2023年11月17日

配信の『ロミオとジュリエット』二編 1

11月17日より、NODA・MAP第25回公演『Q』: A Night At The Kabuki【←この表記でよいのか疑問だが】の配信がはじまった。ネット上のNODA・MAPでは、
2022年、東京・ロンドン・大阪・台北の世界4都市を巡るワールドツアーを成功させたNODA・MAP第25回公演『Q』: A Night At The Kabuki。初演時のオリジナルキャスト10名が再集結し、野田秀樹演出のもと世界に挑んだロンドン公演を現地撮影した舞台映像の本邦初公開、そしてNODA・MAP作品としては初の試みとなる世界配信が決定しました!

とあり、さらに
2組のロミジュリ(瑯壬生/愁里愛)を演じる松たか子、上川隆也、広瀬すず、志尊淳をはじめ、橋本さとし、小松和重、伊勢佳世、羽野晶紀、野田秀樹、そして竹中直人と世代もキャリアも異なる総勢10名の人気俳優陣が再び一堂に会し、英国ロンドン、サドラーズ・ウェルズ劇場での海外公演に挑みました。

とある。配信は11月30日まで。チケットは完売はないので、いつでも申し込め、30日までならいつでも視聴できる。舞台は観ていなかったので、11月17日正午からはじまった配信をさっそく視聴した。

恥ずかしながら予備知識ゼロで視聴したので、最初、どんな芝居なのわからず戸惑ったのだが、それもすぐにシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』だとわかった。これは私のような凡人でも途中からわかると思う。慧眼な人は最初からわかる。

若い二人と、中年になった二人がからみある。どうやら若い二人は死ななかったようで、中年になった二人が、とりわけジュリエット/が自分たちの運命を変えようと奔走する。

だが、こうした物語・歴史改変物というのは、結局変わらなかったということで悲劇性を増す結末を迎えることがふつうである。ネタバレになっても、観劇体験に影響はないと思うので記せば、結局、未来のロミオとジュリエットの努力にもかかわらず、若い二人は死を迎え、二人を記念した黄金の像が建てられる。だが二人は誰も知らないまま生きていて、よみがえる。二人の生存が知られてはまずい両家は、ジュリエットを尼寺に入れる。ロミオのほうは無名戦士となって従軍する――シベリアあるいは満州に。ロミオはシベリアのラーゲリに収容され日本に帰れぬまま、ジュリエットに手紙をしたためる。だが、その手紙は届かないとも届いたともいえず、手紙を受けとったジュリエットは、自分たちの過去の運命をかえるべく過去へとタイムリープする。そして冒頭につながるという趣向になる。

このアダプテーションがリアリティと説得力をもつのは、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』は、基本的に喜劇的構造をもっている――困難な状況を知恵と勇気で打開し最後にむすばれるという筋立てであってもおかしくない。喜劇を壊すことで悲劇が生まれているのだが、喜劇というのは、悲劇的要素を退けることで成立もするのであって、この芝居の随所に喜劇にも悲劇にどちらにもころぶ分岐点が多数ある。未来のロミオとジュリエットが過去の自分たちの運命を変えようとする設定は、こうした分岐点をあらわにしている。そしてこの分岐点こそ、この芝居の可能性の中心なのである。

2022年のロンドン公演での録画だが、それにしても、この作品自体が、2022年とみごとにシンクロしているのは不思議な感じがする。対立する両家の争いというのは、源氏と平家の争いというかたちに翻案されている。ロミオが平家の清盛の息子、ジュリエットが、源氏の頼朝の妹という設定である。思い出すのは2022年の話題の中心のひとつはNHKの大河ドラマ『鎌倉殿の13人』だった。平氏と源氏の争いから北条政権の誕生へとつづく大河ドラマをなぞるように、この芝居も、平氏滅亡、そして源頼朝の政権へとつづく流れを出現させる。木曽義仲、巴御前も登場する。また権力を握った頼朝は、妹ジュリエットを北条義時(小栗旬が演じていた)に嫁がせようする(また頼朝の突然死――大河ドラマを復習している錯覚に陥る)。

と同時に後半(前半が1時間30分、後半が1時間。休憩も入ったのだろが、録画では休憩はカットされている)には、ロミオが、シベリアのラーゲリに収容されるのだが(鎌倉時代から20世紀の終戦直後へと物語の時空間は移動する)、ラーゲリからの手紙をというのは、映画『ラーゲリより愛を込めて』で扱われていたのと同じ趣向である。この芝居が映画をパクったのかと思ったのだが、ロンドン公演は9月で、日本では映画は2022年12月9日公開だから、映画のほうが後。ただそれにしても没収されてしまい、とどくことのない手紙を仲間が暗記して伝えるという設定を芝居と映画が共有している、あるいは芝居と映画がシンクロしているのは不思議【なおこれは、現在放送中の『SPY×FAMILY』と、Neflix配信の『クレージー・クルーズ』(坂元裕二脚本)が、ともに客船内を舞台としている、そのシンクロぶりをほうふつとさせるものがある】。とはいえ手紙の内容の暗記は、実際にあった出来事であり、それは映画の原作にもなった辺見じゅんのノンフィクション『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』が詳しく伝えているところでもある。だからパクリではない。

パクリではないどころか野田版の『ロミオとジュリエット』における独創性こそ評価されるべきだろう。そもそも届かなかった手紙というモチーフは、届く手紙のモチーフもふくめ、シェイクスピア劇に多い(シェイクスピアと手紙という研究書もある)。そしてこの芝居では、届かなかった手紙のモチーフが、なんとラーゲリから来た手紙と合体させられているのである。この合体と設定には作者の天才性をうかがわせるに充分なものがあるように思う。

ラーゲリはまた戦争とも結びつく。野田版『ロミオとジュリエット』は、戦争の時代、すなわち源平平合戦から鎌倉幕府への時代と、シベリア出兵や満州事変の時代を喚起して、二人の恋人たちの運命のバックドロップに戦争をもってきたことも特筆に値する。いやありふれた設定かもしれないが、現在時において戦争の影のない場所は地球上どこにもないのだから。

舞台中継の配信に、充分満足した私だが、それでもあえて苦言を呈すれば、乳母役の俳優が異次元の下手さで目立った。おそらく何らかの事情によってほかの俳優にやらせることができなかったと思われるこの乳母は、この乳母だけが演出家のチェックが甘いような気がした。野田秀樹氏がきびしくチェックしていれば、この乳母役の俳優(男性が演じている)に厳しくダメ出しをしていたはずである。この乳母役にかぎって野田秀樹氏の演出の冴えがみえないのは残念なことある。

posted by ohashi at 20:12| 演劇 | 更新情報をチェックする