津野海太郎氏の著書『ペストと劇場』(晶文社、1980)は、たぶん出版されたと同時に読んだと思うのだが、当時、不思議なテーマと思いつつも、アントナン・アルトーの講演をきっかけとして展開する本の内容には魅了されて最後まで一気に読んだ記憶がある。
今回あらためて読みなおしてみた。当時も感染症そのものには興味がなかったが、また今回読み直してみても、新型コロナウィウルス禍のパンデミックのなかにある私たちがもっているだろう関心とは交錯することのない視角から書かれているので、面白い本であることは、まちがないが、いまの私たちに直接アピールするかどうかは、よくわからない。
とはいえ、ペストを扱えば感染症問題につながらないわけはないから、参考になる情報は多い。
そのなかのひとつ:
1720年フランスのマルセイユで、最後のペスト感染が起こる。ペストは船でやってきた。前年、マルセーユを出発して近東諸国で船荷を積み込んだ「グラン・サン・タントワーヌ号」は、帰国の途につくが、ペストに感染しているという噂が立って、途中のいくつかの寄港地で上陸はおろか接岸も断られて、ようやくマルセーユに帰ってくるが、市当局は、ペスト感染の噂のあるこの船の船員の検疫をスルーしてしまう。船の出資者たるブルジョワたちは間近に迫った定期市に商品をだすべく市当局に圧力をかけたのである。検査ならびに二週間の検疫よりも、経済活動を優先させたのである。
その結果、プロヴァンス地方全域にペストが広がり、10万人の死者を出すパンデミックが発生する。
検査か経済活動かの葛藤は、この時点で顕在化していた。そして経済を優先させたことで、とりかえしのつかないペスト感染となった。
幸か不幸か、これが最後のペスト感染で、以後、ペストのパンデミックはない。ただ、最近か昔からか知らないが、感染症の100年周期説がいわれていて、1820年にはコレラ大流行が、1920年にはスペイン風邪が、そして2020年には新型コロナウィルス感染が起こる。
1720年のペスト感染は、それが最後であることもあって、教訓が活かされることはなかったように思う。
そう、教訓。感染症の場合、経済活動を優先するなという教訓である。経済活動、端的にいえば金儲けのために検疫をスルーさせたマルセイユの大ブルジョワたちも、全員がペストにかかって死んでいたら、因果応報で、また同情もできるのだが、彼らがペストを逃れてのうのうと暮らして生涯を全うしていたら、いま、経済を優先させて感染を拡大させている責任者たちに、300年前の責任もあわせてとってもらいたと思うのは、私だけではあるまい。
(なお津野海太郎著『ペストと劇場』という優れた著作については、べつの機会に論評したい)。