2023年12月29日

『Perfect Days』

かつて関西の某大学の授業のゲストとして招かれて話をしたことがある。ミニ講演のあと質疑応答があり、さらに授業後も個人的な質問も受けた。その時男子学生が「柴田元幸先生は、先生の同僚ですか?」と訊いてきた。「ええ、以前は、同じ研究室の同僚でしたが、いまは研究室が違うのですが、交流はあります」と答えると、「そうですが、それはすばらしいですね」と感極まった顔をしているので、私から「あなたは柴田先生のファンですか」と訊くと、そうだと答えた。

感じ悪い奴だと思った。たとえていうなら私が大谷翔平の隣人で、毎朝、挨拶をかわす仲の一般人として、日本の多くの大谷ファンからうらやましがられているようなものである。私は野球関係者ではなく、ただの一般人であるので、そんなときは、むしろ自分から自慢すると思うのだが、もし私が野球選手だとしたら、いくら大谷翔平が私など足元にも及ばない偉大な選手だとしても、あるいはそうした選手だからこそ、たいして有名でも有能でもない野球選手の私が、隣人なり同僚として人からうらやましがられるのは気持ちのよいものではない。ホント。

私も、その学生に、いくら柴田先生が有名で人気があったとしても、柴田先生の同僚だからとうらやましがるのは、失礼じゃないか。もし柴田先生が、私、大橋と同僚だからとうらやましがられたら(まあ、そういうことは万が一にもないとしても)、柴田先生も気持ちがよくないと思うぞと言おうとしたら、その学生の、私に対する、もう、恍惚というか忘我状態の羨望のまなざしを前に、なにも言えなくなったことを覚えている。


ヴィム・ヴェンダース監督『Perfect Days』(2023)は、東京のスカイツリーを見上げる下町の木造アパート暮らし、公衆トイレの清掃員として働く平山/役所広司の日常を描くものだが、汚い仕事と思うことなかれ。なにしろこの映画の最初の驚きは、彼が清掃する公衆トイレが、どれも信じられないほどきれいというか美しい芸術的たたずまいをみせていることだ。前衛的・近未来的な公衆トイレは、それ自体でひとつの芸術的オブジェである。たとえていえば安藤忠雄が設計した公衆トイレとでもいえようか(実際に、安藤忠雄設計になるトイレも映画に出ているらしいのだが)。渋谷区という設定のようだが、一度、みてみたい、使ってみたいという欲望をはげしく掻き立てる。

トイレ清掃は昼休みに神社でサンドイッチを食べ木漏れ日を撮影し芽吹いている樹木をみつけたらアパートに持ち帰って栽培する。シフト後には銭湯に行き、コインランドリーで洗濯し、地下鉄浅草駅構内の居酒屋で晩酌をし古本屋で購入した100円の文庫本を読みながら寝落ちする。そして翌朝を迎えるという、判で押したような仕事と生活の繰り返しの日常が淡々と描かれる。まるで同じ毎日を繰り返すタイムループ物映画をも髣髴とさせるのだが、しかし映画の最後になると、単調な日々のなかで、けっこういろいろなことが起こっていることに気づく。

最後は、いつものように車を運転して仕事に出かける平山/役所広司の顔を正面からとらえた長いショットが圧巻で、役所広司は、悔恨と絶望、喜びと悲しみ、悲哀となかにみえる希望、天国と地獄を往来するような、なんとも複雑な心境の表情、まさに観ている者の魂をゆさぶるようなを表情をみせ、言葉を失う。ちょうどカンヌ国際映画祭でパルム・ドール賞を『万引き家族』にもたらしたといっても過言ではない安藤サクラの泣くシーンに匹敵するのが、カンヌ国際映画祭(2023年)で主演男優賞を役所広司にもたらしたこの最後のシーンである。

もちろん、この時、平山/役所広司が何を回顧し何を考え何を哀しみ何を喜んでいるのかはまったくわからない。ただわからいからこそ、そこに大きな感情の起伏を想定でき、観客の情緒的反応をブラックホールのごとく吸収するといってもいい。

だが、映画館から出るとき、若い男女のペアのうち女性のほうが主人公の過去が語られないことにもやもや感が残るし、そのため主人公について何も語ることができなくなることについて不満を述べていた。男性の方は、それについてはとくに応答はしなかった。

確かにそうなのだが、しかし、この映画のつくりは、ある種のミュージックビデオみたいなものと考えることができる。通常のミュージックビデオなら、音楽にあわせてて登場人物の生活がプレゼンされるのだが、その生活、あるいは時には人生は、あくまでも断片的で全体像が、過去から現在までの来歴が、事細かに語られることはないし、人生の要約が示されるわけではない。だから、そのようなものと思えばいいのではと考えたのだが、しかし、よく考えてみるまでもなく、では、この映画は何のミュージック・ビデオか、あるいは何のプロモーション・ビデオなのか?

そうミュージック・ビデオのようなもの、プロモーション・ビデオのようなものと考えた私の直観は、決して間違ってい這いなかった。そもそも、この映画は、新しいトイレのプロモーションビデオとして始まったのだから。Wikipediaによると、
映画製作のきっかけは、渋谷区内17か所の公共トイレを刷新するプロジェクト「THE TOKYO TOILET」である。プロジェクトを主導した柳井康治(ファーストリテイリング取締役)と、これに協力した高崎卓馬が、活動のPRを目的とした短編オムニバス映画を計画。その監督としてヴィム・ヴェンダースに白羽の矢が立てられた。

もちろん、そこから長編映画へと発展したわけだが、プロモーションビデオ的なテイストは残っていると思う。公共トイレ刷新プロジェクトのプロモーションビデオでドキュメンタリー風のところもあり、音楽が流れるミュージックビデオ的なところもある多面的な映画であって、そこでは物語をじっくり追う必要はないのである。物語は断片的で非完結であってよい。

とはいえ平山/役所広司がなぜ、このような生活を送るようになったのか、詮索できるヒントのようなものはちりばめられている。前半で平山/役所広司は、簡素な木造アパートの殺風景な二階部分で生活している。裕福な暮らしをする室内ではないが、余分なものをすべてそぎ落とした質素なたたずまいが清々しさを感じさせる。しかし後半になって家でした姪が彼のアパートに転がり込むと、姪を二階部分に寝かせて、自分は、普段使っていない一階部分で寝ることになるが、この一階は倉庫となっていて段ボールや荷物がつまっている。前半であたかも断捨離後であるかのような質素な暮らしをしている平山/役所広司だが、後半、物置のような一階があらわになると、彼のおそらく捨てきれない、あるいはトラウマとなっているような過去が残存していることがあきらかとなる。彼の捨てきれない人生のお荷物とはななんだろうか。

先ほど、判で押したような彼の日常は、同じ一日を延々と繰り返すタイムループ物の映画を思い起こさせると書いたが、同じ日の繰り返しのイメージのひとつは牢獄である。原因なり動機はざまざまである。それが判明するとループは終わるが、判明するまでは地獄のループに呪縛される。ここからいえるのは『Perfect Days』の主人公も何らかの原因によってエグザイルの身であるということだろう。なにが彼をエグザイルの身にしたのか。

もちろんこれが唯一の可能性であるとはいえないが、しかし、私としては唯一の可能性であると本気で力説する覚悟でいるのだが、それは主人公がゲイであるということである。

独身生活を送っている男のもとに若い女性が訪ねてくるという映画を思い出すことはないか。ダーレン・アロノフスキー監督の『ザ・ホエール』(2023)では、ゲイの父親のところに、別れた妻の娘がやってくる。娘を追って妻もやってくる。結婚していながら、ゲイの愛人がいるという(現実にはよくある)複雑な設定が話をややこしくしているし、娘もけっこう邪悪なのだが、もう少し蓋然性の高い設定の場合、どの家族や一族にもいる独身のオジサンのもとに、姪がやってくるというものがある。独身のオジサンと姪という黄金コンビは、独身のオジサンがゲイであるという可能性の指標のひとつである。

このほか同じ清掃作業員のタカシ/柄本時生を慕っていてタカシの耳をいじくっている知的障碍者の少年もゲイ的な存在だし、平山が若い女性たちから慕われるのも、彼が彼女たちを性の対象としてみないからであるともいえる。

さらにスナックのママである石川さゆりが男と抱き合っているところを目撃して、平山が衝撃を受けるところは異性愛的嫉妬が噴出するところがだが、やけ酒を飲んでいる平山のことろに、スナックのママと抱き合っていた男/三浦友和があらわれて、離婚した元夫だと名乗り出て、二人の間に友情めいたものが生まれることで、場面は、同性愛的関係へと転換する。ふたりが影踏みごっこ(「影踏み鬼」というらしいのだが)に興ずるところなどは、同性とのじゃれあいとこぼれ出る幸福感が横溢している。

そもそもトイレというのは、男性同性愛者にとっては「聖地」そのものである。まあ男性用トイレに限られるが、そこでの場面は人物が同性愛者として提示されていなくとも、同性愛者の影を帯びる。またこの映画『Perfect Days』では、トイレ掃除のなかで、平山/役所広司は、見知らぬ相手と、トイレの隅に差し込まれている紙で三目並べをするのを楽しみにしている。これなどはトイレによる男性同性愛者の出会いと関係とのメタファーそのものであろう。

もともと新しい清潔で芸術的で近未来的なトイレ建造・普及のプロモーション・ビデオを制作するプロジェクトであったとしても、トイレ清掃のために独身男性が毎日出入りする設定というか表象は、男性同性愛関係を想起するものであることは述べておかねばならない。

そして男性同性愛関係の最後は、水の物語になっていることである。トイレそのものには水が欠かせない。そして主人公は川の近くを車で通るし、海に続く川を眺めている。川べりで影倦み鬼をする。水、水、水。水の表象は、同性愛物語に不可欠である。

同性愛者としての平山は、その生き方と性的嗜好を、父親から認めてもらうことができず、また社会に蔓延する同性愛差別に傷つき、いつしか自己追放あるいは自己処罰をおこなって孤独で寡黙なエグザイルへと転身することになったということだろう……。



もちろん、これがすべてではない。この映画はまた木や樹木の物語を展開している。それが水と同性愛とどうつながってゆくか、つながらないかは、また別の話なので、深入りはしない。

そしてもうひとつここで深入りしないこととして挙げられるのは、晩年のスタイルである。Late Style. 平山/役所広司の日常は、彼がカセットテープしか聞かず(聞く洋楽はどれも「昭和の懐メロ」といってよいもので)、完全に時代から遅れている。Late Style。しかも、彼はまた人生の後半というか晩年期へとさしかかっていて、もはや未来に明るい夢見るような希望はない。単調だがまだ実りある日常を死へとひとりつづけることで、彼は王道の晩年のスタイルの体現者でもあるのだ。



ここでひとつだけ深入りしておきたい(ただし深入りはできないのだが)ことがある。

私はこの映画をみて、最近の東京都渋谷区のトイレのショックを受けたのだが、それ以上にショックをうけて、映画館で、椅子からずり落ちそうになったこととは、映画をみていたら、どこかでみたような人が出ていると気づいた次の瞬間、私のなかで認知機能がフル回転して思わず口走りそうになった。え、どうして柴田元幸がここにでているのだ、と(衝撃のあまり「柴田元幸」と心のなかで呼び捨てになってしまった)。

予備知識ゼロで観に行ったので、まさか柴田元幸氏が出演しているとは思わず、ひょっとしたら見過ごした場面があるのかもしれないが、エンドロールでキャスティングされているのを確認したし、帰宅してから映画の公式サイトでも、柴田元幸氏が出演していることを確認した。

しかしそれにしても、なんで、この役で出演? ヴィム・ヴェダースあるいはこの映画の関係者とどういう接点があったのだろうか。もちろん柴田元幸氏は有名人なので、映画関係者のほうが積極的に接触してきてもまったくおかしくないのだが、それにしても、どういうきっかけで映画出演が実現したのか、直接、ご本人に訊いてみたいものだ。いまやもう同僚ではなくなったとはいえ。
posted by ohashi at 20:45| 映画 | 更新情報をチェックする

2023年12月22日

『福田村事件』

今年観た映画でもっとも衝撃的だった映画のひとつが、森達也監督『福田村事件』(2023)であった。

ネット上の公式サイトから引用すると:
1923年9月1日11時58分、関東大地震が発生した。そのわずか5日後の9月6日のこと。千葉県東葛飾郡福田村に住む自警団を含む100人以上の村人たちにより、利根川沿いで香川から訪れた薬売りの行商団15人の内、幼児や妊婦を含む9人が殺された。行商団は、讃岐弁で話していたことで朝鮮人と疑われ殺害されたのだ。逮捕されたのは自警団員8人。逮捕者は実刑になったものの、大正天皇の死去に関連する恩赦ですぐに釈放された…。これが100年の間、歴史の闇に葬られていた『福田村事件』だ。行き交う情報に惑わされ生存への不安や恐怖に煽られたとき、集団心理は加速し、群衆は暴走する。これは単なる過去の事件では終われない、今を生きる私たちの物語。

要は、なぜこのような事件が起こったのか、その原因について、この映画は、フィクションというかたちで一定の答えを出しているように思われる。その答えは、すでに知られていることではあったが、この映画を通して伝えられるとやはり驚愕すべきことでもあった。

暗黙のうちというか、社会的文化的無意識レベルにおいて、行商人を含む旅する一族に対する潜在的な敵意というものは指摘できるだろう。関東大震災の直後ではないが、その数年後、一高生(高校生だが当時の高校は現在の大学と同じ)が旅芸人の一行と伊豆を旅することになる。そして伊豆の村のところどころに立ち札がたっている、曰く「物乞い旅芸人は入るべからず」と。川端康成の『伊豆の踊子』の一節だが(引用は第五章の末尾)、旅する者は行商人であれ旅芸人であれ、物乞い、つまり「乞食」として見下された。そしてその忌避感が暴力的な敵意となって噴出することもあっただろう。福田村事件において行商人の一団が殺される。その虐殺の殺人の引き金となったのは、彼らが旅する一族/住所不定の一族であったことだが、それ以上に直接の引き金となったのが、関東大震災後に「朝鮮人」が反乱を起こしているという根も葉もないうわさだった。

ではなぜ「朝鮮人」が日本人を殺しにかかっているといううわさを人々は信じたのか。それは、まさにアメリカにおける黒人差別と同じであることを、この映画は示唆している。つまり朝鮮半島を植民地化し現地人を搾取・虐待していることを日本人は知っている。当然、それを正当なこととは思っていない。日本人は、そのやましさゆえに、今度は自分たちがいつ報復されるかわからないとおびえる。そのおびえの反動としてパラノイア的に朝鮮人を悪魔化する。そしてこの悪魔に対してなら、暴力が許容されるということになる。

アメリカにおける警察は、黒人を蔑視し差別し虐待してきた。そのため警察官は、虐待されている黒人たちがいつなんどき報復に転ずるかわからないと過剰におびえている。そのため、ただ反抗的な態度をとったからといって、いや、ただ従順にしていただけでも、黒人を射殺する。こうしたやましさを打ち消そうとする反動的な暴力が虐殺に通ずることは想像にかたくない。

震災後、朝鮮人が日本人を殺しているという流言蜚語は、根拠のないものだったが、朝鮮人に不当な扱いをしている日本人のやまさしさゆえに、容易に真実と受け止めらと思われる。だがそれだけではなかった。震災後の朝鮮人虐殺は流言蜚語によるものと言われているのだが、現在ほど情報伝達手段が発達していない当時において、都市部のみならず片田舎まで流言蜚語が浸透したのは考えにくいことである。

だが現実に流言蜚語は浸透した。それは警察当局が民衆の間に流言蜚語を流したのである。そうして民衆に恐怖と憎悪を植え付けた。当時のマスコミも、自覚してか無自覚かはわからないが、警察当局の発表をそのまま垂れ流し、流言蜚語の浸透に加担した。

これは無知蒙昧な民衆、差別的な民衆が、流言蜚語を信じて虐殺行為に走ったのではない。国家権力が混乱状態を発生させ、そのどさくさのなかで朝鮮人を、反体制陣営を粛清したということもできる。というか政権にとって邪魔な政治活動家や知識人を、どさくさにまぎれて殺したのである。

そもそも警察は、流言蜚語を取り締まる側であるはずだ。マスコミも流言蜚語を否定し真実を報道すべきである。政府も、流言蜚語を徹底して否定すべきである。だが、警察が、政権が、マスコミが、こぞって流言蜚語を垂れ流したのだから、民衆としてはたまったものではない。

震災後の混乱のなかで民衆のなかに生じた混乱した認識が、潜在的な暴力志向と民族差別意識を触発して、虐殺を生んだのではない。政府が、当時のマスコミを通してフェイク・ニュースを流し、民衆を虐殺行為へと扇動したのである。徹底してその責任をとわれるべきは警察当局、そして警察を動かした当時の政権なのである。

流言蜚語は警察が積極的に流したことは、客観的事実として、すでにいろいろなところで語られてきた。私自身、そうした記述は読んでいたにもかかわらず、愚劣な民衆の自発的行動が虐殺につながったにすぎないと勝手に信じてしまっていた。力点は流言蜚語ではない。意図的に流言蜚語を蔓延させた警察権力と日本政府の謀略とテロ行為にこそ力点が置かれるべきであろう。


映画は、この点について、明確に語っていた。フィクションを通して、力点の置き方の変換を希求していたように思われる
posted by ohashi at 21:44| 映画 | 更新情報をチェックする

2023年12月18日

北朝鮮の弾道ミサイル

松尾貴史氏のXを以下の記事が紹介。

松尾貴史、支持率低迷と北朝鮮の弾道ミサイル発射めぐる“陰謀論”に「反証してくれる専門家は」日刊スポーツ新聞社 によるストーリー 2023年12月18日

タレント松尾貴史(63)が18日、X(旧ツイッター)を更新。支持率の低迷が続いている岸田政権をめぐる“陰謀論”についてコメントした。

松尾は「陰謀論は気質に合わないのですが…」と切りだし「前々から色んな人が言っている『日本で政権の支持率が下がったら北朝鮮がミサイルを打つ』という奇説を、客観的に相関関係で反証してくれる専門家はおられないでしょうか」と投稿した。
中略
韓国軍合同参謀本部は17日、北朝鮮が日本海に向けて弾道ミサイルを発射したと明らかにした。日本の排他的経済水域(EEZ)外に落下したとみられ、被害情報はないという。


日本の政権の支持率低下と弾道ミサイルの発射との間に関係があるのではというのは、私だけでなく、多くの人が感じていることだろう。

松尾氏はこの関係を反語的なかたちで示すことで、弾道ミサイル陰謀論を広く世に知らしめたということもできる――その意図はどうであれ。

もちろん日本の政権(自民党)と北朝鮮の政権がつながっているとまでは考えないが、北朝鮮の政権にとって、北朝鮮に敵対的な政権のほうがありがたいことは火を見るよりも明らかである。北朝鮮に友好的な文政権時代に、北朝鮮が韓国をどれほど非難攻撃していたかを思い出してもよい。日本での国政選挙のたびに、あるいは日本の政権の支持率が下がるたびに、しめしあわせたかのように、北朝鮮は弾道ミサイルを発射してきた。

日本の政権と北朝鮮の政権が実際につながっている必要はない。北朝鮮は日本の政治情勢をみて、政権の危機の際に弾道ミサイルを打ち上げる。繰り返すが北朝鮮にとって敵対的な政権のほうが政権の存在意義を正当化してくれるのでありがたいのだ。

とはいえ保身のためなら、たとえ反日的な集団であろうとも提携する――つまり反日を公言している統一教会、文**・**子の*の穴をなめてきた売国奴集団が主流派となっている--自民党であってみれば、表向きは敵対している北朝鮮と裏でつながっていることは蓋然的である。

たんなる陰謀論だが、これを客観的に反証してくれる専門家がいてくれたらいいのだが。とはいえ政治の分野では、専門家ほどあてにならないというか、専門家ほど、ただのイデオローグにすぎないのだが。
posted by ohashi at 18:28| コメント | 更新情報をチェックする

2023年12月17日

『終わりよければすべてよし』と『尺には尺を』


安心してください、穿いてますよ。I’m wearing pants!

『モデルプレス』(2023/11/20)の記事
藤原竜也、佐藤健から「最狂」と絶賛 稽古中パンツ一丁になった衝撃エピソードも
俳優の藤原竜也が、20日放送のMBS/TBS系『日曜日の初耳学』(毎週日曜よる10時~※この日は野球中継延長のためよる11時10分~)に出演。共演者たちから撮影のエピソードが語られた。

中略
溝端淳平、藤原竜也が稽古場で全裸に?

さらに、俳優の溝端淳平から衝撃のエピソードが語られた。2021年に上演された舞台『終わりよければ全てよし』の稽古について「稽古初日に、本当に何を思ったのか竜也さんが」と切り出し、主演の藤原が突然全裸になり、稽古場は笑いに包まれたという。

これを見た溝端は「お芝居って本当に自由なんだなって。主演の藤原竜也が全裸になったから、皆もうアイデアを怖がらず出してくるんですよね」と緊張した空気を壊し後輩が自由に芝居ができる環境を作りあげたと話した。

これについて藤原は「全裸にはなってないですけど、パンツ一丁ですよ」とツッコミを入れ、「まぁ瞬間的に稽古場の雰囲気を緩めて、『自由だよ』っていうのをね。1つに縛られること無く表現は無限にある訳ですから」と意図を明かした。

パンツをはいていたか、いなかったか、それが問題だ。というのも上記、溝端氏の話では、藤原竜也は全裸になった。しかし藤原氏自身の話では、全裸にはなっていない。パンツ一丁とのこと。まるで安心してください、パンツははいていますよ、ではないか。

溝端氏は、パンツ一丁になったといえばいいところ、全裸になったと話を盛った可能性がある。もしそうなら、パンツ一丁も全裸も大差ないと判断してのことか、話を面白くしようとしてのことか、意図的に嘘をついたことになる。しかし嘘どころか、みたままを正直に語ったと考えることもできる。となると、さすがに全裸はまずいと判断したのか、藤原氏は、いえ、パンツははいていましたよ、と――〈とにかく明るい安村〉みたいに一線を越えてはいないことを強調したことになる。だが、それが真実であったかどうかはわからない。

溝端氏が誤認→藤原氏が誤認を訂正し真実を開示なのか。溝端氏が真実を開示→藤原氏が細部の誤認を報告し、溝端発言の真実性にひびを入れたのか。真実は、たとえ1%でも不分明なものがあれば壊れてしまう。あるいは、それが真実を闇に葬り去ろうとする虚偽の勢力の戦略かもしれない(もちろん、この対極にあるのが、虚偽を真実であるかのようにみせかけて誹謗中傷する戦略であるのだが)。

藤原竜也氏が全裸かパンツはいていますよ状態になったのは『終わりよければすべてよし』の稽古場とのことだが、新国立劇場で、シェイクスピアの『終わりよければすべてよし』と『尺には尺を』を交互に上演する野心的な試みのなかで、ある観客の観劇姿勢が話題になった。

★藪の中

すでに旧聞に属することだが、以下の記事によって、もう一度、振り返ってみたい。

スポニチ Sponichi Annex[ 2023年11月19日 15:14 ]
猪瀬直樹氏“観劇マナー最悪”疑惑はデマと一蹴 心当たりあるとしたら?「それが気に食わなかったのかも」

元東京都知事で参議院議員の猪瀬直樹氏(76)が19日までに自身のブログを更新し“観劇マナー最悪”疑惑について言及した。

ことの発端は、演劇評論家がSNSで、10月28日に新国立劇場で行われた舞台「尺には尺を」を観劇した人からの情報として、「客席の元都知事が、傍若無人、足は投げ出す、お菓子の紙はチリチリポリポリが止まず、老婦人が制してやっとやめたとのこと。『おもてなし』とかチャンチャラおかしい縁なき衆生の醜態」と紹介したこと。

同舞台を観劇していたというラサール石井も、自身のSNSで「観劇態度は最悪。色の濃いサングラスに黒で統一した格好で身体を揺すりながらヤカラのように歩き、劇場にはふさわしからぬ出立ちでめっちゃ目立ってた」と投稿していた。

前東京都知事で国際政治学者の舛添要一氏がこの件について「私は、新国立劇場で観劇していません」と否定したことから、猪瀬氏に視線が向けられたが「シェイクスピアの喜劇『尺には尺を』の観劇、そしてSNSでデマを流す低級な人びと。」というタイトルで【猪瀬氏は】ブログを更新した。

そのなかで「新国立劇場でシェイクスピアの喜劇『尺には尺を』を観ました」と実際に観劇したといい「すると僕の観劇態度が悪いとSNSでデマを流す人たちが現れました。そのデマを流した人物はその日、その場に居合わせたわけではないのに、僕がお菓子をポリポリ食べていたとか、足を投げ出していたとか、事実無根の悪口雑言で罵っているのでした」と反論。

「僕は妻といっしょにお洒落をして行きましたので服装についてラサールナントカの趣味に合わなくとも文句を言われる筋合いはありません」とした。また「そこでSNSで伝聞だけでデマを流した人物を調べると演劇業界の人でした。なぜ彼は僕の悪口を書きたくなったのでしょうか。心当たりがあるとしたら、僕がスタンディングオベーションをしなかったと聞いてそれが気に食わなかったのかもしれません」とも。

「あの日、芝居が終わるとほぼ全員が立ち上がりスタンディングオベーションでした。僕と妻と友人の3人のところだけが凹んで見えて目立ったのかもしれません。僕は演出も役者もよく頑張っていたと思うのできちんと拍手をした。ところが全員が立ち上がるので違和感を感じてあえて着席したままでいた。なぜなら周囲を見渡しながらそろそろと立ち上がるからです。あたかも同調圧力のような空気でした」と自身のスタンスを示していた。

「まあそういうわけです。くだらない話です。しかし観劇態度が悪いという伝聞が1人歩きしてしまうネットの怖さを感じると同時に、それをさらに拡散させる週刊誌,さらにネットでまた拡散、こういう悪意のサイクルは何も生み出しません」と苦言を呈していた。

ここで猪瀬氏は、すでに話題になった観劇態度の悪さを事実無根のデマ、悪意の誹謗中傷であると反論している。この反論のなかで、あらためて注意を喚起すべきは、観劇態度の悪さをめぐる投稿が、直接見聞きしたものではなく、伝聞情報だったということだ。

いま、以下の投稿はネット上から削除されているのかどうかわからないのだが、とりあえず確認すると、
土曜夜新国立「尺には尺を」を観た人から、堪りかねて通報。客席の元都知事が、傍若無人、足は投げ出す、お菓子の紙はチリチリポリポリが止まず、老婦人が制してやっとやめたとのこと。「おもてなし」とかチャンチャラおかしい縁なき衆生の醜態。
— 犬丸治 (@fwgd2173) October 31, 2023


せっかくのセリフ劇も台無し。後ろで観ていた演出家(鵜山氏でなく、お客)も驚いたらしい。元都知事は夫人と観劇だったらしいのだが、何で制止しなかったのだろうか、残念。
— 犬丸治 (@fwgd2173) October 31, 2023


犬丸氏の投稿をみると、たしかに本人が目撃したことではなく、伝聞情報であることがわかる。実際、私自身、この投稿をみて、投稿者自身が目撃したことと思ってしまったのだが、どうやらそうではなかった。

こうなると猪瀬氏の反論をまつまでもなく、最初の投稿が伝聞情報で、その時点で、藪の中状態だったのである。

この投稿に対して、存命の元東京都知事のひとり舛添要一氏が、自分は観劇していないと明言したうえで、「元都知事」がと、ぼかすのではなく、参議院議員という公人である以上、はっきり名前を出すべきだと苦言を呈していたことを思い出す。それは正論だと思ったのだが、今から思うと伝聞情報だったので、犬丸氏も名指しできなかったのではないか。つまり犬丸氏に伝えた人間が、猪瀬氏の名前を伏して元東京都知事としか語らなかったので、犬丸氏も二人いる東京都知事のうちどちからわからず、名指しできなかったのかもしれない。

つまり犬丸氏自身も猪瀬氏か舛添氏かわからなかったのかもしれないのだ。となると、とくに猪瀬氏に対する非難ではなかったのかもしれない。実際、犬丸氏のツイッター(現X)をみると、芸術文化に対する無理解あるいは軽視には激しく反発している――私自身、それに対しては共感している。かりに犬丸氏が猪瀬氏だと特定していても【「「おもてなし」とかチャンチャラおかしい縁なき衆生の醜態」という表現には猪瀬氏が暗示されているのかもしれない】、そこには猪瀬氏個人に対する非難ではなくて、東京都知事もしたクラスの政治家たちにみられる芸術軽視への非難があるにちがいない。

では、猪瀬氏からの反論はどうか。「観劇態度が悪いという伝聞が1人歩きしてしまうネットの怖さを感じると同時に、それをさらに拡散させる週刊誌,さらにネットでまた拡散、こういう悪意のサイクルは何も生み出しません」という氏のコメントには真理が含まれている。真理そのものといえるかもしれない。

たしかに犬丸氏の投稿には、伝聞情報であることが明記されているのだが、それを目撃情報のように受け止めて(私自身がそうだった)猪瀬氏の観劇態度の悪さを、本当は藪の中状態なのに、確定的真実として流布させてしまうネットの力は怖い。まあ、残念ながら、猪瀬議員の国会の委員会での、審議を中断させるほどの態度の悪さは今年話題になったばかりで、観劇態度の悪さもその延長線上にある話題であることはまちがいなく、その真偽のほどは別として、この話題の真実性を誰もが前提としてしまったのかもしれない。

そうなると、たとえどんなに正確に情報と情報源を明記しても、また、そこに悪意がなくても、それとは無関係に悪意のサイクルを生み出してしまうのがネットの力であり、ネットの怖さだといえなくもない。このネットの力の前に、私たちは無力であり、被害者が量産されている。

実際、そうなのだ。猪瀬氏は反論のなかで、「なぜ彼は僕の悪口を書きたくなったのでしょうか。心当たりがあるとしたら、僕がスタンディングオベーションをしなかったと聞いてそれが気に食わなかったのかもしれません」と述べているが、ここには犬丸氏が、まるでそこにいて、スタンディングオベーションに立ち上がらなかった猪瀬氏を目撃したことが前提となっているように思われる。

スタンディングオベーションに立ち上がらなかった→犬丸氏からの悪口雑言という原因と結果には、ミッシングリンクが多すぎる。ある意味、藪の中状態でもある。また、たとえ目撃していたとしても、原因と結果がそんなに直結することはない。まして犬丸氏の非難は伝聞情報によるものである。にもかかわらず、演劇関係者のやっかみが自分への悪口を生んだかのように語ることで、日ごろから非難の対象となっているその態度一般の悪さから注意をそらそうとしている。そしてそこには、ネット民の短絡的な発想と同質のものを感じ取らざるをえないのである。

『終わりよければすべてよし』と『尺には尺を』のふたつの上演を観劇した私として、まず観客の少なさに驚いたことを報告しなければいけない。がらがらということではないが、以前、このメンバーで、シェイクスピアの歴史劇を上演したときには、満席だったような同じ劇場が、日曜日にもかかわらず空席が目立った――二つの作品に共通して。シェイクスピア作品としては知名度が低いからかもしれないが、それにしても、このようなすぐれた舞台に多くの観客が集まらないことは残念でならない。コロナ渦以前の状態にはまだ戻っていないのかもしれない。あるいはコロナ渦は、演劇のチケットの値上がりも含め、演劇興行に変更できないような変化をもたらしたのかもしれない。

そしてその代償というか反動かもしれないことは、昨今、どの劇場でも空席が目立つなか、スタンディングオベーションが常態化したことである。私は、どちらの作品のときも立ち上がらなかった。べつに舞台がスタンディングオベーションに値しないということではまったくない。猪瀬氏は「僕は演出も役者もよく頑張っていたと思うのできちんと拍手をした。ところが全員が立ち上がるので違和感を感じてあえて着席したままでいた。なぜなら周囲を見渡しながらそろそろと立ちあがるからです。あたかも同調圧力のような空気でした」と述べているが、私も拍手をしたが立ち上がらなかった。同調圧力に反対したのではなく腰が痛くて立ち上がるだけでも気力を要したからである。とはいえ、ほんとうに観客全員とまでいかなくても大多数が立ち上がっていたということはない。

なお舞台そのものについては稿をあらためる。
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2023年12月16日

ウィジャボード

CSでアメリカ海軍の最新鋭空母〈ジェラルド・R・フォード〉の内部構造や運用の実態を紹介するアメリカの番組をみていたときのことである。航空機の発着艦や甲板上の駐機・配置を管轄する区画が艦橋内にあって、その区画には、飛行甲板を模した大きなボードがテーブル上に平置きされ、そこに航空機の平面形を模したプレートが盤面上の駒として配置されている。飛行甲板を見下ろすその区画で説明する係官(空母航空団の司令ではなかったと思うが)は、飛行甲板を模したそのボードを「ウィジャボード」と呼んでいた。

「ウィジャボード」? 英語でどう綴るのかと不思議に思ったのだが……。

こっくりさんというのはWikipediaによると
コックリさん(狐狗狸さん)とは、西洋の「テーブル・ターニング(Table-turning)」に起源を持つ占いの一種。机に乗せた人の手がひとりでに動く現象は心霊現象だと古くから信じられていた。科学的には意識に関係なく体が動くオートマティスムの一種と見られている。「コックリさん」と呼ばれるようになったものは、日本で19世紀末から流行したものだが、これは「ウィジャボード」という名前の製品が発売されたりした海外での流行と同時期で、外国船員を通して伝わったという話がある。

Wikipediaの説明は、いつものように支離滅裂でよくわからない。

Wikipediaの「こっくりさん」の項目は、「こっくりさん」を「ターニング・テーブル」と同じであるという前提に立っているのだが、みんなでテーブルに両手をおいて呪文をとなえるとテーブルががたがた動き始めるというのが降霊会で行なわれる「ターニング・テーブル」だが、これはこっくりさんのやり方ではない。上記のWikipediaの説明に出てくる「ウィジャボード」のほうが、こっくりさんにずっと近い。

「ウィジャボード」?
ただ、その前にWikipediaの「こっくりさん」の記事を一部引用してみる。
概要
日本では通常、狐の霊を呼び出す行為(降霊術)と信じられており、そのため「狐狗狸さん」の字が当てられることがある。机の上に「はい、いいえ、鳥居、男、女、0〜9(できれば漢字で書いた方が良い)までの数字、五十音表」を記入した紙を置き、その紙の上に硬貨(主に五円硬貨もしくは十円硬貨)を置いて参加者全員の人差し指を添えていく。全員が力を抜いて「コックリさん、コックリさん、おいでください。」と呼びかけると硬貨が動く。コックリさんと呼ばず“エンジェルさん”などと呼びかえるバリエーションも存在する。エンジェルさんの場合鳥居ではなくキューピッドを書く事で同じ効果があると言われている。

ちなみに「こっくりさん」を狐の霊と考えるのは「こっくり」に「狐狗狸」の漢字をあてたからだが、あくまでも当て字で、最初から、その漢字表記があったわけではない。それは以下の引用からもわかる。
起源と普及
その起源は明確ではないが、レオナルド・ダ・ヴィンチが自著において「テーブル・ターニング」と同種の現象に言及しているので、15世紀のヨーロッパでは既に行われていたとも推測される[3]。

西洋で流行した「テーブル・ターニング」とは、数人がテーブルを囲み、手を乗せる。やがてテーブルがひとりでに傾いたり、移動したりする。出席者の中の霊能力がある人を霊媒として介し、あの世の霊の意志が表明されると考えられた。また、霊の働きでアルファベットなどを記した板の文字を指差すことにより、霊との会話を行うという試みがなされた。【テーブルの振動から文字を指すことまでの移行がこの中途半端な記述ではよくわからない。いつものWikipediaの記述なのだが】

井上円了によると、日本においては、1884年に伊豆半島下田沖に漂着したアメリカの船員が自国で大流行していたテーブル・ターニングを地元の住民に見せたことをきっかけに、各地の港経由で日本でも流行するようになったという。このたぐいの板を指す現代の語「ウィジャボード」は元々は1880年代頃に発売された製品の商標に由来し、その発売時期とほぼ同じ頃である。当時の日本にはテーブルが普及していなかったので、代わりにお櫃(ひつ)を3本の竹で支える形のものを作って行なった[3]。お櫃を用いた机が「こっくり、こっくりと傾く」様子から“こっくり”や“こっくりさん”と呼ぶようになり、やがて“こっくり”に「狐(きつね)」、「狗(いぬ)」、「狸(たぬき)」の文字を当て「狐狗狸」と書くようになったという。また、「コークリさん」「お狐さん」とも呼ばれる。以下略。

ちなみに上記の記述を見出したとき、私は「井上円了珈琲物語」コーヒーを飲んでいた。「井上円了珈琲物語」のタイトルで売られている一杯分が個別包装されたドリップコーヒーなのだが、通常一杯分は挽いた豆が7グラムか8グラム程度のなのだが、この「井上円了珈琲物語」は一杯分が10グラムあって、たっぷりコーヒーを入れることができる。

井上円了は東洋大学の創設者。「井上円了珈琲物語」は東洋大学とサザコーヒーが開発したオリジナルコーヒーで、市販はされていないようだが、ネット上の「東洋大学オリジナルグッズショップ」で買い求めることができるとのこと。私は自信をもってこのコーヒーをお奨めする。

なぜそれを私が飲んでいるのかというと、先日、東洋大学で講演を頼まれた際にお土産でもらったものだが、りっぱなコーヒーで驚いている。ありがたくいただいていて、その最後の一杯を飲んでいるときに、上記の記事で、井上円了への言及に遭遇した。

井上円了が「こっくりさん」をどう考えていたかについて、Wikipediaは次のように説明している。
井上円了は普及当時から研究に取り組み、「世人のこれを信ずるゆえんを明らかにしたるをもって、ここにその道理を述べて、いささか愚民に諭すところあらんとす」として『妖怪玄談』を記した。その中で「コックリに向かって答えを得るは、極めて単純なることか、または一般に関することに限り、その複雑または細密のことに至りては、コックリの応答を得ること難し。例えば、コックリに向かって明日は雨か晴れかをたずぬるときは、その応答を得べきも、何時何分より雨降り、何時何分に風起こるかをたずぬるも、決してその応答を得べからず。これまた、コックリは鬼神のなすところにあらざる一証なり。」と、予期意向と不覚筋動が原因であると結論付けた。

おそらくこれ以上の説明は現時点では考えられないであろう。

ただし、これはターニング・テーブルよりもウィジャー・ボードにも等しく、あるいはそれ以上にあてはまる。

ウィジャボードについてWikipediaではこう説明している。
ウィジャボード(英: Ouija board、ウィジィボード)は、降霊術もしくは交霊術を崩した娯楽のために用いる文字盤。1890年イライジャ・ボンド(英語版)が米国特許を取得。1892年にパーカー・ブラザーズ社が占い用ゲーム用品として発売した商品で[1]、ウイジャ(Ouija)とは、フランス語で「はい」を意味する Oui と、ドイツ語で「はい」を意味する Ja から作られた造語である。19世紀中盤に始まる心霊主義に起源を持つ。当時は人の死後の霊魂と会話するために振り子や自動筆記などの技術を用いていた。

ウィジャボードはアルファベットや数字などの文字が書かれたボードが一枚と、文字を指し示すためのプランシェットという器具一個からなる。 遊び方(使い方)は日本のコックリさんと似ている。複数人で文字盤を囲み、参加者全員が文字盤の上に置かれたプランシェットに手や指を添える。誰かが質問をすると、プランシェットが動き出し、回答を文字で指し示す。
中略
アメリカ海軍では、航空母艦等で艦載機等の駐機・格納・発着艦計画を検討するための机上演習盤(スポッティングボード)をこれになぞらえて「ウィジャボード」と呼ぶことがある。

あっ、アメリカ海軍の「ウィジャボード」が出てきた。私がテレビで見たのは盤面状のウィジャボードだったが、液晶ディスプレイ型のも当然存在しているが、ボードゲームのようなアナログ的なウィジャボードが今も使われているということだろうか――ジェラルド・R・フォードのような最新鋭の空母においても。

それはともかく、この記述もわかりにくい。言及されているプランシェットというのは、ハート形をした木製あるいはプラスチックの盤で、そこに文字を指し示す機具がついているもの。

また語源については英語版のWikipediaが
Etymology
The popular belief that the word Ouija comes from the French and German words for yes is a misconception. In fact, the name was given from a word spelled out on the board when medium Helen Peters Nosworthy asked the board to name itself. When asked what the word meant, it responded "Good Luck."

と記述している。ウィジャOuijaは「幸運」を意味する言葉だと、当のウィジャボードが答えたとのこと。フランス語、ドイツ語とは関係はないようだ。

ちなみに「1892年にパーカー・ブラザーズ社が占い用ゲーム用品として発売した商品で[1]」という記述が典拠しているのは、つまり注の[1]で示されるのは「 『想い出のブックカフェ: 巽孝之書評集成』巽孝之、研究社, 2009」であって驚く。巽氏の博識はよく知られているところで、これはべつに驚かないが、記述の典拠として巽氏のこの本を引き合いに出すことは驚きである。それは巽氏の著書の重要部分ではないだろうし、あまたある文献のなかでなぜ巽氏のそれが選ばれているのか不思議である。

ウィジャボードについてだんだん思い出してきた。実際、それを使ったホラー映画もあった。私が見たことのあるのは、2014年のアメリカ映画『呪い襲い殺す』(Ouija)という映画である(監督:スタイルズ・ホワイト、主演:オリヴィア・クック)。日本で公開されなかったがブルーレイ・DVDは発売された。いまでは配信でもみることができる。そしていまとなってはわからなくなったが、なぜ私はこの映画を観たのだろうか。

オリヴィア・クック目当てでこの映画をみたわけではなかった。私が彼女のことは『レディ・プレーヤー1』(2018)ではじめて知ったといってよく、この映画『呪い襲い殺す』(しかし、なんちゅう邦題なのだ)は、おそらく誰かに勧められたのだと思う。優れた映画としてではなく、なにかのテーマを共有している作品として。

だがたしかなことはわからないというか忘れてしまった。ウィジャボードかこっくりさんで答えを聞いてみようか……。
posted by ohashi at 22:55| コメント | 更新情報をチェックする

二つの死 ピンターと飯島愛

ハロルド・ピンターと飯島愛

いまから15年前、2008年12月24日、私は二つの訃報をテレビを通して知ることになった。一つは、イギリスの劇作家でノーベル文学賞受賞者ハロルド・ピンター。Harold Pinter, 1930年10月10日 - 2008年12月24日。劇作家としては引退を宣言していたか、言論人としてはまだまだ語るべきことを多く残し、無念の死であった可能性もある。

その日以来、ピンターの作品について、自分なりに論ずることができればと本気で考えたが、その志をはたせずに、15年がたった。

と同時に、同じ24日に、私にとってのみならず、多くの日本人に衝撃的なもうひとつの訃報がもたらされた。タレントの飯島愛の死であった。しかも死後1週間くらいして発見された死であったことが衝撃を大きくした。

本日、次のようなネット記事があった。その一部を引用すると

飯島愛さん謎の孤独死から15年…関係者が明かした体調不良と、“暗躍した男性”の存在
2023/12/15 06:00 更新日:2023/12/15 11:37 日刊ゲンダイ

 “Tバックの女王”として一世風靡し、セクシー女優からタレントに転向後、女性からも愛された故・飯島愛さん(享年36)が謎の死を遂げて、12月17日で15年が経過する。20年3月29日に新型コロナウィルスの感染による肺炎で急死した国民的コメディアンの故・志村けんさん(享年70)とも親しいことで知られた飯島さんは、08年12月24日のクリスマスイブの日に東京・渋谷の自宅マンションで遺体となって発見された。36歳の若さだった。

死後、1週間経っていた孤独死。遺書がなかったことからさまざまな死亡原因が飛び交ったが、警察が行政解剖したが死因は特定できず、警視庁は肺炎と発表した。

「飯島さんは07年に体調を崩して、芸能界を引退。その後、芸能界復帰も噂されていただけに、飯島さんの死は芸能界を激震させました」(芸能ライター)

飯島さんは亡くなる1カ月前まで、東京・六本木「赤枝六本木診療所」の2階に住んでいた。飯島さんの主治医だった赤枝恒雄院長は飯島さんの死後、女性週刊誌の取材に「非常に精神的に追い詰められていた」と語っている。

「04年に体調を崩した飯島さんは当時、所属していた『ワタナベエンターテイメント』から赤枝院長を紹介され、死後、疑われた難病について、赤枝院長が自ら3回も検査したが噂された病気ではなかったことを明らかにしました。赤枝院長は飯島さんが精神的に追い詰められていたことは知っていましたが、その原因については把握していなかったようです」(女性週刊誌記者)
以下略。


この記事でははっきり書いていないが、「疑われた難病」とはエイズのこと。エイズではなかったとなぜはっきり書かないのは不明。

また飯島愛の死については、いまもなお謎を残しているのが、いたましい限りである。

私が、この訃報をテレビを通して知ったと述べたが、そのとき私は広島にいた。正確にいうと、広島大学に集中講義で来ていたのだ。宿舎としては大学内のゲストハウスをあてがわれた。宿泊者は、私だけということはなかったのだろうが、他の宿泊者の姿はみかけなかった。12月24日のクリスマスイブ、私は自室にいてテレビを見ていたのである。

冬期の集中講義で、クリスマスは正規の休日ではないので、クリスマスをなかに挟んでの一週間の講義である。世間では、25日は日本全国の大学では授業はなく学生や教員は実質的に冬休みに入っていたのだが、集中講義となると教員は御用納め直前まで授業をし学生もそれに参加することになっていた。

また広島大学は、かつては広島市にキャンパスがあったのだが、私が集中講義をする頃には広島市郊外の東広島市にキャンパスが移転して、学生も学内の寮とか大学近隣に居住することが多くなっていた。勉強するにはよい環境である。なにしろ学園都市としての東広島市は、遊ぶところというか、広島市に匹敵するようなにぎやかな繁華街はない。学生は勉強するしかない。クリスマスをはさんでの集中講義でも、近隣に刺激がないので、ただひきこもって勉強するしかないので、あまり気にならない。実際、出席率は高かった。

とはいえこうした事情をその当時、私は何も知らなくて、授業に出ていた学生というか院生からクリスマスイブなのでパーティのようなことをしませんかと誘われたのだが、私は、院生たちが義理で私にも声をかけてくれたのだろうと思い、私のような年寄りが学生にまじっても面白くないだろうから、みんなで楽しくやってくださいと断った。そして宿泊施設の自室で一人クリスマスイブを過ごしたのだが、実は、私が断ったので、院生たちも、イブにわざわざ集まる口実がなくなった。そのためみんななにもしなかったのこと。なにか悪いことをしたと反省した次第だが、学期中でもあって、クリスマスパーティで盛り上がるというような習慣などなかったようで、そのことも私は意外だった。

というか先生である私がイブに異郷でひとり寂しく過ごすのはかわいそうだから、みんなで集まって盛り上げてあげようという「親心」だったのかもしれないが、その空気を読めなかった私が相変わらずのバカであったというべきか。

ちなみに集中講義の最後の日は授業後、院生と居酒屋で打ち上げをした。大学の正門で落ち合って、市中の繁華街にある居酒屋へむかったのだが、夜、歩けども歩けども、周囲の道の暗さは変わらない。私は院生に尋ねた、いま私たちは繁華街にむかっているのか、あるいは繁華街からは遠ざかったところに行こうとしているのかと。繁華街に向かっているという答えだったが、繁華街に近づいているという感じがしなかった。道はあいかわらず暗く、徐々に明るくなる(繁華街に近づきつつある)ことはなく。駅前の周囲に飲み屋街がこじんまりとあるだけだった。

15年前のことである。いまは、もっとにぎやかになっているのだろうが。

そして改めて飯島愛とハロルド・ピンターの冥福を祈りたい。
posted by ohashi at 00:04| コメント | 更新情報をチェックする