2021年05月05日

沈黙野よ語れ 2

私がイギリスで部屋を借りていたころのこと。日本人に部屋を貸したのがはじめてだった大家の老夫妻は、変な日本人である私が、いったいどういうところかやってきたのか興味をもっていたところ(ただし変な日本人というのは謙遜で、外国の日本人は(日本にいる日本人とは異なり)愛想がよく礼儀正しく親切で、またクレームなどつけず、見た目が若く子どもっぽいので、基本的に好まれるし、私もその例外ではない)、おりしも「日本週間」として日本文化を宣伝する催しものをイギリス全土でやっていて、テレビでも連日、過去の日本映画を放送していた。そのなかのひとつに小津安二郎監督の『東京物語』があって、老夫妻はテレビではじめて日本映画をみたらしい。

私は、ストラットフォード・アポン・エイヴォンで部屋を借りていたのだが(観光地なのでけっこう部屋代は高かったが)、大家の老夫妻はふだんヨーク市の自宅に住んでいて、暇な時にストラットフォード・アポン・エイヴォンにあるいくつかの自分の部屋に滞在していたのだが(残った部屋を賃貸ししていた)、ある日、私の部屋をドアをノックする音がしたので、出てみたら、そこに大家夫妻が立っていた。

とくに用件はなかったのだが、最近、テレビで映画『東京物語』を見て、感激したことを、私に伝えに来たのだった。突然の訪問で、しかも映画『東京物語』の話をするので、何のことかわからずうろたえたのだが、数日前にテレビで『東京物語』を放送していたことを思い出したので、映画はよかった、感激したとしきりに話す老夫妻に対して、その映画は古い日本の有名な映画監督の映画ですというようなことしか言えなかったのだが。ただ、そのときは『東京物語』がどんな話だったのか、うろ覚えで定かではなく、内容について踏み込んだ話ができなくて残念だった。老夫妻の話の内容は、たんに日本のほのぼのとしたホームドラマ映画が面白かったというようなことではなかったように思った。

何を、あんなに感動したのかと思ったのだが、当時は、たしかにビデオのレンタルショップはあったけれども、外国でも日本でも、いまほど簡単に過去の映画を見直すということはできなかったので、『東京物語』の内容を確認するのは、数年後のこととなった(またいうまでもなくパソコンも普及しておらずネットで情報を検索することも自宅ではむつかしかった)。

数年後。一度見たことのある映画だが、こまかな内容は忘れていたので、はじめてみる気持ちで、また、たとえ不可能ながらも、予備知識の全くないイギリス人の目で視聴したら、この映画がどううつるだろうかと、可能なかぎり、自分をイギリス人であると想定して映画をみてみた。

そして、あのとき老夫妻が感動した理由がなんとなくわかったような気がした。『東京物語』をみて日本人もイギリス人と変わらないということが痛感できたと夫妻は語っていた。日本人とイギリス人は違う。イギリスからみての日本と日本人は、礼儀と名誉を重んずる部族社会的伝統文化を、また義理人情に厚い濃密な人間関係と共同体を、たとえハイテク・近未来的文化に蹂躙されつつあっても、なお維持しているといったようなところだろうか。いまでは一昔前のイメージなのだろうが、だいたい第三世界(と昔呼んでいた世界)に共通するイメージだと思う。

ところが『東京物語』の日本人は、そうしたステレオタイプになじまない、どちらかというとイギリス人的な日本人だったのではないだろうか。

内容については、有名な映画なので語らなくてもいいかもしれないが、念のために、Wikipediaでのあらすじを引用する――

尾道に暮らす周吉とその妻のとみが東京に出掛ける。東京に暮らす子供たちの家を久方振りに訪ねるのだ。しかし、長男の幸一も長女の志げも毎日仕事が忙しくて両親をかまってやれない。寂しい思いをする2人を慰めたのが、戦死した次男の妻の紀子だった。紀子はわざわざ仕事を休んで、2人を東京名所の観光に連れて行く。周吉ととみは、子供たちからはあまり温かく接してもらえなかったがそれでも満足した表情を見せて尾道へ帰った。ところが、両親が帰郷して数日もしないうちに、とみが危篤状態であるとの電報が子供たちの元に届いた。子供たちが尾道の実家に到着した翌日の未明に、とみは死去した。とみの葬儀が終わった後、志げは次女の京子に形見の品をよこすよう催促する。紀子以外の子供たちは、葬儀が終わるとそそくさと帰って行った。京子は憤慨するが、紀子は義兄姉をかばい若い京子を静かに諭す。紀子が東京に帰る前に、周吉は上京した際の紀子の優しさに感謝を表す。妻の形見だといって時計を渡すと紀子は号泣する[6]。がらんとした部屋で一人、周吉は静かな尾道の海を眺めるのだった。


ほのぼのとしたホームドラマではない。家族崩壊の物語だ。

これを小津映画特有のローポジションのカメラアングルで最後まで押し通していく。すでに崩壊している家族関係が、故郷から東京にやってきた老夫妻と子どもたちとの出来事をとおして、隠しおおすことができないまま赤裸々に暴かれる。ここにあるものは、すべて冷たい。冷酷で残酷である。ローポジションのカメラアングルから生まれる様式美は、うるおいとか暖かさをもたらすのではなく、厳格さ、静謐さ、排除される感傷性、硬直化した空間を到来させる。つまり様式美に身が凍る思いがする。それは映画のなかの人間関係の客観的相関物ともなっている。

本来ならウエットでホットな家族関係のなんとドライでクールな様相なのだろう。それはまさにイギリスのみならず西洋の個人主義的文化における家族の希薄で冷淡な関係と寸分たがわず似ている。私がイギリス人なら、『東京物語』で描かれる日本人家族は、イギリス人家族と同じだと痛感するにちがいない。だからこそ、私の大家であった老夫妻は、このことを伝えたくて、わざわざヨークからストラットフォード・アポン・エイヴォンまでやってきて、ドアをノックしたのだと私はいまでは想像している。

小津監督の『東京物語』の冷酷さ――それが小津映画全体の特徴かどうかは別にして――に耐えがたいものを感じたと思われるのが(ほんとうに耐えがたかったかは別にして)、山田洋次監督の『東京家族』である。

私は『東京家族』を見て、山田監督は、良い意味で、なんと心が優しい人なのだろうと感動すらし、小津監督の『東京物語』と同じ物語なのだが、『東京物語』にはない暖かさを映画から感じ取り涙ぐんだりしたのだが、もちろん、それは監督の資質の違いというのではなく、『東京家族』は、冷酷な『東京物語』に、なんとか人間的暖かさをもたせようとした試みだということである。

たとえていうなら、溺れたところを助け上げられたのだが、しかし衰弱して差し迫る死を待つだけの人間が横たわっているとすると、その人間の手足をマッサージして、血の巡りをよくして生気をとりもどさせ、さらに人工呼吸などで肺に酸素を送り込み呼吸を安定させて、なんとかして蘇生させよと必死の努力をしている救急隊員、それが山田洋次監督ではないか。いつ臨終を宣告されてもおかしくない死にかかった人間を必死で蘇生させようとしたのが『東京家族』ではないか。ただ蘇生過程で、死にゆく者が発散する冷厳な運命への身の縮むような畏怖の念――小津監督の『東京物語』が帯びていたもの――は、失われるしかなかったが。

ノースロップ・フライはかつて過去の文学ジャンルを四季の変化にあわせて分類を試みたことがある(『批評の解剖』)。四季のある地帯でしか通用しない話なのでグローバルな観点ではないが、それはさておき、春のジャンルは喜劇、夏のジャンルはロマンス、秋のジャンルは悲劇、冬のジャンルは風刺(サタイア)と分類したのだが、この分類によれば『東京物語』は風刺(サタイア)であり冬のジャンルあるいは冬物語である――そこに身も凍る寒さを感じても当然ともいえる。山田洋次監督の『東京家族』は、このままだと死と絶望しかない冬のジャンルであり冬物語である『東京物語』を、春のジャンルである喜劇へと復活再生させようとした試みともいえるのだ。

【フライのこの分類のすぐれているところは、隣接領域をも視野にいれてジャンルの特性をみることができることだ。たとえば春のジャンルである喜劇は、風刺とロマンスに接している。喜劇は、この両方の要素をもつことがある。冬のジャンルである風刺は、悲劇と喜劇の中間ジャンルでもある。そこには、喜劇的な笑いもあれば悲劇的に残酷な笑いもある、というように。】

実際のところ、故郷から老親が上京してくる、東京で仕事をし暮らしている子どもたちが親の扱いをめぐって右往左往するのは喜劇の題材によくある(実はシェイクスピアの時代からある)。以前の記事で触れたアン・リー監督の『ウェディング・バンケット』も、アメリカで暮らすゲイの息子のもとに老いた父親と母親が台湾からやってくる話で、ゲイであることを隠している息子は、偽装結婚して親の眼をごまかそうとする喜劇であった。『東京物語』も、そのような喜劇仕立を可能にするような要素満載なのだが、映画は、そうした喜劇性を排し、家族の崩壊を冷徹にみすえるサタイア的なものとなった。山田洋次監督の『東京家族』も、冬物語をもっともっと喜劇化することもできたかもしれないのだが、小津映画に対するオマージュもあってか、物語の基幹は温存しつつ、家族のエゴイズムを最小限にして冷酷な印象をあたえないようにしている。そのため時折さしはさまれるいかにも小津的なカット(床の間の置物をじっととらえるような)が、なにか場違いな関連性を欠いたような不思議な印象しかもたらさなくなったのだが。

あるいは『東京物語』で熱海の温泉旅行へとやっかい払いされる老夫婦が、和室で夜布団にはいると、浮かれ騒ぐ団体客の宴会の騒音が伝わってきて、眠れないシーンを思い出してもいい。眠れないというよりも、旅館の宴会場からもれてくる大きな笑い声が、厄介払いされた老夫妻の寂寥感を、いやが上にも高めるというべきか。この場面を『東京家族』ではどう示すのか興味があったが、熱海ではなく横浜の新しいホテルに場所がかわり、廊下にでるとかすかに外国人客が宴会で騒いでいる音が聞こえてくるのだが、部屋にもどれば、音も聞こえなくなり、眠りを妨げるようなこともないという、なくてもよい場面でしかなかった。『東京物語』にあったから取り入れたというだけで、物語にも主題にも雰囲気にも有効なかたちでからんでくるようなものではなかったように思う。

小津安二郎の戦争体験の話である。

その「撮影に就いてのノオト」の断章、今一度、引用すれば

▲志那の老婆が部隊長のところに来て云ふ〈自分の娘が日本のあなたの部下に姦された〉部隊長〈何か証拠でもあるのか〉老婆 布を差し出す。
〈全員集合〉部隊長は一同を集めて布を出し〈この布に見覚えはあるか〉〈ありません〉〈次〉〈ありません〉一人づゝ聞いてまわる。最後の一人まで聞きおわると静(ママ)に老婆に歩みより〈この部隊には御覧の通りいない〉老婆 頷く。
抜き打ちに老婆を切り捨てる。おもむろに刀を拭ひ鞘に納める。全員に分れ。


これを読んで私は『東京物語』を思い出した。

もちろん直接的つながりはない。両者に物語的な類似性もない。まあ、あるとすれば、冷酷さか。かたや戦場における狂気と残酷。かたや平和な日常にひそむ人間関係の希薄さと冷酷さ。どちらも身のすくむような寒々とした情感に支配されているとでもいったところか。

しかしもうひとつ類似点がある。中国での老婆のたらいまわしである。部隊長は、うったえてきた老婆を兵士一人一人に順番に会わせて、最後にやっかい払いする。切り捨てる。そもそも兵士ひとりひとり会わせるというのも、たらい回しのやっかい払いであり、最後の惨殺は、たらいまわしの最後の仕上げということもできる。たらいまわしされる老婆。そのあげく殺される老婆。そしてたらい回しされる老夫婦。そのあげく老婆のほうが死ぬ。

両者はなんとなく似ている。緊密なつながりはないが、相互に影響を及ぼし合っているような二つの悪夢としてのぼんやりとした類似性がある。

ここで大岡昇平の『野火』の終幕におけるようなワープ現象を考えてみてもいい。たとえば中国本土で日本軍の中国民衆に対する無意味な狂気としかいいようがない残虐行為をみせつけられて神経に異常をきたした一兵士が、その夜、夢をみる。昭和28年の戦後の平和な東京。広島から東京にやってきた老夫婦が子どもたちにやっかいものあつかいされ、招かれざる客として子どもたちの家をたらいまわしされたあげく、故郷に帰される。おぞましい家族の現実にうなされた兵士は汗まみれになって目が覚める。夢だったのかと安堵するが、兵舎の外の庭では中国人捕虜が杭につながれ、銃剣で刺す実地訓練の材料として使われ刺し殺されている。悪夢は終わっていない。いや、どちらが悪夢なのだ……。

逆も考えてもいい。『東京物語』の残酷さについては、映画のなかでも、また監督自身によっても、その淵源が中国における日本軍の残虐行為にあったことについて語られることはないが、ただ、たとえ意識的・意図的ではなかったとしても、小津安二郎監督自身が、自分の覚書きから着想をえた、また、その覚書きの内容を変形・翻案して映画化した、あるいはその覚書きにこめられた情動と同じ情動をもたらす映画をつくろうとしたというようなことは言えるだろう。たとえ表だって、また明示的にではないにせよ(あるいはそれは不可能だったかもしれないが)、小津映画も戦争における日本軍の残虐行為を告発しているのである。そしてその残虐行為をもたらした日本軍の心性が、同じ、日本の民衆にも行使されるだけではなく、民衆にも確実に受け継がれていることへの静かな怒りと恐怖がみとめられるはずである。

『東京物語』は、それを契機に悪夢を思い出せと伝えているのだ。中国における残虐行為を。『野火』における戦後は、人肉食の悪夢にとりつかれていた。『東京物語』の戦後は、老婆の残酷な虐殺という悪夢にとりつかれていたのである。

そう考えれば、小津の従軍体験は、その代表作ともいえる映画のなかで、あるいは映画そのものが、確実に表象されている。従軍体験については沈黙していた小津だが、小津の沈黙は、、映画をとおして、まさに映画というカムフラージュによって、ありのままの冷酷な現実と真実を示しているのかもしれない。

小津の沈黙に限らない。戦争体験を語らない多くの戦争体験者。その沈黙野は――たとえかたくなにも語らないという姿勢すらも、ゼロではなく何かを意味しているのであるが――、とりつくしまのない、あるいは欺瞞的な静謐と沈黙を漂わせているだけにみえても、たとえ明示的ではなくとも、示唆的に隠喩的に言語遂行的に、また語らず示すことによって、真実を雄弁に語っているかもしれないのだ。沈黙野は、多くの貴重な証言とともに、真実の鉱脈を宿しているかもしれない。その鉱脈を発見すること。いいかえれば、それは解釈と批評に課せられる責務なのである。
posted by ohashi at 03:24| エッセイ | 更新情報をチェックする