍命令になんら影響を与えていないことになる。
こうしてマクダフの説得には、全く意味がなかったことが明らかになるのだが、それでいいのだろうか。この部分にみられる材料は、もっとうまく使えば、ふつうに感動的な結末を提供できたはずである。なぜそれをしなかったのか。
『マクベス』という芝居は意外に謎が多いのである。