2020年06月30日

椅子をつかって病人/けが人を

大雨の被害が出ることを予想して、テレビのニュース番組では、自治体の災害への備えについて取材していたが、そのなかで、布製の担架を作って常備している自治体が紹介されていた。布製の担架は、設置しやすく、また病人/けが人を運ぶとき、とりわけ階段など使って運び出すときに有効であるということで、実際に、布製担架を使って運び出す映像もあった。布製といっても、ふにゃふにゃではなく、かなり頑丈そうで、持ち手もあって、数人で運びやすそうだった。

病人やけが人を運ぶとき、担架があればいいのだが、布製であれ、通常の金属製の担架であれ、常備してある場所は限られていて、簡単に担架を使うことはできない。どうするのか。

リモート授業でシェイクスピアの『オセロー』を読んでいるのだが、第5幕第1場で、夜、暴漢に襲われて足を負傷して動けなくなった人間を、運び出すところがある。動けなくなったのはキャシオ(かつてのオセローの副官)。そしてキャシオを助けるために、イアーゴーは、こう叫ぶ

Iago How do you, Cassio?  O, a chair, a chair ! (5.1.96)
イアーゴー、どうしたキャシオか。椅子だ、椅子をもってこい。


引用には、オックスフォード版を使ったが、この箇所について何の注釈もない。ただ、翻訳などでは(すべての翻訳を調べたわけではないが)、「椅子」と訳さずに「担架」と訳している。ちなみにchairに、いわゆる「担架」の意味はない。

ここでイアーゴーがいきなり椅子をもってこいと叫ぶのだが、日本人にとって、いったい何のことかわからないので、翻訳では椅子のかわりに担架と言葉を入れ替えて,違和感がないようにしている。

ちなみにト書きでも
 Exeunt attendants with Cassio in the chair
 従者たち、キャシオを椅子に座らせて退場

とある。

そう、欧米では昔も,今も、病院人/けが人を椅子に座らせ、椅子ごとかかえて運ぶことがふつうなのである。

担架があれば、それに超したことはないのだが、担架のある場所は限られている。それに対して、椅子(ストゥールではなく、背もたれ、できれば肘掛けがあるような椅子)は、どこにでもある。椅子を使って病人/けが人を運ぶのは合理的である。実際、欧米では、応急処置のマニュアルのようなものに、椅子を使っての運び方が図解で載っている。

日本でも、椅子を使った運び方を奨励しているケースもあるかもしれないが、一般的ではないだろう。もしキャシオが椅子に座らされ、椅子ごと運ばれたら、観客から笑いがもれるかもしれない。欧米では自然なことだが、日本では、なにやら、ささいなギャグで笑わせようとしているのかと勘違いされて。だから日本での舞台では担架がもちこまれる。

授業では、こう語っている――英語でシェイクスピアの『オセロー』を読むことで、ここで椅子chairという言葉使われていることがわかり、椅子を使って病人やけが人を運ぶことができることを学んだら、それが実生活においても役に立つかもしれない。まさに、これが、もっとも有意義な英語読解体験かもしれませんよ、と、あまり面白くないネタのつもりで。
posted by ohashi at 18:22| コメント | 更新情報をチェックする

第二波ではないだろう

東京都では連日のようにコロナウィルス感染者が増えていて、第二波の到来ではないかともいわれているのだが、第二波ではないだろう。東京都が言っているように、検査数を増やしたら感染者も増えたというのは本当のことだろう。第二波よりも、むしろ、こちらのほうが恐い。

たとえ東京都の全住民の検査をすることは不可能にしても、またこういうことは感染あるいは統計の専門家ではないので推測でものをいうしかないのだが、サンプリングして全体像をつかむ場合でも、できるだけ多くの検査をしたほうが、精度が上がる。

で、この場合、検査の数をふやせば、感染者も増えるというのは、サンプリングでもなんでもない。そもそも、感染者数は,どのような検査によって把握しているのかよくわからないのだが、かりに都民全員を定期的に検査して、そのつど感染者数を出すというのは、不可能なことだが、もしそういうことをすれば、感染者が毎日いるということは、感染が拡がっていることになるが、そういう検査は不可能であろう。

となると重点的に地域とか、年齢層とか、一定の範囲を区切って検査して、感染状況を把握するということになるのだが、それもサンプリング検査以外,不可能だろう。また自分が感染しているか調べて欲しいということは、自覚症状がないかぎり、受け付けていないようだから、結局、症状を訴えてきた人間と、特定の地域や場所(店とか病院)での全員検査からわかった数ということのようだから、全体像は把握できないし、また、第二波かどうかも把握できない。

そもそも日本では感染者をふやさないことが,オリンピックとの関連で至上命令だったから、その場合、予防に努め、感染経路をたつという方策のほかに、検査を少なくすれば、みつかる感染者も少なくなるという、姑息な方法がまかりとおった。それはいまなお終わっていなくて、東京都全体の感染者の全体像をつかむためのサンプリングなど、夢のまた夢で、新宿地区の飲食店の従業員の実態をつかむための全員検査をおこなっているにすぎない。だから、感染者が多少増えても第二波でもなんでもない。埼玉県もさいたま市の飲食業の従業員の検査をしているだけのようだから、感染者数の把握などできるはずもない。

抗体検査の結果、東京都民で抗体保有者は0.1パーセントと、他国にくらべて極端に低い。とはいえこれは都民全体を検査したわけではないし、サンプリング検査でもないし、また感染者数を最初から押さえるべく検査数が少ないから、こんなものだろうが、抗体保有者が少なすぎて、第二波が来た場合、日本は、大丈夫かと世界で思われているので、感染者数操作も、ここにきて裏目に出たようで、ざまあみろとしかいいようがない。、

また厚労省は最近、4月に死亡した日本人の数が、前年とほぼ同じ(数百人ふえただけ)であるという統計を発表した。これによってコロナウィルス禍での死亡者の数は、思ったほどではなかったということらしいが、しかし、厚労省の統計結果など、いまや捏造と虚偽の代名詞みたいなもので、そんなものを本気で信じているのは、精神異常者でしかない。

そもそもコロナウィルスでの死亡者数が重要であって、全体の死亡者が、昨年とかわりないということが、コロナ死亡者の数が少ないということにはならない。相変わらず、厚労省は姑息で卑劣である--いつから、そうなったのわからないが。また、あとで、捏造とわかっても、そのときは手遅れだろう。

しかし、検査して実態をつかむのではなく、検査あるいは検査数を操作して実態を隠蔽することだけは、やめてほしいと思う。まあ、やむことはないと思うが。
posted by ohashi at 17:43| コメント | 更新情報をチェックする

2020年06月29日

学歴詐称

小池都知事がカイロ大学を卒業していないのではないかと、さかんに批判攻撃していた人たちが、カイロ大学が卒業の事実を認める宣言を出した直後から沈黙したのはどうしてだろう。いや、ほんとうは沈黙などしていないのだが、メディアが取り上げなくなっただけかもしれない。

実際、ネットでは、学歴詐称疑惑の追及は続いているのだが、主要メディアでは、カイロ大学の宣言以来、この件は決着がついたかのように、取り上げられることはない。都知事選挙の関係で、特定候補者への非難攻撃は、よほどの違法行為ではないかぎり、メディアとしては好ましくという判断なのかもしれない。悪辣な選挙違反でも摘発されるのは選挙後であり、それによって当選が無効になることはあっても、きわめてレアケースである。

またカイロ大学の卒業証書あるいは卒業宣言は、あてにならないというような誹謗中傷(ただし真実かもしれないが)は無視するとしても、卒業宣言は、明確に卒業の事実の記録がある場合と、学生が行方不明となって在学しているかどうかも定かでなくなった場合、どちらの場合でも、ねつ造の横行とは別に、卒業宣言が出るだろう。つまり卒業宣言は、正確と不明確との両極端に関与することになるので、実は、信用できない。

たとえばカイロ大学にしても、有力者からの圧力がなかったとして(実際には、東京都知事というのは有力者の部類に入るのだろうが)、調べてみたら記録がない。しかし記録がないと発表した場合、それは卒業してないのか、大学側の記録管理の不備なのか、わからないが、もし後者ならば、ほんとうの卒業生の名誉を傷つけるし、また大学の管理体制の不備が暴露され不名誉なことになりかねない。だったら卒業したと宣言しておくのが無難だろう。まさか証拠をみせろとはいわれないだろうし、いわれても情報は開示しないで押し通せる。

となるとあとは、本人の良心ならび所持している卒業証書が鍵となるが、卒業証書はなくす可能性がある。私は大学の卒業証書を、自発的に捨てたおぼえなどないが、いまどこにあるのかわからなくて、なくしたも同然である。卒業した大学に記録が残っているだろうが、いまから半世紀近く前の昔の話で、たぶんコンピュータで管理する以前ことだろうから、紙の書類で調べるのはたいへんな作業だろうし、その書類がなくなっている可能性もある。ならば、学歴詐称と非難されたら、どうするのかというと、ひとつには卒業したことについて嘘をついていないので、良心にやましいことはなく、非難にはあたらない。また私が卒業したことを証言してくれる当時の教員とか同級生はまだ存在している。だから卒業証書がすぐにみつからなくても、なんの心配もしていない。また自分の学歴は、ネット上あるいは出版物で公表しているから、そこに虚偽があったなら、指摘されて非難されておかしくないので、学歴詐称とは無縁である。

ということは学歴詐称は、本人が告白しないかぎり、他人が立証するしかない。そして他人が立証する場合は、本人の証言も、時には大学側の証言も虚偽であることを立証せねばならなくなって、それには粘り強い努力が必要となる。

そしてもし、それがいやで学歴詐称追究をやめてしまったら、そのときは、今回の例では小池東京都知事の名誉を傷つける犯罪行為にほかならず、厳しく罰せられてしかるべきだと思う。もしそうでないというのなら、さらなる究明が必要となる。その覚悟は最初からあってしているのかと言いたい。

今回の例では、小池都知事が示した卒業証明書なるものは、聴講生の証明書のようなもので、卒業証書ではないと言われているが、たとえそうでも、本物の卒業証書をなくしたので(たとえば私のように)、在学していた証拠として聴講生証明書を出した、あと卒業の事実はカイロ大学が証明してくれたといえば、それですむ話であり、これを虚偽と立証するには、十分な証拠をそろえなければいけない、それはかなりむつかしいのだろう。

何が言いたいのかというと、学歴詐称というのは、軽く考えられているところがあって、平気でそれをおこなうことがあるのだが、あるいはこれが軽く考えられている理由かもしれないが、学歴詐称を立証するのは、きわめてむつかしいし、不可能なことが多い。これが問題であって、同様なケースとして「盗作」問題がある。

学歴詐称も盗作も、ほんらいならその人間の全人格を賭けた努力なり成果と関係していて、そんな貴重なものを、簡単に詐称などできないはずだが、簡単にやってしまう。

ここに傘が2本ある。片方は数百円で買える廉価品の傘。もうひとつはみるからに高さそうな高級傘。あなたは傘をもっていない。雨が降ってきてどうしても傘が必要なとき、傘立てにあるこの2本の傘をみて、どちらを失敬しますが。もちろん、あなたは、そんな泥棒のまねはしないというだろうから、あくまでも仮想としての話だが、その場合、もし高級傘を盗むのだったら、あなたは根っからの悪人である。高級傘を盗んだらみつかったとき罪が重くなるし、弁償するにしても高くつくかもしれない。つまり万引きでも1万円の商品よりも100円の商品を万引きしたほうがみつかったときの罪は軽いと考えるとすれば、あなたは小心者かもしれないが良心のかけらは残っている(とはいえ安物の傘をもっている庶民のほうが、傘を盗まれたときのダメージは大きいということもあるが、それは傘を盗むあなたの頭には浮かばないことにする)。

これと同じで、学歴も作品の、けっして安物ではない。むしろ価格がつかないほど高いものである。このふたつは、価格が高いににもかかわらず、よく盗まれるものの最たるものである。そして犯罪の立証がむつかいしことにかけても最たるものである。

そしてこの犯罪行為を防ぐのに責任があるのは、どちらかといえば、追究者のほうである。盗むのは簡単だが、立証はむつかしいとき、立証する側が本腰を入れてかからないと、犯罪を野放しにすることになる。そしてまた立証のむつかしさを乗り越える者があってこそ、犯罪をふせげるのであれば、立証者の責任は重い。

またそれだけではない。もし立証者が立証できなければ、あるいは途中で追究をやめるのなら、立証者自身が犯罪者となる。だから、やるなら徹底してするべきであって、それがこの無防備の高級品の盗難犯罪を防ぐための唯一の方法なのだから。
posted by ohashi at 17:08| コメント | 更新情報をチェックする

2020年06月27日

朝鮮半島の緊張

日本では昨年の夏に公開された韓国映画『工作 黒金星(ブラック・ヴィーナス)と呼ばれた男』を見たら、北朝鮮に友好的というか、対立融和的な韓国の政権は、北朝鮮にとっては都合が悪いことがわかり、なるほどと思った。

両国ともに敵対関係をあおるというか敵対関係を維持することによって、それぞれの政権が安定する。北朝鮮の政権は、南北統一など夢にも考えていない。韓国と敵対しつづけることで北朝鮮の政権が安定する。南北統一は、北朝鮮の独裁政権消滅の時である。そうでなければ朝鮮半島は地獄と課している。

過去に何度も出現した、北朝鮮に友好的なリベラルな政権を嫌うのは韓国の保守反動層だけでなく、北朝鮮もまた、嫌うところがある。敵がいなくなることによって、不満をぶつける先がなくなって困るからである。

今回、南北の対立激化は、今(6月26日)の段階で、沈静化しているが、いつ何時再燃するかもしれない緊張状態が継続中である。原因は、おそらくコロナウィルス禍による経済活動の停滞と、それにづづく国境閉鎖による物資不足による日常生活の劣化などによって北朝鮮国民のあいだに、とりわけ軍人のあいだに政権に対する不満が急激に募り、金委員長の健康問題もあり、政権の求心力が弱まったことだろう。つまり、こうなると国民の目を外国に向けるほかなく、韓国を悪辣な敵に仕立て上げて国民の一致団結をはかっているのだろう。

韓国が北朝鮮との約束を履行していないことへの不満という、北朝鮮が流している理由をメディアはオウム返しているだけだが、脱北者団体による風船ビラまき行為にしても、直接的・間接的な北朝鮮政権批判(間接的なのは韓国の自由で豊かな暮らしぶりの宣伝)のビラといっしょに、お菓子とかカップ麺を飛ばしているだけで、飴と鞭に例えるならば飴作戦である。通常なら、そんなものにいちいち目くじらをたてたりはしない。

北朝鮮の政権は、今回のコロナウィルス禍で相当追い詰められているのかもしれない。韓国が軍事的に暴発しても、韓国軍と在韓米軍の敵ではなく、崩壊するのは北朝鮮だろうから、北朝鮮の政権は、あくまでも脅すだけで、そのような愚かなことはしないだろうが、ただ、軍事衝突となったとき保有している核を北朝鮮が使うと韓国は大きな犠牲を払うことになるだろうし、日本人も、たとえば私の暮らしている地域に、核ミサイルが飛んでくるかもしれない。だから、追い詰められている北朝鮮を、さらに刺激し、追い詰めることは危険を伴うのだが、コロナウィルス禍で北朝鮮という独裁国家の終わりがはじまるのなら、それはよいことである。

また北朝鮮に友好的になるのはいいとしても、あくまでもそれは北朝鮮の国民に対してであって、北朝鮮の独裁政権は、許してはならない。今、世界は、北朝鮮、アメリカ、中国、ロシア、日本をみるにつけても、独裁政権が国を支配しているのが現状である。リベラルな政権は、こうした独裁政権とあくまでも戦う姿勢をみせるべきだが、朝鮮半島の場合、北との敵対関係をつよめれば、歴代の反共政権と同じことをしているにすぎなくなるし、歴代の韓国の反北朝鮮政権は、裏で、北朝鮮と連携して、相互に政権の安定をはかってきた。だからリベラルな政権にとって、北朝鮮に嫌われてても融和政策をやめることはできない。

中国とトランプとの対立も、裏では両者の連携がみられるわけで、日本の現政権のやり口をみても、とても北朝鮮や中国を非難できるような民主主義の国ではなく、まさに日本は、北朝鮮や中国のような国になろうとしているのである。

また朝鮮半島との関係からいえば、日本は、北朝鮮と敵対関係にあると同時に、韓国とも敵対関係になったことが、政権の安定につながっていることは否定できないだろう。日本に平和の機運が高まれば北朝鮮がミサイル発射実験をするし、日本の政権への批判が国内でたかまれば、韓国を刺激して敵対関係を構築し、批判を国内の政権から海外の政権へとふりむけることができる。

日本の現政権が、ここまで腐敗しながらも、いまもなお延命している原因は、国民の愚劣さにあるが(とはいえ選挙制度が必ずしも望まれていない政党なり人物に政権を委ねてしまうというシステム上の問題もあるのだが)、同時に、北朝鮮の暴走と、韓国による日本批判が現腐敗政権を支えてきているのも事実だろう。

もちろん北朝鮮の政権は、自国民をここまで犠牲にしたことへの責任を必ず歴史においてとらされるだろう(そうでなければ、神も仏もないぞ)。また現在の韓国政府の日本批判は、これまでどおりつづけてほしい。いまの日本の首相は、その先祖がかつて日本を破壊したことをまねて、いままた日本を思うがままに破壊しようとしているマクベス(奥さんはマクベス夫人)なのだから。
posted by ohashi at 00:49| コメント | 更新情報をチェックする

2020年06月26日

1万円?

試験というかレポートの添削のようなことをしているのだが、課題が、「~について***字以内で書きなさい」と伝統的に決められているようで、そのとおりに字数を指定したら、極端に字数が少ない答案というかレポートがあった。

***字以内というのは上限の字数を示しているのだが、最少の字数を示していないので、半分以下の字数、さらには極端に少ない字数の答案なりレポートがある。ただこれを大幅に減点するか不合格にしてよいのか迷う。最少字数を明示していないのだから。

添削者からのコメントとして、「いくら、多目的のトイレとされていても、そのトイレに女性を呼び出し、そこで性行為をしてはだめでしょう、それと同じで、書かれていないから何をしてもいい(どんなに字数が少なくてもいい)ということにはなりません」と書こうとして、下品になるから、やめた。

渡部健のスキャンダル問題だが、これは不倫でもなんでもない、女性をただの性欲のはけ口にしているだけである。不倫についてのバッシングはうんざりしている。当人、あるいは夫婦間で解決すべきことを、まるで犯罪でも犯したかのように断罪するという道徳ファシズムにはかねてから私は批判的だったが(いったいいつから日本はタリバンが支配する国になったのだと言いたい)、今回のスキャンダルは、不倫でないことだけはたしかだろう。

最近のインタヴューで渡部は、奥さんを愛していることにかわりなく、ただ、ちょとした遊びでセックスしたというだけだと語って、またもやひんしゅくをかっている。つまり誰もがデリヘルを利用するように、自分もデリヘル嬢を利用した。妻に不満があったわけではなく、いそがしい合間の性のはけ口として利用したにすぎないということらしい。

たとえ、そうだとしても、気になるのは、たとえば個人事務所に呼び出された女性が、殺風景な部屋で、ただちに体を求められ、行為が15分ほどで終わるとすぐに追い返され、帰り際には「またね」と必ず一万円札一枚を渡されたと証言していることである。

私は風俗店もデリヘルもこれまで利用したことはないし、これからも利用することはないので(ただしセクシュアル・ワーカーを私は絶対に蔑視はしていない)、相場がどのくらいのものかわからないのだが、今どき、1万円で女性を抱けるものだろうかと疑問に思った。

もし渡部がデリヘルを利用したら、1万円ですむのだろうか。いや、相手はデリヘル嬢ではないのだから相場は関係ないとしたら、これまで人気タレントであった渡部が、一回1万円で女性とセックスするというのは、安すぎないかと思った。人気タレントでもあるので、むしろ高額の礼金を支払うのが当然ではないか思っていた。

ただ、これは私の考え違いだった、と思う。1万円はセックスのお礼ではなく、車代のようなものだろう。わざわざ来てもらったことへの謝礼であって、セックスのお礼ではない。

むしろお金を払うのは女性のほうであるということなのだろう。

渡部ほどの大人気タレントが、セックスの相手をしてやるというわけだから、本来なら俺様に女性のほうから金を払うのが当然かもしれない。それなのに心優しい、この国民的人気を誇るタレントであるこの俺さまは、ただで、セックスをさせてやるだけでなく、交通費まで出してやっているのだ(交通費は実費で1万円はしないだろう--1万円というのは、どちらかというと高額の部類に入るだろう)。俺様、なんて気前のよい、心優しいタレントなんだろう、ということなのだろう。

有名人気タレント相手にセックスできるのなら、女性のほうから金を払ってもいいくらいだ、それをお金を要求せずにセックスをしてやっているということのようだ。

まあ、クソみたいなクズ野郎である。何様と思っているのだ。また女性をなんと思っているのだろう。
posted by ohashi at 13:06| コメント | 更新情報をチェックする

2020年06月25日

イージス・アショア

イージス・アショアについては、何も知らないも同然なので、ここに書くことは、事実なり真実ではなく、推定であり近似値であることをねらっているので、すべてのセンテンスに?がつく。それは問題提起の?でもある。

秋田県と山口県に設置予定だったイージス・アショア・システムは、弾道ミサイル迎撃システムとのことだが、なぜ、この二県のこの場所かと言えば、北朝鮮が太平洋上のアメリカの軍事施設を弾道ミサイルで攻撃する際に、弾道ミサイルが通過する二つのコース上(コース下というべきか)だからである。

秋田県上空を通過するコースというのはハワイを狙ったものだろう。いっぽう山口県上空を通過するコースはグァムを狙ったものだろう。

ハワイとグァム、太平洋上のアメリカの軍事拠点のこのふたつを狙った弾道ミサイルを迎撃するためのイージス・アショア施設が秋田県と山口県に設置される。つまりアメリカを防衛する盾であって、日本を防衛するためのものではない。

もし北朝鮮が本気でハワイとグァムを攻撃しようとするなら、そしてそのとき、日本にイージス・アショア・システムが設置されているのなら、まずこの二つをピンポイント攻撃してつぶす。弾道ミサイルで狙っていいし、海岸にあるから、海上から船舶で攻撃もできる。

しかし北朝鮮からのイージス・アショア・システム攻撃を防衛する施設なり武器はない。そのため、もし攻撃されたら迎撃ミサイル施設だけでなく周辺地区も破壊され、犠牲者も出るだろう。そしてそれはあくまでもハワイとグァムを守るためのものだった。これは日本人の人間の盾によって、アメリカの軍事施設を守るということである。

そんな貧乏くじ、一刻も早く捨てたほうがいいに決まっている。今回、どういう経緯だったのかは知らないが。
posted by ohashi at 17:26| コメント | 更新情報をチェックする

2020年06月21日

Go To

Go To キャンペーンは、コロナ終息後の観光旅行への補助金や地域クーポンを活用して国内観光を支援する施策で、予算規模1.7兆円の事業として2020年度第一次補正予算に盛り込まれた。

コロナ対策予算を上回る額の予算を、コロナ終息後の観光事業支援にあてることへの批判、しかも今回も不透明な事務委託費問題があることへの批判はやむことがない。GoToは「強盗」だとの語呂合わせもされてしまう始末。

GoToというのはプログラム言語にあるらしく、この名称を思いついた人間は、それが念頭にあったのかもしれない。

ただし英文学研究者とりわけシェイクスピア研究者にとってGo toは、シェイクスピア作品ではよくお目にかかる日常的なフレーズである。英和辞典にも古い用法として載っていると思うし、現代でも使うことがあるのかもしれない。

研究社英和大辞典
Go to ((古))[命令法で](勧告などを表して)これ、さあ(Come!);(不満・不信などを表して)まさか、おいおい、地獄に落ちろ。

ジーニアス英和大辞典
Go to! ((古))(反対・不信などを表して)さあ、おい、ばかな、よせ。

ランダムハウス英和大辞典
Go to ! ((古))(1)((命令文))まさか、ばかな、とんでもない。
   (3)((米話))うせろ、消えろ、くたばれ。


だからGoToキャンペーンだと聞くと、
私などは「まさか、おいおい、地獄に落ちろ」、「さあ、おい、ばかな、よせ」「まさか、ばかな、とんでもない」「うせろ、消えろ、くたばれ」という言葉がつぎからつぎへと浮かんでくる。

このキャンペーンには、まさに正しい適切な名称を身にまとっている。また命名者は、英語文学への教養ゼロだということを露呈している。

posted by ohashi at 21:04| コメント | 更新情報をチェックする

2020年06月13日

『バック・トゥー・ザ・フューチャー』


【AFP=時事】米国をはじめとする各国で人種差別と警察の暴力に抗議するデモが拡大し、放送業界が配信内容の見直しを進める中、動画配信サービスHBOマックス(HBO Max)は9日、映画『風と共に去りぬ(Gone with the Wind)』をストリーミング配信のコンテンツから削除した。


その理由として、「南北戦争を舞台にした1939年公開の同作はアカデミー賞9部門を受賞した歴史大作だが、奴隷が不満を言わず、また奴隷所有者が英雄のように描かれているという部分は批判の的にもなっている」をあげているサイトもあった。

配信コンテンツからの削除は当然のことだが、それはなにも「奴隷が不満を言わず、また奴隷所有者が英雄のように描かれている」という理由だけではない。それをいうのなら、ほとんどの西部劇はアウトでしょう。また差別意識とか奴隷制の美化のあるなしに関係なく、南北戦争前の奴隷解放前の時代を南部側から描く映画としては、そのような描き方はやむをえないのであって、そこだけをとらえてこの映画が問題視されていると誤解しないように。

映画『ブラック・クランズマン』(BlacKkKlansman スパイク・リー監督2018)のなかでも語られていたが、『国民の創生』と『風と共に去りぬ』はアメリカ映画の古典でもあるが、同時に黒人差別映画の古典でもあって、両者ともにKKK団を好意的に描いているというのがその理由。『風と共に去りぬ』の原作には、はっきりと描かれているが、映画でも明確な暗示(撞着語法とはいえ)とともにKKK団の存在が示される。

6月12日の地上波日本テレビ系列では『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を放送していたが、この映画、黒人差別的ではないとしても、黒人をバカにしていることはまちがいなく、配信中止というか放送禁止にしてもいいような映画なのである。

もし映画をみたことのあれば、思い出していただきたい。主人公のマーティが暮らす町がどうだったのか。

黒人の市長が誕生し、マーティが所有することを夢見ている車は、夢のアメリカ車ではなくて夢の日本車(トヨタ・ハイラックス)なのである。この現在は、黒人が行政を支配し、日本車をもつことがステイタスになるような、日本文化に侵略された世界なのである。黒人の支配と日本人の支配。この二大勢力の占領地区となっているディストピア的世界、アメリカ人の少年があろうことか日本車にあこがれるという虚偽意識の最たる具現化。タイムマシンは、この歴史改編のために過去に送り込まれるというふうにもみえる。

そう、それは『ターミネイター』と同じで、機械と人間とが戦争している未来において、機械側も、人間側も、過去に人間なりターミネイターを送り込んで、過去の歴史を改編することで未来において勝利しようとする。

ディストピアの解体/解消を求めて、過去にタイムスリップして歴史改編を試みる。『ターミネイター』と『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(すくなくともその第一部)は、同類である。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』では、たとえばマーティは、ダイナーで働く黒人青年に、彼が考えてもいない、市長になるという可能性を示唆する。そして黒人でも政治家になれるということを知った青年がやがて未来のマーティの暮らす市の市長になるのである。黒人は自分の力で、意識を高めることによって、政治家になったというのではない。白人の助言によって、政治家になる可能性に気づいたのであって、白人の助言なくして、彼は市長になれなかったのである。

もうひとつはチャック・ベリー。Wikipediaのチャック・ベリーの項目には次のような記述がふくまれる。

映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985年)において、1955年にタイムスリップした主人公のマーティ・マクフライが、指を負傷したマーヴィン・ベリーというギタリストの代理としてダンスパーティのバンドでギターを演奏し、アンコールでこの曲を演奏するシーンがある。映画の設定上ではマーヴィンはチャックの従兄弟であり、主人公の演奏中に「新しい音楽を探していた」というチャックに電話をかけ、受話器越しに演奏を聴かせている。つまりチャック・ベリーは、未来からやってきたマーティの演奏を聴いてこの曲を着想した、というタイム・パラドックスになっている。


そうまでして白人は黒人にマウントしたいのか。ロックンロールの創始者チャック・ベリーは白人によって着想を得て、その代表作ヒット曲を作曲し、ロックの創始者となった。黒人は自分の力では、なにもできない。白人の助言があって、ようやくその才能を開花させた。先の黒人市長の例と全く同じ。しかし、繰り返すと、白人は、黒人の功績を認めるがいやで、そこまでマウントして、すべては白人の力だといいたいのか。黒人をバカにするにもほどがある。

なおこの映画のなかでトヨタの車については最終的どういう扱いだったか覚えていないのだが、黒人市長とトヨタ車の君臨によって、日本車も、いいダシに使われている。黒人市長は、日本車と同様、外国産あるいは異民族侵略という暗示をちらつかせているのだから。

posted by ohashi at 03:16| 映画 | 更新情報をチェックする

2020年06月04日

ブルーインパルス

ヒコーキ好きの私としては、ブルーインパルスは好きで、F86時代は実際に展示飛行をみたことはないが、T2になってからは航空祭でみたことはある。

T2は精悍な姿をした高等ジェット練習機だが、そのぶんスピードも速く、まさにそのスピード感がアクロバット飛行にはむいていないこともわかった。ただしそのスピード感によって、実戦でジェット機に攻撃されたら逃げ場もないこともわかった――音がする、その方向をみると、もう頭上を機体が通過する瞬間であって、狙われたら気づかぬうちに死んでいることがわかった。

T4になってからは飛行をみていないのだが、練習機なのでスピードは出ないぶん運動性能がよく、アクロバット飛行向きかもしれないということはわかる。

とはいえ今回の5月29日、医療関係者をはげますという目的で都内の空を飛行したときは、まっすぐ飛行しただけのようだが。

もちろん批判もある、というか、こんなものは批判の対象にしかなりえない。各地で、医療従事者や自粛中の住民を励ます試みがおこなわれているのだが、全部、自腹である。自腹だからこそ、無意味な試みとしか思えない場合でも、その善意をくんで批判は避けるように誰もが心がけていると思う。つい先日も、花火を上げるというイベントがあった。

ところが今回はプルーインパルスが航空燃料を燃やして二酸化炭素をまきちらして、ささやかな環境破壊と騒音をふらせて、なにが医療従事者への励ましかという批判は、当然あるし、さらには、これは国民の税金が使われているのである。

河野太郎防衛大臣が1日、ブログで、ブルーインパルス飛行の費用を、燃料費や整備員らを輸送するコストなどを合計して「約360万円」と明記した。

また、その費用を医療関係者へという意見については「別物だと思う」と記したということだが、私も、そんな金があるのなら医療関係者へと思うのだが、河野のバカは、そのいいわけとして、これは私が自腹で払ったとか、内閣メンバーの、あるいは自民党の有志による募金でまかなったといえいばかっこよかったのだが、税金を使ったのだと堂々とのたまったのだ。このバカは。

360万円というのは、微妙な額で、たったそれだけの額を医療関係者にまわしても、なんのたしにもならないということは言えるのだが、同時に、360万円くらいなら、河野大臣が自腹で払えない額ではないだろう。さらには自衛隊関係者、あるいは自民党関係者とか、内閣とか国会議員とか、募金で集められない額でもない。

もちろん私の個人的感想なのだが、360万円というのは安すぎないか。6機で飛行したのである。一機30万円でスモークを使った展示飛行ができる計算になる。むしろ一機分が360万円ではないのか。6機分で2000万円超える。これだと個人で、たとえまかなうことができても、批判されかねない。募金も集まりにくいだろう。

もちろんなんの証拠はないのだが、今回の飛行は360万円ではすまないと思う。360万円から2000万円の間くらいの費用がかかっているのではないか。そうだとしたら、またも政権の愚行だ。

とはいえ費用の多い少ないにかかわらず、こんなことで感激する馬鹿な国民ではいたくない。ブルーインパルスのためを思っても。
posted by ohashi at 03:35| コメント | 更新情報をチェックする

2020年06月03日

疫病と戦争 2

今回のパンデミックを人間とウィルスあるいはウィルス感染との戦争であると比喩的に考えるなら、日本でのパンデミックあるいはウィルスとの戦いは、かつての現実の戦争状態を反復しているところがある。

第二次世界大戦、大東亜戦争、太平洋戦争、15年戦争――呼称はさまざまだが、第二次世界大戦中における日本は、勝ち続けていた。いや、逆で、負け続けてきたのではないかとつっこまれそうだが、日本は情報統制していて、戦争には勝っていることになっていた。連戦連勝だったのである。

もちろん出征兵士のなかからは戦死者も出る。だから戦争の犠牲者が出たことは隠しおおせなかったので、どの戦闘も、多くの犠牲者を出したことになったが、そうした英雄たちの犠牲によって日本は敗北を知らぬまま戦争を有利に継続していることになった。まさに架空戦記の世界である。一時期、日本ではやった架空戦記物(小説やアニメ)はパラレルワールドに設定されたおとぎ話的出来事ではなく、まさに戦時中の日本国民が信じていた世界、そうした架空の世界にふりまわされていた国民の現実の姿そのままだったのである。

いわゆる大本営発表のことである。私の親の世代は、負けているのに勝っているという偽情報を流し続けた大本営発表を心底、軽蔑し嫌悪していた。大本営発表によって国民は統制生活や困窮生活に耐えたのだが、それも勝っていると信じ込まされてきたからである。ふたをあけてみると、連戦連敗で、最初から勝ち目のない戦争をしていたことがわかり、大本営発表は、虚偽情報と同義になった。大本営発表の愚劣さを、私たちは親の世代からいやというほど聞かされつづけてきたし、思想・言論の自由、報道の自由が保証された戦後世界は、大本営発表が支配していた戦前・戦中の悪夢を過去のものにしたと思っていた。

だが、それがむなしい夢であったことは20世紀の終わり頃までには、いくらぼっーと生きている私たちでも、いやというほど理解できるようになったし、国家が目指しているのは完璧な情報統制であることは、いまや疑う余地のない目標となった(すでに情報統制プロジェクトの一部は、あるいはそのほぼ全部が実現しているとみることもできる)。

いやそれだけではない。今回の新型コロナウィルス感染対策では、日本の腐敗政権はPCR検査を極端に少なくして、検査しなければ感染者もでないという、情報操作をさらに上に行く悪辣な現実操作対策をとった。

駝鳥(オストリッチ)は危機がせまると、頭を砂のなかに突っ込んで、危機的状況や危険な対象をみないよういしてやり過ごそうとすると思われていて、駝鳥(オストリッチ)という言葉自体が「事なかれ主義者」とか「現実逃避主義者」の意味になるのだが、それとまったく同じで、検査数を減らせば、感染者も少なくてすむという、ふつうなら猛烈に批判されてしかるべき政策も、首相と同じ精神構造の大半の国民のせいで、あるいはオリンピック開催を是が非でも実現するたというオリンピック・ファースト、その実、経済ファーストの志向のために検査が極力減らされることになった。

これは腐敗政権が、国民の首根っこをつかんで、砂のなかに頭をつっこませたというべきか、あるいは腐敗政権が、国民といっしょに、砂のなかに頭をつっこで、危機をやりすごそうとしたのか、いろいろ比喩化して語ることはできるが、いずれにしても、それは愚劣で、哀れで、臆病だが、同時に犯罪的で悪辣な行為である。

実際、検査数を減らされているため、もし新型コロナウィルスに感染しても、どうしたらいいのかわからない。すぐに検査を受けさせてもらえ、適切な処置がとられるのなら、たとえワクチンができていなくても、安心できるのだが、そうでない現状があるために、感染したら最後である。重症化しても入院さえさせてもらえない(たとえ医療崩壊がおきていなくても)。

だから検査数を減らすことは殺人的なのである。オリンピックの延期が決定した直後に検査数をふやし感染者を多く公表したことも、これが現実逃避ではなくて、現実操作だったことの証左であることを示している。

いずれにせよ、日本の腐敗政権の悪辣さと、新型コロナウィルス感染対策が成功したとのたまったWHOのバカどもの悪辣さには唖然とするしかない。

これはまさに戦争状態である。日本独自の状態である。なにしろ大本営発表がいまも国民を支配しているからである。大本営発表の嘘があばかれ、国民が真実とむきあう戦後はいつくるのだろうか。

posted by ohashi at 22:52| コメント | 更新情報をチェックする

2020年06月02日

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posted by ohashi at 02:03| 記事リスト | 更新情報をチェックする

2020年06月01日

成功例 ?

新型コロナ感染対策の成功例として、WHOが日本を称賛しているようなのだけれども、これは最初、何かの間違いかと思った。

感染者数が少ないことを、感染対策の「成功」ということ自体、違和感があり、どうせこれは、まちがいだらけのことをしているのに絶対にまちがいを認めないどころか、自画自賛しかしなくて、新型コロナウィルスも忖度してくれると精神異常者か未熟な幼児の精神構造しかもたない冷和2年の現在の腐敗政権が、WHOのコメントを「成功」であると都合のよいように翻訳したのかと思ったのだが、英語の文献などを読むとすsuccessという語は、パンデミックに関して、ごくふつうに使われているので、「成功」という語が、なんらかの翻訳操作の産物ではないことがわかった。

まあWHOも日本から資金援助を得て、日本の腐敗政権にお世辞を言っているのだと思うし、そのことだけでもWHOが腐敗した国際機関と批判する充分な根拠となりうるのだろう。

トランプ大統領にならってWHOを批判していると思われると心外だが(あんな精神異常者といっしょにしてくれるな)、WHOのいい加減さは、あるいは無能さは、今回の新型コロナウィルス感染によって白日のもとにさらされた感がある。日本を成功例に含めるというのは、WHOの無能と腐敗ぶりの最たる例だろう。

もし日本に、新型コロナウィルスに感染しても、死者がひとりのでなかったのなら、「成功」という言葉を使ってもいいかもしれない(新型コロナウィルスに感染すると後遺症がでるともいわれているので、本来なら、感染者がかぎりなくゼロに近くなれば、そのときはじめて成功といえるのかもしれないのだが)。

しかし死者が出ているのである。死んだ感染者、あるはその遺族に対して、日本の感染対策が成功したのだと、どの面をさげて言えるのだ。もし私が感染によって死んだなら、あるいは死んでゆくことが確実なら、あなたは日本すなわち感染対策成功例の国の、まさに誇らしい国民の1人ですよといわれても、うれしくないどころ、生き残った者たち全員を呪い殺してやりたいほどの怒りを感ずるだろう。

そう、これは、このブログでも何度も語っているトロッコ/トロリー問題の一ヴァージョンである。数字だけみているから、あるいは数字に還元されるために、死者への追悼の念が弱くなる。たとえ1人でも死者が出れば、それは日本国民全員が哀悼の意を表するべき問題であり、1人でも死者が出れば、成功など夢のまた夢であることを肝に銘ずるべきなのだ。

腐りきったルイ16世のクソ政権の自画自賛に加担したり、それに忖度することは、絶対にやめるべきである(おそらく、これから、この腐敗政権は、忖度されなくなるだろうが)。むしろ私たちは、死者に忖度すべきである。死者を味方につけないかぎり、あるいは死者を尊重しないかぎり、現在も未来も不条理な醜態をさらけるだけであろう。
posted by ohashi at 18:06| コメント | 更新情報をチェックする