チェコでナチス高官暗殺80年式典、ウクライナ紛争に絡めた演説も【AFPBB News 2022/05/28 12:15】
【5月28日 AFP=時事】旧チェコスロバキアの空挺部隊がホロコースト(Holocaust、ユダヤ人大量虐殺)の立案に携わったナチス・ドイツ(Nazi)の高官ラインハルト・ハイドリヒ(Reinhard Heydrich)を暗殺して80年を記念する行事が27日、チェコの首都プラハで行われた。式典ではウクライナ紛争に言及する演説が多かった。
スロバキアのヤロスラウ・ナジ(Jaroslav Nad)国防相は、ロシアのウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領がウクライナ侵攻を開始する際に使用したのと全く同じ表現を使い、ハイドリヒの暗殺はチェコスロバキアを「非ナチ化するための特別軍事作戦」だったと述べた。
さらに「プーチン氏はまるで1930年代のアドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)のようなのに、ウクライナを非ナチ化する特別軍事作戦を実施するとよくも言えたものだ」と非難。
空挺部隊は1942年5月27日、プラハで車に乗っていたハイドリヒを銃と爆弾で襲撃。ハイドリヒは、その時のけがが元で数日後に死亡し、部隊はナチスとの銃撃戦の末に自決した。
ナチスは報復として、リディツェ村とレジャーキ村を壊滅させ、1万5000人を拘束。殺害または強制収容所に送り込んだ。【記事の一部のみ引用】
このラインハルト・トリスタン・オイゲン・ハイドリヒ(Reinhard Tristan Eugen Heydrich, 1904年3月7日 - 1942年6月4日)については、有名すぎて、説明するまでもないと思いつつも、念のため確認しておけば、暗殺された当時ベーメン・メーレン保護領(チェコ)の副総督の地位にあったが、有名なのはその地位だけではなく、「ナチス第三の男」としての、「最終解決」の推進者としての、またいわゆる「絶滅部隊」を組織した人物としての限りない冷酷さゆえであった。
映画との関係でいうと、ハイドリヒを扱った映画に『ナチス第三の男』(The Man with the Iron heart 2017)がある。ジェイソン・クラーク演ずるハイドリヒは、本人には似ても似つかない風貌なのだが、不気味さは出ていた。
『謀議』(Conspiracy 2001)は「最終解決」計画を決定したヴァンゼー会議を扱った映画。会議場とその周辺だけに舞台を限定し、休憩をはさみながらの会議の進行を追ったリアルタイムの演劇的映画(激論が交わされることはないのだが、大量の死体処理の煩雑な手続きをめぐって会議が紛糾するといった、些末だが背筋が寒くなるような議題の数々に冷たい迫力があった――会議場の外は冬の雪景色だった)。ハイドリヒを演じたのはケネス・ブラナー、もちろん似ていない。アイヒマンを演じたのはスタンリー・トゥッチ、もちろん、こちらも似ていない。
ちなみに「最終解決」は「最終的解決」と訳すべきだと、しょうもないことを言ってきたバカがいたが(ちなみに、私の知っている編集者や校閲者の方々ではない)。英語でいうFinal Solutionの訳語に私が初めてであったとき、それは「最終解決」であったので、以後、それを今でも使っている。「最終的解決」といった間延びした表現を私は好まない。というか最終的に、どちらでもいいのだが、「最終的解決」は、毎日、いたるところで、起こっていることだが(つまり普通名詞)、「最終解決」はナチスによるユダヤ人絶滅である(つまり固有名詞)というニュアンスの違いを私はだいじにしたい――これが最終回答。
ハイドリヒは、その風貌と、その冷酷さから、「金髪の野獣」とあだ名され、「金髪のジークフリート」とも呼ばれた。ナチスは、金髪碧眼のアーリア系人種を理想としたのだが、ナチスの幹部に、これにあてはまる人物はいなかった――大袈裟な物言いをすれば、ハイドリヒを除いて、ということになる。その意味で、その残忍さも手伝って、ハイドリヒは、ナチスのシンボル的典型的人物といっても過言ではなかった。
ハイドリヒの残忍さについては、絶滅部隊を組織したことでも名高い。「絶滅部隊」というのは私が知っている意訳のひとつで、とくにこの語にこだわるつもりはないが、ドイツ語で「アインザッツグルッペン(Einsatzgruppen)」という。ドイツの保安警察と保安局が国防軍の前線の後方で「敵性分子」(特にユダヤ人)を銃殺するために組織した部隊である。国防軍本隊が侵攻したあと、この絶滅部隊が、ユダヤ人のみならず住民を虐殺した(というか、この絶滅部隊が殺したのは、ユダヤ人であろうがなかろうが、みんなユダヤ人扱いとなったので、現実には犠牲者のなかには民間人も多数含まれていたはずである)。そしてこれは、現在のロシアのソンビZ軍が、ウクライナでしていることを思い起こさせる。
ハイドリヒは、まさに万死に値する人間だが、今回のハイドリヒ暗殺80周年記念式典で、ハイドリヒ殺害の再現ドラマをみせるというのは驚いた。とはいえ、おそらくその現場となったところでは、ハイドリヒは負傷して運び出されたというのが歴史的事実。つまり銃弾を撃ち込まれてその場で死亡したわけではないので、再現ドラマも、凄惨なものとはならなかったと想像できる。
あと襲撃した空挺部隊はナチスとの銃撃戦の末に自決。またナチスは報復として、空挺部隊を匿ったとされるリディツェ村を壊滅させた(これはナチスが全世界にむけて公表した)、さらに1万5000人を拘束し殺害した。つまりこの暗殺によって、多くの民間人も報復にあい、命を失うことになり、またハイドリヒを殺害してもホロコーストを止めることはできなかったことを考えると、多くの犠牲を出した無謀な作戦だったと言えないくもないというか言える(今の日本だったら、隠れナチス・ファシストたちから、思慮を欠いた暗殺計画として批判のみが声高に叫ばれるであろう)。
ハイドリヒ暗殺作戦は、エンスラポイド作戦(Operation Anthropoid)と命名されたが、チェコ亡命政府と英国との合同作戦ということもあり、報復のために住民が、さらにはハイドリヒの死を悼んで、ナチスによってさらなる虐殺が行われたこと(ハイドリヒ作戦)ことも、作戦の無謀・無思慮を非難することにはつながらす、ナチス、ファシズムの暴虐ぶりを非難し、そしてファシズムと戦う勇気(生還の見込みのない特攻作戦であったために)を称賛する方向に吸収された観がある。
なお映画では第二次世界大戦中にすでにフリッツ・ラング監督による『死刑執行人もまた死す』(Hangmen Also Die 1943)が作られている。ただしこの暗殺事件を題材にしていても再現映画ではなく独自の設定の物語となっている。タイトルのHangmenが複数形なのに注意。
比較的最近では、『ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦』(Anthropoid 2016)が、この暗殺作戦(エンスポサイド作戦)を再現した歴史ドラマとなっている。キリアン・マーフィが珍しく、癖のない好感度の高い有能なリーダー(ヨゼフ・ガプチーク曹長)を演じている。
このハイドリヒ襲撃・殺害事件の記憶は、プラハの春を弾圧するワルシャワ条約機構軍(ソ連軍)の介入によって、プラハの市民たちのなかによみがえる。ワルシャワ条約機構軍の戦車をはじめとする軍用車がプラハ市内に侵攻したときの写真が多く残されている。ジョセフ・クーデルカが残した数々の写真が有名だが、2011年東京都写真美術館で開かれた「ジョセフ・クーデルカ プラハ侵攻1968」展を観たとき、会場で図録の代わりに販売されていたのが、『ジョセフ・クーデルカ プラハ侵攻 1968』(阿部賢一訳、平凡社、2011年)だったが、この大きな本が、これで3000円代なら安いものだとさっそく購入したのだが、とにかく大きくて重たい。持って帰るときに苦しい思いをした記憶がある。それはともかく、この本に収録された写真のなかに、また展覧会でもみることができたのだが、プラハの市民が侵攻してきた戦車に、白いペンキで、鍵十字を描いた写真があった。なかには鍵十字ではなく、マンジ(卍)になっているものもあったが、まあ二つはとくに区別しないのだろう。メッセージは明確である。ワルシャワ条約機構軍は、ナチスと同じファシストだということなのである。ナチス=全体主義と戦ってきた、あるいはこれからも戦うというソ連の主張の虚偽を白日のもとにさらしたのである。おまえたちこそナチスだ、ファシストだと。
そして現在。ハイドリヒ襲撃・暗殺事件の80周年記念式典で、記事にあるように、「スロバキアのヤロスラウ・ナジ(Jaroslav Nad)国防相は、……ハイドリヒの暗殺はチェコスロバキアを「非ナチ化するための特別軍事作戦」だったと述べ」「さらに「プーチン氏はまるで1930年代のアドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)のようなのに、ウクライナを非ナチ化する特別軍事作戦を実施するとよくも言えたものだ」と非難することになった。
非ナチ化のためにウクライナに侵攻するというプーチンの主張のばかばかしさ、相手にする価値もない、狂気のオーラもない、知性のかけらもない、独りよがりの幼児病的な虚言など、信ずる者など誰もないだろう。ただ問題は、しかし、こんなバカのために、ウクライナの人びとは、ウクライナの兵士たちは命を失い、そしてロシアの兵士もまた、大義なき(あるいは愚劣きわまりない最低の大義のために)命を失うという不条理がまかりとおっていることなのである。