2021年05月21日

血圧上昇

今週の火曜日に病院に定期検診に。

病院では受付のあと、内科の前の待合スペースに行く前に、血圧を測るようにいわれる。そのための自動血圧測定器があって、患者は、そこに片腕をいれて血圧を測定する。すでに血圧測定中の老人男性がいた。測定機器は一台しかないから近くのベンチに座った。一台しかないが、測定をするために、長蛇の列ができるということはない。せいぜい一人、おおくて二人くらいが待っているのがふつう。

で、その老人の測定の様子をみたら、測定器には上腕まで入れないといけないのに、肘から下、いわゆる前腕しか入れていない。そのため測定器が作動していない。さっきから待っているのにいっこうに測定が終わる気配がないのは、測定器に上腕までしっかり腕を入れていないからだが、それに気づくのを待っていたが、気づきそうになく、そろそろこちらも我慢の限界に近づいていたので、測り方が違うのではと助言しようとしたら、血圧測定器が作動して、上腕ではなく前腕で血圧を測定してしまった。

詳しいことはわからないが、前腕(つまり肘から手まで)でも血圧測定ができるのかもしれない。まあ、それはそれで、次は私の番なので立ち上がったら、その老人の妻らしき女性が血圧測定器の前に座った。その高齢の女性は、老人の付き添い(たぶん妻だが、違っているかもしれない)かと思っていた。付き添いだから血圧を測る必要はない。だいいち、私が待っているのに割り込んで血圧を測る権利などないはずだ。

そう考えただけで、いらいらしたのだが、まあ、ほかに待っている患者もいないし、また、本日は、すでに内科の患者がたくさん待っているようなので、私の名前が内科で呼ばれるのは、どんなに早くても30分後だろうからと、あせらないことにした。

実は、この老人夫妻は、二人とも患者として来院していたことが、あとでわかった。どういう病気なのかとも思ったが、コロナ・ワクチン接種のために夫婦そろって医師に相談にきたのかもしれない。詳しいことはわからないが、二人とも患者なら、その高齢の女性は、私よりも先に来院しているわけだから、先に血圧測定しておかしくない。

でも、そのときは、付き添いのくせに、ほかの患者(つまり私だが)をさしおいて、勝手に血圧を測りやがってと、いらいらしていたが、あきらめて、ふと近くのテレビをみると、なんと松岡和子さんがNHKに出ている。

シェイクスピアの劇作品の全作品翻訳を完成し、いまその最後の作品が舞台で上演中でああれば、テレビで取り上げるにあたいする大きな重要な話題である。

しかも、その番組をとおして始めて知ったのだが、松岡さんのご主人の名前、漢字はちがうのだが、読み方は、私の名前と同じではないか。生まれてはじめて知る事実だったが、それでどうしたと言われても困るのだが。

ついついテレビに見入っていて血圧測定のことを忘れていた。ふとみると、先ほどの高齢の女性(私が勝手に付き添いと決めつけた女性)が、まだ血圧測定器に腕を入れたままである。

え、この高齢のご婦人、いつまで測定しているのかと驚くと、「お父さん、うまくはかれないの」と、先ほどの老人に話している。え、まだ血圧測定をしていないのかと驚くと、本人が知らないうちにボタンを押していたのか、あるいは何もないと自動的にスイッチが入るのかわからないが、血圧測定が動き始めて血圧を測定し、測定値を書いた紙をスリットから突き出した。その紙片をとって終りかと思ったら、測定値が気に入らなかったのか、また女性は腕を入れたままで測定しなおした。測定し直したといっても、また何もしない。私が気づかなかっただけだが、この高齢の女性、ひょっとしたら測定を2回以上繰り返していたのではないか。待っている患者を差し置いて(「この付き添いが!」とそのときは思った)。

旦那のほうも、「おい、はやくしろよ、待っている人がいるんだから」(待っている人というのは私のことだが)と声をかけるのだが、こうやれば測定できるという助言なり指導はない。当然だろう、自分で血圧測定できないのだから。

なんちゅうバカップルかとあきれた。長年連れ添ってきたであろう夫婦が、このていたらくだ。ポンコツ夫婦が。なんのための夫婦だ。と、いろいろな思いが頭のなかで渦巻きはじめた。

ただし老人が戸惑っていることをバカにするつもりはない。ひとりだったら、わからないこと、戸惑うことが多く、いつもひとりの私は、失敗なり不手際はやまのようにやらかしていて、周囲にも迷惑をかけたことは何度もあるので、老人の戸惑いや不手際を責めるつもりはない。ひとりなら、むしろ同情すべきところだ。

しかし、ひとりだと失敗しても、ふたりだと失敗はまぬがれる。ふたりで助け合うとか、支え合って高めあうというような青臭い話ではない。たとえば外国語を話すというか、外国語でのコミュニケーションの場合、自分が直接の当事者ではなく、傍観者あるいは関係者として会話を聞いていると、外国語の内容とか話の流れとか、適切な受け答えなど、難なくわかる。しかし、自分が当事者になると、緊張して、わかるはずの相手の言葉すら聞き取れず、また適切な受け答えなどまったくできなくなって途方にくれることはある。

簡単にいってしまえば、緊張してあがってしまい、本来のコミュニケーション能力(受け答えの能力)が発揮できなくなったということだが、この場合、完全にリラックスしていてもコミュニケーションはできない(たとえば眠っているところ起こされて、いきなり話しかけられたら、母語だろうが外国語だろう、一瞬、相手が何を言っているのだかふつうはわからない)。準当事者として適度に緊張しつつも緊張しすぎないというのが最適で、このとき能力を最大限引き出すことになるのかもしれない。

だから知り合いが、血圧測定器で悪戦苦闘していたら、その様子を冷静に判断して、このボタンを押せばいいのではとか、ここに説明書きがあって、上腕まで腕を入れたらいいのではとか、それでもだめなら看護師に来てもらって説明してもらうのがよく、そこで待っていたらどうかとか、次の人にとりあえずゆずって、その人のやり方をまねるとか、その人に聞くとか、いろいろなことを、うろたえている当事者ではなく、準当事者なら気づくはずである。ごくふうつに。

それができないというのは、ただのぼけ老人か。早くしてくれ~と、いらいらがつのるだが、そうこうしているうちに、ようやく2回目(たぶん、もしかしたら3回目、4回目かもしれない)の測定を終えて高齢の女性がその場を去った。

待ちかねた私は、すぐに血圧測定器に腕入れて、測定はすぐに終わった。バカップルがかけた時間の二〇分の一くらいで終わった。まあ、それがふつうなので、自慢にもならないのだが。

その日の朝早く自宅で血圧を測定したときには上が110くらいだった。血圧を下げる薬を服用しているので、低いというか正常値なのはあたりまえだが、いま測定値は145になっている。原因は? わからない。何度もやりなおす老人患者が多くて、血圧測定器が異常をきたしているのか、私の自宅にある簡易測定器が故障していて、本来、血圧が高いのか。私の体に異変が起こりつつあるのか。一番考えられる原因は、まあ、いらいらだろう。いらいらで血圧上昇。

posted by ohashi at 01:13| コメント | 更新情報をチェックする