2010年4月〜2012年9月まで放送されていた新感覚お茶の間歴史バラエティ、「戦国鍋TV 〜なんとなく歴史が学べる映像〜」の新番組「戦国炒飯(チャーハン)TV」の放送が決定した。番組は2020年7月より放送開始予定となる。
制作陣には前作「戦国鍋TV」を手掛けたチームが再集結。全体構成に酒井健作、監督に住田崇、コンセプトデザインにニイルセン、脚本には安部裕之・熊本浩武・土屋亮一、音楽は奥村愛子が務め、時代に合わせた笑いを追求。
番組は前作「戦国鍋TV」と同様に“歴史バラエティの王道”となるようなコーナーで構成され、歴史をバラエティを通しておもしろ・楽しく学んでもらうをコンセプトにしている。発表に合わせて、番組オフィシャルサイト・Twitterの立ち上げとキービジュアルも公開。キービジュアルはコンセプトデザインを務めるニイルセンが手掛けた。以下略
実は放送は、コロナ禍で8月1日に延期された。今回、第2回目を見たばかりだが、戦国鍋TVは、時々みたことがあるが、つまみ食い的に見ていて、あまり面白さがわからなかったというか、それについて語れる資格などまったくないのだが、今回、偶然、「戦国炒飯TV」をみていて、面白さに驚いたし、そのパロディというかパスティーシュの質の高さに驚愕したといってもいい。
本日は、フリースタイル・ダンジョンのパロディのフリースタイル戦さとか、ミルクボーイ風の漫才(最近は、あちこちで模倣されてはいるのだが)には感嘆したのだが、やはり初回から登場している「うつけ坂49」が素晴らしい。
「戦国炒飯TV」公式サイトによれば
織田信長の小姓で結成されためちゃくちゃ気が効くアイドルグループ『うつけ坂49』!
森蘭丸、長谷川秀一、堀秀政、前田利家、拾阿弥という“天下ファイブ”を筆頭に49人の大所帯アイドルが信長様の寵愛を受けるため元気に歌って踊る!
このうつけ坂49のメンバーは、全員、織田信長と寝ているということになっている。織田信長は大人数の小姓団をもっていて、小姓たちとは肉体関係があった。完全にハーレムである。実際、調べてみると、たとえば本能寺の変では、わかっている限りでも20名の小姓が信長とともに討ち死にしている。そして小姓たちは、長じて、家臣や戦国武将にもなった者が多かったと思うので、織田の家臣団は、主君とみんな肉体関係があってもおかしくはなかった。このことは、歴史家は隠しているし、テレビ番組でも触れられることがない。
それを、お笑いバラエティー番組で全面的にフューチャーしているのは画期的なことである。歌も踊りも、番組のために急造したというよりも本格的に作りこんでいる。だから毎回、歌って踊るのだろうが、このうつけ坂49が、戦国世界あるいは日本史理解にもたらすパラダイムの転換は計り知れないように思われる。
たとえば織田信長が桶狭間で勝利したのは、情報戦に勝ったからだという、寝ぼけたことを伝える歴史番組がいまもあるのは嘆かわしいことである。今川義元が、京都の貴族文化に毒された軟弱な田舎大名というイメージは、たとえば『麒麟が来る』によって一蹴されたように思うのだが――実際、今川義元は、たとえば武田信玄など足元にも及ばないような、当時、「街道一の弓取り」といわれたくらい最強の大名であり、そうであればこそ、いち早く、上洛を計画することができた。
情報が豊富で正確であれば、戦争においては負け知らずの正しい行動をとることができる。そしてそれは賭けに出ることを禁ずるだろう。もし今川義元のような強力な大名が上洛のために進軍してきたら、正確な情報によって勝敗を判断するとすれば、織田軍にとって戦わないほうが正しい判断となる。戦力差においてこちらが圧倒的に有利なら戦うことに意味があるが、相手が圧倒的に強力なときには、戦わないに限る。もし戦力が拮抗していれば、賭けに出ることにも意味があるが、桶狭間の場合、戦力拮抗という情報があったのだろうか。
むしろ彼我の戦力差が正確な情報によって伝えられていたら、戦わなかったはずである。にもかかわらず、織田軍が攻めていったのは、正確な情報をもっていなかった(戦力拮抗という間違った情報を得ていた)あるいは正確な情報を得ていたが、それを無視したかのいずれかであって、どちらにしても情報などに左右されなかったから桶狭間の勝利があったといえるだろう。
情報は桶狭間の勝利とは関係ない。結局、詳しいことがわかっていないのだが、桶狭間では今川の大軍との闘いで、織田軍にも相当の犠牲者が出たことが予想される。まさに玉砕覚悟の戦闘なのだから、勝利の陰には、おびただしい戦死者がある。それはまた織田信長の側近や家臣団が、率先して主君のために命を投げうったからだろうとは想像がつく。織田軍の強さは、愛の力にあったのだ。同性愛の力が、当時、最強の今川軍を破ったのである。
なお当時の武将は、だれもがバイセクシュアルであったと思われるのだが、同性愛の部分を抑圧する歴史学には、情報を語る資格はないだろう。うつけ坂49こそ、真の歴史記述である。