昨日はバレンタインデーだったが、一昔前のような熱狂は冷めつつあるようだ。これは私自身が女性からチョコレートをもらうことがなくなってから久しい(そもそももらったことがあったかも今となっては定かでないのだが、まあ義理チョコはもらったこともあるものの、かなり昔のことである)ということだけではない。
食品業界に踊らされていることに対して不快感を覚えるのは私だけではないはずだ。そもそもキリスト教圏でのお祝いの日であって、キリスト教徒以外の人間あるいは国民には無関係な日である。ただクリスマスがそうであるように、キリスト教の祭日が全世界的に広まるという傾向があって(最近ではハロウウィン)、バレンタインデーもその一環だろうと思うしかないのだが、ただ、それにしても、バレンタインデーについて日本の食品業界は誤ったイメージを広めた。日本国民をバカにしている。
バレンタインデーには女性が愛する男性にチョコレートを贈るというバカ話を誰が考えたのだろうか。それを信じたのもバカだが、しかし、悪いのは詐欺師のほう、騙したほうだろう。
昔、ダニエル・キースのSF小説『アルジャーノンに花束を』を翻訳で読んでいたとき、主人公の知的障碍者チャーリーが子供の頃、バレンタインデーにみんなから騙されて、人気者の女性のクラスメートにプレゼントをして恥をかかされるというエピソードがあり、そこでアメリカではバレンタインデーに男性から女性にプレゼントをするのだとはじめて知った。しかもプレゼントはチョコレートではない。このとき、国民を騙して荒唐無稽な風習をこしらえて金儲けをしようとしている日本の食品業界に対してふつふつと怒りがわいてきた。
実際、西洋でのバレンタインデーと日本のバレンタインデーは異なることに気付いていた大人たちはたくさんいたはずである。なぜ彼らは声を上げなかったのか。あるいは上がった声をメディアは、なぜ大きく取り上げなかったのか。食品業界が大手スポンサーだとメディアも腰がひけたのだろうか。
バレンタインデーを壊した日本の食品業界は、その後、二匹目のどじょうではないが、恵方巻というものを関東に、そして日本全国にもちこんだ。
節分の日に、恵方を向いて、太巻きを黙って全部食べるという風習は関西では長らく継承されてきたようだが、それを日本の食品業界は日本全国に広めた。恵方巻の習慣に反対するのではない。ただ、それは関西圏にとどめてほしかった。
私の経験では、21世紀に入ってから、節分が近づくと、あるいは節分の日に、スーパーで突然、恵方巻という巻きずしが売られるようになった。最初は何のことかわからなかった。徐々に、恵方巻といって関西での習慣だということがわかってきた。そしていまやそれが全国に広がり、豪華な恵方巻からロールケーキ・ヴァージョンまで生まれるようになり、また売れ残りの廃棄問題も生まれた。はっきりいってこれは愚劣な習慣となった。
関西圏だけでとどめておけば、こんなことにならなかっただろうと思う。また子供の頃から慣れ親しんだ風習ではなく、突然降ってきた、あるいは強要された風習であるので、抵抗感がある。
そもそも巻きずしを丸かじりにするのは、私にとっては「行儀が悪すぎる」。食事のマナーとしてもやってはいけない部類に入る。
これはインドではカレーを手で食べるのだが、日本人にとってカレーあるいはカレーライスを手で食べることには抵抗がある。それと同じで巻き寿司をかじるというのは、関西圏は他の地域と文化も違うし、そこに住む人々も人種も民族も違うから問題ないのだが、関東とか東日本、いや西日本の人間にとっても、巻き寿司の丸かじりには抵抗がある。なにか親からひっぱたかれそうな、子供時代の親に対する恐怖がよみがえる。
というのも、私は子供の頃、ヤカンのラッパ飲みをして親からこっぴどく叱られたことがある。周囲にヤカンのラッパ飲みをする子供たちがいて、私も家でそのまねをしたら、親から行儀が悪い、二度とするなと厳しく叱られた。そのため、たとえ日本の食品業界が2月にヤカンのラッパ飲みデーを設けても、私はそんな行儀の悪いことは絶対にしない。それと同じで恵方巻をまるかじりすることは行儀悪くて絶対にしない人たちも多いのではないかと思う。
とにかく日本の食品業界の暴挙にはうんざりしている。荒唐無稽な風習を勝手にこしらえたり(バレンタインデー)あるいは突然違和感のある風習を持ち込んだり(恵方巻)する彼らの文化破壊と伝統破壊に対しては断固抗議すると同時にそれにとりこまれないようにする覚悟が私たちにも必要ではないかと思う。
2024年02月15日
恵方巻とバレンタインデイ
posted by ohashi at 00:00| コメント
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