小池都知事がカイロ大学を卒業していないのではないかと、さかんに批判攻撃していた人たちが、カイロ大学が卒業の事実を認める宣言を出した直後から沈黙したのはどうしてだろう。いや、ほんとうは沈黙などしていないのだが、メディアが取り上げなくなっただけかもしれない。
実際、ネットでは、学歴詐称疑惑の追及は続いているのだが、主要メディアでは、カイロ大学の宣言以来、この件は決着がついたかのように、取り上げられることはない。都知事選挙の関係で、特定候補者への非難攻撃は、よほどの違法行為ではないかぎり、メディアとしては好ましくという判断なのかもしれない。悪辣な選挙違反でも摘発されるのは選挙後であり、それによって当選が無効になることはあっても、きわめてレアケースである。
またカイロ大学の卒業証書あるいは卒業宣言は、あてにならないというような誹謗中傷(ただし真実かもしれないが)は無視するとしても、卒業宣言は、明確に卒業の事実の記録がある場合と、学生が行方不明となって在学しているかどうかも定かでなくなった場合、どちらの場合でも、ねつ造の横行とは別に、卒業宣言が出るだろう。つまり卒業宣言は、正確と不明確との両極端に関与することになるので、実は、信用できない。
たとえばカイロ大学にしても、有力者からの圧力がなかったとして(実際には、東京都知事というのは有力者の部類に入るのだろうが)、調べてみたら記録がない。しかし記録がないと発表した場合、それは卒業してないのか、大学側の記録管理の不備なのか、わからないが、もし後者ならば、ほんとうの卒業生の名誉を傷つけるし、また大学の管理体制の不備が暴露され不名誉なことになりかねない。だったら卒業したと宣言しておくのが無難だろう。まさか証拠をみせろとはいわれないだろうし、いわれても情報は開示しないで押し通せる。
となるとあとは、本人の良心ならび所持している卒業証書が鍵となるが、卒業証書はなくす可能性がある。私は大学の卒業証書を、自発的に捨てたおぼえなどないが、いまどこにあるのかわからなくて、なくしたも同然である。卒業した大学に記録が残っているだろうが、いまから半世紀近く前の昔の話で、たぶんコンピュータで管理する以前ことだろうから、紙の書類で調べるのはたいへんな作業だろうし、その書類がなくなっている可能性もある。ならば、学歴詐称と非難されたら、どうするのかというと、ひとつには卒業したことについて嘘をついていないので、良心にやましいことはなく、非難にはあたらない。また私が卒業したことを証言してくれる当時の教員とか同級生はまだ存在している。だから卒業証書がすぐにみつからなくても、なんの心配もしていない。また自分の学歴は、ネット上あるいは出版物で公表しているから、そこに虚偽があったなら、指摘されて非難されておかしくないので、学歴詐称とは無縁である。
ということは学歴詐称は、本人が告白しないかぎり、他人が立証するしかない。そして他人が立証する場合は、本人の証言も、時には大学側の証言も虚偽であることを立証せねばならなくなって、それには粘り強い努力が必要となる。
そしてもし、それがいやで学歴詐称追究をやめてしまったら、そのときは、今回の例では小池東京都知事の名誉を傷つける犯罪行為にほかならず、厳しく罰せられてしかるべきだと思う。もしそうでないというのなら、さらなる究明が必要となる。その覚悟は最初からあってしているのかと言いたい。
今回の例では、小池都知事が示した卒業証明書なるものは、聴講生の証明書のようなもので、卒業証書ではないと言われているが、たとえそうでも、本物の卒業証書をなくしたので(たとえば私のように)、在学していた証拠として聴講生証明書を出した、あと卒業の事実はカイロ大学が証明してくれたといえば、それですむ話であり、これを虚偽と立証するには、十分な証拠をそろえなければいけない、それはかなりむつかしいのだろう。
何が言いたいのかというと、学歴詐称というのは、軽く考えられているところがあって、平気でそれをおこなうことがあるのだが、あるいはこれが軽く考えられている理由かもしれないが、学歴詐称を立証するのは、きわめてむつかしいし、不可能なことが多い。これが問題であって、同様なケースとして「盗作」問題がある。
学歴詐称も盗作も、ほんらいならその人間の全人格を賭けた努力なり成果と関係していて、そんな貴重なものを、簡単に詐称などできないはずだが、簡単にやってしまう。
ここに傘が2本ある。片方は数百円で買える廉価品の傘。もうひとつはみるからに高さそうな高級傘。あなたは傘をもっていない。雨が降ってきてどうしても傘が必要なとき、傘立てにあるこの2本の傘をみて、どちらを失敬しますが。もちろん、あなたは、そんな泥棒のまねはしないというだろうから、あくまでも仮想としての話だが、その場合、もし高級傘を盗むのだったら、あなたは根っからの悪人である。高級傘を盗んだらみつかったとき罪が重くなるし、弁償するにしても高くつくかもしれない。つまり万引きでも1万円の商品よりも100円の商品を万引きしたほうがみつかったときの罪は軽いと考えるとすれば、あなたは小心者かもしれないが良心のかけらは残っている(とはいえ安物の傘をもっている庶民のほうが、傘を盗まれたときのダメージは大きいということもあるが、それは傘を盗むあなたの頭には浮かばないことにする)。
これと同じで、学歴も作品の、けっして安物ではない。むしろ価格がつかないほど高いものである。このふたつは、価格が高いににもかかわらず、よく盗まれるものの最たるものである。そして犯罪の立証がむつかいしことにかけても最たるものである。
そしてこの犯罪行為を防ぐのに責任があるのは、どちらかといえば、追究者のほうである。盗むのは簡単だが、立証はむつかしいとき、立証する側が本腰を入れてかからないと、犯罪を野放しにすることになる。そしてまた立証のむつかしさを乗り越える者があってこそ、犯罪をふせげるのであれば、立証者の責任は重い。
またそれだけではない。もし立証者が立証できなければ、あるいは途中で追究をやめるのなら、立証者自身が犯罪者となる。だから、やるなら徹底してするべきであって、それがこの無防備の高級品の盗難犯罪を防ぐための唯一の方法なのだから。
posted by ohashi at 17:08|
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