2023年09月21日

冷奴にカラシ

本日の『秘密のケンミンショー極み』では、石川県では冷奴にからしをつけて食べるということが紹介されていた。ただ、番組で紹介された調査結果によれば、日本全国、冷奴といっしょに食べる薬味は、圧倒的にショウガ派が多いのだが、カラシ派も一定数いて、それは石川県民だけでは説明付かない割合であった。つまり全国にカラシ派が少数ながら散らばっているということである。

ネット上にこんな記事があった。
意外に多い「冷奴はからし」派...石川中心に中部~関西で人気
Jタウン研究所 2014.09.12 11:00

日本豆腐協会のウェブサイトによると、庶民が豆腐を食べるようになったのは江戸時代中期以降で、醤油とともに広まったという。

冷奴(ひややっこ)の薬味といえば、おろし生姜(しょうが)というのが一般的だ。ところが、しょうがではなく辛子(からし)としょう油で冷奴を食べる地域がある。これは特定の地域に限ったことなのか、それとも全国的な現象なのか。

Jタウンネットでは2014年7月4日から9月8日までの約2カ月間、「冷奴は『からし派』それとも『しょうが派』?」というテーマでアンケートを実施したところ、全国から1445人に投票いただいた。

選択肢は「しょうが」「からし」「どちらも!」「その他」の4つ。

全国総計で見ると、「しょうが」の得票率が75.6%と圧倒的で、「からし」は8.0%しかなかった。このほか「どちらも!」は6.8%で、「その他」は9.6%にとどまった。以下略

この記事の統計表では、東京にもカラシ派が8.1%いる。また石川県以外にもカラシ派が8%以上の県がある。ただし、これはショウガが好きかカラシが好きかという好き嫌いの調査であって、冷奴の薬味としてはカラシも、人気のあるなし、好き嫌いは別にして、りっぱな選択肢であることは間違いないといえる。石川県一県の話ではないと断言できる。

カラシといっしょに冷奴を食べるのは石川県からはじまったらしいが、冷奴にカラシを添えるのは、けっこうふつうに行われていたように思う。

実は、私は冷奴にカラシというのは伝統的な選択肢だと思っていた。

というのも、私の学生時代、大学の学食で、冷奴の小皿にカラシがついていたのである(納豆のパックに入っているようなカラシの小袋だったかもしれないのだが)。大学は東京にある大学である。私は名古屋から東京にやってきて、その大学に入学したのだが、名古屋における私の家庭では、冷奴はショウガで食べていた。冷奴をカラシで食べるというのははじめてのことである。私は学食で、冷奴をカラシで食べるなんて珍しいのではと大学のクラスメイトに話そうとしたが、東京に自宅のあるそのクラスメイトは、平然とカラシ付きの冷奴を食べているので、東京では冷奴をカラシで食べるのかと理解したつもりになっていた。

以後、この歳になるまで、冷奴は、オロシショウガと刻みネギと醤油で食べることにしているが、ショウガないときなどはカラシで食べていた。本日、秘密のケンミンショー極みを観るまで、それが東京のやり方だと思っていた。なぜなら大学の学食で、冷奴にカラシがついていたからである。

ただネット上で、次ような記事をみつけた。
楽ブログ MoChaco
日々の生活に役立つ情報2018年2月10日

冷や奴&カラシとの出会い
そんな運命の出会いですが、突然訪れました。それは、会社のお昼ごはんの時間です。僕の会社は、給食会社のお弁当です。作ってくれてる人には申し訳ないのですが、味の方はあまり美味ではありません。こういう給食会社の全般に言えるみたいですね。
中略 その会社の弁当に小さい豆腐のパックが入っており、そのパックにはカラシがついていたんです。僕は弁当の中をしっかりと確認してみました。

他のおかずで、何かカラシをつかうものがあるか探したんですが…何一つありませんでした。

僕からすると…、は?豆腐にカラシって…どういう事??ちょっと意味が分からない…状態です。でも、明らかに豆腐にカラシが付けてあります。明らかに、これは弁当を作っている人の挑戦状だと思いました。

挑戦されたからには、受けない訳にはいきません。とことん相手にのってやろうという事で、豆腐のカップから豆腐を引きずり出し、その色白な肌にカラシを塗りたくり、添付されているネギと醤油を降り注がせました。

そして、食べた訳です。感想は先ほど述べましたが、かなり美味しかった訳です。本当に目からうろこの状態だったんです。

この記事は豆腐のパックにカラシがついていたことを伝えている。ただ、それは給食会社の挑戦でもなんでもないだろう(本人にとっての挑戦だとしても)。豆腐にカラシというのは、たとえ人気はなくても、りっぱな選択肢であるひとつであった――今も昔も—の証拠としてこの記事をあげておきたい。

そもそも、学食、社食(ときには弁当など)に冷奴を出す場合、ショウガの薬味はつけづらい。手間もかかるし、お金もかかる。そのため手軽な薬味としてカラシが使われるというか添えられる。そしてそれは一時期、日本全国で、常態化していたのではないか。

今から50年前の大学の学食で、私のクラスメイトで、東京で生まれた友人は、まったく平然と、カラシ付きの冷奴を食べていたのだ。それが石川県限定の現象というのは、秘密のケンミンショー極みが垂れ流している神話ではないか。そもそもカラシは、江戸時代には寿司とか刺身にも使われていた。万能の薬味であり、また粉のカラシなら、水で溶いて簡単に準備できる。冷奴に、ショウガとか鰹節あるいはネギなどを簡単に、あるいは金銭上の問題で、用意できないとき、カラシを添えたということは、いまでこそすたれたしまったことかもしれないが、昭和の時代には、ふつうに行われていたことだったと、私は確信している。

posted by ohashi at 23:04| コメント | 更新情報をチェックする

2023年09月19日

映画館のマナー

ラーメン店から

ラーメン店というのは、大変厳しい業態のようで、新規開店しても長続きする店は少ないらしい。最近ではコロナ禍で客足も途絶えて閉店する店が増えたのではと思っていたが、実のところコロナ禍では補償金などがあってつぶれずにすんでいたとのこと。むしろ補助金が終わったポストコロナ渦の今になって経営不振で閉店する店が増えているということらしい。

そんな厳しい現実にさらされているラーメン店だが、いっぽうで、ラーメン店ほど注文の多い料理店はない。あるいは入店するのが、ためらわれる店のトップはラーメン店ではないだろうか。変わらぬラーメン人気にもかかわらず。

ネット上に「ラーメン屋が偉そうでムカつく!最悪な態度や厳しいルール事例まとめ」という記事があった。2020年のちょっと古い記事である。そのなかで列挙された最悪の態度とか厳しいルールとは、次のようなものである。
最悪の態度:
店主に怒鳴られた
「ラーメン」と注文したら「中華そばしかない」と言われた
美味しいと感想を述べただけで「黙って食べな」と言われた
食べるのが遅かったからか「早く帰ってくれ」と言われた
全部食べきるまで帰れない
上から目線の暴言を吐いてきた
注文間違いを指摘したら逆ギレされた

厳しいルール:
通話はもちろん携帯の操作禁止、着信が鳴ってもダメ
私語厳禁
従業員への叱咤激励はやめて温かい目で見守ってほしい
赤ちゃん連れ、子供連れはお断り
好みの麺のかたさなどの要望には応じられない
大盛禁止
はじめに麺から食べたら退場
店主のルールに合わない客は客じゃない

たしかにラーメン店は注文が多くてうんざりすることがある。ここでいう注文が多いとは、客からの注文が多いということではなく、店側から客に対する注文が多いということである。

もちろん客側も、周囲の客に迷惑をかけないというマナーを守るということは大前提であるが、マナーを守ったうえでなら、私語は問題ないし、麺とスープどちらから先に口に入れるべきかといったことなど客の自由でいいではないか。店側から客側に対し食べ方まで規制するというのは、正直やりすぎではないか。実際、そんな店が多いのは確かで、せっかく美味しいラーメンを供されても、店側の姿勢によって客がうんざりして来なくなるということはあるだろう。

周囲に迷惑とならない限り、私語を発して盛り上がったり、座席くらい蹴とばしてもいいじゃないか……。

とここで思い出した――ネットにおける以下のような記事(オリジナルはWeb『女性自身』の記事らしいが)を。
「座席ぐらい蹴飛ばしてほしい」山田洋次監督 映画鑑賞マナーに持論もネット猛反発「余計なこと言わないで」「冗談じゃない」Web女性自身のニュース
Yah
ooニュース 9/14(木) 18:00配信

9月13日、都内で行われた映画『こんにちは、母さん』の公開中舞台あいさつに登壇した山田洋次監督(92)。【中略】トークショーでのコメント。司会者から「(観客は)映画館に1人で行っているんだけども、みんなで笑ってみんなで一緒に観ているような気がする。これ、素晴らしい映画体験だと思うんですけども」と向けられると、次のように語ったのだった。

「いま映画館に行くと、“大声で笑ったりしちゃいけない”って(スクリーン)に出てきたりしますよね。やたらに“ものを食べるな”とか、“前のシートを蹴飛ばすな”とかね。僕は本当に、あれがあまり好きじゃない。お金払って楽しみに来てるのに、『ああしちゃいけない、こうしちゃいけない』となぜ言われなきゃいけないんだっていう。

僕は大いに笑ってほしいと思う。座席ぐらい蹴飛ばしてほしいと思う。ビール飲んだり、タバコ吸ったりしたっていいじゃないかと思う。そういう風に映画を楽しんでほしい、そんな思いでこの映画を作りました。だから、みなさんがワイワイ笑って映画を観てくださるのが、本当に僕にとっては嬉しいことです」


山田監督が熱く語った持論に、ネット上では《分かる》《監督に賛成!!》と理解を示す声が。

だがいっぽうで、大手シネコンをはじめとした多くの映画館では「上映中のおしゃべり」「喫煙」「前の座席を蹴る」「他店からの飲食物の持ち込み」といった行為はマナー違反として控えるよう観客に呼びかけている。最近ではスマホが普及したことによって、スマホの光や音が迷惑になることも問題視されている。

また、映画鑑賞料金も年々値上げの傾向にあり、今年6月1日にはシネコン大手TOHOシネマズが全国71拠点で一般料金を1,900円から2,000円に改定。シニアやレイトショーなどの一部券種も同様に、100円の値上げがなされた。

そうした背景もあり、“鑑賞料金を支払っているのだからマナーは守るべき”と、山田監督の意見に反対する声が相次いでいる。

《勘弁してください。冗談じゃない》
《時代遅れ? いやいや、昭和だってそんなの迷惑でしかないよ》
《お金払って観るからこそ、マナーは守ってほしい!監督余計なこと言わないで》
《映画で大いに笑うのはいいですが、やはりマナーを守らないと楽しさが半減してしまいます。 無料の娯楽施設ならまだしも決して安くない料金を払って観ているので、携帯の音や光、食べる音、後ろを蹴られるのはやはり不快です。今はいちいち注意喚起しないと気付かない人がいるので、初めに言ってもらえるのは有り難いと思います》

「お金を払っている」の価値観は山田監督と観客側では、乖離があったようだ。

この発言に対し、92歳のクソ爺が何をいうかと私は憤りで震えた。まあネット状でも反対意見が相次いだことは私の怒りと同じものを感じた人たちがいてちょっと安心した。

そもそも「“大声で笑ったりしちゃいけない”って(スクリーン)に出てきたりしますよね」と山田洋次監督は語っているが、実際には、そんな注意は出てこない。映画館での上映前の注意喚起は映画館によっても多少異なるが、だいたい以下のようなものである。

スマホ・ケータイの電源を切る。おしゃべりを控える。(映画館で買ったもの以外の)食べ物の持ち込まない。撮影禁止。前の席を蹴らない。前かがみにならない。
【現在のシネコン形式の映画館は客席の勾配が急で、前の座席の人間が前かがみになっても見えにくくなることはない。実際、画面に魅入るというかたちで前かがみになって観る人間はけっこういる。もちろん客席の傾斜が急ではない映画館では、これは絶対にやってはいけないことである。とりわけ劇場では、前かがみになるなと開演前にうるさく注意される。ちなみにBunkamuraル・シネマ渋谷宮下では前の席がはなれすぎていて、蹴ろうとしても蹴れません。】


だから大声で笑うなと映画館で注意喚起などしていない。ただ、山田洋次監督が訴えたのは、自分の映画を楽しくみてくれればいいので、映画会社とか映画館側が、映画の見方をうるさく言うなということなのだろう。『男はつらいよ』シリーズも、本来なら人情喜劇の娯楽作品であるのに、50作の映画シリーズとなって国民的文化遺産へと祭り上げられると、作品を学術的・分析的に考察し、そのシリーズのなかに人生に対する深い教訓なり省察を見出そうとするような鑑賞態度が生まれてくる。そうなると娯楽作品本来の楽しさや面白さが失われてしまうことを危惧して、あるいは憤慨して、観客が煙草を吸ってもいいのではないか、前の席を蹴ったってかまわないのではないかという発言が生まれたのだろう。比喩としてなら、強烈な比喩だが(気楽で自由な鑑賞態度の比喩として迷惑行為が挙げられているので)、理解できないわけではない。だが、比喩ではなく、文字通りのことを推奨しているのなら、つまり傍若無人な迷惑人間たれといっているのなら、これはとんでもない暴言である。

お金を払って観ているのだから、周囲に迷惑をかけてもいいというのは、どういう理屈なのだろうか。同じお金を払っていて、片方は好き勝手に私の座席の背もたれの部分を蹴っている。私は同じ金を払っていながら、背もたれを蹴られ、映画に集中できず、不愉快な思いをし我慢しなければいけない。これはまったくもって不公平である。くりかえすが、どういう理屈なのだろうか。

おそらく映画館で煙草を吸うことも、前の席を蹴ることも、老人だから許されるという理屈なのだろう。これが92歳の老人の論理なのである。私にはその年齢にまで達していないので、なんとも言えないのだが、どうやら、老人とりわけ男性の高齢者のなかには、自分ならなにをしても許されると考えている不良老人が少なからずいるというか、みんな不良老人になってしまうように思われるのだ。
えない。

ある日の映画館で。男性の高齢者が一人、クッションをもって座席に座ろうとしていた。映画館に備え付けのクッションである。ということは、それって小さな子供が、座席の上に置いて、その上に座ることで、前がよく見えるようになるためのもので、大人用ではない。しかもそのクソ爺が私を追い抜いていったときにわかったのだが、クソ爺、私よりも背が高い。かなりの高身長である。それがクッションを置いてそのうえで座るのだから、座席の背もたれからは頭部だけでなく両肩が見えるくらいになっている。【腰とか痔の病気でクッションが必要だとしたらやむをえないという話になるが、体に不調を抱えているというふうには全く見えないのだが】

その映画館はシネコン形式の新しい映画館で、客席の段差は大きいから自分より前列の人の頭でスクリーンがさえぎられるということはない。しかし、高身長の男性が姿勢を正して座っていると、さすがにその後ろの席に座っている者にとっては、あろうことか、前が見えづらくなる。そのバカでかい男性のすぐ後ろの席に座っていた若い女性は、自分の両隣が空席だったので、右側の席に移動していた。

この迷惑老人、映画の途中で立ち上がって、外に出て行った。もう帰ってくるなと私は心のなかでせいせいしていたのだが、老人は、もどってきた。どうやらトイレに行ったようだ。ふたたび自分の席に着いたそのクソ爺は、携帯をちらちら見始めた。その都度、携帯の光が放射状に周囲に広がって気が散ってしかたがない。どうやら時計代わりに携帯で時間を確認しているらしい。

そのクソ爺は、二人連れで来ている。女性が隣に座っている。こういうカップルで来ている観客ほど態度や行儀が悪い人間はいない。そして必ずどちらかが付きあいで映画館に来ている。つまり映画など観たくはないか、たいていの映画がつまらないかのどちらかである。そんなやつ映画館に来るなと言ってやりたいが、その老人がまさにそれであった。そしてその後もクソ爺は、携帯で時間を確認しているようで、迷惑このうえもない。そして映画が終わってエンドクレジットが出ると、そのスクリーンのある部屋のなかで、誰よりも早く、連れの女性と、暗い中、外へと出て行った。クッションをもたずに、座席に置いたままで。

歳をとると、周囲のことなど気にならなくる。マナーを守ろうなどという気持ちなどなくなっている。自由に生きることが、周囲に迷惑をかけ、周囲からの憎悪の念を一身に浴びていることなど思いもよらないのである。そんなクソ爺に、山田洋次監督、あなたがなってしまっているのは、なんとも残念なことである。

posted by ohashi at 09:24| コメント | 更新情報をチェックする

2023年09月15日

『異人たちとの夏』

以下の記事があった。 
山田太一の名作小説をイギリスで映画化『異人たち』の邦題で2024年春、日本公開決定
ORICON NEWS 2023年9月15日

1987年に出版され、第1回山本周五郎賞を受賞した、脚本家・作家の山田太一による長編小説『異人たちとの夏』(新潮社)を原作とするアンドリュー・ヘイ監督の映画『All Of Us Strangers』(原題)が、『異人たち』の邦題で来年(2024年)春に日本で公開されることが決定した。

小説は、1988年に大林宣彦監督の手によって、風間杜夫、名取裕子、片岡鶴太郎、秋吉久美子の出演で映画化され、大ヒットを記録。2003年に英訳され、海外でも刊行された。そして、『荒野にて』(17年)、『さざなみ』(15年)などの代表作を持つアンドリュー・ヘイ監督が、現代のイギリスを舞台とした英語作品として新たに映画化した。
【中略】
出演はアンドリュー・スコット(『1917 命をかけた伝令』、『007:スペクター』)、ポール・メスカル(『ロスト・ドーター』)、ジェイミー・ベル(『リトル・ダンサー』、『ロケットマン』)、クレア・フォイ(『ファースト・マン』、『ウーマン・トーキング 私たちの選択』)ら、イギリス・アイルランドが誇る名優たちが名を連ねる。
【以下略】

さらにこの記事は、8月31日にアメリカ「テルライド映画祭」でワールドプレミア(世界初上映)を迎えた本作品は、好評をもって迎えられたことを伝えている。

この記事に付け加えるとすれば、原作が2003年に英訳されてから作品が広く知られ人気が出たようなことが示唆されているのだが、私は大林信彦監督の『異人たちの夏』を、イギリスにいて、テレビで観ている。今から30年以上も前の1991年のことである。

当時、イギリスではジャパン・フェスティヴァルのような催しを行っていて、日本の映画をテレビでも紹介していた(映画館だけでなく)。ただしそのフェスティヴァルで紹介された日本映画作品だったのか、あるいはフェスティヴァルとは関係なく、テレビで紹介された日本映画だったのか、今となっては記憶は定かではないのだが、『異人たちの夏』をイギリスにいて、テレビで観たことは確かである。

吹き替えではなく字幕放送だったと記憶しているのだが、私にとっては、それは英語の字幕こそあれ、それ以外は日本映画そのものだった。大林監督のその映画は見そびれていて、イギリスではじめて観たのだった。

『異人たちの夏』は、1991年にテレビを通してイギリスの視聴者に受容された。そしてそれがあたえた感動が、原作の翻訳を促し、今回のイギリス版の映画化というかリメイクになったのだと思われる。
posted by ohashi at 20:13| 映画 | 更新情報をチェックする

2023年09月05日

『菅原伝授手習鑑』3

『菅原伝授手習鑑』の冒頭は、こんな内容である。Wikipediaをひかせてもらうと:
初段(大序・大内の段)醍醐天皇の御代のこと。渤海国の僧天蘭敬が朝廷に参上し、唐土の僖宗皇帝が日本の帝の絵姿を欲しているので、天蘭敬に帝の絵姿を描かせてほしいという。しかし醍醐帝は折悪しく風邪気味であった。すると左大臣の藤原時平は自分が帝の代わりとして、絵のモデルになろうと言い出し帝への逆意をほのめかすが、右大臣菅原道真こと菅丞相はそれを諌め、見舞いに参内していた弟の斎世親王(ときよしんのう)を絵のモデルとしたらどうかと提案し、また仔細を聞いた帝も斎世親王を自分の代わりとするよう、内侍を通じて命じた。帝の装束である金冠白衣姿の斎世親王を天蘭敬は描き退散する。【以下略】

史実にあることか全くの虚構か私は何も知らないが、ただ言えることが、これが、つまり斎世親王が帝の身代わりとなって肖像画のモデルになるという身代わり行為が、5段(5幕)に及ぶ戯曲で手を変え品をかえて展開する身代わりテーマの発端となるということだ。

そして寺子屋の段では、管丞相の息子、管秀才を殺せと命じられた寺子屋の主で、管秀才をかくまっている武部源蔵が、自分に子供がいたら身代わりにするところ、いないので、寺子屋の子供たちの誰かを身代わりに殺そうとして、田舎育ちの子供に管秀才の身代わりがつとまらないとあきらめたところ、その日、寺子屋で学び始めたひとりの子供が目にとまる。その育ちもよくりりしい容姿の子こそ身代わりにふさわしいと考え、その子の母親が外出しているときに殺害する。首実検にあらわれたのは松王丸。彼は管秀才の顔を知っているので騙しおおせるとは思えないのだが、松王丸は、子供の首をみて管秀才にまちがいないと断言する。なぜか……。という展開になる。

いくら忠義のためとはいえ、子供、それも自分の子供も他人の子供も区別なく殺そうとするのは常軌を逸していると誰もが思うに違いない。日本は世界に冠たる子殺しの国だというのが私の持論なのだが、理由はなんであれ、子供を殺してきた日本人にとって、子供を殺すことを正当化し、子供の死の悼み、子殺しの悲惨な現実を嘆く芝居は、子供の死(殺害や自然死を問わず)に対する消えやら罪悪感を軽減し苦悩を慰撫する手段となっているのかもしれない。

松王丸は自分の子供を管秀才の身代わりに殺させることで、この芝居の最大の悲劇的主人公となりうるのだが、子殺しは忠義のためというかたちで正当化される。いや、そう簡単には正当化されないかもしれない。管丞相/菅原道真への忠義だけでは正当化の根拠としては弱いところがある。そのため管丞相/菅原道真は、通常の人間、いや傑物としての偉人というカテゴリーには入りきらない超人あるいは神という存在へと変貌を遂げる。人ならぬ神への忠義は、その強度に置いて右にでるものはない。実際、寺子屋の次の第5段(第5幕)では、管丞相は、荒ぶる神となって京都に天変地異をもたらす。前段の子殺しは、その死をどれほど嘆いても正当化されないがゆえに、超越的存在の介入が要請されるのである。

松王丸は、悪役にみえて自己犠牲もいとわぬ忠義の士でもあるという、ヴィラン/ヒーローであるとすでに述べた。彼は、強力な悪役として多くの人々を不幸に陥れると思いきや、管丞相物語における最大の危機において自己犠牲を通して危機を回避する。ヴィラン/ヒーローとしての二面性は、また、もうひとりのヴィラン/ヒーローと呼応する。すなわち管丞相/菅原道真と。

今でこそ菅原道真といえば学問の神様だが、この『菅原伝授手習鑑』では、荒ぶる神、復讐の怒れる神であり、彼を左遷した京都の権力者にとってみれば、京の町に、天皇の御所に、災厄をもたらす疫病神である。もちろん災厄は、彼を陥れただけでなく天皇をも亡き者にせんとする藤原時平への怒りの一撃であって、無差別な攻撃ではない。悪人を成敗し正義をもたらすと、疫病神として怖れられた菅原道真も、京都と天皇家を守護する守り神にして、学問の神としても崇め奉られるようになる。この芝居の最大のヴィラン/ヒーローは菅原道真であった。松王丸は、菅原道真の分身としての、身代わりとしての、ヴィラン/ヒーローである。

だが身代わりのテーマは、これにとどまらない。冒頭から身代わりのエピソードを提示したこの戯曲は、身代わりのさまざまな形態――いたずらのようなものから、騙しのトリック、なりすまし、そして超自然的な身代わり(第2段における、管丞相と彼が刻んだ木像との不可思議な入れ替わり)にいたる――に直面することで、観客は最後の、そして最初から目前にあった、いまそこにある身代わりに気付かずにはいられないのではないか。すなわち人形という身代わりに。

これは歌舞伎ではなく人形浄瑠璃の舞台だからこそ観客に感銘をあたえる知見ともいえるのだが、物言わぬ無生物の人形が、人形浄瑠璃、まさに人形劇では、人間の身代わりとなって、人間のドラマを演じているのである。もちろん歌舞伎俳優も、菅原道真ほかの身代わりかもしれないが、人間と人間との関係は、人間と人形との関係に比べれば身代わり感は弱いと言えるだろう。

身代わりのドラマ『菅原伝授手習鑑』は、最終的に、人形という、人間の身代わりによるドラマへの考察というか自意識をにじませたメタドラマでもあった。それは劇場で舞台をみてはじめていだいた感想だった。

付記:

なお今回の国立劇場改装前の小劇場での文楽公演では、第二部では、最初に「寿式三番叟」を上演した。

特別な機会に上演される祝賀の演目らしく、手元の資料をアレンジして引用すると「能楽で特別な演目とされる『翁(おきな)』を、文楽へ移した「景事(けいごと・けいじ)」。正月など特別な行事の際に、祝賀のために上演される」とある。

さらに手持ちの資料を引用すると「前半は、重厚な語りと三味線で始まり、千歳(せんざい)による露払いの舞に続いて、翁が厳かに舞う。後半は一転して、二人の三番叟(さんばそう)が力強く躍動的に舞う、開放感のある場面とな。翁と、若者の象徴である千歳が翁の面を持って登場し、翁が面をつけ格調高く舞い、若い千歳が気品のある舞を見せ、そのあと三番叟が二人登場し、元気に力強く踊る」とある。

この三番叟の元気な踊りにおいて、観て驚いたのは、二人が元気いっぱいに踊るので、疲れてしまい、片方が休もうとすると、もう片方が叱ったり励ましたりするというというコミカルな動きがあることだった。

つまり人形が踊りつかれるのである。もちろん命のない機械というか機具にすぎない人形が疲れることはなく、疲れるのは人形遣いのほうである。それはわかるのだが、舞台では人形遣いではなく人形が疲れ、その人形の疲れを人形遣いが表現するというこみいったことになっている。

劇場で観ていると、この二体の人形が踊りつかれるというのは、ただたんにコミカルな演出というか、コミックレリーフでは済まされない衝撃をともなっていた。人形が踊りつかれるということ。それは命のない人形が命をもったということである。命あるものは疲れる。コンピュータは疲れを知らない。だが人間は、生物は、疲れるのである。踊り疲れ――このときはじめて無機質な人形に命が下りてきたといってもいい。それはある意味感動的な瞬間でもあった。

そして人形浄瑠璃の公演には、人形と人間とのかかわりにかんする考察あるいは自意識がつねにうごめいている。人形浄瑠璃は、人形の生と死をめぐる省察をうむことなくおこなっている。そこに人形浄瑠璃の形而上学といえるものがあるかもしれない。

『菅原伝授手習鑑』における身代わりテーマと人形身代わり知見は、戯曲そのものに組み込まれた遂行形態の自意識であると私は信じている。
posted by ohashi at 21:33| 演劇 | 更新情報をチェックする

2023年09月03日

『菅原伝授手習鑑』2

もう少し映画『二都物語』について続けさせてほしい。

弁護士の主人公が、かつて弁護したフランスの貴族の男性の身代わりになるのは、主人公とその貴族の男性がうり二つで区別がつかないといいう理由からだった。ただし映画をみるかぎり、この二人はまったくといっていいほど似ていない。映画は似せようとする努力すらしていない。その主人公を演じたのはダーク・ボガード。私がテレビでその映画を観ていたときには、ダーク・ボガードがゲイだとは知らなかったが、ちょっとやさぐれてもいた主人公は、小学生だった私の目から見てもかっこよかった。そのかっこいい主人公が、最後に、窮地を脱してハッピーエンドとなるのではなく、まさか自分を犠牲にして死んでしまうとは、当時の私には夢にも思わなかったことである。私がこの映画にショックを受けた理由のひとつがそれだったかもしれない。

もちろん、悪人か、放蕩家と思われていた人物が、実は、善人で、いや善人どころか、自らの命を犠牲にして友人を助けるヒーローとなったというのは、予想外の展開という面白しさと、人物造形の巧みさによって、物語をなんとも魅力的なものにしていた。

悪役だと思われていたが実はどんでもない善人だった。悪人というのは世を忍ぶ仮の姿であって真相は誰よりも思いやりがあり献身的で自己犠牲もいとわない人間というのは、たとえばシェイクスピアの芝居には登場しない。シェイクスピア劇には悪人は多い。しかし彼らは、たとえいくら人間味があったとしても、最後まで悪人のままで、スーパーヒーローになることはない。シェイクスピア演劇は、こうした悪人に仮装している善人というキャラクターをまだ発見あるいは考案していない。

英国の18世紀演劇の代表的劇作家シェリダンの代表作のひとつに『悪口学校』がある。そこでは対照的な二人の兄弟を軸に物語が展開する。

兄のジョーゼフは品行方正で誰からも評判のよい人物。一方、弟のチャールズは放蕩者で、借金まみれの鼻つまみ者である。しかし劇の進行とともに、この兄弟のイメージは逆転する。兄のほうは、とんでもない悪人で偽善者であることがわかる。一方鼻つまみ者の弟のほうは、実は人間味あふれる善人であることがわかる。悪人でやさぐれている人物が、道徳家で説教をたれてばかりいる偽善者をはるかにしのぐ優れた人物で善人だとわかる――〈ワルと評判だが実は善人〉というキャラクターが魅力的に感じられるかどうかに芝居の成否がかかっているといってもいい。演劇におけるシェイクスピア以後の新たな展開である。

たとえばジョージ・バーナード・ショーの戯曲『悪魔の弟子』では、鼻つまみ者の主人公(タイトルは主人公の綽名)が、最後には共同体を助けるために、自らの命を差し出すのである。この作品もまた、その魅力の多くを、いやすべてを、〈ワルと評判だが実は善人〉キャラクターである主人公に負っている。

ちなみにこの『悪魔の弟子』は、歴史物であること(植民地時代のアメリカにおける独立戦争を扱っている)こと、そして主人公の自己犠牲と処刑台がクライマックスを構成する(『悪魔の弟子』では土壇場で主人公は救われる)という点でも、『二都物語』(フランス革命時代を扱っている歴史物)に似ているというか、その系譜に沿った作品であるといえよう。【なお『悪魔の弟子』も、『二都物語』と同じ時期に映画化されている。前者が1959年、後者が1957年に。】

身代わりの死、そして〈悪の仮面をかぶった善人〉のモチーフ。これこそ『菅原伝授手習鑑』の世界をほうふつとさせる二大要素であることは言を俟たないだろう。いやさらに言えば、前者は物語上のモチーフ、そして後者〈悪の仮面をかぶった善人〉はキャラクター造型上のタイプとしての劇を支えているのだが、この後者については小説と舞台とでは存在の様態が異なる。

というのも『菅原伝授手習鑑』も小説『二都物語』も読んでいると、悪人という評判の人物の変身は意外性をともなって大きな驚きをもたらすことになる。

たとえば『菅原伝授手習鑑』では菅丞相/菅原道真に取り立てられた三つ子(梅王丸、松王丸、桜丸)のうち、次男の松王丸は管丞相の政敵・藤原時平に仕える舎人となり、三兄弟のなかで裏切り者であり鼻つまみ者として言及され登場する。強力な悪役として読者は理解する。『二都物語』のやさぐれ弁護士シドニー・カートンも同様、悪役あるいは嫌われ者として読者は理解する。

しかし、舞台で、あるいは映画のスクリーンでみる二人には付加価値がついてくる。文楽では松王丸が登場する時点で、その人形のたたずまい、動き、そして衣装などから、松王丸が尋常ではない人物、主役か主役に匹敵する人物だと観客にはわかる。彼が悪役の枠にとどまらない超越的な人物であることは劇場にいる観客には一目瞭然である。これは読んでいてはわからない。松王丸が〈悪の仮面をかぶった善人〉であることは登場した瞬間にわかるから、以後、松王丸の台詞や挙措、一挙手一投足が重みを帯びてくる。彼は登場してからずっと悪の記号ではない。それは、映画『二都物語』におけるダーク・ボガードの存在感とも通ずるものがある。彼が演ずる人物が主役だと思わない観客がいるだろうか。ダーク・ボガードの名前を知らなかった小学生の私でも、彼を中心に映画が動いていることは理解できた。

映像情報は、文字情報にはない付加価値が伴う。そのため〈悪の仮面をかぶった善人〉というキャラクターは、映像では最初から、悪の記号ではない複雑な人物かつ善人であることがネタバレしているのである。

そのため映像化の効果は、悪人の重層性を、つまり悪人の広義の魅力を観客に堪能させるためにある。専門家でもない私の語ることだから、無責任な感想めいたものでしかないが、文楽や歌舞伎におけるこうした悪人/善人は、善人であるという保証のもと、その悪人ぶりを観客が楽しむためにあるのではないか。ワルが好きなのであり、それはまたおそらく当時の庶民感情の抵抗的・批判的様態の発露なのではないだろうか。『菅原伝授手習鑑』は、忠義物という枠組みを保証として、悪人の活躍(悪を演ずる者としての)を満喫するためのものではなかったか。

いやもっと正確にいえば、『菅原伝授手習鑑』は松王丸が主人公ではないが、一番有名な寺子屋の段だけが上演されることが多いとき、それは松王丸というヴィラン/ヒーローの活躍を堪能する作品と化すのだ。

ヴィランかヒーローかという選択あるいはバランスを考えた際に、純粋なヴィランとなると単なる嫌われ者になるしかないが、そこに不純な要素つまりヒーロー性が加わった不純なヴィランだと好まれる可能性が高くなる。ヒーローとしてのヴィランを誕生させることで、ヴィラン性を受容しやすくなるということか。

今回の『菅原伝授手習鑑』における松王丸は、まさに〈ヒーローとしてのヴィラン〉像の典型ではないのか。そしてそれはまた彼が身代わりであることをも意味していた。もうひとりの〈ヒーローとしてのヴィラン〉、怒れる呪いの神(Iam the rage)管丞相/菅原道真の。

posted by ohashi at 21:08| 演劇 | 更新情報をチェックする

2023年09月02日

『菅原伝授手習鑑』1

国立劇場が改装されるとのことで、改装前最後の公演を「初代国立劇場さよなら特別公演」として、『菅原伝授手習鑑』(通し狂言)と『曽根崎心中』を現在小劇場で上演中(9月24日まで)。私は文楽については専門家ではないどころか、そもそも何も知らないし、映像では観たことがあるのだが、実際に劇場に足を運ぶことはまずないのだが、今回、改装前最後だからというよりも、人に誘われたので(誘われたのだが、自腹で)観劇することになった。

『曽根崎心中』も有名な作品だが、やはり文楽といえば『菅原伝授手習鑑』だと思っているので、今回、8・9月の公演では、後半の三段目(今風にいえば第三幕)から最後の五段目(第五幕)までの公演で、有名な寺子屋の段(今風にいえば場面)から最後まで――今回の公演では第二部にあたる--を観劇した。。

繰り返すが、私は文楽の専門家でもなんでもないので、そのぶん、自由に好き勝手に、とは無責任に、感想を述べることができる。

そもそも『菅原伝授手習鑑』は、身代わり劇である。もちろん、これは誰もが気づくことで、古くから指摘されてもいることだが、身代わり劇というのは私にとってことさら思い入れが深いジャンルである。

シェイクスピアでも身代わり劇は多い。この10月と11月に新国立劇場中劇場で上演予定のシェイクスピアの『終わりよければすべてよい』と『尺には尺を』は、ともに身代わり劇である。シェイクスピアの場合、その身代わりがベッドトリックというのが問題になるのだが、『菅原伝授手習鑑』の場合、とりわけ寺子屋の段では、身代わりで子殺しが起こるというのが問題となる。とにかく身代わりというのは、ただではすまい。



私が小学生の頃(学年までは覚えていないのだが)、よく風邪をひいて学校を休んでいたのだが、その日も寝込んでいる私のもとに、母親が、ポータブルのテレビをもってきた。退屈だろうから、テレビでもみて気を紛らわせなさいということだった。

私の父親の仕事とも関係したのだが、新しい家電が出ると父親はよく買ってきた(父親は家電メーカーに勤めているわけではなかったのだが)。そのポータブルテレビも、モノクロの持ち運びできる四角い箱型のテレビで、それをもっている家庭など当時はめったになく、我が家の自慢でもあった。

私がたまたま観ることになった番組はNHKで放送していたイギリス映画で、途中から見始めたので筋を追うというかつかむのに苦労したのだが、やがて緊迫した物語にのめりこむことになった。私が今なお鮮明に覚えているのは、映画の最後、フランス革命時における断頭台での処刑シーンである。

主人公は、友人の身代わりとなって、みずから断頭台に立つ。荷車に乗せられ刑場に運ばれ、衆人環視のなかギロチンで首をはねられる。彼の前に小さな女の子が処刑されるのだが、怖いという少女を抱きしめ慰めた主人公は、その少女の死をみとったあと、みずから断頭台の階段を上ってゆくところで映画は終わる。

主人公が断頭台の階段を上っていくときには、その脚しか見えないのだが、そこに主人公のナレーションが入る。自分は友人の身代わりとなって死んでゆくが、それによってその命を救った友人と、その友人の恋人(と当時の私は思ったのだが、途中からみたせいで人間関係を把握しそこねていた――それは友人の妻であった)が自分の死を悼んでくれる。友人のため、彼女のために死んでゆく自分に悔いはないというようなナレーションだった。

小学生の私には、お国のために死ぬというような大義名分のために死ぬことは理解できたが(それがよいとか悪いというのではなく、理屈や感情として理解できたということなのだが)、あるいは自分の愛する者たち(家族、親兄弟姉妹など)のために自らを犠牲にするということも理解できたが、友人という、なんとも中途半端な存在のために自らの命を差し出すということに対して理解に苦しんだ。

と同時に、その映画の主人公の自己犠牲の精神に私は打ちのめされた。身代わりとなって死ぬというのは、その無意味さあるいは無償性ゆえに魂がゆさぶられるような衝撃を私に与えたのだ。

また同時に、その死は、主人公が望んだ自殺行為のようにも思い、そこに死の欲動(という言葉を当時小学生の私は知る由もなかったのだが)めいたものを感じ取って空恐ろしくもなった。主人公は身代わりの理不尽さをものともせず嬉々として死んでゆくという風情もあったのだ。

そうなると小学生の私は、この映画の主人公の行為をどうとらえてよいかわからず、想念がつぎつぎとわいてきて、軽いパニック状態に陥った。

その後、様子をみにきた母親は、私がテレビを見るまえより体温が高くなっていること、テレビで見た映画がどうのこうのとうわごとみたいに話すので、私のことを心配して、安静にして眠るように諭した後、テレビは見ないほうがいいと、そのポータブルテレビをもっていった。

ちなみにディケンズの読者なら私が観た映画が『二都物語』であるとすぐにわかっただろう。

ラルフ・トーマス監督の『二都物語』(1957年、イギリス映画)は、そのスペクタクル・シーンをギロチンによる処刑シーンに集約させていることもあり、映画の最後は異様なまでの盛り上がりをみせる。身代わりで死んでゆく主人公の運命に私が軽いパニック状態に陥ったのはその映画を観たことがある人なら理解できると思う。

なお高校生の時に、ディケンズの原作を翻訳で読んだが、そのときは、映画で味わった興奮というのは訪れなかった。

posted by ohashi at 13:30| 演劇 | 更新情報をチェックする