2020年08月30日

感染症と文化

津野海太郎氏の著書『ペストと劇場』(晶文社、1980)は、たぶん出版されたと同時に読んだと思うのだが、当時、不思議なテーマと思いつつも、アントナン・アルトーの講演をきっかけとして展開する本の内容には魅了されて最後まで一気に読んだ記憶がある。

今回あらためて読みなおしてみた。当時も感染症そのものには興味がなかったが、また今回読み直してみても、新型コロナウィウルス禍のパンデミックのなかにある私たちがもっているだろう関心とは交錯することのない視角から書かれているので、面白い本であることは、まちがないが、いまの私たちに直接アピールするかどうかは、よくわからない。

とはいえ、ペストを扱えば感染症問題につながらないわけはないから、参考になる情報は多い。

そのなかのひとつ:

1720年フランスのマルセイユで、最後のペスト感染が起こる。ペストは船でやってきた。前年、マルセーユを出発して近東諸国で船荷を積み込んだ「グラン・サン・タントワーヌ号」は、帰国の途につくが、ペストに感染しているという噂が立って、途中のいくつかの寄港地で上陸はおろか接岸も断られて、ようやくマルセーユに帰ってくるが、市当局は、ペスト感染の噂のあるこの船の船員の検疫をスルーしてしまう。船の出資者たるブルジョワたちは間近に迫った定期市に商品をだすべく市当局に圧力をかけたのである。検査ならびに二週間の検疫よりも、経済活動を優先させたのである。

その結果、プロヴァンス地方全域にペストが広がり、10万人の死者を出すパンデミックが発生する。

検査か経済活動かの葛藤は、この時点で顕在化していた。そして経済を優先させたことで、とりかえしのつかないペスト感染となった。

幸か不幸か、これが最後のペスト感染で、以後、ペストのパンデミックはない。ただ、最近か昔からか知らないが、感染症の100年周期説がいわれていて、1820年にはコレラ大流行が、1920年にはスペイン風邪が、そして2020年には新型コロナウィルス感染が起こる。

1720年のペスト感染は、それが最後であることもあって、教訓が活かされることはなかったように思う。

そう、教訓。感染症の場合、経済活動を優先するなという教訓である。経済活動、端的にいえば金儲けのために検疫をスルーさせたマルセイユの大ブルジョワたちも、全員がペストにかかって死んでいたら、因果応報で、また同情もできるのだが、彼らがペストを逃れてのうのうと暮らして生涯を全うしていたら、いま、経済を優先させて感染を拡大させている責任者たちに、300年前の責任もあわせてとってもらいたと思うのは、私だけではあるまい。

(なお津野海太郎著『ペストと劇場』という優れた著作については、べつの機会に論評したい)。
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2020年08月29日

地獄の政権

地獄のような安倍政権も、ようやくこれで終わることがわかって、ほっとしている。もちろんこれから登場する自民党政権も、ろくな政権ではなく、ひどいものだろうが、安倍政権ほど、ひどくはないだろうという予感はする。

実際、安倍政権は歴代長期政権のなかでも最悪の腐敗政権で、そのひどさは、これまでの自民党政権のひどさがかすむというか、そのひどさがすべて許されてしまうくらいの、ひどさなのだから。

こんな腐敗政権が歴代最長というのは歴史上の最大の恥なのだが、まあ歴代最長だから腐敗したのかもしれないが。

外交の成果がどうのこうのといわれているが、トランプとプーチンと仲が良いというか、この二人から褒められている。(じっさいにはこの二人になめられているとしか思えないのだが、また以前、右翼の街宣車がトランプとの関係を批判していたが、右翼でもというか、右翼だからこそというべきか、トランプのポチになっている首相が許せなかったのかもしれない)。

世界の嫌われ者の為政者二人から褒められるというのは、どういう人間なのだ。トランプ、プーチン、そしてこの二人にほめられている安倍、世界の為政者、ワースト・スリーに入っていることはまちがない。

忖度によって支えられている政権というのは、命令ではなく自発的な支持をえているから強いと思われるかもしれないが、露骨な圧力があればこそ、忖度も生じているのだから、実のところ、忠実度は低い。トップがやめれば、あっというまに離反がはじまるだろう。

まあ、まだ影響力があると思って、労をねぎらう芸人や文化人がいるが、誰が安倍応援団だったかをしっかり記憶しておけば、今後、彼らの言動について判断の基準となるだろう。
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2020年08月28日

「悲劇の未来について」

翻訳の闇

アルベール・カミュのこのエッセイは、英米圏では、よく参照されることが多くて、それを読んでみたいというというか、それを参照する必要にせまられて、昨年から、その日本語訳を探していた。

とはいえ、かつて出版されていた翻訳全集はいまでは絶版だし、図書館で閲覧するしかないのかもしれないが、この時期、図書館に行くのは恐いというか、そもそも館内閲覧できなくなっている公共の図書館は多い。

ところが実は、そのエッセイが未訳であることを知ったのは、昨年、二〇一九年一一月号の『悲劇喜劇』にその翻訳が日本初訳として掲載されたからである。

アルベール・カミュ「悲劇の未来について(一九五五年四月二九日、ギリシャ・アテネでカミュが行なった講演)」東浦弘樹訳、『悲劇喜劇』No.801(二〇一九年十一月号)pp.42-51.


翻訳そのものはりっぱな、そしてわかりやすい翻訳で、問題ではなく、またはじめてエッセイではなく講演であることを知ったのだが、問題は翻訳ではなく、原典の講演記録そのものにあった。

カミュは、後半、いろいろな作品から引用して、その箇所を朗読するのだが、日本語訳では、ただ、「(朗読)」と印刷していあるだけで、どこが引用されたのか、まったくわからない。最後もカミュはクローデルの作品からの引用で締めくくるのだが、

……ここでは我々は二つの言語が互いを変容しあい、風変わりで威厳のある唯一の言葉を作り上げています。
(朗読)


これで終わり。え、朗読で終わり。どうしたのか、最初、なにかのミスかと思ったが、他の朗読の部分も、中身が示されていない。

これはなんなのだと、いらいらがつのり、とりあえず、英語圏でよく読まれているカミュのエッセイ集の英語訳を購入することにした。Kindleで880円くらいで購入。

Albert Camus, Lyrical and Critical Essays, Edited Philip Thody, Translated by Ellen Conroy Kennedy, (New York: Vintage Book, 1968).


このなかに‘On the Future of Tragedy’が収録されている。

ちなみにこの英語訳エッセイ集、いわゆる『表と裏』とか『結婚』とか『夏』といったエッセイ集(私が『異邦人』めあてで購入した新潮世界文学の第一回配本のなかに入っていたエッセイ集でもあって、高校生の私にはよくわからなかったが、ただ、なんとなく気色悪いエッセイ集だという個人的感想をもった。『異邦人』は、もっとわからない本だったが、ものすごく面白かったことは記憶にある。『異邦人』は、のちにフランス語でも読んだ――まあ短い本だし)のほかに、メルヴィルとかフォークナーについての批評文もあって、英米文学研究者や愛好家には、けっこううれしい本でもある。

さて、この英語訳エッセイ集で確認したが、英語訳でも最後は [reads]で終わっている。ただし、英語訳では編者が注をつけていて、最初の朗読がはじまるところで、「残念ながら、フランス語の原典は、カミュが講演中にどの部分を朗読したのか示していない」と書いてある。

そういうことか、もともとのカミュの講演録にも、朗読した箇所は記載されていないのか。まあ、しかなたいかという思いと、だったらそう注記しておけよ、この日本語のバカ翻訳者がと心の中で思った――あくまでも心の中での思い、瞬間的な理不尽な怒りであって、公の発言ではないし、公の場で、私はそういう発現は絶対にしないので誤解のないように。

まあ、しかし**は英語の翻訳者もそうであって、カミュは、シェイクスピアから出典を明示することなく引用しているのだが、日本語翻訳者は、それを『アントニーとクレオパトラ』の第五幕第二場冒頭のクレオパトラの台詞であり、カミュは原文とは少し違った表現にしていると注をつけている。もとの原典となったものに、そのような注があったのか、あるいは翻訳者自身が発見したのかわからないが、りっぱな訳注である。

英語訳と比べると。英語訳者は、これをシェイクスピアからの引用とは気づかなかったようだ(正直、私も、これが『アントニーとクレオパトラ』からの引用とは気づかなかった)、そのため英語訳はこうなっている。

A higher fife is born of my despair.

fife? たぶんこれは電子化するときのミスでlifeなのだろう。それにしてもfifeとは、なんちゅうまちがいだ。『マクベス』かと,突っ込みも入れたくなるのだが、シェイクスピアの『アントニーとクレオパトラ』の原文はこうである――

My desolation does begin to make
A better life.

なるほど、この原文をカミュはまちがって記憶してフランス語にした、あるいはカミュが参照したフランス語訳がまちがっていたか、そのフランス語訳をカミュはまちがって記憶したか、そのカミュのフランス語を、英語訳者は、シェイクスピアからの引用とは気づかずに、カミュの原文に忠実に翻訳したということなのだろう。伝言ゲームみたいなのだが、シェイクスピアの原文をフランス語にし、そのフランス語をさらに英語訳しても、もとにはもどらないということがわかる。

ただ、英語訳は、この部分、日本語の翻訳のように訳注をつけておくべきで、シェイクスピアの引用であることも気づかなかったのは失態で、日本語訳のほうが優れている。

あとは、聞くに堪えない読むに堪えない悪口を。

この『悲劇喜劇』のアルベール・カミュの特集号、白井健三郎先生の『正義の人びと』をまるまる再録しているのだが、それは初訳ではなく、実際、新潮世界文学のカミュIIに収録されたものであって、私は、そちらのほうですでに読んだ。「悲劇の未来について」という初訳作品を掲載してもらうのは、とてもありがたいが、この再録は、けっこうなページをとっていて、ページ稼ぎだろう。まあ、カミュ特集に書いてくれるひとがいなかったということだろうが。なさけない。

「悲劇の未来について」には、人名、劇作家に訳注がついていて、それはそれで読者にはありがたいものだと思うが、ありがためいわくのところもある。

エウリピデスの説明で、「代表作に『メディア』、『アンドロマケ』などがある。」となっているが、こまかいことだが、『メデイア』だろうし、この二作が代表作というのは、好みの問題もあろうが、すこし変。せめて『バッコスの信女(バッカイ)』か『トロイアの女たち』のどちからひとつくらいは入れておくべきだろう。

ローペ・デ・ベガは、フランス語読み、英語読みすれば「ヴェガ」となるものの、スペイン語読みでは「ベガ」もしくは「ベーガ」。「セルバンテス」を「セルヴァンテス」とは表記しない。

クライストについて、「代表作に『シュロッフェンシュタイン家』、『こわれ甕』などがある」とあるが、『こわれ甕』は有名だから代表作といっていいが、『シュロフェンシュタイン家』?恥ずかしながら、私は、この悲劇を聞いたこともなければ、読んだこともなかった。私に恥をかかせやがってといいたいところだが、恥ずかしいのはお前だ。よくもまあ、『シュロッフェンシュタイン家』を選んだものだ。クライストといえば、この『シュロッフェンシュタイン家』ではなくて、私の好きな『ペンテジレーア』とか、あるいは『ホンブルク公子』だろう。クライストの『シュロッフェンシュタイン家』は、若書きの作品で、のちにクライストは『シュロッフェンシュタイン家』だけは駄作なので読んでくれるなといっていたらしい。それをまあ、代表作に『シュロッフェンシュタイン家』とは、クライストが生前あるいは死後、受けたいろいろな屈辱のなかで、これは最たるものだろう。また、好きだから選んだといういいわけは通用しない。『シュロッフェンシュタイン家』が代表作というのは、一般読者にとっては誤情報そのものであるから。

かくして私と、この翻訳者と『悲劇喜劇』との社会的文化的距離はマックスになると思うが(憎まれるだろうから)、まあ、たがいに、それでなんの損失もないので平気である。

(おわり)

posted by ohashi at 05:47| 翻訳論 | 更新情報をチェックする

2020年08月27日

キャッシュレス化にさからって

キャッシュレス化の流れがあり、銀行の通帳なども電子化されるようだが、現金を完全に手放すのはまた危険なことなので、私は現金(少額)を手元におく。絶対にキャッシュレス状態にはしない。

現金といっても、数日、暮らせたり、近隣に移動する交通費くらいを常に用意するということである――小銭や小額紙幣で。タンス貯金をするというようなことではまったくない。

入金や引き出し、送金を電子化することに対して、その安全性を危惧しているということもある。紙媒体(紙の通帳とか紙幣や貨幣)は奪ったり処分したり偽装するのに手間がかかる。もちろん通帳を焼いて消滅させることは短時間でできるかもしれないが、電子手帳なら一瞬で書き換えたり消滅させたりできる。電子時代には、一瞬でできないこと、すこしでも時間がかかること、面倒なことは嫌われる。メールアドレスとか、パスワードなども長いと嫌われる、あるいは長いことが防衛手段となる。

ただし電子化時代における安全性確保は、これからどんどん進んでいくと思われるから、キャッシュレスにしても、電子手帳にしても、十分な安全性は確保できることはまちがいないだろう。

ではなぜ現金、あるいは小銭にこだわるかといえば、今後、大きな災害が来ることはまちがいない。特に地震。大きな災害がくると、キャッシュレスでは何も購入できなくなるかもしれない。混乱のなか、現金で払ってもらえないかと言われる事態が到来することは想像にかたくない。

コンビニでペットボトルに入った水を一本購入したいと思っても現金がないと買えないかもしれない。現金は通用しないが、キャッシュレスなら通用するという状況はない。

諸外国では、災害とか、その他の非常事態になると、店舗が襲われ略奪されることが多い。日本では、それがないと外国から称賛されるのだが、キャシュレス化すすむと、現金をもたない市民が何も買えなくなって、コンビニなどが略奪されるかもしれない。ほんの少額でも現金でしか買えないとわかると、暴れたくなるのもわからないわけではない。

私は絶対に略奪しない。だから少額の紙幣と小銭は必ず手元に置いておくし、できるかぎりキャッシュレスにはしない。とにかく、略奪しないために。そして生き残るために。
posted by ohashi at 16:50| コメント | 更新情報をチェックする

2020年08月22日

『炎のランナー』


映画『炎のランナー』(Chariots of Fire、1981年公開、イギリス・アメリカ合作映画、監督ヒュー・ハドソン)の主役ベン・クロスが亡くなったとの報道があった。

ただ『炎のランナー』の主役といっても誤報ではないが、違和感がある。この映画、イアン・チャールソンとベン・クロスのW主演映画であって、どちらも印象的な役柄で、いっぽうだけが主役ということはいえない映画である。ただもちろんもうひとりの主役イアン・チャールソンは1990年になくなっているのであるが。

第54回アカデミー賞作品賞を受賞した有名な作品であり、なんといっても、ヴァンゲリスの音楽(第54回アカデミー賞作曲賞受賞)はいまでも環境音楽となってよく耳にする。おそらく来年のオリンピック(開催されればだが)に向けて、もっともよく耳にする環境音楽のひとつにちがいない(なお1982年の『ブレードランナー』の音楽もヴァンゲリスだった。まあ、この頃が注目度ナンバーワンの作曲家だった)。

映画そのものは、

走ることによって栄光を勝ち取り真のイギリス人になろうとするユダヤ人のハロルド・エーブラムスと、神のために走るスコットランド人牧師エリック・リデル、実在の二人のランナーを描いている。舞台は1919年、エーブラムスが入学するケンブリッジ大学と、リデルが伝道活動をするスコットランド・エディンバラから、1924年パリオリンピックへと移ってゆく。


というWikipediaの紹介のとおりなのだが、ベン・クロス(1947年12月16日 - 2020年8月18日)演ずるハロルド・エーブラムスは、ケンブリッジの大学生で努力家のアスリートで優勝を目標として一途になるあまり周囲とも軋轢をきたすまでになるのだが、プロのコーチを雇って近代的なトレーニングを取り入れて記録を伸ばしてオリンピックに出場し優勝する。

ただオリンピックはアマチュア・スポーツの祭典であって、プロのコーチを雇うというのはアマチュア精神に反するといわれ、ともに努力してきたコーチが大会会場に入れず、近くの宿の窓から開場の外壁を見上げ、観客の歓声から競技のゆくえを推測するしかないという、悲哀に満ちた場面が印象的だったが、大会会場には、リプトン紅茶の垂れ幕が堂々と飾ってあって、心のなかでアマチュア精神はどうしたのだと突っ込みを入れたのだが(まあプロの選手はだめだが、企業から資金援助をうけたり、企業広告をだしたりするのはいいのだろう)。

さらにいえばコーチを雇って練習するというのはアマチュア・スポーツではないと非難していた大学関係者が、ベン・クロス/ハロルド・エーブラムスが優勝すると、大学関係者どうしで大喜びで祝杯を挙げるというシーンがあって(ジョン・ギルグッドらが演じているのだが)、それも感じが悪かった――とはいえ風刺的・批判的映画ではないのだが。

そういえば、そのコーチを演じていたのがイアン・ホルム(1931年9月12日 - 2020年6月19日)。今年亡くなったことも記憶に新しい。

もうひとりの主役イアン・チャールソン(1949年8月11日 - 1990年1月6日)演ずるエリック・リデルは、聖職者であり、また生まれながらの天才ランナーで、まさに神に愛された子として、あるいは神とともに走るアスリートとして、誰からも愛され、オリンピックでも難なく優勝する。 この点、嫌われ者の孤高の努力家アスリートであるベン・クロス/ハロルド・エーブラムスとの対照性が仕組まれていた。金髪のイアン・チャールソン/エリック・リデルは、まさに地上に降り立った天使、走れば、いまにも空に飛んでいきそうな俊足を誇る神々しい存在だった。

そのイアン・チャールソンは1990年にエイズで亡くなる。彼が主役を演ずる『ハムレット』の日本公演が予定されていたのだが、主役死亡によっても、日本公演は中止になることはなく、いわゆるアンダーの若い俳優がハムレットを演ずることになった。

新大久保のパナソニック・グローブ座での公演は、俳優めあてではなく、『ハムレット』という作品をみたかったので、それなりに満足をしたのだが、今思い出してみれば、アンダーの若い俳優の演技は、生彩のないものだった。

観劇当日、終演後、JR新大久保の駅に着くと、午後11時近くになっていて、しかも事故でJR山手線が止まっている。動くまで駅で待ったのだが、結局、私鉄の終電にはまにあわず、タクシーで帰ったことを思い出す。

まあ、どうでもいい思い出話だが、思い出すといえば、『炎のランナー』、やはり最初か最後にも使われていた英国の陸上選出たちが強化トレーニングのなかで、海辺を走る、まさにこの映画の代表的シーンだろう。ヴァンゲリスの音楽がかぶされ、スローモーションで画面を横切っていく大写しにされた強化選手たち、そこにはベン・クロスも、イアン・チャールソンもいた。

海辺のランナー。今になって、なぜ海辺を走るのだろうかと疑問を感ずることになった。海辺の砂浜を走ることに、合理的な理由があるのだろうか、あるいは、海辺のトレーニングが伝統と化しているのだろうか。私には判断できないし、その知識もないのだが、どちらであっても、またいずれでもなくても、海辺の、水辺の、男たちしかいない選手たちの疾走する、あるいはスローモーションの肉体は、この映画がゲイ映画であることを暗示していたのではなかったか。公開から40年近くたって、はじめて気づくことになった。

エイズで死んだイアン・チャールソンも、このゲイ映画に殉じたのである。
posted by ohashi at 19:09| 映画 | 更新情報をチェックする

2020年08月21日

感染症と文化

正義のゆくえ 2

自費でPCR検査をして陰性であることを確認したうえで帰省した人と、そうした事情をなんら考慮せず、帰省するなと匿名の誹謗文書を貼り付ける偽善家の報道は、もしこのようなことがつづくと、危険な状態を招きかねないため、あえていうと……

この出来事の教訓は、過ちがわかったら、謝罪する勇気をもとうではなく(それもあるのだが)、無差別に一律に攻撃していたら、良心的な人間はいなくなるのではないかということである。

つまりPCR検査を自費で二度もおこない、陰性を確認したうえで帰省しても、感染者は帰ってくるなとひどい言われかたをしたら、検査してもしなくても同じであって、良心的に検査を受ける気持ちがなくなってしまうのである。

こんなことが繰り返されると、結局、誰も、検査をして自分の陰性を証明しようという気持ちがなくなる。検査してもしなくても陽性=感染者とみなされるのだとしたら。

思い出されるのは、パンデミックの初期段階のアメリカで、マスクをしていたアジア系の市民が感染者として暴行を受けたという事件が頻発したことである。

冷静に考えれば、マスクをしている人間は、自分が病気にならないための防衛か、もしくは自分が感染している(かもしれない)病気を周囲の人間にうつさないための予防措置であって、それ自体で、なにか周囲に迷惑をかけるわけではない。

本人は健康でも用心してマスクをしていることもある。

しかし当人が病気であろうがなかろうが、マスクをしていれば保菌者と思われてボコボコにされるようでは、恐くて、マスクをしていられない。これは都会から帰省してくる奴は、みんな感染者だというのと同じ発想である。非感染者であることを立証する用意があっても、そんなものは最初から無視されるとしたら、誰が他人のためにPCR検査を受けるか。

同じ事はマスクをしている場合にもあてはまる。マスクをしていればすぐに感染者、保菌者だとみられるのなら、マスクは危険であって、しないほうがいい。しかしそうすることによって、ノーマスクによって感染リスクは高まる。

マスクをしている人間に暴行するような愚行録を実践するアメリカ社会は、パンデミックに襲われて感染者や死亡者があっというまにふえるのではと思ったのは、私だけではなかっただろう。

個別性の承認は重要である。どんなに勉強して、よい成績をとっても、誰もほめてくれなかったら、あるいは、努力する前と同じようにバカ扱いされたら、子どもは誰も勉強する意欲をなくすだろう。一律に判断する道徳的ファシストは、ある意味、新型コロナウィルスよりも恐い感染症に罹っていて、その被害は、新型コロナウィルスによってもたらされるものより、遙かに大きいかもしれないのだから。

posted by ohashi at 19:47| エッセイ | 更新情報をチェックする

2020年08月20日

正義のゆくえ

帰省者と帰省警察

少し前だが、青森県でお盆のある帰省者が、帰ってくるなと非難する匿名の批判文を家のドアに張り出されたということが報道された。それに類する帰省警察の活動もあって社会問題化したことも報道されていた。

張り紙をだされたこの男性は、実は、帰省前に自費でPCR検査を二度もおこなって陰性であることを確認したうえで帰省しているのであって、そこまでして帰省する、良心的な、理想的ともいえる帰省者は、そうざらにはいない。

そもそも警察の取り締まり以上のことをする岡っ引き体質というか岡っ引き行為、戦時中の隣組的監視には、ただただ不快感しか感じないのだが、さらに問題なのは、帰省者が誰であろうが、たとえばPCR検査をうけて陰性であることを確認したうえでの帰省しようが、自分が感染していることも知らずに帰省して感染をひろげる無神経かつ不用意な帰省者であろうが、関係なく、一律に批判するというのは、イスラム教徒なら誰でもテロリストだととか、ユダヤ人はみんな呪われた民族だとか、捕虜虐待をする日本軍だから民間人もみんな悪魔の種族で原爆で大量虐殺してもかまわないというような発想と同じで、まさに道徳ファシズムに感染している行為としか思えない。

地方は、新型コロナウィルスに感染する前に、道徳ファシズムに感染しているのだ。

もちろん、その誹謗文書を貼り付けた人間が、事情を知って、少なくともその相手は非難されるべき人間ではないということがわかったとき、謝罪したのだろうか。その後の報道がないのでなんとも言えないのだが、もし名乗り出て謝罪したのなら、その人物は、過ちを帳消しにするような、たんなる道徳ファシストではない正義の人だと尊敬にすら値する人物とみることができる。もし何の謝罪もなかったのなら、偉そうに非難することだけが楽しみの、クソ人間でしかない。

ここで私が勝手に思い出すのは、映画『愚行録』(監督:石川慶、脚本:向井康介、原作:貫井徳郎『愚行録』、2017年)の冒頭の場面。

路線バスの車内(ちなみにこの路線バスの車内は、あとで心象風景的にも使われるのだが)で、 空席がなくやや混雑しているところ、高齢の婦人を立たせたまま席に座っている青年に対して、中年のサラリーマン風の男が、老人を立たせて若いのに座っているのはけしからん、席を譲れと高圧的に銘ずる。

その青年(妻夫木聡が演じているのだが)は、無表情のまま席をたって老女に席を譲るのだが、立ち上がった青年は、脚をひきずっている。脚が悪く、揺れる車内で立っているのがやっとの状態で、すぐに転倒してしまう。苦労して立ち上がった青年は、次のバス停で脚をひきずりながら降りる。

ほんとうにそのバス停で降りるつもりだったのか、座ることができないバスに乗り続けることができないと判断して降りたのか、あるいは車中の無理解と冷たさに絶望して目的地でないところで降りたのか、それはわからない。ちなみに彼に席を譲れと命じた男は、私たちがバス停から車中をみると、バツの悪そうな顔して青年から目を背けて、そのまま乗り続けるのだった。

若いのだから年寄りに席を譲れという命令は、言い方にもよるが、わからないわけではない。ただしい社会道徳を主張している。その男は、ある意味、高潔な人間である。

しかし、その青年が老人を立たせて座り続ける無神経な若者ではなく、立ち続けるのが困難な脚が悪い人間だとわかった瞬間、席を譲れと命じた男の本性があらわになる。

その男は自分の過ちを認めない。その青年に、悪かったなと謝ることは簡単にできるのに、あやまらずに知らん顔しつづけるのだ。結局、社会道徳を尊重し遠慮なく不正をただす高潔な人間とはうわべだけで、一皮むけば、ただいばりたいだけのクソ野郎だということがわかる。

実際、青森の帰省警察人間も、おそらく謝っていはいないだろう。張り紙をしたのは本人しか知らないのだから、知らぬ存ぜぬを決め込んで、何事もなかったように過ごす卑劣感なのだと思う(とはいえ、そう決めつけている私も、ちがっていたら、卑劣感の汚名を着させられそうなので、違っていたら謝るが)、

この映画のなかで脚の悪い青年は、偉そうに席をゆずれと命ずる人間の下劣な品性を白日のもとにさらけ出したということもあって、かなり爽快な場面でもあった。

もちろん、私は映画のことを誤って記憶しているのではない。

この場面には続きがあって、バス停で降りた妻夫木は、車中では脚をひきずっていたのだが、降りてバスが発車し去っていたら、ふつうに歩き出すのである。脚など悪くない。演技だったのだ。となるとこの青年、老人がそばに立っていても知らんふりして座り続け、席を譲れと言われて、脚が悪いふりをして、ころんだりして、その命じた男に恥をかかせた、相当のワルである。

実際、この妻夫木演ずるジャーナリストの男の冒頭のこの行動が、その後の彼の行動の意味を暗示しているのだが、それはともかく、誤爆ということは誰にでもある。だが、ほんとうの誤爆は別にして、過ちを認めることで、取り返しのつく誤爆も多い。

実は人に注意することは勇気のいることである。タイミングとか語り口とか言葉の選択など、経験を積まないと逆効果になるし、また勇気の必要な偉業でもある。しかし、誤った注意のしかたをした場合、つまりパフォーマンスとして成功しても、内容がまちがっていたら、同じ勇気をもって訂正し謝罪すべきである。その勇気の方がほんとうの勇気だろう。

映画のなかで妻夫木演ずる青年も、たとえ演技で相手を瞞しているとしても、相手が真剣にあやまってきたら、結局、恥じ入るのは、青年のほうである。そうでなければ、偽善家の道徳ファシストと、その正体を暴く、冷酷な詐欺師のばかしあいみたいなもので、意味がないのだから。

つづく
posted by ohashi at 21:39| エッセイ | 更新情報をチェックする

2020年08月19日

戦争と文化

8月は戦争を考える月である。8月15日が終戦記念日ということもあるし、お盆で死者の霊が返ってくるとき、その死者には戦争犠牲者がまだ含まれるからである。

最近。映画『史上最大の作戦』(1962)を放送していて、映画館でみたことはない映画だったが、テレビでは何度も見たことがあり、今回も、つまみ食い的に部分的に見た。

この映画のなかで、今回も、その場面に遭遇して、こんな面白い場面があったと感慨を新たにするのは、ノルマンディー上陸作戦がはじまり、連合軍側の艦船が海岸沿いのドイツ軍陣地に艦砲射撃を始める場面である。

ノルマンディー海岸沿いにはフランス人も住んでいる。そのうちの一人、おっさんなのだが、朝早く、家の庭先で、水平線を埋め尽くす連合軍艦隊を発見、すぐに艦砲射撃が始まる。砲撃はドイツ軍陣地だけでなく近隣のフランス人住居にも降ってくる。だが、自分の家が砲撃で壊れてゆき、家族の者たちが右往左往する中、この男は、大笑いするのである。欣喜雀躍とはまさにこのことで、艦砲射撃の砲弾を天からも恵みであるかのように受け止めるのである。大喜びで。

べつにこのフランス人、気が狂ったわけではない。連合軍や上陸して、憎きドイツ軍を攻撃し叩きだしてくれることがうれしくてたまらない。ようやく占領軍の圧政から解放されて自由になる、その喜びも前に、砲撃が軍事施設だけでなく民家にも及んでいることなどまったく気にかけない。

それどころか砲撃で窓ガラスがわれ、天井が崩れ落ち、柱が倒れ、家族の者たちが逃げまどっているのに、本人は大喜びの大笑いで艦砲射撃で死んでも本望だくらいに思っているふしがある。その大喜びぶりには、見ていて、こちらもつられてしまう。

まあ、実際には、こんなことは起こらなかっただろう。つまり艦砲射撃によるドイツ軍陣地攻撃は歓迎しても、艦砲射撃が自分の家にまで及んだら、さすがに逃げ出し、とばっちりをくったことに悪態のひとつもつくことになるだろう――たとえ、連合軍による攻撃を歓迎したとしても。

しかし、この場面は、ある意味、戦争の局面を、上陸作戦の映像以上に象徴的に把握しているといえるかもしれない。

私は戦後生まれであり、戦時中、私の父は召集されてもおかしくない年齢だったが、理由があって召集されていない。だから戦争の何たるかは直接、証言として誰からも聞いたことがないのだが、戦争というと、外地に行って敵と戦うも、強い敵には戦うのをあきらめ、名誉の自殺攻撃へと転じ、敵がいないときは現地人を虐待し、虐殺し、また捕虜とみれば虐待・虐殺し、最後にはうらみをかった現地人からなぶり殺しにされるということだけが戦争ではない。

実際、第一次世界大戦が塹壕戦であったのに対し第二次世界大戦は占領戦だといわれている。第二次大戦初期にヨーロッパは、ナチスドイツに占領され、連合軍とドイツ、イタリアとの本格的な地上戦が始まるのは、ずっとあとのことで、その間、空爆とかレジスタンスによるゲリラ戦しかなかった。

日本は戦時中、外国の軍隊に占領されなかったから関係ないということはない。日本は、自国の軍隊とネトウヨに占領された。軍部とネトウヨに、安倍応援団と菅応援団によって、国民生活は統制され違反者や抵抗者は徹底的に迫害された。外国の軍隊に占領されたのとかわりなかった。というか、外国の軍隊による占領よりもひどいものだった。だからこそアメリカ軍の空爆を、『史上最大の作戦』のフランス人のように、たとえ自分がそれに巻き込まれて死んでも、大歓迎した日本人がいてもおかしくない。

実際、東京大空襲のとき、灯火管制が布かれたなかで、あえて光を点滅させて、まるで爆撃機に東京の場所を知らせるような行為をした日本人がいたことはわかっている。彼らは、べつにアメリカのスパイということではなかっただろう(スパイも含まれていたかもしれないが)。日本のファシズムの圧政にあえで、たとえ自分が死んでもファシズムが壊滅してくれたらいいと最後の望みを空爆の成功にかけたということだろう。

フランスでは、連合軍は、ナチスドイツを追い払い、フランスを解放してくれた恩人であり、解放者として、歓迎された。日本では、連合軍は、日本を敗戦に追い込んだ敵国であるにもかかわらず、フランスにおけるのと同じように、解放者であったのだ(なお日本軍部とファシストの圧政に苦しんだのは日本国民だけでなく、朝鮮の人々もそうであったことを忘れてはならないが)。

実際には進駐軍は、ひどいことをいっぱいしたのだが、そのことは当時は公にされなかった。進駐軍による不正や犯罪は、見て見ぬふりをされた可能性がある。進駐軍に対するレジスタンスが日本で起こらなかったのは、進駐軍がファシズムからの解放者として崇敬の念をもって迎えられたからだろう。

もちろん日本のファシズム勢力も、最終的には進駐軍と、そしてアメリカと連携して、また息を吹き返すことになるのだが。

第二次世界大戦は占領戦だった。だから日本の戦争も、外地に出かけた父親からの証言だけでなく(とはいえ、父親の証言は、あてにならない証言であったり、そもそも父親は証言を拒否しつづけたりしているのだが)、母親からの証言も、戦争の最前線の証言そのものなのである。占領された者たちの苦しみと恨み、解放されたときの喜び、それは父親よりも母親のほうがよく知っていると思う。数は少なくなったが女性たちの戦争証言もまた重要である
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2020年08月09日

うつけ坂49

2020年3月1日付の シアターテイメントニュースで、「戦国炒飯TV」の予告がある。

2010年4月〜2012年9月まで放送されていた新感覚お茶の間歴史バラエティ、「戦国鍋TV 〜なんとなく歴史が学べる映像〜」の新番組「戦国炒飯(チャーハン)TV」の放送が決定した。番組は2020年7月より放送開始予定となる。
制作陣には前作「戦国鍋TV」を手掛けたチームが再集結。全体構成に酒井健作、監督に住田崇、コンセプトデザインにニイルセン、脚本には安部裕之・熊本浩武・土屋亮一、音楽は奥村愛子が務め、時代に合わせた笑いを追求。
番組は前作「戦国鍋TV」と同様に“歴史バラエティの王道”となるようなコーナーで構成され、歴史をバラエティを通しておもしろ・楽しく学んでもらうをコンセプトにしている。発表に合わせて、番組オフィシャルサイト・Twitterの立ち上げとキービジュアルも公開。キービジュアルはコンセプトデザインを務めるニイルセンが手掛けた。以下略


実は放送は、コロナ禍で8月1日に延期された。今回、第2回目を見たばかりだが、戦国鍋TVは、時々みたことがあるが、つまみ食い的に見ていて、あまり面白さがわからなかったというか、それについて語れる資格などまったくないのだが、今回、偶然、「戦国炒飯TV」をみていて、面白さに驚いたし、そのパロディというかパスティーシュの質の高さに驚愕したといってもいい。

本日は、フリースタイル・ダンジョンのパロディのフリースタイル戦さとか、ミルクボーイ風の漫才(最近は、あちこちで模倣されてはいるのだが)には感嘆したのだが、やはり初回から登場している「うつけ坂49」が素晴らしい。

「戦国炒飯TV」公式サイトによれば

織田信長の小姓で結成されためちゃくちゃ気が効くアイドルグループ『うつけ坂49』!
森蘭丸、長谷川秀一、堀秀政、前田利家、拾阿弥という“天下ファイブ”を筆頭に49人の大所帯アイドルが信長様の寵愛を受けるため元気に歌って踊る!


このうつけ坂49のメンバーは、全員、織田信長と寝ているということになっている。織田信長は大人数の小姓団をもっていて、小姓たちとは肉体関係があった。完全にハーレムである。実際、調べてみると、たとえば本能寺の変では、わかっている限りでも20名の小姓が信長とともに討ち死にしている。そして小姓たちは、長じて、家臣や戦国武将にもなった者が多かったと思うので、織田の家臣団は、主君とみんな肉体関係があってもおかしくはなかった。このことは、歴史家は隠しているし、テレビ番組でも触れられることがない。

それを、お笑いバラエティー番組で全面的にフューチャーしているのは画期的なことである。歌も踊りも、番組のために急造したというよりも本格的に作りこんでいる。だから毎回、歌って踊るのだろうが、このうつけ坂49が、戦国世界あるいは日本史理解にもたらすパラダイムの転換は計り知れないように思われる。

たとえば織田信長が桶狭間で勝利したのは、情報戦に勝ったからだという、寝ぼけたことを伝える歴史番組がいまもあるのは嘆かわしいことである。今川義元が、京都の貴族文化に毒された軟弱な田舎大名というイメージは、たとえば『麒麟が来る』によって一蹴されたように思うのだが――実際、今川義元は、たとえば武田信玄など足元にも及ばないような、当時、「街道一の弓取り」といわれたくらい最強の大名であり、そうであればこそ、いち早く、上洛を計画することができた。

情報が豊富で正確であれば、戦争においては負け知らずの正しい行動をとることができる。そしてそれは賭けに出ることを禁ずるだろう。もし今川義元のような強力な大名が上洛のために進軍してきたら、正確な情報によって勝敗を判断するとすれば、織田軍にとって戦わないほうが正しい判断となる。戦力差においてこちらが圧倒的に有利なら戦うことに意味があるが、相手が圧倒的に強力なときには、戦わないに限る。もし戦力が拮抗していれば、賭けに出ることにも意味があるが、桶狭間の場合、戦力拮抗という情報があったのだろうか。

むしろ彼我の戦力差が正確な情報によって伝えられていたら、戦わなかったはずである。にもかかわらず、織田軍が攻めていったのは、正確な情報をもっていなかった(戦力拮抗という間違った情報を得ていた)あるいは正確な情報を得ていたが、それを無視したかのいずれかであって、どちらにしても情報などに左右されなかったから桶狭間の勝利があったといえるだろう。

情報は桶狭間の勝利とは関係ない。結局、詳しいことがわかっていないのだが、桶狭間では今川の大軍との闘いで、織田軍にも相当の犠牲者が出たことが予想される。まさに玉砕覚悟の戦闘なのだから、勝利の陰には、おびただしい戦死者がある。それはまた織田信長の側近や家臣団が、率先して主君のために命を投げうったからだろうとは想像がつく。織田軍の強さは、愛の力にあったのだ。同性愛の力が、当時、最強の今川軍を破ったのである。

なお当時の武将は、だれもがバイセクシュアルであったと思われるのだが、同性愛の部分を抑圧する歴史学には、情報を語る資格はないだろう。うつけ坂49こそ、真の歴史記述である。
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75年前に

8月6日 NHKスペシャル 証言と映像でつづる原爆投下・全記録 (10~11pm)を、ぼんやりみていていて、しかし、逆に脳が活性化されて、いろいろな疑問や思いがわいてきた。思ったことを書いておきたい。

1.広島に原爆を投下したB29、愛称「エノラ・ゲイ」の記録映像をみていたら、ナチュラル・メタルの機体、まばゆいくらいに、あるいは近づけば顔が鏡のようにうつるくらいの機体表面におどろいた。ぴっかぴっかじゃんと、思わずつぶやいた。

こんなぴっかぴっかな機体は、迷彩とかカムフラージュなどとは全く縁のない機体で、これで高空を飛んだら、太陽光をめちゃくちゃ反射して、遠くからでも視認できてしまう。敵側には迎撃の準備を早くさせてしまうか、あるいは逃げ込む時間をたっぷり与えてしまう。

しかし大戦末期であり、もはや日本は死に体で、迎撃であがってくる戦闘機もいないし、このぴっかぴっかの機体で、護衛の戦闘機もなしで日本本土に侵入しても、撃ち堕とされる心配もない。この光輝く機体は、勝利の証し、勝利の輝きなのだ。

日本も舐められたものだというようなことではない。こうなったら、敵味方にこれ以上犠牲を出さないためにも、はやく降伏すべきであったのだ。降伏までの待ち時間のなかで原爆投下は起こっている。

2.終結ではなく戦後のために
広島が原爆投下の場所として選ばれたのは、通常爆撃で破壊されていない都市を選んだということだった。それも驚きである。つまり原爆の効果を正しく判定するためには、戦禍に見舞われ破壊がすすんでいない都市が選ばれたのである。

これは、原爆投下で、戦争を一刻も早く終わらせるというのではなくて、戦後の世界の覇権を念頭において、原爆の威力を確認しておくための実験として広島が選ばれたということだろう。

野球のたとえを使うほど、私は野球ファンではないし、そんなくそおやじではないはずだが、それでも恥ずかしながら野球の比喩でいえば、もう優勝を決めた球団が、来季あるいは日本シリーズ戦にむけて、新たな作戦の試験的運用や、予備選力の充実のために、消化試合で、新人を登板させたり、これまで実践したことのない作戦を積極的に使ってみるをようなものである。あまりうまい比喩ではないが……。勝負がついたので、残っている時間を、今後のための準備にあてたということである。

原爆投下も実験であった。戦後の覇権争いで、原爆のもつ戦略的効果を確かめるために。

結局、そうなると原爆の犠牲者は、アメリカの戦後戦略のために実験材料とされたのである。まさにアメリカの犠牲者でもあった。

3. 敵はわが友
長崎にむかったB29には、ジャーナリストも機内に乗せて、ルポを書かせている。これも余裕のあらわれで、激戦状態のときには、民間人を爆撃機に同乗させないだろう。また民間人も同乗したいとも思わないだろう。勝負はついているこの時期に第二の爆弾投下がおこなわれる。広島爆弾投下によっても日本政府が降伏しなかったので、第二の投下を決断したというのだが、むしろ政府が降伏しないのが幸いして、原爆の効果を確かめる新たな好機がめぐってきたというべきだろう。

同乗したジャーナリストは、結局、長崎で悪魔に原爆を落とすのだという語っている。つまり真珠湾やバターン死の行進を敢行した民族はただの悪魔だというわけである。

私も真珠湾攻撃といった卑劣な奇襲攻撃を立案し実行した者たち、あるいはバターンの死の行進で、おびただしい数の捕虜を死に追いやった者たちは、悪魔であることを認めるのにやぶさかではない。

しかし当時の広島の市民や長崎の市民全員が、悪魔とは考えにくい。なるほど、当時の市民の多くは奇襲攻撃に賛成し、捕虜虐殺を当然視したにちがいない。しかし、そうした悪魔が多かったと同時に、悪魔ではない市民たち、奇襲攻撃や捕虜虐待に断固反対した市民たちもまた数多くいたにちがいない。そうした市民たちの存在を私は確信している。となれば、大量破壊兵器である原爆を投下したアメリカは、悪魔といっしょに多くの無辜の民を虐殺した、もしくはその人生を破壊したのである。

実際、皮肉なことに長崎では原爆の犠牲になった人々は、アメリカの軍部が考えもしなかったかもしれないが、キリスト教徒の日本人が多かった。キリスト教徒の彼ら日本人犠牲者も悪魔だったというつもりなのか。

結局、それは、ユダヤ人ホロコーストを敢行したナチスドイツと同じ思想傾向なのである。なるほどユダヤ人のなかに悪魔といえるような者たちはいただろう。しかし、だからといって残りのユダヤ人全員が悪魔ではないし、彼らは無辜の民であったし、逆に無差別の虐殺したナチスこそ悪魔である。

実際、戦後アメリカは、ナチスの関係者を多く登用して冷戦期の世界戦略に貢献させた。敵もまた友となる。ナチスもアメリカも指導層は悪魔であった。

4.終戦を早めた?
原爆が終戦を早めたかについては解釈のわかれるところだが(というか日本の降伏はソ連の参戦が原因であり、ソ連が日本を占領したら国体が護持できなくなると恐れてのことであるといわれているが、たぶんそれは正しいのだろう)、番組をみていて、3回目の原爆投下を考えていたころのアメリカの軍関係者の冗談が目を開かせてくれた。3回目は東京を標的にしたらどうかという話が持ち上がった時、そんなことをしたら日本政府が消滅するだろうから、どこと降伏の交渉をしたらいいのか、という冗談が聞かれたという。

そう、日本の政権や政府関係者は、東京に原爆が落ちることはない、自分たちは原爆の犠牲になることはないことは確信していたにちがいない。だから原爆がどれほど投下されようとも、自分たちが傷つくことはないとたかをくくっていた。これでは原爆が終戦を早めたとはいえないのだろう。

広島、長崎の原爆の犠牲者が終戦を早めたというのも、犠牲者にとってはひどい話だが、犠牲者が出ても降伏はしなかったというのも犠牲者にとってひどい話である。犠牲者を正しく追悼するには、責任の所在を明確にし、二度とこんなことをしないことの決意であろう。その意味で広島の原爆記念碑の銘は、批判もあるが、いまなお有効な普遍性をもちえているのではないかと思う。
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2020年08月04日

少年愛の起源

ギリシア神話において、少年愛の起源とされる人物がいる。もちろん神話上の話であって、歴史的事実というようなことではない。

それはアイリアノス『ギリシア奇談集』松平千秋・中務哲郎訳(岩波文庫1989)の記載のなかにある。この書物について私はよく知らないなのだが、ローマ時代文人がギリシア語で著した逸話集で、原題は「多彩な物語」(「ギリシア奇談集」は日本でつけたタイトル)。その第13巻五に驚くべき記述がある。

五 美少年を愛した最初の人

育ちの良い少年を愛することを初めてしたのは、ペロプスの子クリュシッポスを誘拐したライオスだということである。それ以来テーバイでは、美少年を愛することは結構な〔良い〕ことの一つだとされているようになった。
(『ギリシア奇談集』p.370)


この五には訳注があり、「アテナイオス一三・六〇二Fに同じことが記されている」とある。これはアテナイオス『通人の食卓談義』全15巻(200年頃)への言及で、この著書の日本語訳はない。

ライオスはテーバイと結びつけられているから、これはオイディプスの父親のことである。オイディプス王の父親、ライオスは、ギリシアに少年愛を広めた人、あるいは少年愛/同性愛の鼻祖なのである。

実は、ここから先に進めていないので、さらなる掘り下げができていないのだが、オイディプス王が少年愛者の息子だということで、なっとくできることもある。

少年愛を同性愛へと広げて考えれば、とくに気にもとめなかったが、オイディプスは、生まれてから王になるまで、あまり浮いた噂を聞いたことがない。女性との付き合いがなかったようだ(あったかもしれないが神話によって異説はあるだろう)。

そして同性愛者の常として、母親が異常に好き。男性同性愛者は、母親に近親相姦的な愛情を抱くのだが、オイディプスの場合には、この「的」がはずれてしまうことは、いうまでもない。

男性同性愛者が寝る女性というのは、ひとりしかいない。自分の母親である――ただし、これは女性とは誰とも寝ないということと同義だが。そして男となら何人であれ寝る。

似たようなパタンがドン・ファン型の人間である。ドン・フアンにとって永遠の女性は母である。だが母と寝ることができないがゆえに、代理母として女性を求めるのだが、どの女性も彼の母の代用とはならないため、次々と女性を誘惑することになるのだが、どんなに女性をものにしても、母親の代理にはならないのである。

あと、オイディプスが足が悪いことも同性愛と関係がある。

これは慎重に語るべきことなのだが、表象の世界においては、障害をもつ人間は、同性愛者であることが多い。足をひきずる人間は、その最たるものである。ただし、現実に足が悪い人がいても、自動的にその人が同性愛者であることはないし、また同性愛者とみなされることはない。ここは現実と表象とをはっきり区別しておかねばならない。

いや、こう語ることは、同性愛者とみられることが汚名を着せられることという含意があるのではないか、同性愛は汚名なのかと批判されるかもしれないが、そうではない。なんであれ、特定のステレオタイプ的表象によって性的嗜好を勝手に押しけること/押しつけられることは、あってはならないということである。

作家のサマセット・モームの自伝的長編教養小説『人間の絆』で、モーム自身を思わせる主人公は足に障害をかかえている。これは本人にとって、苦難と試練の原因ともなるのだが、最終的にその障害を乗り越え、幸せな結婚をするところで物語は終わる。ただしモーム自身は足が悪かったということはない。これはモーム自身の同性愛の象徴だといわれている。

『人間の絆』で描かれているのは男女の愛、異性愛であって、同性愛は出てこない(いま読み返したら同性愛を含意する表象はいっぱいあるのかもしれないが)。あくまでも異性愛小説である。しかし、足をひきずっている主人公を造型することで、そこにモーム自身の同性愛者としての苦悩を忍び込ませたといわれている。

そして足をひきずる人物の神話的起源がオイディプス王である。「腫れた足」から名前をつけられたオイディプスは、少年愛者ライオスの息子であり、女は母親しかしらないのである。そう、ある意味、オイディプスのほうが同性愛者らしい。ライオスが少年愛の起源というのは、起源のバックフォーメーションではないかと思っている。同性愛者オイディプスの姿から、父親の遺伝という継承性が創作されたのではないかと私は考えているが。

付記 ちなみに『ギリシア奇談集』の作者アイアリノスは、文庫本の訳者(松平千秋)解説によると、60歳を超えて生きたが終生独身であったようだ。またローマ帝国の面汚しである「おんな男」「男おんな」たる皇帝についての弾劾文を書いたとの言い伝えがある。この皇帝はエラガバラス(ヘリオガバラス)のことであり、アントナン・アルトーの本で有名な戴冠せるアナキスト、同性愛をはじめとする性的倒錯にふける者であった(少年愛者といいがたいのは、本人が少年皇帝であったため)。同性愛は、作者アイアリノスにメトニミカルに付随している。
posted by ohashi at 22:07| エッセイ | 更新情報をチェックする

2020年08月03日

米語訳

ジャック・デリダの本は、難解だが、同時に、英文学研究者あるいは英文学ファンにとっても貴重な霊感源にいまもなっているのは、脱構築という批評方法のためばかりではなく、有名な英文学作品を丁寧に読解してくれるからである。晩年の『動物と主権者』における『ロビンソン・クルーソー』の議論がそうだし、『マルクスの亡霊たち』では、『ハムレット』の亡霊についての議論がある。

残念ながら、デリダの『ハムレット』読解を、自分の研究に活かしてはいないのだが、できれば将来活かしたいとも思っている。そのデリダの日本語訳『マルクスの亡霊たち』をぱらぱらとめくっていたら、変なことに気づいた。

最初に誤解のないよう述べておけば、べつに翻訳に問題があるというようなことではまったくない。この難物を単独訳として上梓したことの意義は大きいし、まちがいなく、これからも読み継がれるりっぱな翻訳だと思う。この点に、なんら問題はない。

ただ訳者解説で関連図書を紹介する際、
Jacques Derrida, Specters of Marx, tr. Peggy Kamuf, Introduction by Bernd Magnus&Stephen Cullengberg, New York, London, Routledge, 1994.【訳者解説での表記のまま】について、デリダの原書のあとに出版された本として

翌年、本書の米語訳が刊行されている。


とある。「米語訳」? 米語? 訳?

私はこの「米語訳」をもっているのだが、どこにあるのか見出せていないので、なぜ英訳あるいは英語訳ではなくて米語訳なのか、確かめることはできないのだが、たとえ、それを手にしても、どこが米語訳なのかの確証を、私は得られないと思うので、あってもなくても、かまわない。

また「米語訳」というのが、日本語翻訳者本人の強い主張であっても、翻訳者本人を含むサークルや学閥における慣用表現であっても、出版元の藤原書店の正式な慣用であっても、それはおかしい、エキセントリックすぎる、やめたほうがいいと、私は強く主張したい。
【ちなみに2007年出版の翻訳書なので、いまではすたれた慣習であることは当然予想できる。】

たしかにアメリカ英語、アメリカン・イングリッシュという表現もあるし、ブリティシュ・イングリシュという言い方はある。

またデリダの本の「米語訳」は、タイトルが Specters of Marxとなっている。Specterは、ブリティシュ英語ではSpectreとなるので(これはTheaterとTheatreの違いと同じ)、アメリカ式の綴りがタイトルにも取り入れられていること、訳者のPeggy Kamufが(詳しい出自は知らないが)、アメリカの大学の教員でもあるから、それで米語訳としたのだろうか。

しかし、たとえば関西方言で何かを翻訳したという場合でも(そういう試みは現実にあるが)、それは日本語訳と呼ばれる。あるいは東京近辺で生まれ育ったり暮らしている人たちには理解できないような特定の地方の方言で翻訳された本があっても、それは日本語訳と呼ばれる。

また日本の英語教育では、基本が、アメリカ英語である。その証拠に、SpecterやTheaterは、SpectreとかTheatreと書くようには教えられていない。だとすれば、日本の英語教育という表記はまちがっていることになる。正しくは米語教育とすべきである。さらにパラドキシカルな言い方をすれば世界中で使われている英語は、たぶん、過半数が米語である。ではもう英語という表記はやめて米語にしたらどうか。

まあ、そんなアホなということになるのだが。

日本での英語教育は米語が基本だが、しかし、こてこてのアメリカ英語を教えているわけではない。実際、テレビやラジオの英会話関連の番組では、そんな英語、アメリカ人にしか通用しないぞと思われるような表現を教えたりすることもあるが、基本は英語の会話でよくて、米会話としなくてもいいだろう。

またもし日常的に関西弁しか話さない人が、外国語の本、それも哲学思想書のようなノンフィクションを翻訳するときに、その翻訳の日本語がコテコテの関西方言になることはない。

同じく、いくらデリダの翻訳者がコテコテのアメリカ英語しか話さないとしても、その「米語訳」の翻訳が、イギリス人が読んだら頭を抱え吐き気を催すくらいのコテコテの米語だということはないだろう。【現実問題としてアメリカの大学の教員が書く英語はアメリカ臭のないニュートラルな英語であるのがふつうであって、「米語で訳している」といわれたら、たぶん本人は憤慨するだろう。】

さらにいえば、もし翻訳者がオーストラリア出身のオーストラリア人で、出版社もオーストラリアの出版社だったら、どうせオーストラリア英語で書かれているのだろうからということで、「豪語訳」というのだろうか(まあ、いわないで欲しいのだが)。

さらにさらにいえば、もし翻訳者がカナダ人で出版社もカナダの出版社だったら、どうせカナダ人のなまった英語で書かれているのだろうから「加語訳」とでもいうのだろうか。絶対にそんなことはない。加語あるいはカナダ語というのは存在しない。なぜならいうまでもなくカナダでは公用語が英語とフランス語だから、「加語」では、どちらかわからない。

一つの国でふたつの公用語があったり、ひとつの言語を、複数の国が公用語としているという現実は、一国一言語ということしか念頭にない日本人にはわかりづらいのかもしれない。

私は「米語訳」とは絶対に言わないし、その関連で言えば「和訳」とか「邦訳」とも基本的にいわない。

まあ「和訳」というのは嫌いな表現で、受験勉強における「英文和訳」という使い方のみにとどめておいて、どうかその枠からはみ出してほしくないと思うし、「邦訳」というのは、慣習的に使っているで消滅させることはむつかしいが、私は「日本語に翻訳」しているのであって、そこに「日本国」という意識はない。日本人でなくとも、日本語を理解し、話す人びとは多いのであって(たとえ英語ほどではないにしても)、言語と国との一体感と癒着ほど気味の悪いものはないと思っている。

posted by ohashi at 22:54| 翻訳論 | 更新情報をチェックする

2020年08月02日

8月1日以降に追加した記事

8月1日 文学と感染症 1
8月2日 文学と感染症 2
8月3日 米語訳
7月27日 パラレルワールドか
8月4日 少年愛の起源
8月9日 75年前に
8月9日 うつけ坂49
8月20日 正義のゆくえ
8月21日 感染症と文化 正義のゆくえ 2
8月22日 『炎のランナー』
8月27日 キャッシュレス化にさからって
8月28日 「悲劇の未来について」
8月29日 地獄の政権
8月30日 感染症と文化
posted by ohashi at 23:23| 記事リスト | 更新情報をチェックする

文学と感染症 2

私がまだ物心ついたかつかない頃、外国文学を翻訳で読み始めて、その際、子ども向けに書き直したものではものたらなくなったので、ふつうの文庫本などを手に取ることが多くなった。もちろん、読めない漢字とか知らない単語にいっぱい遭遇したが、漢和辞典や国語辞典で、それはしのぐことができた。

シャーロック・ホームズ物では、なぜロンドンに住んでいながら、けっこう頻繁にスコットランドまで行くのか、それも簡単に往復できる距離ではないのに、どうして頻繁に往復するのか、いったいスコットランドに何があるのか不思議に思うという程度の理解力でも(まあ子ども向けではなかったので、何の説明もなかったのだが)、それでもシャーロック・ホームズ物は、じゅうぶんに面白く読めたのだが、そんな頃、読んだのが、エドガー・アラン・ポウの「赤死病の仮面」だった。

この作品は、今回もふくめ、何度も思い出す、まさに思い出深い作品となったのだが、そのうち一回は、「赤死病の仮面」でペストを避けて、城だか館に退避して、外界との関係を絶って毎夜宴会をつづける大公の名前が、プロスペロであること。これはシェイクスピアの『テンペスト』の元ミラノの大公で、学者・魔術師である主人公の名前と同じであることがわかったときだった。

おそらくプロスペロの名前をポウはシェイクスピアの『テンペスト』の主人公からとっていることはまちがいない。そしてそれはポウによる『テンペスト』解釈にもなっている。

ちなみに赤死病というのは、ポウが勝手に作った病気。ペストの別名である黒死病から示唆をえてつくった架空の感染症の名称である。

黒死病と同様の恐るべき感染病であるこの赤死病を避けて隔離生活を送るプロスペロ大公とその臣下たちだが、そこに、赤死病は、浸透してくる。

どんなに防疫防御に専念しても、赤死病はふせげないとすれば、それはまた故国を追放されて、地中海の孤島に魔法の王国を築くシェイクスピアのプロスペロにとっても同じである。

ある意味、ミニ・ユートピアでもであるプロスペロの島にも、死の影は忍び寄る。内乱の芽は消えることがなく、外界からの訪問者たちが、島の安定した秩序をゆさぶることだろう。

そしてそこでわかるのである。シェイクスピアの『テンペスト』のサブテクストはペストあるいはペストとの戦いではなかったか、と。なぜ孤島か。なぜ外界を遮断するのか、自己閉鎖的空間がなぜ必要なのか。ペストの猛威のなか、引きこもることが生存の条件となるのだからか。

そういえば同じベン・ジョンソンの喜劇『エピシーン』には極端に声とか音を嫌う変人が登場する。彼は、住居を何重にも防音し、口数が少ないどころか物を言うことのない女性を妻にめとるのである。この変人ぶりは、しかし、ペストの侵入を極力嫌い、また恐れる社会的感性が基盤にあるとみることができる。

ペストへの恐怖が、生存手段として隔離状態を出現させる。だが、その隔離が完全であることはなく、隔離は破られ、死が到来する。安全で完全な隔離など、どこにもないことの恐怖に初期近代はおののいていたのである。
posted by ohashi at 20:11| 文学と感染症 | 更新情報をチェックする

2020年08月01日

文学と感染症 1 

英国演劇篇

この新型コロナ感染症の蔓延によって、社会と文化の構造が大きくかわることが、まだ、そのただ中にありながら、確実視されているのだが、それにともない私たちの文学の見た方もまたかわりつつある。

実際、感染症(ペストなどの疫病)は、そこにあっても、これまでは全く認識されなかったといっていい。初期近代英国の演劇--要はシェイクスピアの演劇の時代――において、たとえばベン・ジョンソンの『錬金術師』という喜劇作品は、ペストでロンドンの市民が田舎に疎開しているあいだ、金持ちの家の留守をあずかる召使い階層の人間たちが、錬金術師をかたって、疎開できない庶民たちを詐欺にかけるという芝居だが、そのようにペスト禍を舞台設定にしなくとも、実は、ペストはシェイクスピアの有名な作品にもあった。

放送大学(ラジオ)の非常勤講師をしているのだが、その仕事には、たんにラジオ授業での録音をするだけでなく、受講生の課題の添削などもふくまれるのだが、受講生のなかに、作品におけるペストの存在を指摘する課題レポートがいくつもあった。『ロミオとジュリエット』についてである。

ジュリエットが仮死状態になる薬を密かに飲んで埋葬される。ロレンス修道士は、ヴェローナから追放されたロミオのもとに使者をつかわし、ロミオとジュリエットが再会できるよう手はずをととのえるのだが、使者が途中で足止めをくらい、ロミオのもとにたどり着けない。そのいっぽうでロミオの家の召使いがロミオにジュリエットの死を伝えるべくやってくる。ジュリエットの死を知ったロミオは……。

というとき、ロミオへのロレンス修道士の使者を止めたのは、ペストの蔓延だった。ペストによるロックダウンと、外出自粛。そして使者が修道士でもあったので重症者の世話を求められた。こうして情報の行き違いから、喜劇的ハッピーエンドになるはずの芝居が悲劇的結末をむかえることになる。

多くのあらすじは、このペストの影響を、書き割り的な、うすっぺらな設定として言及すらしていない。かくいう、私も、放送大学のテキストで担当した『ロミオとジュリエット』の章では、あらすじを紹介する際に、ペストについては、なにも触れていない(執筆時は2028年)。

しかし、今の私たちは、若い恋人たちの悲劇に影をおとしているペストの存在を見過ごしたり、省略したりはしないだろう。
posted by ohashi at 19:54| 文学と感染症 | 更新情報をチェックする