2020年08月09日

うつけ坂49

2020年3月1日付の シアターテイメントニュースで、「戦国炒飯TV」の予告がある。

2010年4月〜2012年9月まで放送されていた新感覚お茶の間歴史バラエティ、「戦国鍋TV 〜なんとなく歴史が学べる映像〜」の新番組「戦国炒飯(チャーハン)TV」の放送が決定した。番組は2020年7月より放送開始予定となる。
制作陣には前作「戦国鍋TV」を手掛けたチームが再集結。全体構成に酒井健作、監督に住田崇、コンセプトデザインにニイルセン、脚本には安部裕之・熊本浩武・土屋亮一、音楽は奥村愛子が務め、時代に合わせた笑いを追求。
番組は前作「戦国鍋TV」と同様に“歴史バラエティの王道”となるようなコーナーで構成され、歴史をバラエティを通しておもしろ・楽しく学んでもらうをコンセプトにしている。発表に合わせて、番組オフィシャルサイト・Twitterの立ち上げとキービジュアルも公開。キービジュアルはコンセプトデザインを務めるニイルセンが手掛けた。以下略


実は放送は、コロナ禍で8月1日に延期された。今回、第2回目を見たばかりだが、戦国鍋TVは、時々みたことがあるが、つまみ食い的に見ていて、あまり面白さがわからなかったというか、それについて語れる資格などまったくないのだが、今回、偶然、「戦国炒飯TV」をみていて、面白さに驚いたし、そのパロディというかパスティーシュの質の高さに驚愕したといってもいい。

本日は、フリースタイル・ダンジョンのパロディのフリースタイル戦さとか、ミルクボーイ風の漫才(最近は、あちこちで模倣されてはいるのだが)には感嘆したのだが、やはり初回から登場している「うつけ坂49」が素晴らしい。

「戦国炒飯TV」公式サイトによれば

織田信長の小姓で結成されためちゃくちゃ気が効くアイドルグループ『うつけ坂49』!
森蘭丸、長谷川秀一、堀秀政、前田利家、拾阿弥という“天下ファイブ”を筆頭に49人の大所帯アイドルが信長様の寵愛を受けるため元気に歌って踊る!


このうつけ坂49のメンバーは、全員、織田信長と寝ているということになっている。織田信長は大人数の小姓団をもっていて、小姓たちとは肉体関係があった。完全にハーレムである。実際、調べてみると、たとえば本能寺の変では、わかっている限りでも20名の小姓が信長とともに討ち死にしている。そして小姓たちは、長じて、家臣や戦国武将にもなった者が多かったと思うので、織田の家臣団は、主君とみんな肉体関係があってもおかしくはなかった。このことは、歴史家は隠しているし、テレビ番組でも触れられることがない。

それを、お笑いバラエティー番組で全面的にフューチャーしているのは画期的なことである。歌も踊りも、番組のために急造したというよりも本格的に作りこんでいる。だから毎回、歌って踊るのだろうが、このうつけ坂49が、戦国世界あるいは日本史理解にもたらすパラダイムの転換は計り知れないように思われる。

たとえば織田信長が桶狭間で勝利したのは、情報戦に勝ったからだという、寝ぼけたことを伝える歴史番組がいまもあるのは嘆かわしいことである。今川義元が、京都の貴族文化に毒された軟弱な田舎大名というイメージは、たとえば『麒麟が来る』によって一蹴されたように思うのだが――実際、今川義元は、たとえば武田信玄など足元にも及ばないような、当時、「街道一の弓取り」といわれたくらい最強の大名であり、そうであればこそ、いち早く、上洛を計画することができた。

情報が豊富で正確であれば、戦争においては負け知らずの正しい行動をとることができる。そしてそれは賭けに出ることを禁ずるだろう。もし今川義元のような強力な大名が上洛のために進軍してきたら、正確な情報によって勝敗を判断するとすれば、織田軍にとって戦わないほうが正しい判断となる。戦力差においてこちらが圧倒的に有利なら戦うことに意味があるが、相手が圧倒的に強力なときには、戦わないに限る。もし戦力が拮抗していれば、賭けに出ることにも意味があるが、桶狭間の場合、戦力拮抗という情報があったのだろうか。

むしろ彼我の戦力差が正確な情報によって伝えられていたら、戦わなかったはずである。にもかかわらず、織田軍が攻めていったのは、正確な情報をもっていなかった(戦力拮抗という間違った情報を得ていた)あるいは正確な情報を得ていたが、それを無視したかのいずれかであって、どちらにしても情報などに左右されなかったから桶狭間の勝利があったといえるだろう。

情報は桶狭間の勝利とは関係ない。結局、詳しいことがわかっていないのだが、桶狭間では今川の大軍との闘いで、織田軍にも相当の犠牲者が出たことが予想される。まさに玉砕覚悟の戦闘なのだから、勝利の陰には、おびただしい戦死者がある。それはまた織田信長の側近や家臣団が、率先して主君のために命を投げうったからだろうとは想像がつく。織田軍の強さは、愛の力にあったのだ。同性愛の力が、当時、最強の今川軍を破ったのである。

なお当時の武将は、だれもがバイセクシュアルであったと思われるのだが、同性愛の部分を抑圧する歴史学には、情報を語る資格はないだろう。うつけ坂49こそ、真の歴史記述である。
posted by ohashi at 03:11| エッセイ | 更新情報をチェックする

75年前に

8月6日 NHKスペシャル 証言と映像でつづる原爆投下・全記録 (10~11pm)を、ぼんやりみていていて、しかし、逆に脳が活性化されて、いろいろな疑問や思いがわいてきた。思ったことを書いておきたい。

1.広島に原爆を投下したB29、愛称「エノラ・ゲイ」の記録映像をみていたら、ナチュラル・メタルの機体、まばゆいくらいに、あるいは近づけば顔が鏡のようにうつるくらいの機体表面におどろいた。ぴっかぴっかじゃんと、思わずつぶやいた。

こんなぴっかぴっかな機体は、迷彩とかカムフラージュなどとは全く縁のない機体で、これで高空を飛んだら、太陽光をめちゃくちゃ反射して、遠くからでも視認できてしまう。敵側には迎撃の準備を早くさせてしまうか、あるいは逃げ込む時間をたっぷり与えてしまう。

しかし大戦末期であり、もはや日本は死に体で、迎撃であがってくる戦闘機もいないし、このぴっかぴっかの機体で、護衛の戦闘機もなしで日本本土に侵入しても、撃ち堕とされる心配もない。この光輝く機体は、勝利の証し、勝利の輝きなのだ。

日本も舐められたものだというようなことではない。こうなったら、敵味方にこれ以上犠牲を出さないためにも、はやく降伏すべきであったのだ。降伏までの待ち時間のなかで原爆投下は起こっている。

2.終結ではなく戦後のために
広島が原爆投下の場所として選ばれたのは、通常爆撃で破壊されていない都市を選んだということだった。それも驚きである。つまり原爆の効果を正しく判定するためには、戦禍に見舞われ破壊がすすんでいない都市が選ばれたのである。

これは、原爆投下で、戦争を一刻も早く終わらせるというのではなくて、戦後の世界の覇権を念頭において、原爆の威力を確認しておくための実験として広島が選ばれたということだろう。

野球のたとえを使うほど、私は野球ファンではないし、そんなくそおやじではないはずだが、それでも恥ずかしながら野球の比喩でいえば、もう優勝を決めた球団が、来季あるいは日本シリーズ戦にむけて、新たな作戦の試験的運用や、予備選力の充実のために、消化試合で、新人を登板させたり、これまで実践したことのない作戦を積極的に使ってみるをようなものである。あまりうまい比喩ではないが……。勝負がついたので、残っている時間を、今後のための準備にあてたということである。

原爆投下も実験であった。戦後の覇権争いで、原爆のもつ戦略的効果を確かめるために。

結局、そうなると原爆の犠牲者は、アメリカの戦後戦略のために実験材料とされたのである。まさにアメリカの犠牲者でもあった。

3. 敵はわが友
長崎にむかったB29には、ジャーナリストも機内に乗せて、ルポを書かせている。これも余裕のあらわれで、激戦状態のときには、民間人を爆撃機に同乗させないだろう。また民間人も同乗したいとも思わないだろう。勝負はついているこの時期に第二の爆弾投下がおこなわれる。広島爆弾投下によっても日本政府が降伏しなかったので、第二の投下を決断したというのだが、むしろ政府が降伏しないのが幸いして、原爆の効果を確かめる新たな好機がめぐってきたというべきだろう。

同乗したジャーナリストは、結局、長崎で悪魔に原爆を落とすのだという語っている。つまり真珠湾やバターン死の行進を敢行した民族はただの悪魔だというわけである。

私も真珠湾攻撃といった卑劣な奇襲攻撃を立案し実行した者たち、あるいはバターンの死の行進で、おびただしい数の捕虜を死に追いやった者たちは、悪魔であることを認めるのにやぶさかではない。

しかし当時の広島の市民や長崎の市民全員が、悪魔とは考えにくい。なるほど、当時の市民の多くは奇襲攻撃に賛成し、捕虜虐殺を当然視したにちがいない。しかし、そうした悪魔が多かったと同時に、悪魔ではない市民たち、奇襲攻撃や捕虜虐待に断固反対した市民たちもまた数多くいたにちがいない。そうした市民たちの存在を私は確信している。となれば、大量破壊兵器である原爆を投下したアメリカは、悪魔といっしょに多くの無辜の民を虐殺した、もしくはその人生を破壊したのである。

実際、皮肉なことに長崎では原爆の犠牲になった人々は、アメリカの軍部が考えもしなかったかもしれないが、キリスト教徒の日本人が多かった。キリスト教徒の彼ら日本人犠牲者も悪魔だったというつもりなのか。

結局、それは、ユダヤ人ホロコーストを敢行したナチスドイツと同じ思想傾向なのである。なるほどユダヤ人のなかに悪魔といえるような者たちはいただろう。しかし、だからといって残りのユダヤ人全員が悪魔ではないし、彼らは無辜の民であったし、逆に無差別の虐殺したナチスこそ悪魔である。

実際、戦後アメリカは、ナチスの関係者を多く登用して冷戦期の世界戦略に貢献させた。敵もまた友となる。ナチスもアメリカも指導層は悪魔であった。

4.終戦を早めた?
原爆が終戦を早めたかについては解釈のわかれるところだが(というか日本の降伏はソ連の参戦が原因であり、ソ連が日本を占領したら国体が護持できなくなると恐れてのことであるといわれているが、たぶんそれは正しいのだろう)、番組をみていて、3回目の原爆投下を考えていたころのアメリカの軍関係者の冗談が目を開かせてくれた。3回目は東京を標的にしたらどうかという話が持ち上がった時、そんなことをしたら日本政府が消滅するだろうから、どこと降伏の交渉をしたらいいのか、という冗談が聞かれたという。

そう、日本の政権や政府関係者は、東京に原爆が落ちることはない、自分たちは原爆の犠牲になることはないことは確信していたにちがいない。だから原爆がどれほど投下されようとも、自分たちが傷つくことはないとたかをくくっていた。これでは原爆が終戦を早めたとはいえないのだろう。

広島、長崎の原爆の犠牲者が終戦を早めたというのも、犠牲者にとってはひどい話だが、犠牲者が出ても降伏はしなかったというのも犠牲者にとってひどい話である。犠牲者を正しく追悼するには、責任の所在を明確にし、二度とこんなことをしないことの決意であろう。その意味で広島の原爆記念碑の銘は、批判もあるが、いまなお有効な普遍性をもちえているのではないかと思う。
posted by ohashi at 02:00| エッセイ | 更新情報をチェックする