2021年01月24日

『黒いチューリップ』

オランダ物語との関連で、ふと『黒いチューリップ』というアレクサンドル・デュマの小説があったことを思い出した。

デュマ『黒いチューリップ』宗左近訳(創元推理文庫、1971、2009)を持っていた。なぜ購入して読んだのか、ただの趣味で読むわけがないので、理由があったのだろうと思うものの、いまとなっては忘れてしまった。今回、あらためて大急ぎで読むことにしたが、これまでに読んだ形跡がない。記憶もない。たとえ途中まで読んだにしても、最後まで読んでいないことはまちがいない。そして今回、読んでみて、なかなか興味深い作品であることがわかったし、文学研究者の血が騒ぐというか、この作品をめぐって、批評的文章が書けるような気がした。ただしフランス語で読んだわけではないので、本にするということはない。たんに趣味で、ここで覚書きを記すことしかないが。

最初に確認すべきは、アラン・ドロン主演の映画『黒意チューリップ』とはまったく関係ない話であること。

『黒いチューリップ』(くろいチューリップ、フランス語原題:La Tulipe Noire)は1964年のフランス、イタリア、スペインのアクション映画。70ミリフィルム(スーパーパノラマ70)として撮影されている。アレクサンドル・デュマ・ペールによる1850年の同名小説を原作としているが、監督のクリスチャン=ジャックやポール・アンドレオータ、アンリ・ジャンソンによって大幅に脚色されている。出演はアラン・ドロンなど。フランスでは公開されると、300万人以上の観客を動員した。


とWikipediaにある。クリスチャン=ジャック監督の映画で、映画作品としては評価が高い。アラン・ドロンの人気もあって、ヒットした映画。ただしデュマを原作としているのは驚きで、小説のほうは、17世紀後半のフランスとオランダの戦争前夜の話だが、映画のほうは18世紀末のフランス革命時代。革命を逃れてゆく卑劣な貴族から金銀を巻き上げる義賊が主人公。なぜ「黒いチューリップ」という花の名前が義賊についているのかといえば、アラン・ドロンが黒装束なのと(この装束は、のちに怪傑ゾロをアラン・ドロンが演じたときにも引き継がれた)、もうひとつフランス革命期における義賊、紅はこべとの連想だろう。ある意味、黒いチューリップ(もしくは黒チューリップ)は、「紅はこべ」の二番煎じであろう。

「紅はこべ」というのは、私より上の世代の人間にとっては、なつかしすぎる名前で、こちらはフランス革命期に貴族の英国への亡命を助ける義賊団。私が子どもの頃、連続テレビ・ドラマ(制作:英国)で『紅はこべ』を放送していた(東海地方だけかどうか不明)。「紅はこべ」というのが、どういう花なのかわからないまま、毎回、コスチューム・ドラマでの主人公の活躍をテレビでみていた。主人公の名前が「紅はこべ」だと思っていた。また子ども向けに書き換えられた小説を読んだかもしれない。

小説『紅はこべ』は、ディケンズの『二都物語』の影響を受けているとのことだが、私にとっては逆で、子どもの頃、ラルフ・トーマス監督、ダーク・ボガード主演の『二都物語』をテレビではじめて見たとき、ああ、『紅はこべ』の世界だ、つまり『紅はこべ』をまねていると思ったことはいまでも記憶している(ちみに『二都物語』の双子設定は、映画『黒いチューリップ』に影響をあたえているかもしれない)。

いまの若い人というよりも中年の人にとって、宝塚でもミュージカル化した「スカーレット・ピンパーネル」のほうがなじみ深いかもしれないが、私にとっては、「紅はこべ」は「紅はこべ」で、「スカーレット・ピンパーネル」ではないのだが。

閑話休題、いや、もうひとつ。

最近の映画で『チューリップ・フィーバー』

『チューリップ・フィーバー 肖像画に秘めた愛』(原題:Tulip Fever)は、2017年のアメリカ合衆国・イギリス合作の歴史・恋愛映画。17世紀のチューリップ・バブル時代のアムステルダムを舞台に、既婚女性と恋に落ちる画家の物語を描く。監督はジャスティン・チャドウィック、脚本はデボラ・モガー(英語版)とトム・ストッパードで、モガーの小説『チューリップ熱』(原題:Tulip Fever)を脚色している。モガーはフェルメールの絵画から着想を得ており、絵画の世界を小説にしようと執筆した。アリシア・ヴィキャンデル、デイン・デハーン、ジャック・オコンネル、ザック・ガリフィアナキス、ジュディ・デンチ、クリストフ・ヴァルツ、ホリデイ・グレインジャー、マシュー・モリソン、カーラ・デルヴィーニュらが出演。


とWikipediaにある。『ブーリン家の姉妹』のジャスティン・チャドウィク監督の映画で、けっこう面白い映画だった。チューリップの球根が投機の対象となったことは、この映画で初めて知ったし、オランダのアムステルダムのなんとも猥雑でせせこましい屋内空間が、なにやら不穏なまでのリアル感を醸成していて、また予想がつきそうで予想がつかないプロット(たぶんここが興行成績がふるわなかった原因だろうが)など、決して見る者を飽きさせなかったはずだが。

『ブーリン家の姉妹』は、知っている話なのだが、最後のほうは不覚にも泣いてしまったという予想外の展開に自分でも驚いたが(泣いたのは私だけではないはずだ――日本では映画公開前ではなく公開後に、泣ける映画として宣伝しはじめたのだから)、そのような感銘は、『チューリップ・フィーバー』にはなかった。

あと画家役のデイン・デハーンも、無名画家ではなくて、それこそフェルメールにしておけば、映画も多くの観客を魅了したかもしれないのだが、このデハーン、既視感はあっても、どの映画なのか思い出せず、あとで調べたら、リュク・ベッソンのSF映画『ヴァレリアン』の主役だった。しかし、それ以上に驚いたのは、デイン・デハーンの出演映画を、私はこれまで7本見ていて、にもかかわらず、『チューリップ・フィーヴァー』では、既視感があるものの、はじめてみる新人俳優かと思っていた。まあ、私がばかなのだが。

閑話休題。

デュマの『黒いチューリップ』は、フランス革命よりも100年以上も前のオランダを舞台としているのだが、ある意味、フランス革命が影を落としているところもある。もちろん、作品が発表されたのは19世紀の二月革命とルイ・ボナパルトのクーデターの間の時期でもあって、ある意味、激動の時代を、オランダ史における激動の時代というかたちで作品が反映しているともいえる。

また先に触れた映画『提督の艦隊』のなかで、その時代に生きていたスピノザとかフェルメールが登場しないことを(べつに登場しなくてもいいのだが)指摘し、この二人こそ、この映画の不在の原因としてみることはできないかというようなことを示唆したが、この小説でも、フェルメールやスピノザは登場しないが、19世紀には、スピノザは知識人、専門家しか知らず、フェルメールは、誰も知らなかった可能性がある。ただフェルメールと同郷の、オランダの法学者、フーゴー・グローティウス(Hugo de Groot, Huig de Groot、英: Hugo Grotius、1583- 1645)についての言及がある。グローティウスはフェルメールと同じデルフト出身であり、アルミニウス派の支持者でもあったため、異端扱いされ一時期レーヴェシュタイン城の監獄に収容されたが、のちに脱獄する。このレーヴェンシュタイン城に、この小説では、チューリップ作りの天才、コルネリウスが投獄されるという設定になっている。

冒険小説として分類されることの多い『黒いチューリップ』だが、むしろ主人公はチューリップ作りに専念するわけで、激しいアクションとか逃亡劇、あるいは復讐劇などがあるわけではない――つまり『三銃士』や『モンテクリスト伯』の世界とは違う。そもそもチューリップ栽培家なので、いかにして黒いチューリップを作るか、あれこれ腐心していると、デ・ウィッテ兄弟の処刑にまきこまれて、処刑寸前のところで赦され投獄されてしまう。とにかく収容されて身動きがとれない状態にある。

動というよりも静が強調される作品であって、ある意味、冒険活劇作家にとって、書きにくい題材だろうし、それでもなおかつ最後まで一気に読ませる工夫には、ただただ驚くほかはない。強いて言えば、全体にきれい事に終わってしまって、『チューリップ・フィーバー』にあるような猥雑さが欲しいということもあるが、しかし、主人公を動かない状態にする冒険小説は、一読に値する。

作品の最初のほうは、デ・ウィッテ兄弟の処刑にまつわる出来事の詳細が語られる。ある意味、オランダ救国の士でもあったデ・ウィッテ兄弟を、フランスとの戦争による政情不安と王党派の策謀もあって、兄弟の処刑を求める狂乱の群衆が、監獄の守備隊とにらみあうところなどは、議事堂で警官隊とにらみあうトランプ支持者たちの姿を彷彿とさせる(あの支持者たちは、それこそ『マッド・マックス』に出てくるならず者たちそっくりで、驚き、笑ってしまったが、さすがにアメリカは映画の国である)。そして処刑までけっこう詳しく描かれ、このオルギアが前半というか物語初期のクライマックスとなる。

私は以前は写真のネガとポジとか、写真の陰画の比喩をよく使ったのだが、デジタル写真の時代となると、ネガとかポジといっても意味が通らなくなったので、写真よりも、もっと古い絨毯の裏と表という比喩を使うようになった。絨毯の表と裏は、同じ模様とか絵柄を共有していても、その印象は、大きく異なる。裏からみると、地味でくすんだ感じにみえる絨毯も面からみると絢爛豪華な絵模様が展開していることがある。逆に派手な表面も、裏から見ると予想もできなかった暗黒世界が広がっていることがある。

もちろん写真のポジとネガほどの正反対の印象は与えないとしても(写真の場合、曇り空のもとで雪の積もった情景のモノクロ写真のネガでは、雪は黒くなり、真っ黒な大地に、白っぽい空という異世界が広がることになる)、絨毯の両面では異世界あるいは反世界の関係になっていることがある。暗い裏面も反対側から見ると華やかな表という逆転あるいは変容を目の当たりにできる。

『黒いチューリップ』の全体の構成は、初期の暴徒による残酷な処刑は、物語の最後にいたって、黒いチューリップの誕生を祝うことを中心とする花祭りの祝祭へと変容することである。絨毯の裏面から表面への変容と同じように、物語はじめの地獄絵図が、最後の花をめでる祝祭へと変容を遂げるのである。なおネタバレというなかれ。黒いチューリップは、いま存在しているので、黒いチューリップの誕生は読者としての完全に想定内であるのだから。

なお付け加えるのなら、暗黒の血塗られた狂乱の暴動から花祭りの祝祭への転換点に位置しているが、フランス革命時にロベスピエールの最高理性の祭典である。

ロベスピエールが《最高理性の祭典》に際して持っていたのに似ているような花束だった。p.342


血塗られたフランス革命恐怖政治時代の記憶には、花が寄り添っている。そして流血から花への転換は、花束をもっていたロベスピエールという、流血と平和、醜悪な政治と美徳の政治、過去と未来との結節点としてのイメージを刻んでいるのである。

負(ネガティブ)の祝祭から正(ポジティヴ)の祝祭への変容とならんで、もうひとつの変容もこの物語は用意している。

黒いチューリップめぐる物語は、まさに正統的物語たるゆえんであるところの、「物」(この場合はチューリップ)をめぐる語り、すなわち「物」語となっていることはいうまでもない。このチューリップあるいはその球根の争奪のゆくえをめぐるサスペンス、最終的に所有権は誰のもとに落ち着くのかをめぐるサスペンスが物語を支配する。この場合、球根と所有者との関係は、メトニミー的関係である。事実、新種の黒いチューリップは栽培者あるいは発見所有者の名前がつくことになるからである。チューリップは所有者・栽培者の所有物、あるいはその一部であり、メトノミ-的関係となる。

しかし球根は成長して開花するように、このメトニミー的関係も変化をとげる。すなわち新種のチューリップに所有者のなまえがつくのだが、それはまた新種のチューリップそのものが所有者のメタファーとなっていることの暗示ともなる。

事実、黒いチューリップを栽培者であるコルネリウス・ファン・ド・ベルルは、投獄中に看取の娘ローザとドア越しの密会を重ねるのだが、ローザは、その期間中に、コルネリウスから読み書きを習い、最後には、自分で手紙を書けるまでになり、盗まれた球根をとりもどすべく旅に出て、臨機応変の才を遺憾なく発揮して、基本的に動けぬ主人公を大いに助けるのである。彼女は、まさに栽培され開花し、最後には主人公を助ける黒いチューリップそのものであろう。

同じことはコルネリウスについてもいえる。彼もまた、ある意味、球根とは一身同体であり、球根は彼にとってたんたる持ち物・栽培対象(つまりメトニミー)ではなくて、彼自身そのものとなる(メタファー)。黒いチューリップを生み出した彼もまた、奇跡の花と同様、奇跡の人でもあったし、その能力と、その無実とが、最後の最後になって判明する、あるいはその真価が白日のもとにさらされる、つまり球根状態からやがて開花する、黒いチューリップそのものである。

物語そのものもそうであろう。最初の暗黒の祝祭から花の祝祭への変容は、球根から開花へのプロセスそのものとなる。それはまた奇跡を到来させる物語構成のメタ的メタファーともなっている。祝祭の裏と表は、輝かしくも「黒い」花、華やかな「黒い」暗黒の花という両義的メタファーともなっているのかもしれない。

そして最後に、オレンジ公ウィリアム。創元推理文庫の訳者あとがきでは、この作品が「まさにオランダ戦争が勃発しようとして風雲急を告げているオランダの、嵐の前の一瞬の無気味な静けさの中に展開される、恋と花のロマンです」としたうえで、

この小説の巻末で、ウィリアム殿下が、幸福な恋人たちをあとにして立ち去っていく彼方が、オランダ戦争の戦雲の下であります。ちょうど読者が巻を掩って、立ち去っていく彼方が、実生活の戦雲の下であるのと同じであります。〔「掩って」は「おおって」と読み、覆い隠す,包み隠すことだが、ここで本などを閉じるという意味。念のために〕

……このオレンジ公は、一六七七年ジェームズ二世の長女と結婚し、一六八八年議会に招かれてロンドンに入ってジェームズ王をフランスに走らせ、王権主義と議会主義とを調和させた「名誉革命」の立役者となり、翌八九年英国王となり、それとともに、オランダ戦争は、舞台を世界という広い檜舞台に移して、英仏両国間の大戦争に進展していきます。この間に、オランダは世界の歴史の片隅に追いやられ、やばげ眇たる小国の位置に止まることとなります。だが、これはもう、この『黒いチューリップ』とは関係のないことです。〔「眇たる」は小さいこと〕


と書かれている。

まさに世界史的にはその通りなのだが、この物語においては、オレンジ公ウィリアムは、先の映画『提督の艦隊』のように、悪辣な小心者の為政者として描かれているわけではない。むしろ、これからいよいよ大国を相手にわたりあい、英国王にまでなって開花する英雄の卵、いや英雄の球根として描かれているように思われる。彼もまた黒いチューリップなのである。

逆に、そのようにみない訳者のほうが、世界史的偏見にとらわれているように思われる。そもそも「ちょうど読者が巻を掩って、立ち去っていく彼方が、実生活の戦雲の下であるのと同じであります」と書く訳者は、いったいいつの時代を生きているのかと、問いたくなった。戦時中なのか。実生活を戦争とみるのは、どこまで実生活がおぞましいのだろか、あるいは波瀾万丈の実生活を謳歌している読者はどこにいるのだろうか。とはいえコロナ禍のいまの実生活は戦雲の下にあるといってもいいのだが。

さらに、この小説の中心をなすのは、チューリップの栽培家のコルネリウスと、彼が投獄された監獄の看守の娘ローザとの恋愛だが、看守の娘が囚人に恋をするというのは、なにか原型的なイメージを喚起する。

たとえばシェイクスピアの『二人の血縁の貴公子』The Two Noble Kinsmen(『二人の貴公子』のタイトルで河合翔一郎氏のすぐれた翻訳がある)では看守の娘が、とらわれた若者に恋をし、彼を逃げる手助けをしつつ、みずから犯した罪に恐れおののき最後には発狂する。看守の娘との恋。しかし、この作品は、ジェフリー・チョーサー『カンタベリー物語』のなかにある「騎士の話」の翻案であって、チョーサーの昔からある話でもあるから、元ネタはずいぶん古いものかもしれない。

しかし『二人の貴公子』を思い出したのは、もちろん、シェイクスピアの晩年の劇『テンペスト』にも似ているからである。『テンペスト』には、看守は出てこないが、魔法使い(元ミラノ大公)プロスペロは、その支配する孤島に漂着したファーディナンドを得たいの知れないよそ者(実はミラノ王の王子、プロスペロは、そのことを知っている)として扱い囚人扱いする。ところが彼に一目惚れしたプロスペロの娘ミランダは、父親の目を盗んで、ファーディナンドに会いに来て、いろいろ世話をするのである。

『黒いチューリップ』の看守の娘ローザには、この『テンペスト』のミランダの面影がある。それはかなり確信している。勝手に思い込んでいろと思われるかもしれない。ただ、この小説に随所にペダンティックな意匠というか知識をちりばめたところがある。

たとえば

ああ、ローザがチューリップのことを話してくれさえしたらなら、コルネリウスは、セミラミス女王、クレオパトラ女王、エリザベス女王、アンヌ・ド・アウトリッシュ女王、つまり、世の中でももっとも偉大でもっとも美しい女王よりもローザをえらんでいたことであろう。(p.237)


これなどは、かろうじて私はわかったが、アンヌ・ド・アウトリッシュは「王妃」だが「女王」ではないと思う。この王妃、『三銃士』に出てくる。英国のバッキンガム公と関係があったかなかったかという王妃。それに表記もアンヌ・ドートリッシュだと思うが。それはもとかく当時の読者は、これでわかったのだろうか。この程度ならわかったのかもしれないが。

あるいは

近隣を捜したあげく、彼は娘が馬を借りて、フラダマントかクロリンデのように行先も告げず、女冒険家として行ってしまったのを知った。(p.276)


この喩えは、よくできた喩えだと思うのだが、恥ずかしながら、一つはわからなかった。ただし「ブラダマント」だと思うが、そうでないと「フラダマント」というのは不明。結局、どちらがわからなかったのかは、ほんとうに恥ずかしいので言えないが、またさらにいうのなら、この二人の女性が登場する作品の翻訳は、私は持っていた。なおのこと恥ずかしい。

ただしこれも当時の読者で、ある程度教養のある読者にはわかったかもしれないのだが、このほかにもわかなかった喩えがあり、省くものの、ただ、もちろん、わからなくても作品理解に支障はないし、充分に楽しめるものだが、同時に、当時の読者のどれくらいが、デュマの繰り出すこうした喩えを理解できたかどうかわからない。大衆娯楽小説ではなくて、ある程度の教養のある読者向けということで作品に箔をつけようとしたのか、これはわかっても当然、あるいはわからなくてもかまわないのか、その辺の作品のスタンスが、専門家ではないのでよくわからない。

たとえば

バンコの幽霊が、あのマクベスの饗宴を混乱におとし入れたように、p.346


とあるとき、当時、ああ『マクベス』のあの場面と多くの読者はわかったのだろうか。シェイクスピアのファンでもなければ、イギリス人でもないのに。

とまれシェイクスピアの作品も喩えに引き出される。そのため『黒いチューリップ』は、『テンペスト』のある種の翻案でもあることを指摘したい。つまり
 意地悪な獄吏、その娘ローザ、チューリップ栽培家コルネイユは、

『テンペスト』の

 プロスペロ、 ミランダ、ファーディナンドと重なるのである。

ではキャリバンは?

 
しかも、この人間ときたら、いやしい精神の持ち主であり、最下層階級の出である。その人間は獄吏であり、そのおろす錠よりも愚鈍であり、そのかける閂よりも頑迷である。彼は「テンペスト」のカリバン/キャリバンのような、人と野獣の中間の者であった。p.181


ああ、カリバン、テンペスト。フランス人はルナンの作品を思い出すまでもなく、カリバン/キャリバンが大好きで、近年見たルオーの展覧会でも、ルオーは夢見るカリバン/キャリバンのパステル画を描いていた。ただし、この喩えでは悪辣な獄吏をカリバン/キャリバンだとしている。しかし私の解釈では、娘がいるこの意地悪な獄吏には、プロスペロの面影があるし、階級差別的にキャリバンと呼ばれているのだが、この作品には、もうひとりの主要な人物イザーク・ボクステルというチューリップ栽培家がいて、彼は、コルネリウスから球根を奪おうとする悪人ある。彼こそがキャリバンであり、獄吏の娘=ミランダとも対立する。そしてイザークという名前からしてユダヤ人である。デュマの階級差別・民族差別(ユダヤ人差別)は、ここに極まれりというべきか。

プロスペロ、ミランダ、ファーディナンド、キャリバンは、こうして『黒いチューリップ』のなかで、獄吏、その娘ローザ、コルネリウス、イザークという配役として演じられることになったのである。

posted by ohashi at 15:07| エッセイ | 更新情報をチェックする

2021年01月21日

鼻だしマスク受験

これについては、誰もがわかっているのだが、メディアもわかっているのだが、まあ、推測というかたちで、そしてみんなが語らないようだから、あえて語れば、目指す大学に入学するつもりで、本気で受験しているのなら、あんな馬鹿なまねは誰もしないだろう。いわずもがなのことだが。

しかし、受験問題をみて、合格できそうにないとわかったとしても、不合格で落とされると、高年齢でもあるし、もともと頭が悪いと思われるし、じゅうぶんな準備をしなかったとみなされる…… とにかく自分のせいで不合格となる。あるいは、そもそも受験するということ自体、理由はわからないが、不本意だったのかもしれない。ただし、自分から降りることができない事情があったのかもしれない。とにかく、合格できそうになく、またそもそも受験などしたくなかったが、自分から放棄する、リタイアするというのは、バカにされる(バカはバカなりにプライドがある)、だから、暴れて、無理矢理、受験をやめさせられたかたちにしたかったということだろう。

いい迷惑なのは、受験生であり、またこのバカの見え透いた自己防衛的戦略のために利用され、あげくのはてに処分が厳しすぎると批判されたりした大学当局/監督者グループだろう。不正行為とみなされ受験をやめさせられたのは、この男の思うつぼだろう。つまり受験したくなかった、あるいは受験しても合格の可能性はないと判断したのだ、この男は。

なおもうひとつの可能性は試験場で、あばれて世間の注目をあびようと、最初から考えていた可能性があるが、この場合は、はっきりいって逮捕されるべきである。犯罪者に弁護の余地はなく。受験生も,大学当局も、損害賠償を要求してよいだろう。

付記
似たような例として私が思い浮かべるのは、2018年のテニスの全米オープンでの、セリーナ・ウィリアムズと大坂なおみの試合である。

決勝の大坂なおみ戦で、セリーナ・ウィリアムズは、第2セット第2ゲームで、禁止されているコーチング行為があったとして警告を受け、第5ゲーム終了時にラケットを破壊したことによるポイント失陥となり、さらに第7ゲーム終了時のカルロス・ラモス主審への暴言でゲームペナルティを受け、あげくのはては、第8ゲームをプレイすることなく終わり、暴れまくった。結果的に2-6, 4-6で敗れたかたちになるが、むしろ、暴言と暴行によって退場させられたに等しい処分を受けたというべきだろう。

準優勝というのは、悪い成績ではない。しかし、この決勝戦では、格下の大坂なおみの力に圧倒されて敗戦を確信したセリーナ・ウィリアムズが、こうして暴れたことによる象徴的退場によって、大坂なおみに、実力で負けたのではなく、思わず興奮して暴言を吐き、反則技で退場させられようなものとしたかったのだろう。恥をかかずにプライドを守った。大坂なおみに、勝てないとわかった瞬間、こうして自分のプライドを守った。不合格まちがないなとわかったときに、暴れて退場になる道を選ぶことによって、自分の実力のなさを隠そうとした――見抜かれていることがわからないのだろうか。いや、わかっていながら誰も指摘しないから、見抜かれていないと思い込み続けるているのだろうが。
posted by ohashi at 00:18| コメント | 更新情報をチェックする

2021年01月20日

抗原検査

1月20日、10ヶ月ぶりくらいで、本日電車に乗る。PASMOの残高がわからず、駅の切符売り場で入金したら、けっこう残高があったことに気づく。昨年の3月以来、自粛生活をつづけて県境をまたいでいないのだが、今回も、まだ県境をまたがないかたちで電車移動をした。県境を越えない日数については、まだ新記録を更新中。

緊急事態宣言が出され、不要不急の外出は避けるように言われているのに、何事かと思われるかもしれないが、病気になったので病院に行くためである。病気なので、しかたがない。

目指す病院に到着、入り口で、額に検温器を当てられ体温を測られる。36.2度といわれる。紹介状をもっての来院なので、手続きをして、該当する科の診察室前の待合スペースに到着。午後からの診察となる。診察時間まで時間がある。

午前中は、近くの病院に行き、紹介状を書いてもらった。いったん帰宅後、すぐに、この病院へと出かける。久しぶりの電車を使っての外出なので、変に緊張したが、しかし、平日の昼過ぎということもあって、以前とまったく変わらない。強いて言えば街行く人、電車の乗客がみんなマスクをしているだけで、他は、以前とまったくかわらない。いまは有事だというのに、この、何事もない感じは、どうなのだろうか。これでは感染を減らすことなどできないのではないかと心配になる。

病院の待合スペースに座っていると、看護師が来て、診察前に体温を測るということだった。そして驚いた。

体温を測ると微熱がある。午前中に別の病院に行ったときも入り口で自動的に検温されて、もし微熱があったなら、入館を止められるか、注意/警告を受けたはずである。それがない。またその後、家で体温を測ったときも平熱であり、先ほど、この病院に入るときも検査され平熱だった。

それがどうしていま微熱があるのだろうか。わからないが、病院側にとっては、大問題で、なにしろ、私は、年末年始にかけて107名のクラスターを出した病院の患者で、その病院から紹介状をもって、この病院にやってきた老人で、しかも微熱があるのである。

即、抗原検査となって、結果は15分くらいで出るからと言われた。

結果出るまで、確かに、体がほてっている。ただ、高熱のときは、体が熱くなるのではなく、寒気がするのであって、寒気がするのでなければ、高熱ではないとも言われる。また駅から10分くらい歩いて病院にやってきた(病院専用の送迎バスもあるが、それには乗らずに歩いた――けっこう元気)。体が冷えたあと、暖かい病院内で、体温調整がうまくいかなかったのか。

あるいはコロナウィルスに感染したのか。自粛生活で人と会うことはないし、県境を越えていない(とはつまり東京に出ていないということだが)。だから心当たりはまったくないのだが、しかし、コロナウィルス、誰もが、いつどこで感染してもおかしくないものなので、知らないうちに感染していたのかもしれない。もしそうなると自宅療養となって、急激に重症化、救急車を待っているうちに死亡、もしくは入院先を探しているうちに死亡という、自分の人生の終わりのシナリオすらみえてきた(実際、重症化して治療受ける前に亡くなられた方は気の毒でならないが、私もそうなる確率は高い)。

しかも、かりに陰性であったとしても、抗原検査は精度に難があるので、陽性であるかもしれない。また、陰性であったとしても、こちらがかかえている病気は、治療してもらえるのだろうか。それもまた心配である。今日は病院をふたつ回るので、朝早く起きた、その疲労が出たのか、睡魔にも襲われた。体調は不良である……

気づくと、診療室の前で待つように言われた。抗原検査の結果は陰性で、こちらが抱える病気について診察され、2月に手術と決まった。コロナ禍での医療崩壊のなか、手術をしてもらうだけでもありがたい。ただ、私が手術をしてもらうことによって、この病院に大きな負担をかけることはなさそうだということがわかり、そこは安心した。

残りの午後、手術に備えて各種検査を終えて帰宅。久しぶりの外出にけっこう高揚してしまい、駅周辺で食料品を買って帰ろうかと思ったのだが、糖尿病がある(だからコロナは恐い)うえに、本日、午前中、塩分を取り過ぎないようにとも言われ、甘いものも、塩辛いものもだめだと言われて、正直いって食べるものがない。買って帰れる食料品などないので、そのまま、なにも買わずに帰宅することになった。

なお手術前にはPCR検査をすることになった。

最後に、抗原検査をする際、病院側は、えらく恐縮していて、少し驚いた。微熱がある患者に、とりあえず抗原検査をするのは当然のことだし、私としても、感染しているかいないかがわかるのは(抗原検査の精度が低いとはいえ)、ありがたいことである。喜んで検査を受けたい。できればPCR検査までして欲しいくらいだが、これは自分の病状を知るためと同時に、他人感染させないためでもある。だから病院側が、むしろ恩着せがましく検査をしてやったぞという態度をとっても、私としては全然かまわないのだが、世の中、検査を嫌がるバカがいるのだろう。

もちろん陽性になれば職を失うから検査を受けないという貧乏人がいることは事実かもしれないが、こうなるのは日本が途上国に転落したあかしであって、これは政治が解決する問題だろう。まずは、自分の健康と命、そして他人にうつさないために検査するチャンスがあれば活用することが重要である(命か金かの天秤にかけるとき、その命が自分の命である場合、金があっても、死んでしまったら、終わりであり、それほど自分の命を粗末にしたいのなら、最初から殺されてもしかたがないことになる)。

追記
病院で、待っているときに、私よりも前の椅子に老夫婦(だと思う)がいて、夫のために、妻が、病院内の自販機から炭酸飲料を買ってきていた。まあ、そのときは、べつに気にもとめなかったのだが、順番が私よりも先の、この老夫婦は、受付番号を呼ばれて、診察室のなかに入るとき、入ったのは奥さんのほうだけだった。え、奧さんのほうが診察を受けにきた。

となると、このクソジジイは何のために来たのだ。椅子に座って動こうとはせず(歩けないわけではない)、奧さんに飲み物を買わせていたこのクソジジイは、てっきり病人かと思ったら、病人は奧さんのほうだった。私だったら、すくなくとも病人の妻に、飲み物を買ってこさせはしない。

もうひとつ、どうもこの奧さんは、自分の病気の検査結果を聞きにきたらしいのだが、家族の者の検査結果は、家族全員で聞いてもいいだろう(病院側が禁止しない限り)。実際、別の診察室に、車椅子の老人に付き添って四,五人(たぶんその老人の家族・親族)がぞろそろと入っていったのを見たばかりなので、このクソジジイ、なぜ、いっしょに奧さんと診察室に入って医師の話を聞かないのかと不思議に思った。待合室で座ったまま。何の役にもたたず、むしろ奧さんのお荷物になっているこのクソジジイ。

ああ、なんと美しい日本の老夫婦。私は結婚したことはないが、いまみたこの老夫婦をみるにつけても、ほんとに結婚しておけばよかったと、くやまれてならない。
posted by ohashi at 23:20| 日記 | 更新情報をチェックする

2021年01月19日

徹底的か限定的か

朝日新聞デジタルの2021年1月19日 8時00分の記事

首相は18日に開会した通常国会で施政方針演説に臨んだ。衆院本会議ではほぼ原稿通り読み上げたが、その後の参院本会議では、新型コロナウイルス感染症対策の緊急事態宣言をめぐり、「徹底的な対策」というべきところを「限定的な対策」、35人学級について「小学校」と言うべきところを「小中学校」と口にし、言い直す場面もあった。


この記事にあるようなことは、テレビのニュースでも放送されていて、このまたもこの言い間違いかとあきれる声も多い。また、首相の言い間違いに対しては、コロナ対策で心身をすり減らしているので過労気味だというような擁護の声もあがっているようだが、言い間違いというのは、ほんとうにありがたいことであることを、誰もが認識すべきである。

首相にはもっともっと言い間違いをして欲しい。過労気味であるとすれば、気の毒だが、過労を維持して、言い間違いを連発して欲しい。

なぜなら、言い間違いのなかにこそ、真実が語られるからである。

「徹底的」を「限定的」というのは、どうしたらそんな間違いがと思う。「福岡」を「静岡」と間違うのは、フロイト的言い間違い(音が似ているので)かもしれないが、「徹底的」と「限定的」は字面からすると「的」しか似ていない――ただ音的には「ていてき」で両者は韻を踏むほど似ているかもしれないのだが。

フロイトによれば、言い間違いとは、音が似ているとか、内容の類似とか、脳内の思考のありようによって、意識の検閲を出し抜いて、不意に出てくるものであり、そこに無意識の願望とか、表に出せない思考があらわれてくる。つまり、言い間違いによって本音がでてくるのである。

言い間違いによって建前が出てくるというのは普通考えられない。また元気で、充分に注意をしているときに、表に出してはいけない本音を語ることはなく、建前だけを語り、批判されても慎重にそれをかわして、まちがっても本音がでるようなことはしない。

しかし疲れていると、本音が出る。「徹底的」というべきところ、「限定的」というのは、政府の方針が、「徹底的」ではなく「限定的」だということだろう。ネトウヨは管首相が疲れているからのささいな間違いであり、そんな間違いを重視するなと語っているようだが、疲れているからこそ、出てきた奇跡的本音であり、言い間違いであることで、建前ではなく本音が開示された、貴重極まりない瞬間なのである。言い間違いだからこそ、重視すべきである。言い間違いではない発言など、本来、どうでもいいことなのである。

フロイトのこの言い間違い理論をうけてラカンは、言い間違いこそ、つまり本音が出てくるこの言い間違いこそ、真のコミュニケーションが達成された瞬間であると述べている。

管首相には、どんどん疲れて、言い間違いをしてもらいたい。そこに真実と本音があらわれるからである。

付記:「福岡」と「静岡」の言い間違いについては、音の類似によっての間違いで、首相の意識の低さか、過労によるぼんやりであって、決して、そこに本音がでているわけではないと思われるかもしれないが、「静岡」に変位種のコロナに感染した人(渡航歴なし)があらわれたことから、政府は、静岡について、重大な何らかの懸念すべき情報をもっているのかもしれない。「福岡」を「静岡」と言い間違ったのも、単純な言い間違いではないふしがある。
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2021年01月15日

『提督の艦隊』から

『提督の艦隊」Michiel de Ruyterからフェルメールへ

2015年のオランダ映画だが、日本未公開。Amazonのプライムビデオで視聴した。何の予備知識もなく。

事実いや史実は小説よりも奇なり。歴史上のいろいろな出来事も、なんの予備知識もなく、その経過をたどると、通常の小説ではありえない、予想外の展開をして、驚かされるのではないか。たとえば「関ヶ原の合戦」にしても、私たちは、勝敗あるいは実際の経過について知り尽くしているから(ただし詳細が正しいものかどうかは判定できないとしても)、はじめてその戦いの記述に触れた者の立場に身を置くことはできないのだが、たぶん、何も知らない読者なり観客が、関ヶ原の戦いを扱った小説なり映画やドラマに接したら、予想外の展開に驚くのではないだろうか。あるいはプロットなり展開が、一定のルールに則していないと文句すら出るのではないだろうか。

同じ事は、この映画『提督の艦隊』を何に予備知識もなく視た観客――私のことだが――についてもあてはまる。純然たる海洋冒険物の映画かと、ぼんやり視ていた私は、途中から、事態が予想だにしない方向へと進んでしまい、戸惑うばかりで、映画を理解しえなくなっていた。

そうではないか、オランダで王党派を抑え、最高指導者となった共和派のリーダー、しかも、引退していた海軍提督を艦隊司令官に抜擢して英仏艦隊に勝利したこのリーダーが、どういう失政ゆえにかわからないが、怒り狂った民衆(裏で王党派が糸をひいている)によって、なぶり殺しにされて、兄ともども、おちんちんを切り取られるなどと、この映画を見ている観客の誰が想像しえただろうか。なぜ、こんなセンセーショナルな展開を必要としたのだろうかと、怒りすら覚えたのである。

ここまで書くと、オランダ人のみならず、わかる人にはわかる。

その暴徒によって処刑された二人は、ヨハン・デ・ウィットと、その兄コルネリス・デ・ウィットでしょうと。それを知らなかったお前は、アホじゃと言われても仕方がない。そう、このデ・ウィット兄弟が処刑されるまで、名前を気にもしていなかった(フィクションだと、海洋冒険物で戦争物だと勝手に思い込んでいたので)。しかし、いくらぼんやり生きている私としても、この二人の処刑という展開に戸惑いつつも、一条の光が見えてきた。覚醒の瞬間があった。ヨハン・デ・ウィットとコルネリウス・デ・ウィット。そしてもうひとつの名前が思い浮かんだ。スピノザ、と。

スピノザが、あれほど怒り批判していた暴徒化したオランダ市民によるデ・ウィッテ兄弟虐殺(トランプ支持者の議事堂侵入とつながるような、あるいはシェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』をほうふつとさせるような)、その歴史的瞬間に、たとえ映画とはいえ、いま立ち会ったのだという思いが沸いてきた、そして、あらためて知ったのだ、この映画は史実に基づいているのだと。

たしかに、純然たるフィクションというには、スケールが大きすぎる。海洋での会戦の再現と、その映像化には金がかかっている。しかも、こんなにお金をかけていそうで、上映時間105分という、あっというまに終わる小ぶりな映画にまとめているのは、おしつけがましくていいと思ったのだが、オランダでの公開時には、これは3時間越えの大作映画。英国でDVD化されたとき2時間の映画となり、それが今回、amazonプライム・ビデオで1時間45分くらいの映画に縮んだ。だから、3時間をかけてじっくりみせる映画が、その半分の長さになったので、説明不足のところがでてきて、展開も唐突になったのではと理解できる。また、そもそもミヒール・デ・ロイヤル提督は救国の英雄でもあって、オランダ人なら知らぬ人もいないのであろうから、細かな説明抜きでも映画は成立するということだろう。

映画はデ・ロイテル提督が主役なのだが、前半の影の主役がデ・ウィッテ兄弟だとすれば、後半は、オラーニュ公ウィレムが影の主役で、英国のチャールズ二世も登場する――チャールズ・ダンスがチャールズ二世を演じている。チャールズ二世の犬好きとか、娼婦の愛人――ネル・グウィンか、あるいはフランスのルイ十四世から送り込まれたルイーズ・ルネ・ケルアイユかどちから、あるいはふたりともか――が登場するし、ウィレム三世の同性愛も明確に示される。その辺は、通俗的な(つまり私でも知っている)歴史理解にそうかたちで物語がつくられている。

デ・ロイテル提督は、よき家庭人であるとともに、天才的な戦略家で、劣勢のオランダ海軍をたてなおし、すぐれた作戦で、英仏の艦隊を翻弄し、オランダに勝利をもたらす英雄なのだが、デ・ウィッテ兄弟との友情があだとなり、また国民的人気を提督にさらわれたウェイラム三世の嫉妬心も手伝って、最後には、勝てる見込みのない会戦に参加させられ戦死する悲劇の英雄でもある。おそらくそれゆにえオランダでは国民的英雄となっているのだろう。

その提督に比べると、ウィレム三世は、建国の英雄であったウィレム一世(オランダの国歌のなかでも歌われている英雄)とは異なる小物であり、母が英国のチャールズ二世の妹であったこともからも、英国との関係が深く、英国のチャールズ二世(チャールズ・ダンスのあくの強い演技が印象的だが)のいいなりなっている,ある意味、裏切り者である。しかもそのチャールズ二世も、フランスが起こす戦争に対しては、これを支援するという密約をルイ一四世と結んでいる裏切り者である。

チャールズ二世は、英国の王政復古の国王であり、フランスからの帰国に際しては、国民がこぞって、その復帰を盛大に祝ったというのが、いくら共和制時代が息詰まるものであったとしても、よくもまあ、こんなクソみたいな王を迎えたものだと、なさけなくなる。あるいは、国民が瞞されたのかもしれないが、国民のことを歯牙にもかけぬ無能な王のくせ……、いや、なにか八つ当たりをするようなことにもなるので、やめておこう。

結局、チャールズ二世の後継者となるのは、ジェイムズ二世ではなく、このウィレム三世であることも皮肉であり、ウィリアム三世はオランダと英国の国王となって、英仏の同盟を分断して、英仏の対立関係を構築することに成功したのだが、肝心なオランダは、かつては小国であっても、イングランドと覇を競う海洋国であったのが、ウィリアム三世が英国王に即位してからは英国に従属することになり、国力を失ってゆく。ウィレム三世は、ウィリアム三世となってバケの皮が剥がれたというべきか。ウィレム三世も、ある意味、オランダ国民を裏切っていたのである。また英国民も、また、よくもまあ、こんなクソみたいな男を国王にして名誉革命などと浮かれていたものだと、今の日本人と同じく、哀れですらある。

ただオランダのウィレム三世は、描かれ方によっては、大国を手玉にとって自国を守った英雄ともなるのだが、この映画では、そうした観点はまったくなく、ほんとうに裏切り者の卑劣な小心者である。たとえば侵略するフランス軍に対して、運河を壊し、国土を水浸しにして撃退するという戦略は、功を奏したこともあって、ウィレム三世の思い切った奇策として称賛されることもあるが、この映画では、エクセントリックな素人戦略として必ずしも称賛されていないようだ。まあ、オランダ人にとって、遠い過去の歴史であるから、ウィレム三世が悪く描かれようが、現在に影響はないのだろう。

それよりも、はじめにもどる。デ・ウィッテ兄弟が処刑され切り取られたペニスがお土産に売られるような展開において、影の主役はスピノザ(1632-1677)である。そしてもうひとり、スピノザの同時代人というか同年齢のフェルメール(1632-1675)も。二人が影で糸をひいているということではない。むしろ、その逆で、全く無関係なことが、この二人を負の主人公にしている。別次元、あるいはパラレルワールドに棲んでいるかのようなのだ。

時代と人物との関係をめぐるモデルにはいろいろとあるが、もっとも単純なメタファーとメトニミーもモデルで考えてみる。

たとえば新しい時代の幕開け時期に、刷新的な思想とか理論、あるいは新基盤となる実践が生まれたとしたら、それらは時代の産物ともいえ(時代とアナロジカルな関係にある)、時代とメタファー的関係にあるといえる。反映論と全く同じではないが、反映論の範疇に入るモデルかもしれない。もちろん単純なことではなく、逆もありうる。時代が過去と断絶し刷新的な運動を形成しているときに、ノスタルジックな過去の回顧的思想が生まれるかもしれない。戦乱の世に、ユートピア思想が出現することもある。またユートピア思想ともいえず、私が最悪と考えるのは、戦乱の世界に、それが終わったかのような未来に着地する、茶の湯の日々是好日の世界観である(終わってもいない戦乱の世を、終わったかのようにみせかける欺瞞戦略。コジェーヴがかつて歴史の終わりを体現していると考えた日本の茶の湯の世界)。

時代と人物、あるいは時代と現象との関係はストレートな場合と倒錯的な場合とにわけられる。作家が失恋したから、悲恋物語が生まれることもあるが、逆に、明るいハッピーエンディングの恋愛物語が生まれる可能性もある。明るい性格の作家が暗い物語を書いたり、暗い性格の作家が明るい物語を書くことは、ごくふつうにあることだ。そういう意味で、時代と人物との関係は、ストレートなものと想定すると足をすくわれることがある。

しかし、明るい時代に暗い小説というのは(たとえば昭和末期のバブル期のテレビドラマには、実に暗い内容のものが多かったことを、私はいまでも覚えている)、メタファーにならないとはいえ、関係性は強い。反動という関係性が。明るい時代だからこそ、それに警鐘をならすような暗い雰囲気の文化的産物が好まれたり、暗い時代だからこそ、それに反発して明るい文化的産物が好まれたりする。倒錯的あるいは反発的というのは裏メタファーということもいえる。

これに対してメトニミー的関係というのはどうなるのだろう。部分で全体を示す、あるいは全体で部分を示すメトニミーは、メタファーのように置き換えはおこなわれない。時代を象徴する人物というものがいるのは確かだが、それはその人物が時代のメタファーになっているからである。これに対して、すべての人物がメタファーになるのではない。ただ、その時代に属しているだけで、メタファーにはなっていない人物も多い。つまり新型コロナウィルス禍のこの時期に、何事もなかったように生活をし、感染もせず、感染も気にかけず、ただ日々是好日の世界を生きているのんきな人間(若者と書こうとしてやめた。感染して苦しんでいる、あるいはさらに後遺症に苦しんでいる若者たちも多いので)は、時代のメタファーにはなっていない。

いや、なっていると声もきこえる。

たしかに、コロナ禍で自宅療養中に死亡する気の毒な方はコロナ時代を象徴する人物である。あるいは倒産する飲食店もまたコロナ時代の象徴だし、命と金かを天秤にかけ金を選択して支持率を落としている首相もコロナ時代の象徴だろう。しかし、なにごともなかったかのように暮らす人びとも(マスクもせず、自粛生活もせず、感染を気にもかけず、外食産業を応援するつもりもまったくないまま外食しつづけるような人びと)も、また、いかにもコロナ時代ならではの愚か者であるように思われる。となると、典型的か否かに関係なく、いま、この社会で生きている人びとの思いつく限りの形態を考慮すれば、どれもがメタファーになりうるのである。となると、メトニミーはないのか。

メトニミーであって、それが同時にメタファーでもありうる例はいくつもある。アメリカでは大統領公邸をホワイトハウスという。これは建物の名称を、そのまま大統領公邸あるいは大統領、政府そのものを意味するメトニミーとして使っている。しかし、もしその建物に、ブラックハウスというような名称がついていたら、メトニミーとして使われたなかったのではないだろうか。となるとホワイトハウスは、メトニミーであると同時にメタファーでもある。ちなみに、これに対して、イギリスでは首相公邸、あるいは首相そのものをナンバー・テン(10)ということがある。首相だからナンバーワンではないかといいうなかれ。これは首相の公邸がある番地からきているメトニミーである。ここにはメトニミー/メタファーの二重性はないように思われるが、しかし、本来ナンバーワンであってもいい首相についてナンバーテンという落差なり不適説性がかえって面白がられているとすれば、これもまた負のメタファーかもしれない。

しかし、メトニミーそのものではなく、メトニミカルな関係を余儀なくされることもまた、メタファーであるといえるかもしれない。

たとえばフェルメールの絵画。フェルメールが活動していた時代は、また、激動の時代、戦争の時代でもあり、居住していたデルフトに、近いか遠いか判断のわかれるところだが、まったく遠いとはいえないハーグでは、デ・ウィット兄弟が処刑され、食肉処理された家畜のように裸で吊される事件が起きているのに、のんきに絵なんか描いている場合ではなかったかもしれない。あるいは、そうした狂乱こそ描くべきではなかったか。

ただ、その絵画は、誰もが認めるとおり、祖国が占領される危機にみまわれている戦乱の時代であることをまったく反映しない、日々是好日の室内画である。コロナ下で生きるのんきな、あるいは楽天的な日本人の室内のように、フェルメールの室内には外部は入り込まない。外部が暗示されるとしても、遠い異国の地(たとえば中国とか日本をはじめとする東洋)か、ごくありふれた日常の生活である。そこでは恋愛や不倫がいとなまれているかもしれないが、戦争の影だけは、絶対に忍び込むことがない。あるいはフェルメールが描く、手紙に関係する場面には、戦争の報告、生存者の安否の問い合わせや報告なのかもしれないが、その可能性を示唆しつつも真相あるいは真偽への拘泥は見出し得ないのである。

その絵画は、外部を閉め出す、その身振りこそが、ある意味、戦乱の時代におけるフェルメールの芸術の特徴かもしれない。つまり、戦乱、動乱については、ただ、なにもできないまま傍観することしかできないが、ただ、それがみずからの日常と芸術活動に浸食してくることだけは避けたい、なにしろ浸食されたら、どう対処してよいか見当もつかないなからである--という時代とのこの関係は、まさしくメトニミー的である。そして時代をまるごと背負う、まるごと表象する意欲も意図も、そして提起すべきヴィジョンもないまま、ただっみまるしかないという姿勢、まさにこのメトニミー的姿勢こそが、時代のメタファーになっているのではないだろうか。

そしてフェルメール芸術の、この身振り、この姿勢はまた、なにもできないまま、時代に流されてゆく人びと(それは他人事ではなく、私たち、いや私のことでもあるのだが)のメタファーともなりうる。フェルメールの時代との間で余儀なくされたメトニミー的関係は、それだけに収まらず、後世の時代の多くの人間が余儀なくされる身振りの、まさに、メタファーにもなっているのである。

そしてスピノザは? スピノザの専門家でもない私としては、フェルメールについて、専門家でもないのに好き勝手なことを述べた勢いで、さらにスピノザについて語ることは、恥の上塗りであろうから、今回は避けておくが、はたしてスピノザの思想は、この動乱の時代のメタファーなのか、あるいはメトノミ-的関係を維持しようとしているのだろうか。
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2021年01月14日

ミミズにおしっこ

1月14日、自粛生活の中、東京MXテレビの番組『5時に夢中』のなかで、ミミズにおしっこをかけるとお**コが腫れるという説を紹介していた。その後、番組の最後のほうで、視聴者からのコメントを紹介していて、そのなかで、「ミミズにおしっこをかけたらほんとうに腫れた。ただし一日でなおった」というコメントを紹介していた。

ミミズにおしっこをかけると、腫れるというのは、私も子どもの頃に経験したことがある。ほんとうに腫れた。そして一日で、なおるなんてことはなかった。医者に行って見てもらった。どのくらいで直ったかは記憶にないが、重症化はしないものの、すぐにおさまるような腫れではなかった。

私の母によれば、近くの医院でみてもらったとき、私は「お化けのおちんちんになっちゃった」と女性の医師に言ったらしく、息子(母の)が、かわいいのか、ばかなのか、よくわからなかったらしい。その発言について私に記憶ないのだが、かゆみやいたみがあったことは記憶している。

まあ戸外で、雑菌のついた汚れた手で、お**コをさわったので、炎症を起こして腫れたのだろうというふうに考えていたが、ミミズにおしっこして腫れたという経験をもった人はけっこう多いらしい。

ネットで調べてみたら、この「都市伝説」と書いている記事があったが、これは「都市伝説」という言葉ができる前からあったので「迷信」というべきものだろう。戸外で汚れた手でさわったからと思うのだが、ミミズは有毒な体液を飛ばすこともある、あるいはそうしたミミズがあるという説も、ネット上にある。ミミズに触るのではなく、遠くからおしっこをかけただけなので、体液を分泌し飛ばしても、お**コにかかるほど飛ばせるものではないだろう。むしろ有毒体液説のほうが、都市伝説かもしれないが。

戸外で尿をしない、不潔な手でお**コを触らないための、教訓的な迷信だとしても、ミミズとおしっこという組み合わせは、ある意味、シュールで、またリアルでもあって、ミミズの体液説もふくめ、緊密な因果関係が指摘できるのかもしれない。
posted by ohashi at 18:42| コメント | 更新情報をチェックする

2021年01月13日

日芸 2

それはともかくとして、日芸といえば、最近話題になったのは爆笑問題の太田光の裏口入学問題とそれを記事にした週刊誌に対する太田側の訴訟である。結局、裏口入学問題についての確証はなく、週刊誌側が有罪となったが、しかし、つり広告での謝罪文は認められなかったという、不思議な判決であった。その後、週刊誌側が上告し、太田側もそれをうけて訴訟を起こしたことは周知の通り。

この裁判で話題になったのは、太田光の裁判所でのおふざけであった。

日本には法廷侮辱罪というのがあるのかないのか知らないが、また、法廷侮辱行為というのは、具体的にどういうものを指すのかわからないのだが、かりに法廷や審議プロセスを茶化したり、当事者がふざけたりすることを法廷侮辱的な行為だとみなすなら、ふつう、そいういうことをするのは、被告側である。訴えられた側が、裁判そのものをバカにしたり、無効にすべく、ふざけたり、侮辱的言辞をはいたりして、法廷を撹乱することはある。訴えられた側が、この裁判は、完全な茶番、無意味な儀式だと根底からその意義を否定することはあるだろうし、裁判所もそれは予想している。

しかし訴える側、原告側が、ふざけるというのはどういうことなのだろう。裁判所も、それはまったく予期していない。

被告側がふざけるのは、裁判は冗談あるいは茶番で、まじめにとりくむ価値などないという、根本的な価値転倒をめざすのである。これに対して、原告側は、冗談ではない、冗談でもいっていいことと悪いことがある。ふざけるにもほどがある。こちらは怒っている、真面目に不正を追及し、正義の裁きを求めているというのが原告側の姿勢である。

その原告がふざけるというのは、どういうことなのだろう。まず、ぜったいにありえないことである。正義の裁きを求めるなんて、ばかばかしいというのは、被告側の主張としてはわかるが、原告側の主張としては意味がわからない。裁判で、面白半分に正義を求めてみましたということは、ありえないことである。あるいは、被告側が、原告側の、そうしたふざけた姿勢を告発することはあっても、原告側が、ふざけましたということは、どのような理屈も通用しない。

おそらく太田光にしてみれば、裏口入学かどうかは、まったく知らないことなのだろう。死んだ父親だけが知っているということなのだろう。だから、裏口入学ではないという絶対の確信があり、ゆるがざる真相を把握しているがゆえに、裁判で訴えたというのではなく、訴えないと事実として信じられてしまうからということだろう。

ある意味、半信半疑で、訴えた、だから適当な情報で書いた(かもしれない)週刊誌側と、適当な信念で訴えた(にちがないない)原告側、どちらもどっちだということだろうし、原告側には見栄はあっても正義はない。しかし、そうなると問題は被告側ではなく原告側であり、それは裁判プロセスへの侮辱だろう。ただのメンツだけで訴えるようなことに裁判所は付き合っている場合ではないはずだ。国民の税金の無駄遣いでもある。

これは、太田光自身が以前から述べていたことだが、日芸に裏口入学をするということのメリットはない。日芸が高級ブランドだとしても、卒業後、芸能界で活躍するとかアーティストとして活躍しないかぎり、そのブランドも意味がない。日芸を目指す受験生は、ただの学歴をつくるためとかブランド志向のためではないだろう。むしろ明確な目的があるはずである。

そもそもいま大学では、通常のペーパーテストで合否を判定するだけではなく、推薦入学とか、スポーツ選手枠とか、面接だけとか、いろいろな入学方法がある。もちろん、それらは合法的な入学であって、違法行為あるいは裏口入学でもなんでもない。選抜方法が多様化しているのである。

ましてや日芸のような特殊な才能をもった学生を受け入れる学部の場合は、合否基準も多様化しているはずである。つまり入り口はたくさんある。たくさん入り口があれば、裏口入学などというものはありえない。裏口入学しなくとも、入れるチャンスは多くある。そして同じことを繰り返すが、才能もなく、目的もなく、ただ学歴が欲しいために日芸に裏口入学して、なんの得があるというのか。

また大学学部としてもしっかり宣言すべきである。わが学部は、不正な入試などおこなっていない、と。もちろんあとで調査したら不正行為があったことが判明したとしても、また大学学部の職員が手引きしたとしても、どんな組織でも不正をする教職員はいるのであって、そのことで大学の名声がそこなわれることはないだろう。大学の名声がそこなわれるのは、不正などないと宣言せず、また不正があった場合でも厳正な処分をしないときである。日芸は、不正行為などおこなっていないと宣言すべきであった。在校生や、卒業生のためにも、これは実に残念なことである。

私は新潮社の味方でもなんでもないが、原告側でありながら、おふざけ、おちゃらけによって、訴えの根拠が弱いことをみずから暴露している愚か者の太田光(この法廷侮辱行為は、裁判行為そのものの意義をそこなう犯罪的なものである)を、つぎの裁判で、徹底的にぶちのめしてやれと、新潮社を応援したい。
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2021年01月12日

日芸 1

少し前だが、テレビで練馬区江古田のことを取り上げていたので、なつかしく見た。話題の中心は、江古田というよりも、江古田にある日大芸術学部のことであり、日大芸術学部の学生あるいは卒業生は、自分の大学を日大とはいわずに、ニチゲイ(日芸)ということが取り上げられていた。

懐かしいというのは、私は学生の頃というか大学院生の頃、江古田に住んでいた。駅の北側に住んでいて、駅への行き帰りには、日大芸術学部の前をとおっていた。日大芸術学部の学生が、母校を日大といわずに、なぜニチゲイというのかは、その理由はともかく、地元でも、ニチゲイといって親しまれていたし、私も、江古田に住んでいた頃は、ニチゲイと言っていた。

もちろん私は、ニチゲイの関係者ではないが、ニチゲイがあるおかげで、私も、いろいろ恩恵にあずかった。というのも大学の近隣の書店は、通常の街の書店にはない品揃えになっているからである。

以前、文京区、根津の書店に、たまたま入ったら、そこに東大文学部の先生方の本がいろいろそろえてあった。そのラインアップは、東大生協の書籍売り場よりも充実していて、あの先生がこういう本を出しているのかと、知らなかった本を思わず手にとった記憶がある。

それと同じで、日芸のある江古田の街の書店は、通常の書店にはない品揃えで私にはありがたかった。街の書店にふつう置いてあるのは、週刊誌や雑誌。そして漫画本。実用書にエロ本だが、江古田に複数ある書店には、通常の街の書店にはない、映画と演劇関係の本があり、さらにそれに関連した人文系の思想書などもあって、私には、ほんとうにありがたかった。実際、私が院生時代に購入した映画や演劇の日本語の本の多くは江古田の書店で購入したものである。

まあ日芸のなかの書店には、もっといろいろ面白い本があるのではないかと思ったが、部外者が中に入るのは、とりわけ私立大学の場合は、むつかしい。部外者が自由に出入りできるのは、東大の本郷キャンパスくらいである(駒場キャンパスは門のところに警備員がいる、べつの学生証とか職員証、身分証をみせろといわれたことはないが、なんとなく部外者は入りにくい雰囲気がある)

――以前、私が在職中、本郷キャンパスで、自転車に乗った女子大生と中高年の女性とが接触して、中高年の女性のほうが怪我をして、救急車が呼ばれたことがあった。あとで調べたら、自転車に乗った女子大生も、また怪我をした中高年の女性も、ふたりとも東大生でもなければ、東大の関係者でもなった。まったく部外者の二人が、キャンパス内で事故を起こしている。こういうことは私立大学のキャンパスでは、ふつう考えられないことである。

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2021年01月08日

イリュージョンの未来

夢のなかで高校時代にもどることがある。ずっとサボっている授業があって、このままでは落第が確定しそうで、なんとか出席しようと思うのだが、これまでずっと休んでいるのに、どの面を下げてというか、どう言い訳して授業に出るのか、苦しい思いでいる……。そんな悪夢である。このまま、この授業は放棄しようかと思うのだが、そうなると落第して卒業できない。どうしたらいいのかと思い悩んでいると、ある思いがわいてくる。

そういえばまだ授業の準備をしていなかった。午後の授業のために、配付資料なども整えておかねばならない……。と、ここで私は何を考えているのかと思い惑う。片方で落第寸前で困っていながら、同時に、これからの授業のことを心配している私。授業。受ける授業ではなく、教員としておこなう授業。私は大学で授業をしているのだ。その準備。ということは、私は大学の教員であり、高校を卒業できていたのだ。と、その瞬間、私のこの高校生活は夢なのだ、現実ではない、現実の私は高校を卒業して、いまでは大学で教えている……。

こうして悪夢から解放された。ふつう夢のなかの出来事は、目が覚めると忘れてしまう。夢のなかで大発見したと思っても、夢から覚める過程で、着実に、消えていく。どんな種類の大発見かも忘れてしまう。すぐれた小説のアイデアを思いついたことがあった――夢のなかで。目が覚めたら書き留めておこうとしたことも覚えているが、目が覚めたとき、アイデアはきれいに消えていた。

新海監督のアニメ映画『君の名は』に、似たような場面があった。夢から覚めるときの、消えてゆく世界と、それをとりもどせないもどかしさ。だから本来なら高校時代の悪夢から覚めるプロセスは覚えているはずはないのだが、夢の内容はさだかでなくなっても(私は優秀な高校生ではなかったが、落第を心配するほどの低空飛行をしていたわけではない)、目覚めるときのプロセスは、経験として記憶されたのだと思う。それはとにかく悪夢を脱したときの解放感があった。

先週の木曜日(2020年12月31日)は、このぶんでいくと東京都の新型コロナウィルスの感染者は、1000名を超えるのではないかと数日前から心配していたが、まさか1300人になるとは夢にも思わなかったし、さらに驚くべきは、その1週間後の1月7日に、感染者が2000名を超え、2500名に迫るとは、まったく予想できなかった。私たちは、いま、まさに悪夢のなかにいる。だから、そんなことを思い出したのだともいえるのだが、悪夢と悪夢からの覚醒によって思い出す、有名な小説がある。


大岡昇平の『野火』である(昨年暮れに、塚本晋也監督の映画について触れたので、同じ監督の『野火』を思い出したのかもしれないが、今回は、映画ではなく小説の話)。

『野火』の最後のほうのことを覚えているだろうか。地獄のようなルソン島の戦場の出来事が、次の章では、現代というか、その小説が発表された当時の、戦後まもない日本にワープする。その衝撃は、おそらく、この小説が出版されたときの読者でないと、正しく受けとめられないのではないかとも思ってしまうのだが、その衝撃は安堵でもある。

とにかく主人公とともに、地獄のような戦場を彷徨した読者は、ここで、ふっと我にかえるような気がする。あれは過去の、終わった、戦争なのだ、と。いま私は、地獄ではなく、戦後の平和な日本にいる。私は生きている。そしてこの日常、このありきたりな日常が、過去の地獄の戦場のせいで、なにか輝いてすらみえる。

だが、これが小説の最後の場面ではない。この小説のすごいところは、最後に、またルソン島にもどるのだ。一瞬、現在にワープしたために、置き去りにされた地獄の一場面にふたたび戻るところで小説は終わる。

この衝撃は大きい。なぜなら、戦後の平和な日本の凡庸な日常は、リアルではなくて、ルソン島で死にゆく日本兵たちが夢にみた幻想かもしれない。戦争はまだ終わっていない。地獄の季節は終わっていないかもしれない。つまり、この小説を読んでいる読者の現実は、リアルではない、ただの幻想、まぼろしかもしれないのだ。私たちは、仲間の死肉を食べながら,死んでゆく狂気の兵士たちの絶望的な妄想のなかの存在でしかないのかもしれない。

昨年出版された村上春樹『猫を捨てる―父親について語るとき』(文藝春秋)のなかに、『野火』の舞台となった、ルソン島での惨状を簡潔につたえる説明文がある――

第十六師団は激しい艦砲射撃と、上陸軍との水際での戦闘で人員の半数を失い、その後内陸部に退いて抵抗をおこなったが、補給路を完全に断たれ、後方からゲリラに襲撃され、ばらばらに敗残兵となった多くの兵士が飢餓とマラリアのために倒れていった。とりわけ飢餓は激しく、人肉食もあったと言われている。勝ち目のない、類を見ないほど悲惨きわまりない戦いであり、当初1万8000名を数えた十六師団の生存者は、僅か580に過ぎなかった。(73)


まさにこの世界である。そして小説『野火』は、最後にルソン島の惨状に戻る。戦後の平和など虚妄にすぎない。戦争の地獄は終わっていないことを訴えかける。

もちろん戦争は終わった。だが、まるで戦後の平和が幻想であり、地獄の戦場こそがリアルであるかのような描き方は、何を意味しているのだろうか。

最初の夢にもどろう。もし高校時代に落第確実の悪夢に苦しんでいる私が、大学で教えている事実に目覚めて、悪夢だったとほっとした矢先、再び、高校生に戻っている。大学教員の私は、高校生であった私が、現状から逃れたいと思って夢見た妄想でしかすぎなかったとしたら。再び悪夢の世界にもどる。今度は二乗、三乗された悪夢へと。Return with a vengeanceというやつである(うまく訳せないけれど)

同じことは、いまの日本にもいえる。私はひたすら自粛生活を送っていて、コロナ禍がおさまることを夢に見ているが、これからもっとひどくなるのではと不安を抱いている。しかし多くの日本人あるいは東京人は、まるでコロナ禍がおさまったかのような日常を生きている。いくら大衆は現実に耐えられないといっても、これはひどすぎる。戦争が終わってもいないのに、平和な戦後にいると思い込んでいる。昨今の感染爆発は、愚か者たちを、まさにその妄想から引きずり出し現実に直面させるようなところがある。まさに彼らに現実はReturn with a vengeance(うまく訳せないけれど)。


悲惨な現実と向かい合わない限り、あるいは死者を弔わないと、いまとここは、ただの幻想にすぎなくなる。過去を過去として葬る、いや葬ることすら葬る、まさに忘却の忘却によって現在を生きるのは、現在を限りなく希薄なものにしかねない。リアルと思っていた現在が、幻想にしか思えなくなる。そんな認識の深淵が穴をあけるのである。

そう、もし過去への忘却の忘却を生きているのなら、私の存在は、希薄になる。「自分自身が透明になっていくような、不思議な感覚に襲われることになる。手を宙にかざしてみると、向こう側が僅かに透けて見えるような気がしてくるのだ」と村上春樹は書いている(90)が、まさにそんなイメージがぴったりくるように思われる。

ただし、『猫を棄てる』のなかで語られているこのイメージは、私の議論とは方向性が逆である。過去から目をそむければそむけるほど、今の私の存在が、私の手が透明になってしまうということではなく、過去に向き合えば向き合うほど、いまの自分の存在が希薄なものにみえてくる、「手を宙にかざしてみると、向こう側が僅かに透けて見えるような気がしてくる」ということである。なぜなら親の世代においては戦争があった。そこで多くの人が死んでいた。自分の親も死んでいておかしくなかった。つまり生と死の紙一重のなかに、かろうじて幸運にも生を受けた自分のもつ存在のあやうさ、あるいは幻想性(死者たちの妄想の産物的なところ)が痛感されるのである――過去に向き合い、過去を知れば知るほど。

そう考えると、僕が小説家としてここに生きているという営み自体が、実体を欠いたただの儚い幻想のように思えてくる。僕という個体の持つ意味あいが、どんどん不明なものになってくる。手のひらが透けて見えたとしてもとくに不思議はあるまい。(90-91)


となると、過去に向き合うことによって現在が厚みをまし私の実存が保証されるのか、過去に向き合うことによって、現在が希薄なものになってしまうのか、私の実存が薄っぺらなものになってしまうのか(とはいえこれはまた「我々は結局のところ、偶然がたまたま生んだひとつの事実を、唯一無二の事実とみなして生きているだけのことなのではあるまいか」(96)という省察にもつながるのだが)、方向性は正反対だが、たしかな共通点もある。それはリアルは過去が握っているということである。

実際、過去のリアルを知ることによる現在の希薄化を説く村上は、過去に降り立つ勇気をもつことも説いている。父親を知り、父親が語りたがらなかった戦争のリアルを知ることによって、あらためて自己のはかなさにむきあう。そのとき、自己はもはやはかないものとはなくなっているだろう――私の方向にむりやり向けてしまうと。

『猫を棄てる』というエッセイの冒頭で、子どもの頃の村上が父親と猫を棄てに行く話が語られる。このエッセイにあらわれた「猫」については、本来なら、もっと丁寧に語られるべきだだが、おおざっぱにいえば、冒頭の棄てられた猫は、父親の戦争の思い出、戦争あるいは過去そのもの、さらには父親そのひとでもあるし、またこの本のイラストからすれば、棄てられたのは村上(子どもの)自身でもある。冒頭で棄てられた猫は、何事もなかったように戻ってくるのだから、戦争の記憶/過去/父親/息子、すべて棄てられたかのようにみえて帰ってくる。

これに対し、エッセイの最後で語れるのは、木に登ったのはいいけれども、木から降りられなくなった猫で、しかも、その猫はどこかに消えてしまう。もどって来なくなった猫、それはまた戦争の記憶/過去/父親でもあるのだろうが、そして、この消えてしまった猫によって、村上自身が棄てられてしまったともとれるのだが、この猫もまた村上自身のことでもある。木に登るのか簡単だが降りるのがむつかしい。「降りることは、上がることよりずっとむずかしい」(94)。だが、たとえそうでも、「遙か下の、目の眩むような地上に向かって垂直に降りていくことのむつかしさについて思いを巡らす」(97)と語る著者の、困難な垂直降下がこのエッセイということになる。

この猫は、こわごわと降りてくる。父親を、また両親を語り、時代の過去へと、もちろん自分の過去もふくめ、見極めようとする、いや見極めようと降りてくる、その降りざまの記録が、このエッセイということになる。さもないと著者自身が、消えた猫のように「その枝の上で白骨に」なっているだけかもしれないからだ。

過去に降りようとしないどころか、過去を捏造しようとする現代の日本に対して、勇気をもって木から下りようとする子猫あるいは白骨化した子猫のささやかな矜恃を語る著者の姿勢は、どこまでも厳しく、またどこまでもやさしい。


posted by ohashi at 13:47| エッセイ | 更新情報をチェックする

2021年01月06日

禁断の味

ほんとうは、この記事は書いてはいけない記事だと思うので、まさに禁断の記事である。というのも、もしここで書いてあることを実践して、食中毒になったり、下手をして命を落とすようなことになれば、記事の執筆者としての私の責任が問われるからである。だから、書いてはいけない記事なのだが、具体的なことを伏せて書けば、まねする人もいないだろうと思い、禁断の味についての禁断の記事を書く。

Don’t try this at home.

ふだんから食べているものではあるのだが、暮れとか正月にもらったりすることも多い食品のひとつを、私が子どもの頃、もらったことがある。私ではなく、私の家族宛てに。

食べ方もわかる。わからない人はいない。高級品だったが、ふだん食べている食品の高級品ということで、味についても、べつに珍しいものではない。

ところが、それをもらった年(毎年もらっているというわけではない)、たまたま祖母が、こういう食べ方もあると話しくれた。それは両親にとっても、私にとっても、はじめて聞く話だったが、ためしに祖母がいうとおりにして食べてみた。

Don’t try this at home.

すると、これがめちゃくちゃうまい。予想される味ではあったが、食べ方によって、こんなにうまくなるものだと驚いた。

驚いたが、しかし、以後、その食べ方はしなかった。両親が話しているのを聞いたが、この食べ方は危ないということだった。幸いにして、誰も、お腹を壊したりしなかったが、この食べ方をしていたら、いつか食中毒のようなものになるかもしれない。そのため、やめたほうがいいということになった。祖母が私たちに伝えてくれた食べ方だが、ひょっとしたら昔の人は、こういう食べ方をしていたのかもしれない。

Don’ t try this at home.

結局、その食べ方をしたのは1回だけ。とても美味だったが、1回だけで終わった。しかも、具体的に書くと、その食べ方で食べる人が出たりして、食中毒にでもなったら、絶対に、その食べ方はしないように、危険だからと力説しても、私の責任になる。

べつに危険だから、かえってうまく感じたということではない。また、1回でやめたので、よけいにうまかったという記憶が残ったかどうかは定かではないが、その味は、いまでも覚えている。禁断の味についての、禁断の記事である。
posted by ohashi at 16:09| エッセイ | 更新情報をチェックする

2021年01月02日

雑煮

毎年、この時期というか、むしろこの日に思うことはひとつだけで、雑煮のことである。いまNHKEテレ東京で、『にっぽん雑煮ジャーニー』という番組を放送していたばかりだが、名古屋出身の私としては、名古屋の質素な雑煮で育ってきたので、雑煮の味への思い入れは皆無である。

私の母は、山口県出身なので、山口県の雑煮を移入してもよかったのだろうが、私の子どもの頃は、名古屋では角餅しかなく、山口県の雑煮で使っていた丸餅は購入できなかった(いまではスーパーなどで一年中簡単に手に入る丸餅も、当時は全国一律に手に入ることはなかったのである)。しかたなく名古屋のまずい雑煮をつくるしかなかった。

角餅のルーツは江戸時代ののし餅がルーツらしい。母が慣れ親しんでいた山口県の雑煮が、丸餅だったのは、西日本の特徴のようだが、これは自分の家で餅をついて、それを丸めて保存するからで、丸い餅のほうが自然なのである。

ただし山口県の一部では、その丸餅のなかに、あんこを入れていたらしく、あん入りの餅はともかく、それを雑煮で食べるというのは私には考えられなくて、今から思えば、私には、名古屋のまずい雑煮を逃れても、あん入りの餅の雑煮が待っていたかもしれず、究極の選択みたいなところがあった(あん入りの餅の雑煮は、いまもあって、食べた人によると、そんなに変なものではなく美味だったようである)。

名古屋のまずい雑煮というのは料理の腕前とは関係なく、材料が質素で、餅以外には小松菜(名古屋ではもち菜と呼んでいたが、これは小松菜と同一か、異種かは不明)とか大根が一種だけ。餅をだし汁で煮るから、白味噌仕立てではなくても、汁は濁っている。実に、おいしそうだ。

一説では、徳川家の伝統で、戦国時代の質実剛健な暮らしぶりをしのぶために、正月の雑煮は質素なものにするということだった。徳川家とか武士の家では、二日めからは、豪華な雑煮だったかもしれないが、庶民は正月三が日は、ずっとこの質素な雑煮だった。

大学院での私の指導教官は小津次郎先生だったが、日本を代表するシェイクスピア学者であった小津先生と比べれば、まったくの不詳の弟子で、いまもなお会わせる顔はないのだが、その小津先生と唯一話があったのが、雑煮のことである。小津先生は三重県出身なのだが、お母様が名古屋の方で、正月の雑煮は名古屋の雑煮だったとのこと。つまり私と同様、日本一まずい雑煮を食べていたのである。グローバルにみれば、雑煮を食べるのは日本だけだろうから、要は、世界で一番まずい雑煮を食べていたのである、と。

今にして思えば懐かしい。まずい雑煮のこと? それもあるが、小津先生との会話もそうである。
posted by ohashi at 14:05| エッセイ | 更新情報をチェックする

2021年01月01日

新年あけましておめでとうございます

毎年、この時期に書いていることだが、いつ頃からは、「あけましておめでとう」ということは、「旧年」が「開けて」「新年」になることだから、「新年あけましておめでという」というのはおかしいという、くだらない説が出てきて、「新年あけましておめでとうございます」という表現は、一時、絶滅危惧種というか、ほぼ絶滅したことがあった。

大げさなというなかれ。市販されている印刷済の年賀状の文面からも、「新年あけまして……」という表現が消えたことがある。いまでも消えているのかもしれないが。

しかし、長年使われてきた「新年あけましておめでとうございます」という表現が、おかしいというのは、日本語の使い方を全く知らない外国人がする指摘のようなもので、それに対して明確に答えられなかった日本人あるいは、それに同調してしまった無知な日本人の責任は大きい(別にほんとうに外国人が指摘したということではない)。

まあ、漫才のネタのような話で、最初は冗談だったのかもしれないが、それがいつしか本気でとられてしまった。愚かさに国境はない。漫才の冗談ネタのような話が、伝統を破壊したというのは、美しい素晴らしい日本にふさわしい快挙だと思う(ちなにみ、漫才ネタではなかったはずだ――もしこれがほんとうに漫才ネタだったら、笑ってすませられるだけで、ここまで感染爆発はしなかっただろうから)。

これもよく言われる例だが、「お湯を沸かす」という表現は、一度沸いたお湯をもう一度沸かすという意味ではなく、水をお湯にするという意味である。「水を湧かす」と言ってもいいし、それはまちがいないのだが(人によっては、まちがいとみなすこともあろう)が、「お湯を沸かす」が一般的である。つまり原因ではなく結果の方を先にいう表現は、日本語には多い。

「新年あけましておめでとうございます」は、「旧年が開けて新年になる」ときの結果のほうを先に言っているのである。だから違和感はない。「お湯を沸かす」に違和感がないように。

もちろん、これから先は言語学者の専門的議論にまかせるしかないが。

そしてもちろん、私は怒っている。「新年あけましておめでとう」がおかしいと本気で言った人間を突き止めて、謝罪を要求したい。

そしてもちろん私は安堵している。「新年あけましておめでとうございます」という表現が、もどってきている。メディアでも、年賀状の文面でも。それは一部の愚か者たちの暴挙にもかかわらず、伝統が残っていることの、証しなのだと思う。伝統はこんなことで崩れるわけないはいかないと私は思っている。崩すのならもっと広範囲に徹底的に崩すべきだから。


付記:
私が子どもの頃テレビでみた漫才ネタで、誰のネタだったかは忘れたのだが、いまでもネタそのものの衝撃はよく覚えているものがある。

私たちは一年に何時間、働いているかと計算するとき、足し算・かけ算でやっていくと、たとえば一日8時間、週5日で40時間、一ヶ月4週働くとして160時間、12ヶ月働いて1920時間で、実働80日である。これが長いか短いかわからないが、足し算ですればこうなるが、その漫才では引き算と割り算で考える。

私たちは一日8時間、三分の一は寝ている。したがって一年の三分の一、およそ120日は寝ている。残り240日のうち、土日の休みがおよそ100日で、残り140日、さらにそこから食事時間、通勤時間、入浴時間、トイレ時間と、どんどん引いていくと、実働0日になってしまうというネタ。

計算方法のマジックであって、この話の嘘をうまく証明できないとしても、かといって信ずることはない。それが衝撃的だった。そして、これは面白い冗談として受け止めるしかなかったが、まさにこれこそが、この漫才、いや漫才全般の衝撃であり、また醍醐味なのだと私は思っている。
posted by ohashi at 09:59| エッセイ | 更新情報をチェックする