2023年11月23日

『スラムドッグス』


タイトルは日本で勝手につけたもの。Slumdogというのは、犬のことではなくて人間のこと。『スラムドッグ$ミリオネア』(原題: Slumdog Millionaire)が初出らしいのだが。ちなみに原題にない$が日本語のタイトルに入っているのは、『クイズ$ミリオネア』をもじっているからだろう。

繰り返すがスラムドッグという犬の種類はない。スラム街にいる貧民がスラムドッグ。この映画の原題はStraysつまり「野良犬」ということ。「野良犬」もメタファーとして使われるが、野良犬はまた犬の種類でもある。

今年観た映画のなかでは、面白さと下品さでは最高(最低というべきか)の映画だった。Wikipediaのあらすじ紹介にはこうある。
ボーダー・テリアのレジーはある日、飼い主のダグに家から遠く離れた原野に捨てられてしまう。

ピュアなレジーはこれが投げられたボールを取りに行く、いつものゲームだと信じて疑わず、家を目指してさまよっていたが、そこで野良犬のリーダー的存在のボストン・テリアのバグと出会い、自分が捨てられたことを知る。

大好きな飼い主のダグが最低なヤツだということを知ったレジーはダグへの復讐を決意、バグとその仲間と共に珍道中を繰り広げながら街を目指す。

このあらすじ、最初からまちがっている。主人公のレジーは「原野」に捨てられてはいない。大都会の、どちらかといえばスラム街に近いところに置き去りにされる。そもそも原野に捨てられたりしたら、仲間の野良犬と出会うことはまれである。大都会の片隅なら、野良犬はいっぱいいる。

飼い主と離れ離れになった犬が、苦難を乗り越えて飼い主と再会するという物語を予想してはいけない。自分を捨てた飼い主に復讐すべくもといた家に帰ってくるという物語。飼い主は車で3時間のところにある大都会に行って捨ててくる。捨てられ、野良犬生活を余儀なくされても、わずかな手掛かりをもとに、また仲間の野良犬たちの助けもかりて、レジーは帰ってくる。だが感動的な再会などない。相変わらずクズで****男の元飼い主は、もどってきたレジーを殺そうとする。レジーは、そこで仲間の力も借りて、飼い主のペニスにかみつき、どうやら食いちぎったらしい。
【最後のエンドクレジット中に、入院中の飼い主の姿がうつる。医師から飼い主は告げられる、ペニスはつながりませんでした、と。え~F***k!となる。】

この復讐をとげるまでの犬たちのやりとりがなんとも下品で楽しい。下ネタ満載である。とりわけペニス・ネタとオナニー・ネタが多い。

ほかにも下ネタがある。たとえば終わりのほうで犬がセックスをしている。それをみている老夫婦(にみえる)のうち男性のほうが、「昔を思い出す」と女性に語ると、女性は「あら、あなた昔は犬とセックスをしていたの」と真顔で聞く。なんとかしてほしい、このくだらない下ネタギャグを。

映画会社のホームページには「大人のペット物語」とあるのだが、ちがう、これは「成人向けのペット物語」である。大人向けではなく、成人向け。実際PG12。まあ子供にみせてはいけない映画だが、吹き替え版をつくって、字幕版より吹き替え版のほうが上映回数が多い。ただし絶対に家族でみにいってはいけません。子供には絶対にみせないこと。

吹き替え版は、家族向けの映画と勘違いしたか、あえて家族向けのほほえましい映画として売り込もうとした映画会社の戦略で声優を多用したかったのかわからないが、字幕版でみるほうがいい。犬たちの気持ちは、すべてヴォイスオーヴァーなのだが、ジェイミー・リー・フォックスの語りは、くせの強い、いわゆる「黒人の」英語なのだが、聞き取りやすい。他の俳優たちの声も、まあ、犬の気持ちだからということもあるのかもしれないが、英語は鮮明である。

犬が飼い主の性格や習慣や履歴を語るものとして『僕のワンダフルライフ』とその続編『僕のワンダフルジャーニー』を挙げることができるが、どちらの映画にも飼い主役として出演しているデニス・クウェイドが、この映画にも顔を出している。またどちらの映画にも犬の語りを担当しているジョシュ・ギャッドが、本作にも犬の声を担当している。ただし、本作では、ほかの犬たちからは「ナレーション犬」だといわれている。そのナレーションのなかで彼が語るのは、飼い主がシリアルキラーで、庭に死体が三体埋まっているということ――怖すぎるわい。

とにかく、おすすめはしないが、面白い映画だった。できれば一人で見に行ったほうが、楽しめる。家族や子供とは絶対に行かないこと。ネットでは、ガールフレンドとは行かないようにという意見があった。
posted by ohashi at 00:08| 映画 | 更新情報をチェックする