そこで、その子に私は、「あなたのお母さんのことを、かあちゃんなんて呼ばないほうがいい。呼ぶなら「ハハ」と呼びなさい。お父さんのことは「チチ」、お母さんのことは「ハハ」と呼ぶと言い。ふだんから、「ねえハハ」とか「ねえチチ」とか言っていると、あらたまった場でも「母が」「父が」とふつうに出てくるから、しっかりした子にみられていいよ」と話したら、その場にいた誰もが唖然としている。
あ、これはやばいと思った私は、「ごめん、ごめん、スパイ・ファミリーじゃないからね、おかしいよね」と言ったら、さらに、もっと引かれてしまい、「いやだなあ、スパイ・ファミリーか!と、つっこんでくれなきゃ」と言ったら、もはや修復できなほどにすべっていることがわかり、「へんなこと言って、ごめん。忘れて」と、その場から逃げた。
【ちなみに、いうまでもないことながら、今年の10月から続編というか第二シーズンが予定されている連続アニメドラマ『Spy×Family』で、一人娘でテレパスの幼いアーニャが、スパイの父親と、殺し屋の母親のことを、日常的に「チチ」「ハハ」と呼んでいる。この一家は血はつながっていない。】
もし、この時、私が「変なことを言ってごめん」と引き下がらなくて、『Spy×Family』について説明をしはじめ、人気アニメぐらい原作のコミックは読まなくても、観ておいたほうがいい、いろいろなところで配信もしているから観るのは簡単だとか、あれこれ説明しはじめたら、そしてそれが説教じみたものになり、さらには自分の失敗を取り繕うために、自己正当化の弁解を攻撃的におこうなうようになってたら、私は、どんなにか嫌な人間に思われることだろう。嫌な人間というよりも、軽蔑されて、唾棄されるべき愚か者と思われてもおかしくない。さしずめそれはと、ここで、私は、20年も前の伝説的連続テレビドラマを思い出した。
BBCの連続テレビ・ドラマ『ジ・オフィス』(The Office, 2001~2003)を、またそれも主役ともいえる、支社のマネージャー、デイヴィッド・ブレントのことを。
社会現象を起こしたともいわれる伝説のコメディは2019年にアマゾン・プライムで配信されてから初めて観た。そして今年の夏も観なおした。英国ならではの、実にあくどいコメディだが、何度見ても笑える。
Wikipediaによると
イギリスのロンドン郊外の町スラウにある製紙会社ウェーナム・ホッグの支社を舞台に、リッキー・ジャーヴェイス(演出と脚本も務めている)が演じる無神経な上司によって振り回されるオフィスの日常をドキュメンタリー・タッチで描いたシニカルなシチュエーション・コメディ番組である。
おそらくリッキー・ジャーヴェイスよりも、役名のデイヴィッド・ブレントで知られている主人公のアウトっぷりで人気が出たこのドラマは、30分のシットコム仕様なのだが(中心人物だけでなく、同じ職場でのさまざまな人間模様が描かれる)、同時にドキュメンタリー仕様でもあって(ブレントは常にカメラを意識しているし、個々の人物への単独インタヴューもあり、そしてテレビコメディに特有の笑い声は入っていない)、両者の合体が新鮮なのである。
もちろん現在観ると、連続ドラマが始まると、すぐマーティン・フリーマンが登場し、思わず眼をひかれ、これがドラマであることを知るのだが、実は、この『ジ・オフィス』こそ、当時、あまり名前の知られていなかったマーティン・フリーマンの出世作であって、リアル・タイムで観ていた視聴者は、マーティン・フリーマン(今から観ればこのドラマで最も名の知れた俳優である)を俳優として認識しなかった可能性が高い、つまりドキュメンタリーとして観ていたのであろう。
【ちなみに副主任のギャレス・キーナンを演じているマッケンジー・クルックが出演している映画を私は数多く観ているのだが、どんな役だったのか認知できていない。】
そしてその中心にいるのが、デヴィッド・ブレント(リッキー・ジャーヴェイス演ずるところの)であり、彼の魅力がこのドラマを根底から支えているといってもいい。しかし魅力といっても、負の魅力であり、それもアンチヒーローやダークヒーローの魅力ではまったくない、それ以下の、どうしようもない小物であることの、変な、まさに負の魅力なのである。
実際、そのキャラクターは、卑小で、卑屈で、卑猥で、卑劣で、卑怯でと、「卑」が付く二字熟語なら、なんでもあてはまりそうで、その最たるものが、常にカメラを意識していて、カメラをちら観しながら、時折浮かべる卑屈な笑いで、この瞬間こそ、彼の魅力が全開する瞬間である。そしてその瞬間は一つの回のなかに何度も訪れる。
ああ、この蹴飛ばしてやりたいダメ男、無能なのに威張りくさった、セクハラ、パワハラ全開の、絶対に反省しないめげない男、つねにマウントしてないと満足しないコンプレックス男が、なぜ面白いのだろう。笑えるのだろう。そこがある意味、謎である。
シェイクスピアのフォルスタッフのような存在なのか。大ぼら吹きで、絶対に非を認めず、謝ることもなく、自己正当化にあけくれ、どんな批判をもすりぬけ、どんなに汚名を着せられてもへこたれない、太った老騎士のことを思い出すが、しかしデイヴィッド・ブレントは、フォルスタッフよりもはるかに小物である。ブレントは、卑俗で、低俗で、自分が好かれていると思っている、実のところ嫌われ者であって、フォルスタッフとは根本において異なるのである。
テリー・イーグルトンが以前、その著Humourのなかで、このデイヴィッド・ブレントの笑いと魅力について、うまく説明していたことを思い出した。この本、翻訳の予定はあるのだろうか。もちろん読んだのだが、いま手元にないので、確認できないのだが、確認できたら報告したい。
結局、この夏、テレビ媒体で観て楽しんだのは、『Spy×Family』と、この『ジ・オフィス』(二度目)であった。どちらも笑えた。ただし、『ジ・オフィス』は、心温まるコメディでは決してない。だから誰にでも奨められるテレビ・コメディではないことだけは念を押しておきたい。